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12 キス

 不安定な体勢のオデットを落とさないようにと、慎重に緩やかな角度で降下をしたセドリックに乗って家まで帰ってきた。


 オデットが暗い視界の中ですぐに目にしたのは、扉を開いたままになっている家の前で完全に据わった目になっていたキースだった。


 怒りで周囲の空気がビリビリとしているように感じられる彼を見て、そういう訳にはいかないと言うのは重々わかりつつもオデットは逃げたくなった。


「……もう、言い訳は良い。お前は今日は、竜舎に帰っていろ」


 着地したセドリックから慌てて降りようとするオデットを助けながら、我慢出来ない様子でキースは厳しい顔をして言った。きつい言葉を向けられているのはこの自分ではないというのに、オデットは胸が痛くなった。


「あのっ……ごめんなさい。私が、セドリックに頼んだんです。彼は、言う通りにしてくれただけで……全然悪くないです」


 自分たちが飛んで帰って来ることになった訳を、慌てて話そうとしたオデットの言葉を彼は珍しく遮り、手を引きながら言った。


「あんなに危険な目に遭ったという日に、鞍もつけずに竜に乗って夜間飛行を楽しむのはやめてくれ。もし、次があったとしたら、俺のことも待ってくれないか。心配で……どうにか、なりそうだった」


「……ごめんなさい」


 セドリックは、キースの竜だ。両方とも自分に対してとても甘いからと、普通なら許されない事をしてしまっていた。


 怒るキースが言っている通りだと項垂れ落ち込んだオデットは、彼の大きな手に手を引かれたままで家の中へと入った。


 オデットの背中を押して中へと入らせてから、ガタンっと扉を閉める大きな音がして振り向けば、キースは大きく息をついた。


「いや。悪かった……久しぶりに、頭に血が上った……俺の方こそ、必要ではないきつい言い方だった。悪かった」


 薄暗い家の廊下の奥に居るキースの表情は、この場所に居ると判別しにくかった。何を思っているのかと彼に近寄ろうとしたオデットに気がついたのか、キースは自分から足を進め近寄った。


 彼の熱を感じられるほど近くに来たオデットは、キースを見上げながら言った。


「私、キース様の傷を癒したかったんです。勝手な事をしてしまって、本当にごめんなさい……」


「俺の傷を……? だが」


「はい。私……部下の方に月魔法を使用したので、月光を浴びたら回復するんです。だから……」


「はは。そうか。それで、月姫なのか……なんか、納得した」


 オデットの持つ不思議な能力と二つ名のいわれに納得してか、間近にまで顔を寄せたキースはどこか面白そうな顔をして笑った。


(あ……笑ってくれた……良かった)


 さっきまで不機嫌だったキースがそうして笑ってくれた事が嬉しくて、オデットが笑うと彼は紫の目を細めた。


「俺は、月のように美しいからなのかと思っていた」


 いつものようにさらりと紡がれた言葉を聞いて、オデットは何も言えなかった。冗談を言ってと、そこで笑い飛ばせば良かったのかもしれない。けれど、それは出来なかった。彼の紫色の目は今までに見たこともないくらいに、とても真剣だったから。


「月の光を浴びて、能力を回復させるのか……なるほど。だから、そういう理由で……日に何度も使えると言う訳ではないんだな……」


 驚きに黙ってしまったオデットを見て、気まずい思いをさせたとみてかキースは口を片手で押さえて話を変えようとした。


「あのっ……ごめんなさい。つい、びっくりして……キース様が私の事をそう思ってくれているなんて、思わなくて……褒めて貰えて、嬉しいです。ありがとうございます」


「あー……うん。そうだ。うん。確かに……俺は君の容姿を褒めた。そう。だが、それだけの意味ではないのは……理解しているか?」


 大きな手で背中を押すキースに促され二人で連れ立って廊下を歩いている時に、彼が言い難そうに口にした。


「もしかして……口説かれ、ました?」


 不思議そうな顔をしたオデットに、キースは大きく息をつきつつ頷いた。


「……そう。だが、先に言っておくが、別に俺がオデットに対して何かを無理強いするつもりはない。君が嫌だとしても……」


 キースがそう言い終える前に、オデットは彼の首に手を掛けてその唇に軽いキスをした。


 すぐにオデットが離れて、そのまま数秒だけ固まっていたキースは状況が良くわからないと言ったような顔で、自分を見上げているオデットを見つめた。


「……あの、私。キース様が好きです。辛い境遇から連れ出して守ってくれたという感謝の気持ちだけではなくて、とても尊敬もしていますし……でも、今日攫われたと思った時に、貴方ともう会えなくなる事が、一番辛いと思ったんです。私に対して庇護すべき子ども以上の気持ちがあるのなら、私を恋人にしてください」


 真っ直ぐにキースを見つめてそう言ったオデットに、キースは驚いていた顔をパッと変えて笑った。


「ふはっ。これはこれは。豪気なお姫様が、居たもんだ。こう来るとは、俺も……全く予想もつかなかった。やられたわ。あー……そう。だが、俺がそれを言うのかと思ってたのに。不意打ちで、先を越されたなー……」


「返事、してください」


 彼の気持ちも早く言って欲しいと訴えたオデットを安心させるように、キースは腕の中に彼女を閉じ込めた。


「悪い。ちゃんと、言ってなかった。禍々しい運命から自分で逃げ出して来た、勇敢なお姫様。結婚を前提に、俺と付き合ってくれ。俺以上に、オデットを愛して自由を守れる奴は、別に慢心ではなく居ないと思う……何故なら、権力と武力の二つを持ち併せているから。片方だとしたら、敵わない奴も居るだろうがね……俺がここまで上り詰めた意味は、これから君を守るためにあったと思えば。呪うような過去の、何もかも。いつか、意味のあるものに変わるだろう」


 キースの温かな手が頬に触れて、幸せな思いで心は満たされた。まるで心が適温のお湯の中を揺蕩うように、優しい気持ちが次から次へと溢れて来るのだ。


「私も……過ぎ去ってしまった過去の時間は、変えられないって理解しています。まるで心のない人形のように便利に扱われていた私も、こうしてキース様と一緒に居られたら。何もかも、報われる気がするんです」


 キースに偶然助けてもらえた幸運を思い出すと、あの時にきっと無駄だとわかっていても逃げ出すことを諦めなかった自分によくやったと言ってあげたい。うっすらと涙を浮かべたオデットの顔をまじまじと見て、キースは微笑んだ。


「……まあ。確かにオデットの顔は綺麗過ぎて、人形と言われれば……人形っぽいよな。けど、ここに来てから、沢山の表情を見せてくれるようになった。人形じゃない。オデットは、泣いたり笑ったりする人間だろう。稀有な能力を持って産まれた事を幸運だと笑えるように、なって欲しい。俺の隣で」


「っ、キース様。ダメです。こんなことをしている場合じゃないです!」


 そういえば何故セドリックに頼んで雲の上にまで行っていたかを思い出したオデットに、キースは少し情けない表情になった。


「俺と、こうしている以上に……何か、重要なことでもあったのか?」


「あ。ごめんなさい。そういった意味ではなくて。キース様の、背中の傷を治したくて……このまま、動かないで居て貰えますか?」


 すごく良い空気をぶち壊しにして、やってしまったという顔を隠し切れないオデットの言葉に、深く頷き納得した様子を見せたキースは苦笑して言った。


「恋人になったばかりの可愛い女の子と、甘い時間を過ごそうと言う時に。こんな事をしている場合じゃないと言われたら、とても複雑な気持ちになるんだな。オデットと居ると人生初めてが多過ぎて、楽しいわ」


 また、失敗してしまったと項垂れそうになっていたオデットは、彼の言葉に首を傾げた。


「楽しい……ですか?」


「ああ。楽しい。というか、好きになった女の子が、何をしてもしなくてもいつでも楽しいのか。なるほど。恋とは、不思議なものだな」


 しみじみとした口調で言ったキースに、オデットは笑った。


「恋……そうか。私。今、キース様に恋してるんですね」


「あー……うん。そういうオデットの事が、俺にはすごく可愛く思えるんだが。なんだが無垢な雛鳥を、騙しているような気持ちにならなくもない。真っ直ぐ過ぎて眩し過ぎるっていうか……あー。まあ、好きなんだな。俺もオデットに恋をしているみたいだ。つまり、これが両思い。お姫様、納得して頂けたか?」


「お姫様は、やめてください」


「そうしたら様付けを、やめてください。これで、おあいこだろ?」


「……キースさ……キース?」


 戸惑いつつも、彼の名を呼んだオデットをキースは軽い力で抱き締めた。


「そうだ。可愛いオデット。俺の唯一の人になってくれ」


「もうっ……治療させてください。こんな事……」


 それから先は、オデットの唇がキースの唇に塞がれてもう何も言えなかった。



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