22 優しい人
城から帰り着き自室に戻ったオデットは上位竜イクエイアスの圧倒的な魔力を以て、肉体に埋め込まれていたというのに、何の傷も残すことなく、この身から離れたばかりの幾つかの宝石を手の平に広げて眺めた。
物言わずにきらめいている宝石は、どんなに言葉を飾ったとしても、この身を縛っていた外れることのなかった鎖に他ならなかった。
(これを、どうにかして外すことが出来たのも……全部全部、何もかもをキースがしてくれた。そのための代償すらも、あの人は肩代わりをして。私は、優しいあの人に、何をどうやって返すことが出来る……? 与えられるだけでは、きっと関係はダメになってしまう……私にも、キースのために出来ることは何なんだろう……)
溜め息をついて宝石を小さな布袋に、仕舞い込む。
暫くの間は、せっかく外すことの出来たこれも、ポケットの中に入れて、共にあらねばならない。
この宝石がどこかに動けば、あちらも知るところになる。そうすれば、オデットはまだ鎖に縛られたままでいるという事になる。
キースは慎重な考えで向こうの出方が定まっていない今で、それを知られてしまう事について危惧をしているようだった。
もし、今この状態で彼らがオデットすら居場所がわからなくなったと知れば、何か大きく事態が動くかも知れないからだ。
この国が最強と呼ばれている竜騎士団を有するとて、ガヴェアも世界に鳴り響くほどの魔法大国だ。だからこそ、戦力が拮抗しているからこそ、今まで互いに生き残ってこられたのだ。
「眠れないのか」
背後からキースの低い声がして、窓の外の空に浮かぶ三日月を見ていたオデットは振り返る事なくその言葉に頷いた。
「これで私は望んでいた自由の身に、なったはずです……けれど、私はこの能力を持っている限り。常に危険が付き纏うでしょう。キースのような強い力を持つ誰かから、守られねば生きられない。そんな自分が、本当に嫌で」
「……そうか」
背後まで近付きオデットの体を覆うように腰の辺りに手を回したキースは、それ以上の言葉を口にしなかった。
その姿を目にしなくても、手を重ねれば彼の熱を感じて大きな安心を感じることが出来た。
(キースは強く、権力も武力も……何もかもを、その手にしている人。私の話を聞いてから、すぐに立ち位置を正確に把握し理解したからこそ、あの時に彼は言ったんだ。風向きは……私を取り巻く状況は。いつか、変わるかも知れないと)
「キースに守られて、確かに私は今安全です。けど、私は自分の安全のために貴方を好きになった訳じゃないのに。今のままでは、きっと……また、貴方の苦しさも辛さも……何も知らずに理解していない癖に、キースが持つものが羨ましくて堪らない人に、色んな邪推を受けるでしょう」
キースは誰に嫌味を言われたとて、飄々として傷ついていないように見えた。だが、嫌な言葉をあれほどにまで言われて、傷つかない人間なんて居ない。
もしくは、心が傷付きすぎて、痛みが酷過ぎて、それすらも麻痺をしてしまっているのかも知れない。
(彼の弱点には、絶対なりたくない。月姫なんて誰かに良いように呼ばれても、本当の王族のお姫様じゃない。私を守ってくれるのは、キース一人だけだもの)
「勝手に、言わせておけば良い。ああいう手合いは、決して居なくなる事はないだろう」
宥めるように耳元で囁かれる言葉に、オデットは首を横に振った。
「私のせいでキースが悪く言われてしまうのが、嫌です。生まれ付き、月魔法を使えるというだけで、それだけの価値しか持たないと。これからも、そう思われていたくはない。何か……何かがあれば……あの時に、キースは抜け出したい状況にあるのなら、武器を持てと言ってくれました。私は武器が欲しい。何もかもを持っているキースと、いつか対等になれるような」
「……対等になるのか。俺のお姫様は、果てしない野望をお持ちらしい。別に立場を誇示する訳ではないが、ヴェリエフェンディ竜騎士団団長だ。俺と戦うなら、とりあえず竜を百匹ほど何処かから調達しておいてくれ。それから、対戦日を相談しようか」
「竜って、調達出来るんですか?」
真顔で振り向いたオデットに、キースは苦笑してから軽いキスをした。
「……いいや。悪かった。いつもの、面白くない冗談だ。オデットは俺に守られているだけでは、嫌なのか?」
キースは自分の意見を押し付けるでもなく、不思議そうに聞いた。
別に何も求めることなく愛をくれる彼からすれば、恋人のオデットがただそこに居るだけで満足なのだと、何度も何度も繰り返し言っているからだ。
(割り切って守られているだけなら、何も考えずに楽なのかも知れない。けど、そんなのまるで大人が子どもを庇護しているみたいで……私はいつまでも、対等な一人にはなれない……)
「嫌です。だって、大変なキースの負担になりたくない。今でも……いっぱい背負ってるのに……私まで……」
「心配性な、お姫様だなー……オデットくらい、軽いものだ。俺の複雑な立場を察して、そう言ってくれるのは有り難い事だが、一人の男として可愛い恋人を守りたいと思うことは、自然なことだろう? そうは、思わないか?」
そう言って、キースは窓を向いていたオデットの身体の方向を変えて抱きしめた。
オデットの表情はまだ固く、真剣なままだ。
「……キースはそれで良くても、私はダメなんです。頑固って言われたとしても、考えることも全部捨ててしまえば。それはきっと……私ではなくなってしまう。それに……」
「なんだ?」
「もし、何も考えずに楽に生きたいと思う人間であれば、恐ろしい鉄巨人から逃げ回って居ませんでした。私は生きたい道を、自分のために生きたい。贅沢な生活を捨てても孤立無縁だったとしても、治癒の魔法を持つだけの人形のように扱われる場所から逃げたかったんです。そうしたら、そこには貴方が居てくれた。だから、私の考えは間違ってなかったんです」
「あー……まあ。考えは人それぞれだ。これだけは忠告しておく。もしオデットがこれこそが正しいという答えを見つけたと思っても、それを誰かに押し付けるのは絶対にやめた方が良い。誰しも心は、自由であるべきだ。だが、俺はオデットのそういう考えも好きだ。もしかしたら君はあれを逃げたと思って居るかもしれないが、戦略的撤退は逃げたとは言わないんだ。勝利への、近道だったと思え」
「せんりゃくてきてったい」
オデットが鸚鵡返しに言葉を言って首を傾げたので、キースは吹き出しそうになって口を押さえた。ムッとして抗議の視線を向けたオデットに慌てて彼は、説明をした。
「悪い。バカにしたりとか、そういうつもりではない。オデットを下に見た訳じゃないんだ。あー……可愛かっただけだ。つまり、歳の離れた恋人にでれでれとして、鼻の下を伸ばすとても痛い男だとでも思ってくれて構わない……さっきのは、最終的に勝つために、戦力を温存する作戦として逃げる戦略もあるって事だ。一度逃げても力を溜めて、作戦を立ててまた挑戦すれば良い。どんなに知略に優れた軍師でも、戦闘中に撤退を選ぶのは勇気がいる。それをしたんだ。つまり、いつか勝つために逃げるんだ」
「勝つために……逃げる……」
「オデットはあの時、たった一人だった。あのイカれた男の所有物となっていたのなら、味方など誰も居なかっただろうし、周囲は巻き込まれるのを恐れて動かなかっただろう。そんな場所で良く耐えて、逃げ出すために勇気を出した。偉かった。誰にも、それを恥ずかしく思う必要などない」
ぎゅうっと強い力で抱きしめられて耳元で囁かれる低い声は、オデットの身体全体に染み渡るようだった。
きっと誰が何を言って来ようが、彼一人さえ認めてくれればオデットはそれで良かった。
(キースは、優しい。いつでも、私の欲しかった言葉をくれる。そんな彼にこんなにまで大事にされているというのに、心の中にある焦げ付くような焦燥感はなんなんだろう……私は彼に相応しくありたいのに。このままでは、いけないのに……)
これはキースに言っても、わからないだろう。彼に庇護されたお荷物のような付属品のままで、人生を終わりたくない。
自分だって、彼を守り支えたい。
(でも……どうしたら……)




