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15 役に立ちたい

 オデットの持つ月の女神の加護は、「処女でなければ消えてしまうのではないか」と密かに言われていた。だからこそ、そう言った意味で彼女の所有権を持つ権力者から何もされることもなく無事だったとも言える。


 だが、実際はそうではなかった。


 キースと愛し合った夜が明けても、月光を浴びれば使うことの出来る月魔法は消えていない。


 生まれながらに神の加護を持つ人間だって、世界中のどこを探しても極少数なのだ。何の根拠もない言い伝えがこうして信じられていたのも、無理はないことだった。


 キースは能力を失えなかった現状でも、強い力を持つ自分を頼りただ守られていれば良いと言った。だが、何もせず守られるという立場はオデットは嫌だった。


 彼の持つ直系ではないというのに王族であらねばならないという、とても複雑な事情や、それ故に保たなければならない自分へ向けられる名声や裏切れない国民達の信頼。


(もし……私が彼だったとしたら、針の筵のような生き地獄だと思うだろう。だって、キースはその立場から、私のように逃げることが許されない。彼が生贄に等しい盾になっているからこの国は上手くいってるんだ。何もかも軽々とこなしているように見えて、周囲にはそう見せているだけで。キースは必死で、努力して来たはずだもの。それに、それはこれからだってずっとずっと続いていくんだ……彼が彼である限り、それは死ぬまで終わらない。そんな人の負担には、絶対になりたくない)


 キースの現在の立場は、オデットが元居た場所と比較すればある程度の自由が利くことだけは確かだ。


 逆に言えば、それ以外は彼の方がより過酷だろう。ただそこに生まれ落ちたというだけで、常に多数の目を向けられ期待に応え続けることを強いられて、自分には何の責がないことでも責められたりすることもあるだろう。


 現在は竜騎士団の最高責任者である彼は、何があったとしても苦笑して「いつものことだ」で済ませているけれど、そう心の中で折り合いがつけられるまで思い悩まず苦しくなかったはずなどない。


 オデットは何をするにも決められて縛られて、自らの意志など少しも必要とされていなかった。


 それは、もしかしたら今考えれば楽なことだったのかもしれない。月魔法を使用する以外は、何もしなくて良かった。努力することも、何も求められていなかった。


 キースの傍に居て生活していく中で、自らが居た立ち位置を今では他人事のように俯瞰出来るようになったのだ。


「キース。私、竜騎士団の皆さんの治療がしたいです」


 朝、城へと出掛ける前のキースにオデットはそれを頼むことにした。


 彼は何も知らないオデットのためにと、かなり仕事を制限したり部下に任せたりしているのだが、そうだとしても抱えている仕事は膨大な量に及ぶ。どうしても職場に出向かねば、ならないことはある。


 オデットしか使うことの出来ない月魔法は使用には制限があるものの、その分威力は絶大だ。身体に欠損があったり、もう余命いくばくもない人も、全て治療してしまえる。死神の迎えを退け、誰だって救うことが出来る。


「あー……俺は……余り。賛成はしない。オデットが、そう言ってくれるのは嬉しいことだ。だが、君の情報が誰かに漏洩する可能性が格段に上がる。俺は、出来ればそうはしたくない」


 キースはオデットの願いを聞き、慎重に答えた。


 彼はオデットを守る立場ではあるが、大勢の竜騎士を束ねる団長だ。怪我を負って瀕死の部下を失わずに済むのであれば、オデットのこうした申し出は願ってもないことに違いない。


「でも……私は、少しでもキースの役に立ちたいんです。こうして、家の中で家事だけしていても、何の役にも立てない……」


 オデットが懸命に訴えれば、キースは苦笑いをした。


「俺には、それだけで本当に十分なんだが? ……まあ、少し待ってくれ。もしオデットがそう言ってくれるなら、有り難いことは確かだ。部下達に箝口令を敷いた上で、どうにか出来ないか各方面と相談してみよう」


 前向きな言葉を引き出すことができて、オデットはパッと表情を明るくした。


「ありがとうございます! 私は、月の出ない日や曇りの日の翌日以外は、月魔法を使う事が出来るので……」


 それ以外なら役に立つことが出来るからと意気込んだ様子のオデットを落ち着かせようと、キースは片手を振った。


「わかったわかった。嘘では、ないから。どうか、落ち着いてくれ。だが、俺は……違う理由でも、あまりオデットを連れて行きたくはないな……」


「どうしてですか?」


 何があるのかときょとんとした顔をしたオデットに、キースははあっと大きくため息をついた。


「俺たち二人は年齢差があるが、部下にはオデットに年齢の近い……何と言うか、ちょうど良いのが揃っているから。誤解しないで欲しいんだが、君を疑っている訳でも、可愛い部下を信じてない訳でも何でもない。俺がもう少し若かったらと、思うだけだ。要するに、醜い嫉妬だ。だからと言って、時間は戻らないから。こういう良くない思索も全部無駄なんだとはわかってるんだが。あー……なんか、俺も歳取ったな……」


 しみじみと言ったキースに、オデットは首を傾げた。


「……キースって、何歳でしたっけ?」


 そういえば、オデットはキースの事がこんなにも好きなのに、彼の情報はほぼ何も知らない。複雑な生い立ちや事情、持っている地位など彼から直接聞いた事、それだけだ。


 彼が初恋のオデットは自分がそんなことなど全く気にもしなかったという事実に驚きつつも、キースに尋ねた。


「俺は二十六だ。六歳年下のお姫様。竜騎士団団長に、史上最年少で指名されてから今が四年目だ。まあ、新人の竜騎士が君を守れるかというと、多分そうでもない。オデットには、俺くらい権力を持つ男の方が良いだろうな」


 少し戯けつつそう言ったキースに、オデットは真面目な顔をして頷いた。


「私は、キースが権力を持っているから好きなのではないと思います」


「……別に大きな権力に目が眩んでくれても、構わない。俺がそれを持っていることには、間違いないからな。では、なんで俺が好きなんだ?」


「キースは、私が今まで会ってきた誰よりも優しいし、あらゆる意味で強くて尊敬出来ます。それに、私は最初に見た時から全てが魅力的な男性だと思いました。一目見て、恋に落ちたと言っても良いかもしません。けど、それだけじゃなくて……」


「ははは。ありがとう。実状に合わない過分な評価、痛み入る。それだけじゃないなら、何なんだ?」


 キースが面白そうに続きを促したので、オデットは顔を赤くして答えた。


「ただそこに居るだけで、好きなんです。理由なんて、私にもわからないです。キースが沢山の魅力的なものを持つ男性だとは、理解しています。けど、王族だからとか竜騎士だから、お金や権力を持っているから。それだけではなくて、ただ好きなんです。だから、この先もそんな貴方と共にあれるなら守られているだけでは嫌なんです」


 その後、キースはじっとオデットを見つめ何も言わなかった。しんとした何とも言えない沈黙が朝の食卓に流れて、思わず椅子から立ち上がって逃げ出したくなった。


(なっ……何か、言って欲しい。確かに、とても恥ずかしいことを言ったけど……でも、全部本当のことだし……おかしな事言ってないよね……?)


 やらかしたかもしれないと両手で頭を抱えそうになったオデットに、キースはようやく口を開いた。


「あー……ごめん。嬉しくて、思考が止まった。一応頭の中で反芻出来るように、記憶出来たと思うんだが。その可愛い声で、何回でも言って欲しい。俺が立ち止まりそうになったり、自信を失いそうになったら……傍に居てくれるだけでも、良いんだが、オデットがそう言ってくれたら、きっとどんな事があったとしても立ち直れるだろう」


 ゆっくりとしたキースの言葉に吸い寄せられるように彼の目を見つめていたオデットは、完璧に見える彼でも周囲に見せていないだけでどうしようもなく落ち込むことがあるのだと悟った。


 彼は成功者だ。誰が見ても、そう思うだろう。難しい立場でも確固たる地位を築き、今では誰かが文句をつけることすら難しい。


 だが、挫折したり思い悩む姿を、誰かに見せることは決してしなかっただろう。そうすれば、周囲に侮られ多くの敵に隙を見せることになる。誰かの上に立てばそれは致命傷になりかねない。


 彼が完璧に見えていることには、大きな理由があったのだ。


(私一人だけが、彼の弱い面を見ることが出来る。大変な立場のキースを、支えたい。役に立ちたい。だって……大好きだから……)


 難しい立場にあっても、嫌な顔ひとつ見せず面倒な事情を持つオデットの事を守ると言ってくれたのだ。そんな優しい彼の、少しでも役に立ちたかった。


 そのためには自分はどうなったとしても、構わないから。



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