13 願い
思いもよらなかった彼からのキスに、あまりの驚きに瞬きすら忘れて目を開いたままのオデットは、間近にある整った彼の顔を見ながら場違いな事を思っていた。
(睫毛、すごく長い……)
銀色の髪の毛を持つ彼の睫毛は、当然のことだが烟るような銀色だ。
銀色は視覚で捉え難いはずなのに、薄暗い照明の中でも見て取れてしまう程にとても長い睫毛だった。今までになかった近い距離にあるキースの顔は、オデットが彼を最初に見た時に近寄り難いと思った通りに整っていた。
するっと唇を割り開き熱い舌が滑り込み、驚いている間に奥に縮こまっていたオデットの小さな舌を吸い上げられた。
誰かと粘膜を擦り合わせるという初めての感覚に酔いしれて、目を瞑ったままで身を震わせた。ぎゅうっと力強い腕に抱きしめられ、必死で彼に合わせて舌を動かして息をすることも忘れていたオデットは、キースが彼女の異変に気がついて身体を離すまでに酸欠になりかかっていた。
「っ……はっ……はあっ……はあっ……」
荒い息を繰り返すオデットを見下ろして、自分のせいだと思ってかキースは困った顔になった。ゆっくりと大きな手で背中を撫でて、あやすようにして言った。
「……あー……悪い。苦しかったよな。オデットが初めてなのはわかってはいたんだが、つい夢中になってしまった。今日は……疲れたと思うし、そろそろ寝るか」
いつも見せるような庇護者の顔に戻ろうとしたキースの腕を引いて、オデットはせがむようにして言った。
「ま! 待ってください。待って……あの。私、キースさ……キースに、どうしても聞いて欲しいお願いがあるんです」
「……なんだ? 俺に出来ることなら、何なりと」
別に大したことではないだろうと、余裕の表情で微笑んだキースに詰め寄るようにしてオデットは胸の辺りの白いシャツを軽く掴んだ。
「私を、抱いて欲しいんです。私はキース様でないと嫌なんです。私の恋人になってくれると、言ってくれたし問題ないと思います……だから……」
「え? ちょっと、待ってくれ。俺も……別にうぶな振りをするつもりもないが、俺たちはさっき気持ちを通じ合わせたばかりだ。別に急がずとも」
必死で言い募る様子を宥めるように言った彼を見上げて、オデットは眉を寄せて言った。
「このまま、誰かと誰かの……国々の争いの火種と、なってしまうくらいなら。私の能力を、もう消してしまいたいんです。キースにも迷惑をかけたくない。だから、今夜抱いて欲しいんです」
「……本気で、言っているのか?」
一度大きく頷いたオデットに、キースははーっと大きく息を落とした。
「無垢な君は知らないと思うが、男は一度そういう事を始めてしまえば、もう止まれないんだ。途中で思い直してやっぱり止めますは、難しい。正直、それをされてしまうと、割と理性のきく俺でも機嫌を悪くしないという自信がない。それでも……良いのか?」
確認するように言ったキースに、オデットは大きく頷いた。どうしても、相手は彼でないと嫌だと思ったからだ。
「良いです。お願いします」
「……わかった。一度風呂に入って、俺の部屋に来い」
何故かキースはその時オデットにすぐ背中を向けて、あっさりと階段を上って行ってしまった。
(キース……?)
彼らしくない素早い動きをした事に、オデットは戸惑った。
別に一人で階段を上がらなくても、二人で話しながら上がっていけば良いと思うのに。いつものキースであれば、きっとそうしてくれたはずだ。
何か自分の知らない急ぎのことがあったのかもしれないと自分を無理矢理納得させると、オデットは階段を上がり風呂場で丁寧に身体を洗ってから彼の部屋の扉を叩いた。
「どうぞ」
キースの応える声が聞こえたので、オデットは戸惑いつつも扉をゆっくりと開いた。
「あのっ……失礼します……キース? どうかしました?」
やっぱりキースは何かおかしい気がすると、オデットは思った。いつもの彼なら、扉を開いて出てきてくれるはずなのに。
「……本当に、来たか」
キースはベッドに座って、腕を後ろについたままで苦笑した。
「来ますよ。私がこれをキースに頼んだのを、忘れたんですか?」
いつも優しい彼に蔑ろにされているような気がして少し不満げな表情になったオデットに、キースは苦笑して手招きをした。
「おいで」
その言葉に誘われるように歩き出すとベッドに腰掛けて、両手を差し出した彼の元へとオデットは辿り着いた。
「……何か、ありました?」
彼の開いている両足の間に入ったオデットが不思議に思ってそう聞けば、キースは苦笑して首を振った。
「いや。何もない。廊下では、絶対に襲いたくないなと思っただけ。ベッドでしたいという、俺の理性が完全勝利した。勝因はオデットが自ら俺の元に来てくれるのを待つという、待ち伏せ作戦だ」
「ふふっ……廊下では嫌です」
「そうだろ? だから、俺は獲物が近付いてくるのを待つ事にした。そうすれば、待ち切れない手が間違って廊下で服を脱がしてしまうこともない……こうして」
可愛らしい寝巻きの釦を外し始めたキースを、オデットは慌てて止めた。
「あ。ちょっと待ってください。傷を治してからっ……」
「良い。さっきも言った通りに、そこまで深手の傷ではないし……オデットの能力が消えたかの、お試しにちょうど良いだろ?」
「丁度良いって……きゃっ」
いきなり、彼女を縛る鎖となる胸元の宝石に触られてオデットはビクリと身体を震わせた。
「これは……一見綺麗だが、取れないのが悩ましいな」
そう言って彼はオデットを左の太腿に腰掛けさせて、胸元の宝石の埋め込まれた部分に顔を寄せて舐め始めた。ちろりと熱い舌が這う毎に、敏感に反応してしまうことが無性に恥ずかしい。
「やっ……キース。くすぐったい……」
まるで美しい首飾りのように、複雑な配置で置かれた宝石をひとつひとつ舐めて彼は満足そうな表情をした。
「オデットの身につけるものは、俺が全部用意したい。なんとか取れるように、方法を調べてみよう」
「……無理、しないでください。キースが守ってくれるなら。別に……このままでも」
支障はないだろうと彼の紫の目を見つめると、キースは不満そうな顔になった。
「嫌だ。俺以外の奴が君を飾った宝石など、要らない……という、男の勝手な独占欲だ。黙って……」
そうして、キースはオデットにキスをした。先ほどの失敗を踏まえてか、深いキスの後息が整うのを待ってを何度か繰り返した。やがて、キスをしたままでも呼吸することを覚えてきたオデットと長い長い時間をかけてキスを交わした。
何回めかも忘れてしまったキスの後、キースは少し複雑そうな表情をして、とろんとした目をしているオデットを見つめつつ言った。
「んー……俺はキスも好きなんだが、このままではキスだけで夜が明けてしまうな」
体重を感じさせない軽い動作でオデットを抱き上げてベッドへ寝かせ、彼は服を脱いだ。
オデットはその身体を見て、こくんと喉を鳴らした。背中の傷のために自分で白い包帯を巻いてあることすら計算されているような芸術品のような肉体美と、これまでは庇護者の顔をしていた彼が完全に男としての性を感じさせる表情だったからだ。
「……嫌か? 今なら、止められる。俺は割と、我慢強い方だ。自分の部屋の隣に好みの女の子が生活していると言うのに、彼女が落ち着くまではと自分の欲望を抑え切れるくらいには」
初めての男性の半裸に目を見開き見つめていたオデットに、キースは微笑んだ。
「我慢……してたんですか?」
不思議そうに尋ねると、服を脱ぎつつ彼は言った。
「俺が、我慢していないと思ったか? ここ数週間、何度襲いたいと思ったかわからない。結果、こうして両思いだったから本当に良かったよ。そうでなければ、ただの変態だった」
クスクスと笑ったオデットは、黒い下着だけを残して近付いて来る彼の顔を見上げた。
いつも平静で何もかも完璧に持っているように見えて、彼は彼で内心とても悩んでいたり落ち込んでいたりすることがあるのかもしれない。それを見せていないだけで。
(可愛い)
世間的にこうだと思われているキースという人を表すには、それは相応しい言葉ではないのかもしれない。けれど、様々な要因から誰からも隙を見せることがないようにしている彼の隠している面を見ることが出来るのは、世界でただ一人自分だけしかいないのだ。
「良いか?」
確認するように彼の言葉に、オデットはこくりと頷いた。
まずは、キスから。そして首筋。彼の熱い舌が体の表面を這っていくの感じるたびに、抱えきれない熱が身体に溢れていくのをただ感じていた。




