20 竜騎士たち
「わ! 団長、お疲れ様です」
キースとオデットが巨大な竜舎に足を踏み入れれば、何処かから帰って来たばかりなのか竜から降りたばかりの竜騎士と鉢合わせになった。彼は慌てて姿勢を正して、直立不動の体勢になった。
「ナイジェルか。お疲れ……どうだ?」
黒髪で少し悪っぽい整った顔を持つその人を見て、オデットはこの前にキースにお願いされて月魔法を使って治癒した人だと気が付いた。
もちろん、彼はあの時に負った深手の傷も、今は全て全快しているはずなのではきはきとしてキースに報告をした。
「特に……動きは、ないですね。国境にも特に警備を増やした様子もありません。血の気の多いガヴェアの事ですし。いつもなら自国の飛行船がどんな理由であれ拿捕されたと知れば、難癖をつけて小競り合いにも進展しそうなものですが」
どうやらナイジェルは、オデットの元居た国ガヴェアの偵察をして帰ってきたところだったらしい。
すぐ近くに降り立ったばかりの美しい水色の鱗を持つ竜が、新顔のオデットを興味深げに見つめている。彼の持つ青い目は、丸くてこぼれ落ちんばかりに大きい。
(大きくて透き通ってる目が……綺麗。もっと凶暴に見えるのかと思ったら、なんか可愛い)
竜と目が合ってしまったオデットは、早くナイジェルに触って良いか聞きたかったものの彼は深刻な顔をして上司のキースを見つめている。
「ふん。あの男の船には、違法な物が積み込まれ真っ黒だったからな。それに、頭もかなりイカレれてた。あれでは、国にも敵は多かったろう。あいつが居なくなって、喜ぶ奴が多かったんじゃないか……」
キースは不機嫌そうに鼻を鳴らし、緊張している様子のナイジェルに答えた。
「……向こうからの抗議の使者も、特に何もなしですか。不気味ですね」
「ない。今まで全く動きがないとすれば、もうこの件では動かないだろう。稀有な力を持つオデットの事に関しても、言わないとすれば何かを企んでいそうだが……」
「こちらも警戒していたのに、肩透かしになって良かったのか、悪かったのか。わかりませんね……あっ! そうでした。礼をするのが遅れてしまって、すみません。オデットさん。この前には助けて頂きまして、ありがとうございました。流石にあれは死ぬかと思ったんで、翌日傷ひとつ消えてなくなってたんで夢だったのかと……えーっとパトリックに、何か……?」
ナイジェルは慌てて傍に居た命の危機を救ってくれたオデットに礼を言おうとすれば、その彼女は水色の竜と見つめ合ったまま、動かなかったので訝しげな表情を浮かべた。
「あっ……せっかく、話し掛けて貰ったのに、ごめんなさい。この子、可愛いですね。パトリックって言う名前なんですか?」
「はい。俺の竜で……水竜です。あはは。この、可愛いお嬢さんは誰なのって、言ってますね。パトリック。団長の彼女だ。粗相すんなよ」
ようやくハッとして目線を逸らす事が出来たオデットに、ナイジェルは苦笑しつつ答えた。
キースは後ろから誰かに呼ばれたのか、ナイジェルに後を任せるように目配せをしてから去っていった。
「可愛い……鱗も……こんなに、大きいのに繋ぎ目が、ない?」
オデットが嬉しそうにパトリックの大きな身体に近寄って、その身体を触れば、不思議な触感だった。冷たいような温かいような、柔らかいような固いような。とにかく、今まで触れたこともない感覚だった。
「そうですね。水中に潜ることも出来るので、水竜の竜鱗は落ちにくいようにはなっているらしいんですが、他の種類だとそれは、また違うかもしれません……オデットさんは、ガヴェア出身だったんでしたね。竜の存在がこうして身近なのは、ヴェリエフェンディで生まれ育った俺たちには、当たり前の事なんですが……ありがとう。お土産を買って来たから後で持ってくよ」
ナイジェルは、パトリックに載っていた鞍を外してくれた騎士見習いらしい数人の少年に声を掛けた。嬉しそうな声をあげた彼らは、小走りに同じ方向に進んで行った。
「そうですね。ガヴェアの王都には魔法障壁もあったので、この国で良くあるように、空に竜が飛んでいるのも見掛けた事がありませんでした。竜を見ることが出来るようになれたのは、すごく嬉しいです。こんなにも、美しい生き物を今まで見たことがありません」
パトリックの身体を撫でつつ、オデットが目を輝かせればナイジェルは頷きつつ笑った。
「ヴェリエフェンディには、守護竜イクエイアスが居ます。竜騎士の竜たちは、全てイクエイアスの眷属の竜なんですよ。上位竜を見れば、また驚くかもしれません。年に一回ある祭りには、必ず国民の前にその姿を見せてくれるんですが、空を飛ぶ姿は優美で、まるで絵画のように美しいですよ……あー……待ってください。ワーウィックは、ダメだろ。お前、なんでこの事をすぐに言ったんだよ。すみません。オデットさん、パトリックが自分の仲良い竜たちに、この事を自慢したらしくて……今から、少し騒がしくなります」
ナイジェルは困った顔をしたまま、頭を掻いた。
「……え?」
彼の言わんとしている事が全く呑み込めずに、オデットは目を瞬かせた。
それから、彼らがやって来たのはすぐのことだった。
ぶわりと強い風圧が舞って、気が付いた時には何匹かの竜に囲まれていた。
あっという間に自分の傍に何個もの鼻先が寄せられて、驚いたオデットがナイジェルの背中に隠れると彼は苦笑して言った。
「大丈夫です。こいつらは団長の彼女を近くで見てみたいって、そう言ってるだけなんで。こいつら、成竜になったばっかりで若くて好奇心が旺盛なんですよ。団長のセドリックに慣れていると、驚かれたかもしれませんね。本当に……すみません」
「あ……そう、なんですね。セドリックは人型になってもあまり話さないし、私の事にもあまり興味を示さないので。竜ってそういうものなのかなって、ずっと思っていました」
オデットはようやく恐る恐る顔を出すと、赤い竜が間近にまで顔を寄せて来た。美しい、真紅の竜だ。この竜が青い空を飛べば、とても目立つかもしれない。
「団長のセドリックは、こいつらより大分年齢を重ねているし、性格的にも特別無口なので。こいつらは、まだ若くてヤンチャなのが多くて……ワーウィック。近付き過ぎだ。人間の女の子に対する礼儀を守れ。リカルドを呼ぶぞ。いい加減にしろ」
赤い竜がキュウキュウと抗議するように鳴いたので、ナイジェルがパトリックの方を向いた。
竜騎士が話す事が出来るのは、契約した竜だけらしいので、何を言っているのか翻訳しろと言っているのかもしれない。
「クライヴ。リカルドはブレンダンと組んで、近くで作戦立案をやってるだろ。この悪戯好きのわからず屋には、リカルドに責任を取って貰う。二人に竜舎まで来いって言え」
一番後ろで冷静に我関せずな様子をしていた紺色の竜にナイジェルがそう言うと、ワーウィックと呼ばれた赤竜は今度はキュウキュウと甘えるような鳴き声を出した。
「今更甘えても、もう遅い。可愛い女の子だからって好き勝手やってると、一番大事な時に好きな子に嫌われるぞ」
「ナイジェル……悪い。ワーウィック。お前、良い加減にしろ」
困ったような低い声がすぐに聞こえて、竜の頭が間近に寄せられて驚いていたオデットが顔を上げれば、赤髪で飛行船にまで救出に来てくれた竜騎士がそこに居た。
(リカルドって……リカルド・デュマース? ヴェリエフェンディが誇る、有名な竜騎士……この人だったんだ)
オデットは、しゅんとした様子の赤竜と難しい表情で見つめ合っている背の高いその人をまじまじと見てしまった。
その名前は、近隣諸国に鳴り響いているはずだ。
敵国になるガヴェアでこの人の名前と共に語られていたのは悪鬼のように情け容赦ない恐ろしい男のようなものだったが、間近に居る彼は礼儀正しく真面目そうな美青年だ。
「彼女に何かあったら団長に怒られるの、さっき任されてた俺なんだけど。あれ……アレックが居るってことは、ゴトフリーも帰って来てるんだな。今、あいつはどこ?」
ナイジェルの疑問に、遅れてやって来たブレンダンが苦笑して答えた。
「ゴトフリーも、さっき帰った。ここ何日か会ってないから、彼女のところに会いに行くって。急いで城に行ったよ」
「いや、一緒に偵察任務してきた俺と、報告書を纏めてから行けよ。帰れなくなるだろ。アレック。あの色ボケバカを、すぐに呼び戻せ」
眉を顰めたナイジェルが大人しくしている緑竜を見れば、可愛いらしい声でキュウっと一声鳴いて返事をした。




