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17/31

17 ごめんな

 アイザックが血相を変えてキースの家の中に飛び込んで来たのは、そろそろ灯りをつけようかと辺りが薄闇に包まれて来た夕飯の時間近くなってからだった。


 鼻歌を歌いながら夕飯の用意をしていたら、大きな足音の後で居間の扉を乱暴に開いたので、オデットは身体をビクッとさせて驚いた。


「アイザックさん!? どうかしたんですか?」


 目を丸くしてオデットがそう言えば、アイザックは厳しい表情を崩さずに肩で大きく息をした。


(何……やだ。もしかして、キースに何かあったの?)


 嫌な、予感がした。


 今日はどうしても自分が付いて行きたい出撃があると言っていたキースは、自分の竜のセドリックと共に朝早くに出て行った。ここはかなり安全な場所だという事は判りつつも彼の用意した大袈裟な数の護衛が、家の周囲を見張っているはずだった。


 まだ数ヶ月の付き合いだがアイザックがこれほどにまで取り乱している様子など、今まで見たことがない。一体何があったのかと不安な表情で目を瞬かせるオデットに、彼は荒い息を整えてから話し出した。


「っ……良いか。落ち着いて、聞いてくれ。キースが戦闘中の部下を庇って、怪我をした。重傷だ。お姫様の助けが要る」


 予想もしていなかった信じ難い言葉を聞いて、オデットは手にしていた皿が落ちて割れてしまうのも構わずに彼に駆け寄った。


「お願い。キースが居る場所に、私を連れて行って! 早く!」



◇◆◇



 空飛ぶ竜に乗れば、馬車で時間を掛けて進む道のりも一瞬だ。紫色は徐々に濃くなり、夜に包まれればもう一番星が見える黒い空になるだろう。


 アイザックの相棒の赤竜が、城にある大きな発着場にザッと砂埃を上げながら舞い降りた。竜に取り付けられた大きな鞍からオデットが降りるのを手伝いながら、彼は宥めるように低い声を出した。


「良いか。ここからは、俺に従ってくれ。お姫様が動揺している事は俺にだって理解出来る。だが、城に居る治療師の一人だと言う事にするから誰かに聞かれればそう答えてくれ。あんたの正体が何者かが知れ渡ってしまえば、余計な火の粉を被るのはキースになる。どうか、焦らずに冷静にしてくれ」


 落ち着いて欲しいと言外に伝える彼の言葉に、オデットはこくこくと大きく頷いた。とにかく早く、苦しんでいるだろうキースの傍に行きたかった。


 ヴェリエフェンディの王城からは、この前に訪れた時とは違う不安気な騒めきが伝わって来る。キースの複雑な立場は、オデットも何回も聞いていた。その彼がもしかしたら瀕死なのかもしれないと思えば、城の中がこうして騒がしくのも仕方のないことなのかもしれない。この国の勢力図が、塗り替えられてしまうかもしれないのだ。


「キース! 何をしている!」


 ある部屋に入った途端に、アイザックがいきなり大きな声を出した。彼のすぐ後ろから、やって来たオデットは身を竦ませて驚いた。


 慌てて大きな身体の向こう側を覗き込めば、キースが裸の上半身に包帯を巻いたままで上半身を起こしていたのだ。


「……よお。アイザックに、オデット。来てくれたのか。俺も一応は王族なんで、優先して治療師がそれなりに治癒の魔法を掛けてくれた。もう命の危険はないという事で、他の奴のところに行って貰っている……そんな顔をして、心配をしなくて良い」


 後の言葉は、自分に掛けてくれたのだと気がついたオデットは彼に駆け寄った。


「キース! ……良かった。私。今すぐに治療します」


 もしかしたら、治療師に施された治療により傷は塞がっているのかもしれない。だが、キースの顔色はサッと見てわかるほどにかなり悪い。大きな傷を負って、多量の血を失っているのかもしれなかった。


「……オデット。悪い。俺より、俺の部下を治療してくれないか」


 思わぬ言葉を聞きポカンとした表情になったオデットに、キースは落ち着くように腕を撫でた。


「おい。キース」


 彼の行いを咎めるような声を出したアイザックに、キースは苦笑をしつつ顔を向けた。


「俺はもう大丈夫だと、言っただろう。オデットに治癒して貰わねばならないほど、酷い怪我でもない。幸い、毒がある魔物でなくて助かった。アイザック。オデットを、あいつの居る病室にまで案内してくれ。俺は近い内に、どうこうなるような事はないが。わかっているだろう。あちらの方が、かなり怪我は酷い。優先してやってくれ」


「……お前は、それで良いんだな?」


「俺が。そう言ったんだ。頼む」


 キースの言葉を聞いて、アイザックが大きく息を吐いた。唖然としたままのオデットに部屋を出ようと促すように目を向けてから、先に病室を出て行った。


(嘘。こんなにも、顔も青くて……絶対に具合が悪いはずなのに……きっと、怪我も完全に治療されている訳でもない。どうして)


 キースは自身が団長として取り纏める竜騎士団の、自分の部下をとても大事に思っている事は知っていた。


 穏やかに笑う彼の顔を見上げつつじわりと涙が滲みそうになったオデットに、キースは安心させるようにゆっくりと言った。


「オデット……どうか、頼む。俺の可愛い部下の一人を、助けてやってくれないか。俺のことは、命に別状はない。後回しで良いんだ。もう、大丈夫だから」


 自分だって具合が悪いのにオデットを安心させようと空元気を出して、頼んでいる事はわかっていた。青い顔色に、上半身全てを取り巻くようにぐるぐるに巻かれた白い包帯。傷が、どれだけ大きかったかを表すもの。


(こんなに……どれだけ、酷い怪我だったんだろう)


「キースが、それを望むなら……」


 そう言って、オデットは立ち上がった。ここで言い合いになっても、キースは引かない。そういう人だと言うことは、理解していた。


 オデットは彼の望みを、叶えるべきなのだろう。ゆっくりと彼の傍から離れて、扉の外で待っていたアイザックに告げた。


「案内を、お願いします」


「……わかった」


 複雑な表情のアイザックは、それから余計な事は話さなかった。


 無言の彼に案内されて向かった先の病室に寝かされていた黒髪の竜騎士は、瀕死に思えるような重傷を負っていた。意識を失ってしまうほどの痛みか、それとも痛み止めが聞いているのか。目を閉じ苦悶の表情を浮かべている様子は、とても痛々しかった。


 意識を集中させて月魔法を使い、彼を治療した。眩い白い光がきらめき、すうっと穏やかに寝息をたて始めた彼を確認して、オデットはほっと息をついた。


「ありがとう」


 アイザックはしんとした部屋に溶けてしまいそうな掠れた声で、オデットに礼を言った。


 キースだけでなく彼にとっても、大事な部下の一人なのだ。こうして代わって礼を言うことは、何のおかしな事でもなかった。


(彼の大事な人の命を助けることが出来て、本当に良かった。でも……)


 オデットは、部屋にある窓の外を見た。白くて丸い、大きな月。


「……今夜の月はもう出ているので。キースを治癒出来るのは、明日の晩になります」


 オデットの使う事の出来る類稀な月魔法は、使用出来る条件や回数など何回も何回も検証された。そういう、動かし難い決まりがあるのだ。


 淡々とした口調でそう伝えたオデットに、アイザックは慎重に言葉を選んだ。


「……そうか……今夜はキースは、あそこからは動かさない方が良いと思う。怪我は塞がっているようだが。正直な話、城に居る治療師には、君の月魔法ほどの絶大な効果は見込めない。家に、帰るか?」


 オデットがここで頷けは、送ってくれるつもりだったのだろう。アイザックの最後の問いかけに首を横に振ったオデットを見て、彼は目を閉じてまた息をついた。


「わかった。キースの病室にも、付き添い用に簡易ベッドがあるはずだ。戻ろう」


 二人は連れ立って、ゆっくりと城の廊下を歩いた。キースが居た大きな病室に戻れば、彼は身体を横たえて力なく微笑んでいた。


「あー……俺の事は、もう気にしないでくれ。命の危機はとうに去り、少し体調が悪い程度だ……どうか、泣かないでくれ」


 そうしてキースに指摘されて、オデットは自分が涙を流していることに気がついた。ぽたりぽたりと雫が頬を伝い、清潔に磨かれた木の床に落ちた。


(なんで……こんな時には、笑わなきゃいけないのに。キースの言う通りに、したよ。部下の人はもう、大丈夫だよって、明るく笑わなきゃいけないのに。怪我をして一番辛いのはキースなのに……何で私は、そんな簡単なことも出来ないの)


 心ではそう振る舞うべきだと、わかっていた。どうしても、それをすることが出来なかった。


 本当の気持ちは、大好きなキースを一番に優先したかった。けれど、彼の願いも叶えたかった。


 首を何度も振って、彼の元へと駆け寄った。ベッド側に座って、彼を見上げるとキースは微笑みながら泣いているオデットの髪を撫でた。


「……俺の願いを、叶えてくれてありがとう。辛い思いをさせてしまって、ごめんな……」



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