16 勝手な言い分
キースに竜騎士団で治療がしたいと願ったものの誰の目から見てもオデットの扱いについては難しく、上の判断も賛否が別れてしまっているようだった。
それをオデットに伝えたのは、時折心配をして家にまで様子を見に来るキースの片腕である副団長のアイザックだ。
出来るだけオデットに不安にさせるような情報は与えたくないと考えているキースに対し、アイザックは自身の処遇に関する情報であれば、本人は知っておくべきという考えを持っていた。
「という訳で、あの件についての判断は、結構な時間がかかるとは思われる……俺も、なんか悪い予感がするし危険だと思うわ。貴重な能力を持つお姫様はどこより安全な家で留守番してれば、良いんじゃないか? あいつは君が健康で家で自分を待って居てくれさえすれば、それだけで満足なんだ。まあ、この前は街の中で不覚は取ったようだが」
「どこより、安全って……」
もちろんだが、オデットの居る家は堅固な要塞でもないでもない。裕福な庶民の住むような普通の一軒家に過ぎない。
そんな疑問を皆まで言わせずに、アイザックは苦笑した。
「竜舎の近くにあるこの区画に住んでるのは、実は全員竜騎士でね。非番の奴らは家に居るだろうし。竜達がすぐ傍に居るとすれば、大軍でも来ない限りここからお姫様を連れ出すのは、不可能に近いから。という訳で、お姫様はここに居るのが、一番安全だって事」
今日は夜勤明けだと言うアイザックは、オデットが初めて一人で焼いた膨らみの足りないパンを文句も言わず咀嚼しつつ難しい表情をした。
(そっか……ここに連れて来られた時に、この近くには、竜騎士たちが家を与えられてるって言ってたよね。竜騎士しか住んでなくて、すぐ近くには竜の巣である巨大な竜舎がある。だから、私は今までこうして無事で居られたんだ……)
オデットを攫うためにやって来た不審者がもし万が一この場所に現れても、どうにか助けを求めることが出来たり竜騎士の内の一人だとしても誰かが不審者に気がつけば、彼らと心通じ合う事の出来る竜は群れを為してすぐそこに居る。
必ず、助けに来てくれるだろう。
「……私。出来たら、キースの役に立ちたいんです。こうして、家の中で待っていても……何の役にも立たない」
しゅんとしたオデットに、徹夜明けで思わず欠伸が出てしまったのか。アイザックは大きな口を片手で押さえて、なんとも言えない表情で言った。
「だから。あいつは、お姫様がこうして傍に居てくれるだけで満足なんだって。役に立つとか立たないとか、損得で考えるんなら。お姫様を最初から助けたりなんかしないだろう」
自分の傍に居る誰かを損か得かどうかを天秤に掛け、損側に傾けば恋心など微塵も消えてしまうのだろうか。
オデットはただキースが好きでそれだけで役に立ちたいと願ったものの。アイザックのような第三者から見れば、やはり自分はキースに損しか与えていないのかもしれないと、そう思った。
「私は、月魔法を使うことしか出来ないんです。だから……もし、それを役に立てれればと」
「……あのさ。お姫様の価値は、お姫様自身で決めれば良いんじゃないか。俺がさ。今、どうこう言葉を重ねて言ったところで、あんたは本当の意味では納得はしないんだろう? こうして、膨らんでないパンも焼くことが出来るし。料理も掃除も、色々教えて貰って出来る事が増えたんだろう。人類の中でもお姫様一人にしか使えないかもしれない稀有な能力を保持していることは、俺も重々承知している。だが……俺にはまるで、それだけしかお姫様は自分の価値がないと言っているように聞こえるよ」
オデットは産まれた時から、月魔法を使うことを期待され今まで生きていた。だから、それこそが自分にある価値なのだと思って来た。
(キースは……あの人は私が私だから、好きなのかもしれない。何もかも知っている彼だからこそ、何も知らない私を守ろうと思ってくれたのかもしれない。役に立ちたいのに、治癒の力を使うこと以外の方法がわからない)
何も言わずに落ち込んでしまった様子のオデットに、アイザックは声を掛けた。
「まあ、なんだ……自分探しは若者の特権だ。思う存分に悩んだ方が良い。俺にはお姫様には、キースに愛される価値があると思う。傍にいるだけで、逃げ場のないあいつの心を癒し救うんだろう。それは、多分……お姫様があいつの気持ちを、誰よりもわかっているからじゃないか」
「キースの、気持ちを?」
首を傾げたオデットに、アイザックは頷いた。
「俺はあいつと付き合いだけは長いが、立場が全然違う。気楽な庶民出身だし、こうして竜騎士にもなっているから。円満な関係の両親はそれだけで満足だし、金なら唸るほどに持っている。正直、不満と言える不満はない。そんな俺には、窮地に近い場所に延々立ち続けるあいつの気持ちは、決して理解はしてやれないだろう。苦しい気持ちをわかってやれると言うだけで、俺には十分だとは思うがね」
「……でも」
オデットは、その先の言葉を続けるのをやめた。
アイザックの言う通りだと、思ったのだ。生まれ落ちたその瞬間から、何もかもを縛られ決められ持っている能力を期待される。キースはだからこそ、逃げていたオデットに対して献身的とも言えるほどに親身になってくれたのかもしれない。
オデットは、キースの役に立ちたかった。
自分を救ってくれた彼を、どんな形でも良いから救いたかった。ただ何もかもを与えられるだけの身分は、嫌だったから。
(傍に居るだけで、良いなんて……男の人の勝手な言い分だと思う。私だって人形じゃない人間なんだし。ちゃんと、自分の意志はあるんだもの)
◇◆◇
オデットがまた街にまで買い物に行ってみたいと言えば、キースは多忙な予定を調整してくれて時間を作ってくれた。
「どこか、行ってみたい店はあるのか?」
「今日はいろんな店を、見て回りたいです。その中から、私が好きになれるような。興味が生まれる何かを見つけたいなあって思ってます」
目を輝かせたオデットの言葉に、キースは鷹揚に頷いた。
「それは、良いことだ。興味が湧くような物がいくつもあれば、人生は楽しい。オデットが好きになれるような物がひとつでも見つかれば、世界はより楽しくなるだろう」
そう笑って言ったキースに、オデットは微笑み返した。
「キースって……自分で説教くさいとか、そういう自虐を言うのも、全部照れ隠しですよね。良いこと言ってるのに、恥ずかしくなっちゃうんですか?」
不意を突かれたようにキースは一瞬黙り込み、その後快活に笑った。
「ははは。その通りだ。俺は実際にそう思っては居るんだが、世間には建前と本音というものがある。前途ある若者が、自分の失敗をくどくど語る老害の言い分をうるさいから黙れと思っているくらいで丁度良いんだ。失敗した奴の言い訳を聞いていれば、何度も挑戦して、その末に成功する若者は出て来ない。俺がひとつだけ確実にこうだと言えるとすれば、本人が無理だと思った偉業を成し遂げる奴はいない。どんな事にも努力は付き物で、それを怠れば成功は不可能だ」
「……キースが竜騎士団の団長になって、皆から尊敬されているのも自分には出来ると思って努力したからなんですね」
「とても、頷きにくい質問ではあるが……オデットから見て俺がそう見えるとすれば、多分そうなんだろう。俺は、努力はした。それだけは確かだ。だが、それは俺だけが知っていれば良い。俺一人だけが、だからこそ今自分が様々な物を手に出来ているとわかっていればそれで良い。それこそが大事なんだ。いつどんな嵐が来たとしても、自分の心を支えてくれるだろう」
「こんな私にも……何か、出来るようになるでしょうか」
月魔法を使うことが出来る以外何も持たないオデットは、キースの横に並び立てるような確たる何かが欲しかった。
確かに月の女神の加護を得ているのは、人類でも稀なことだ。ただ、その何の努力もなく手に入れた幸運だけで、これからも生きていくなんて絶対に嫌だから。
「オデットは、なんだって出来る。自分さえ諦めなければ、どんな場所にも手が届くさ」
「……月にも?」
オデットはぽつりと溢した言葉に、キースは驚きに大きく目を開き言った。
「それは流石に俺にも、わからないが。でも、なんで月なんだ?」
「月の女神に会って、文句が言いたいです。何で、私なのって。何で愛したのって。この能力を持たなければ、私は庶民で普通の生活を送っていたからで……」
そこまで言って、オデットは気がついてしまった。
(そうか。もし月魔法が使えずに、庶民のままなら……キースには……会えないんだ)
複雑な面持ちで彼を見上げたオデットの胸の内を知ってか知らずか、キースは大きな手で手を握った。
「俺は、月の女神がオデットを愛した理由が理解出来る。まあ、それは世界中で俺一人だけが知っていれば良いんだが」
「え。何ですか。教えてください」
「言わない」
結局、オデットが何回聞いたとしても、その理由が何かをキースが教えてくれることはなかった。




