短話4 脱いでくれないか(一)※
主人公の幼馴染み、ロゼルとのお話です(勢いでした)
レガティア芸術学院には、大きく分けて二つの学科がある。すなわち音楽科、美術科。
菱の花びらのような形のレガート島の西端。港よりはやや北に建てられた、緑の芝が映えるオレンジの屋根。温かみのあるクリーム色の外壁。
正門をくぐって左側が音楽棟。右側が美術棟。本来、静けさこそが常であるはずの――左に比べれば、だが――東向きの美術棟に、可憐ではあるがすさまじく大きな悲鳴が轟いた。
居合わせたのは幸い一人。
叫ばせたのも一人。
……ぃん、ぃぃぃん……と、耳鳴りの残る両耳からそっと手を放し、焦げ茶の巻き毛をうなじに束ねた少年は呟いた。
「エルゥ。もう少し声、抑えて。美術科は、音楽科みたいに完全防音じゃないんだ」
良かったよ、今日が休日で――と。
ため息混じりにコトン、カタンと、絵の道具を小卓に広げてゆく。
まずは簡単なクロッキーを数枚。大きさはどどん、と80㎝×110㎝ほどでいいか……と、適当なキャンパスを取り、使い込まれた木製のイーゼルに乗せた。
「いやいやいやいや」
「? どうした?」
「なんで、そんなに平然と事を進めちゃうの。……ロゼル? 私、まだ一言も『いいよ』なんて、言ってないわ」
「あぁ」
なんだ、そんなこと――とばかりにロゼルはほほえんだ。いつもの皮肉げな、油断ならない表情とは全く違う。にっこりとした満面の笑みは、きりりとした眉の印象を和らげ、目許の深緑のまなざしをより一層良質な翡翠めいたものに見せる。
が、長年付き合った隣家の少女は騙されない。はぎ取られてたまるものか、とばかりに制服の胸元を押さえている。全身で警戒心を顕にし、震える銀鈴の声。疑わしそうな顔をしてさえ麗しい姿容貌だった。
華奢な肩や背を滑り落ちる、柔らかでつややかな黒髪。ずっと見つめていたくなる青い瞳。今は紅潮した頬が、触れればうっとりするような手触りでつい、キスしてしまいたくなる愛らしさなのは昔からだ。
(エルゥと幼馴染みで良かった。本当に、良かった……)
うんうん、と幸せそうに頷きつつ手は止めない。あっという間にセッティング完了。
さて、と、少年は再び黒髪の美少女に微笑いかけた。
「時間なら充分あげただろう? さ、脱いで。それとも……脱がせてほしい?」
「!!! ~~ロゼルっ!? ごごご、語弊がひどいわ、それ! 訂正、今すぐ適切に言い直してっ!!?」
休日の美術棟の、ひとけのない自由製作室。二階の端にあるここは、学院生ならば申請さえすれば誰でも利用できる、鍵つきの部屋だ。
まだ午前中だし、東側から気持ちのよい朝日が差し込んでいる。ロゼルは最初から彼女をここに閉じ込めて、日が傾いて暗くなるまで(食事など以外は)離さないと決めていた。
なので、とても怪訝そうに首を傾げる。
「言い直す……なぜ? 必要ない。私とエルゥの仲なんだし。あ、未婚女性の恥じらいってやつ? そんなものは、ほら、美の概念の前には霞ほどの価値もないよ。いや。肌をさらけだして隠すところはちゃんと隠して、めいっぱい恥じらうエルゥなら良いと思う。…………いいね。有りだ。是非そうしよう」
言うや否や、すたすたと歩みより、はい、と一枚。
少女は目の前に、綺麗に折り畳まれた真っ白なシーツを差し出された。
(……ええと……?)
シーツを巻いて、適当に隠せ、ということだろうか。
脱いで? 目の前で?? わけがわからない。そもそも。
「ねぇロゼル。その……それ。『裸婦』の課題なのよね。美術科三学年の。なぜ、私なの? 対象は男性でもいいんでしょ? それに、学院と契約した専属モデルの方が何人もいらっしゃるって聞いたわ。男子は特に、みぃんな、そちらの美女に流れたって大盛り上がりだったのに」
――もちろん、中には友人同士で。或いは恋人同士で、という赤面ものの噂もあったが。
すべては右側の学舎、美術棟だけで収まるべき話だ。
エルゥこと、エウルナリア・バードが属する音楽棟から生徒が生け贄に引っこ抜かれた話など、聞いたこともない。おかしすぎる。
ゆえに、エウルナリアは断固として拒否した。
「だめよ。いくらロゼルの頼みだからって、こればっかりは無理。……は、恥ずかしいじゃない!」
「よし。わかった」
「ほんと? ……よかった」
ホッと肩を落とし、息をついたのも束の間。
妙にじりじりと距離を詰められている気がする。「え。あの」と何となく後退すると、とすん、と背後のソファにぶつかり、そのまま倒れてしまった。ギシッ、とスプリングの軋む音。
――由々しい。押し倒されている。
「しょうがないエルゥだね。私もちょっと照れてしまうけど。まぁいい。がんばって、脱がせてあげよう」
「!!!? ……~~なッ。え、えぇぇ???」
* * *
斯くして。
どう言葉を飾っても『あられもない』としか形容できぬ、ある意味とても平穏な叫び声が、防音設備皆無の美術学舎全体に、再度響き渡った。




