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14 運命の女(side Keith)

(……それが、お前が言っていた運命の女なのか?)


 緑の草原でオデットを拾い連れ帰っている道中でセドリックは、キースに問い掛けた。


 今ではその時に自分がどう答えたのかは、もう覚えてもいない。


 ただただ、それから自分にとって運命の女とは何なのかと、自問自答を繰り返して来ただけだ。



◇◆◇



「キース様! 私。エイミーさんに、教えて貰って自分だけでシチューを作ってみたんです!」


 帰って来たばかりで居間に入ったキースが目にしたのは幼い頃に飼っていた毛の長い犬のように、エプロン姿のオデットは「褒めて褒めて」という思いを全身から放つようだった。


 オデットの生い立ちを聞けば、誰しもが彼女を可哀想に思い気の毒だと、そう言うだろう。


 生まれた時から持つ月の女神の加護により稀有な能力を持ち、すべての自由を奪われまるで意志のない人形のように扱われていたと聞いた。


 全ての万病や怪我がたちどこちに治療出来てしまう能力は、金の成る木だ。誰もが欲しがり、手に入れたら決して手放さないだろう。


 だが、彼女自身は、そう扱われることから逃げたがっていた。だからあの時、逃げていたのだ。


 どんなに武力を持っている人間だとしても、一目見るだけで怯んでしまうような巨大な鉄巨人から全力で走っていた。


「ありがとう。頂くよ」


 そう言って長い髪を撫でれば、彼女は本当に嬉しそうに頷いた。


 無垢で、純粋なのだ。ただ、眩しかった。人としての挫折を知らぬ、真っ直ぐな視線も。


 それも、彼女のこれまでを考えれば、無理はない事かもしれない。彼女には、人間関係で頭を悩ませることなどなかっただろう。


 欲に塗れたドス黒い心を持っている権力者から、良いように扱われていただけで。


 キースが目にして来た周囲の女性は、大きくは二つの種類に分けられた。キースが手にする多くの利点に目を奪われ、それを我が物にし利用したいと願う女。自分が隣に並び立つなどとんでもないと萎縮して、我先にと去っていく頭の良い女。


 オデットのように、こうしてただただ慕いただただ自分をひたむきに信じている。


 そんな関係は、人生で初めての事だった。


(キース。この子は調味料を、間違えていたようだ。あまり、美味しくないかもしれない)


 ソファに座っているセドリックが、こちらに目を向けずに淡々と伝えて来た。


(お前。自分が食べないからって、何も言わずに済ませたな? もう、良いよ。別に不味くても、食えなくもないだろう)


 我関せずが通常のセドリックは、特に問題はないだろうと判断して懸命に料理を作っていたオデットにはそのミスを伝えなかったらしい。


 こうして自分の竜と心の中で会話が成立するのも、竜騎士として契約した証だ。寡黙なセドリックには珍しく、もう一度声を掛けてきた。


(オデットが可愛いからと、そうして甘く接するのはあまり良くないんじゃないのか。本人のためにならないだろう)


 いつも自分が口にしていることの揚げ足を取られ、キースは嫌な顔をした。


(……この子は、俺が行動に責任を持つ部下じゃない。それに、男は可愛い女の子には甘くもしたくなるだろう。それは、俺だけじゃない)


(好きなのか)


 年齢の高いセドリックは、言葉が少ない分だけ直球になりがちだ。


 その言葉に、何も返さなかったのは言葉に詰まったからではなくて、オデットに夕食の用意が出来たからだと呼ばれたからだった。


「……どうですか……」


 不安そうにこちらを見る顔は、可愛い。


 キースの周囲は上流階級の女性が多いし一応王族の名を連ねているので、必要な時に彼の世話する女官も選りすぐられた者になる。望んでいなかったが、目は肥えているはずだ。


 それでも、彼女が光を纏うように見えるほどに可愛いのだから。自分がやたらと甘くなってしまうのは、オデットが可愛いからそれは仕方がないと言い聞かせていた。


「美味しいよ。ありがとう」


 オデットはもしかしたら味見をし過ぎて舌がおかしくなっているのかもしれないが、自分が調味料を間違えたことには気がついていないようだった。


 いつものキースであれば、指摘した方が本人のためだと言葉を選んで知らせたはずだった。だが、それは出来なかった。


 自分に喜んでもらえたとはにかむ可愛い笑顔を、万が一にも曇らせたくなかったからだ。


(参ったな……何歳差だ? 俺は、年下が好きだったのか……)


 キースは竜騎士団の団長として前団長から後継者として指名されたのは、入団して三年も経ってはいなかった。だが、その時の彼の目は確かだったのだろう。


 幾度も死線を切り抜けた今でこそ、理解が出来る。複雑な事情を持っていたキースが団長で誰もが驚くような目覚ましい手柄を立て続けなければ、いけない理由があったのだ。


 団長の職務は、一竜騎士としてただ誰かに従って居れば良いというものではない。各方面との折衝、血の気の多い部下を纏め上げる責任。戦闘で気の抜いた部下を失いたくないために、彼らの前では常に厳しくあらねばならないという緊張感を保つこと。


 息つく間もない生活の中で、心を慰める潤いが出来た。


 それを、手放せなくなった。


(彼女を囲っていた権力者たちのように……俺も? 生まれた時から、利用されたという過去を持つ女の子に、無理強いは出来ないな……)


 自分の心を奪う女になど、会えるとは思っていなかった。もし出会うとすれば、嵐のような全てを浚うようなそんな強い存在感のある女なのかとキースは勝手に想像していた。


 だが、それは今ではどうだ。家で自分を待ち帰れば可愛い笑顔を見せている女の子が、目にすれば心を震わせるほどに愛しい。


 オデットは月魔法を使うことの出来る能力以外では、身体ひとつだ。何も、持っていない。両親はわからないし、なんなら敵国の重要人物たちが我先にと奪い合うという曰く付きの女の子だ。


 神の加護を持つだけでも、この世界では極稀だ。そうして、彼女の持つ月魔法は余りに利用価値が高過ぎる。


(やっぱり……好きなんだろう)


 彼と契約し数年経ち竜に心を覗かれることには大分慣れて来たキースでも、この思索が誰かに知られることには抵抗があった。


 それは、相棒であるセドリックもわかってはいるはずだった。どこか苛立つ気持ちをぶつけるように、キースは言った。


(あー……というか、オデットを守れる男なんて、世界に俺以外居なくないか? むしろ、俺しかいない。そういう意味では……彼女は、運命かもしれない)


(お前の悪い癖だ。すぐに、何かに理由を付けたがる。好きだから、俺が守りたいんだと言えば良いだろう)


「キース様。今日、セドリックが本を持って来てくれて……」


 食事の片付けを終えたオデットは、いつものように今日あったことキースに報告し始めた。


 オデットが何をしても何を失敗したところで、キースが愛しいと感じているのだから、それは好きということなのかもしれない。


(まあ……でも、庇護者としか認識されてないような気もするし……どうしようかね)


 オデットを守りたい。だが、それも彼女に拒否されて仕舞えば、別の男に任さざるを得なくなる。それは、絶対にしたくなかった。


(いつものように、お前の思っていることを言えば良いだろう)


 人の心の機微が理解出来ないセドリックを説教するように、キースは諭した。


(恋は、難しいものなんだ。そんなに単純なら、これほどにまで世界中で人々が思い悩むこともないだろう)


(単純に、考えれば良いだろう。お前は、異性の好むような何もかもを持っている。彼女の気持ちの確証は聞いてみなければ、わからない)


 さっさと聞けば良いと言わんばかりのセドリックに、キースは持論を言った。


(……タイミングだ。良いか。恋というのは、それが全てだ。俺だって、今だと思ったら勝負に出るわ)


(臆病なことだ。それは、本気の恋だからではないのか)


 セドリックは、揶揄うように伝えて居間から出て行った。


 目の前のオデットは、無邪気に笑う。何の汚れもない綺麗なままで居てほしいという気持ちと、汚すなら自分でという、うすら暗い思いもあった。


(まあ、だからと言って。絶対に今じゃあないよなー……勝機を待つのも、遠回りのようで近道だ)


 キースは机に頬杖をつきつつ、オデットが通いのメイドのエイミーから習ったという家事の詳細に耳を傾けた。



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