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11 月明かり

 竜に乗りやって来た竜騎士たちは、それほど時間を掛ける事なく、あっという間に飛行船の中を完全に制圧した。


(すごい……)


 瞬く間に、手練れであるはずの護衛たちは倒されて縛られて行く。


 オデットは驚きの表情のままで部下たちに的確な指示を与えるキースの傍で、ただそれを見守っているだけだった。


 操舵を出来る優秀な竜騎士が乗っていて、飛行船をヴェリエフェンディの王都にある広場へと降ろし、「冤罪だ」と騒ぎ立てるあの人や彼に雇われた傭兵たちを連れて行った。


 これまでには想像することもなかったあの人の無様な様子を目に映しても、オデットの心には何の感情も湧くことはなかった。


 今までに抱いていた恐れも、これから多くの罪を暴かれるであろう彼への哀れみも何もなかった。


 オデットを世界中で連れ回し荒稼ぎしていたあの人は、手に入れたお金で悪どい事を企んでいた。


 話を聞かれていても、どうせ何も出来やしないと思っていたのだろう。あの飛行船の中にも、盗みや騙しなどの犯罪の証拠はいくつも残されているはずだった。


(私の証言が、あってもなくても……彼はもう、破滅するのね……もう……私を所有することもない)


 現在オデットの所有権を持っていることとなっている彼は、もう表舞台に出る事はない。一度落ちぶれた人間に、手を差し出す人間は皆無だろう。


 自分を縛るものからの清々しい解放感とどことない郷愁を感じていたオデットは、キースが広場で待機していたアイザックと何か相談しているのを待っていた。


 その時に、近くを通り掛かった竜騎士の一人が、右腕を大きく怪我をしているのを見つけたのは偶然だった。


 大した治療もせず、戦闘中に剣で切り付けられたものか。布を巻き付けてはいるものの、だらだらと多量の血が流れたままになっている。


「あのっ……私、怪我を癒す事が出来るんです。もし、良かったら……」


 もしかしたら助けられるばかりだった自分にでも役に立てるかもしれないとオデットが駆け寄って、身体の大きな彼を見上げれば驚いた顔のままで頷いた。


「え? 癒し魔法を使えるんですか? ……お手を煩わせてしまい、すみません。では、お願いしても良いですか?」


「はい」


 少し戸惑った様子の彼の右腕に手を当てて、オデットは癒しの月魔法を使った。


 突如白く眩い光が辺りに満ちて、周囲から驚く声がいくつか聞こえた。


 瞬く間に大きな怪我があった部分は新しい皮膚に覆われて、流れ落ちた血だけを残し、もう切り傷があったことすら分からなくなってしまった。


「こんな……すごい……」


 彼は信じられないと言わんばかりに呟き、怪我を治せた安心感にほっと息をついたオデットに慌てて頭を下げた。


「ありがとうございます。すみません。俺、少し血が止まる程度なのかと……」


「とんでもないです。私を助けに来てくれて、本当にありがとうございます……あのこれは、内緒なんですけど……貴方の身体の悪いところ、全部治ってますよ」


 オデットが小声でそう言うと、彼は大きく目を見開いて身体の動きを止めた。


「それほどまでに効果があり、これほど早く治癒する魔法など……今までに見たことも聞いたことも、ない。もしかして、高名な聖女の方でしょうか……?」


 オデットの名前を尋ねるように屈んだ彼が顔を寄せた時、背後からキースの不機嫌な声がした。


「オデット、帰ろう。エディ。この子……癒しの能力は、他言無用だ。良いな」


「はい。団長。墓場まで持って行きます」


 真面目過ぎる顔をして頷いたエディの胸を、キースが小突いた。


「お前は、いつも一言余計なんだよ。セドリックの鞍を、片付けといてくれ」


「了解しました。団長」


 きびきびとしたエディの声に軽く頷いて、キースはオデットに手を差し出した。


「もう疲れただろう。家に、帰ろう。アイザックに、この後のとりあえずの事は任せた」


「あっ……はい。すみません。失礼します」


 上司の前だからか背筋を伸ばして姿勢を正しているエディに、オデットは軽く頭を下げてキースの手を取った。


(温かい……帰って来れたんだ……)


 たった一時だとしても離れて、もう帰れないと思っていた彼の元に帰れることが出来て心の中は花開くような歓喜に満ちた。


「……そのままセドリックに乗って帰れれば良かったんだが、あいつに乗って帰ると君と一度離れることになる」


 キースはオデットの手を繋いだままで、アイザックが用意していたと思わしき馬車に乗り込みながら言った。彼の言葉の意味をすぐには飲み込めずに、オデットは目を瞬いた。


(えっと……離れることになるから。だから、やめたって事は……私と離れたくないって……そう言ってくれたのかもしれなくて……)


 オデットはそう思い至り、顔が熱くなった。


 責任感が強く優しい彼は、不安定な立場にあるオデットの前で常に庇護者たる立場を崩すことはなかった。


 もし、自分が何かを希望するような事があれば、庇護される側のオデットは断れる立場にないからと思っていたのかもしれない。


「……ありがとうございます」


 オデットは赤い顔を俯かせてそう言えば、キースは何も言わずに手を強く握り締めた。


(キース様も、好意だと、嬉しい。私と、同じ気持ちなら……)


 キースも自分と同じ気持ちかもしれないと思うと、胸がいっぱいになった。


 もしそうだったとしたなら世界中にある他のもの何もかも、何も要らないと思えるのに。



◇◆◇



「オデット、少し待っていてくれ。着替えて来る。君も、着替えておいで」


 家に辿り着き、キースが階段を上がり部屋に向かおうとした時にオデットは彼の背中にある傷に気がついた。


「キース様! 背中に……傷」


 慌ててそう言い呆然としたオデットに、キースは苦笑して軽く頷いた。


「ああ……大したことはない。一人で複数を相手にすると、背中を取られないのは難しい。それに、見た目は大袈裟だがそれほど深い訳じゃない……エディの傷を、治してくれてありがとう。誰が見ても俺のものより、あいつの方が傷が深く酷かった。俺にとっては、あいつも可愛い部下の一人だ。オデットの心遣いが嬉しかった。君の貴重な能力を使ってくれて、本当にありがとう」


「キース様……」


 顔を歪ませたオデットに、キースは苦笑した。


「そんなに、悲しそうな顔をしないでくれ。俺の傷は、別にどうとでもなる。それに、俺たち竜騎士は戦闘が仕事だから。傷は勲章だ。本当に……気にしないで。さあ、着替えておいで」


 キースはオデットを宥めるようにして髪を軽く叩くと、二階の奥にある自分の部屋に入って行った。オデットも慌てて自分の部屋へと入り、扉を背中につけた。


(嘘……どうしよう。キース様はお礼を言ってくれたけど……血があんなに……)


 オデットは、一夜に月の光を受けて月魔法を充填させることが出来る。


 その力を使って、たった一人だけを全快させることが出来るのだ。だと言うのに、大事な人を今は癒すことは出来ない。


 窓の外は、曇りで空には月や星が見えない。


 さっき飛行船に乗っていた時なら、厚い雲の上に居た。窓からは、見事な雲海が見えていたはずだ。地上では、空は真っ暗で星ひとつ見えない。


(どうしよう……どうしよう……明日も、天気が悪いかもしれない。そうしたら、あの傷は……絶対に痛いはずなのに)


 そこまで考えて、オデットはある事に思い至った。


 自分が飛行船で連れ去られそうになっていた時に、竜たちは助けに来てくれた。


 キースの竜セドリックなら、月の光をもう一度浴びることが出来る雲の上にまで、オデットを簡単に連れて行ってくれるだろう。


(そうよ! セドリック!)


 オデットは慌てて部屋を出て、階段を駆け降りた。そこに、今探しに行こうとしていた人が玄関から入って来て慌てて足を留めた。


「俺を、呼んだだろう」


「……どうしてわかったの?」


 先んじて彼に言い当てられて、オデットは驚いた。


 セドリックが心を通じる事の出来るのは、契約している竜騎士であるキースだけなのではないか目を瞬かせれば、彼は珍しくふっと笑った。


「竜騎士の竜は……契約している男の大事な相手の心の声にも、耳を澄ませるようになる。どうした?」


「私を、雲の上に連れて行って欲しいの! すぐに! お願い!」


 セドリックは彼の腕を持って必死に言い募るオデットの願いを聞いて、良くわからないという顔をしていた。


 だが、無言で玄関を出るなり闇を弾くような銀色の竜に姿を変えた。


 何の装備もない銀竜に必死で乗り、なんとか首にしがみ付くことの出来たオデットはあっという間に空を飛んでいた。


 上昇の驚きに瞑っていた瞼を開いた時、そこは月明かりに光る雲。


「……わあ」


 オデットは自分がうっかり落ちてしまえば致命的な高度にいる事も何もかも忘れて、ただ感嘆の声をあげた。


 闇の中にあっても輝く月に照らされた雲は、心を震わせるほどに美しくまるで夢の中に居るようだった。


(綺麗……すごい……竜に乗れば、こんな景色も見ることが出来るんだ)


 セドリックは首にしがみ付いているオデットを落とさないように、細心の注意を払い慎重に飛行していた。


 いつものような早い移動速度ではなく、あくまでゆったりとした羽ばたきだった。


 オデットは竜の背に乗り、雲の上で月明かりを浴びた。剥き出しになっている白い肌から、身体中にじんわりと染み渡っていく月の魔力。


(綺麗……この光景は、きっと忘れない。私がおばあちゃんになったとしても、きっとずっと。記憶から、消える事はないんだわ……)

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