狼煙
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王城図書室。そこは王国、または王国も関わりを持つようになった他国の歴史を綴った文献が貯蔵され、入城を許された者に一部開放された施設でもある。
そんな一室でソフィーとティオはテーブルの上に数冊の本を積み重ね、その内容を吟味し、宿題用のノートに書き纏めていく。
自由研究の仕上げだ。子供である彼女たちからすれば特に面白味のない話だが、王室から見た建国記について取り纏められ、その内容は民間学校はおろか、普通に生きていく中では触れることのない詳細な史実ばかりであり、新しい発見に満ち溢れている。
「よし、こんなものかな」
「……やっと終わった」
こうしてすぐさま宿題を終わらせた二人だったが、平然としているソフィーに対して、ティオは精神的な疲労を隠せずに額を机の上に付けていた。
二人は今回、体験という体ではあるものの、仕事として王城に招かれたのだ。それがたとえ、実質ヒルダの遊び相手としてでしかないとしてもである。
とはいっても、四六時中ヒルダと共に居るというわけではない。特に今はヒルダが各国の貴賓と会談をしており、そういった国交にも繋がり得る重要な場の給仕を流石に子供には任せられない。そういう時は王城の侍女が代わりにヒルダや貴賓をもてなす。
そうして持て余した時間を有効活用するべく、夏休み最後の憂いである自由研究をこなす事にし、アリシアの計らいで図書室を借りることが出来たのだが、何時までもそれにかまけている訳にはいかないので、今回はかなりのペースで終わらせたのだ。
「流石に疲れた……まだ余裕あるし、休憩してから戻る?」
「ん、助かる」
時計を見れば、まだ会談が終わる時間には余裕があるので少し休憩してから戻ることにした二人。そうなると彼女たちの時間の潰し方は本ではなく、必然と談笑になるわけだ。
「お城って、思ってたのと結構イメージが違うね。みんな結構忙しそうだし」
「そだね。住む場所っていうか、ギルドの事務所を無駄に大きくした感じ」
「無駄って……」
王城は王族の住む場所であると同時に、政府の中央施設でもある。文官は勿論のこと、城そのものを管理する侍女や接待役の執事など、数多くの者が働いているのだから、忙しそうな印象を受けるのは当然。
ソフィーとティオは以前までは、「偉い人が優雅に暮らしている場所」という印象しかなかったのだが、ここにきてまた一つ人生観が養われた。
「お母さんも忙しそうにしてたし」
「うん……仕方ないよ。あっちは本当にちゃんとしたお仕事だから」
そしてこれも至極当然の話だが、兵士を含めた警備を担当とする者たちも常に忙しない。その中の一人に組み込まれ、ヒルダの護衛を引き受けることとなったシャーリィたちは、常にヒルダの予定に追従する形となる。
だから母が忙しいのは仕方のないことなのだ。それは十分に理解している。理解しているのだが……ちょっと寂しくもある。
せっかく同じ場所で働くという貴重な機会なのだから、もう少し一緒に居たいと思うのは、親離れできていない証拠なのだろう。
「そういえば、お母さん図書室に行く前にやけに微妙な顔してなかった?」
「うん。なんて言うんだろう……こう、苦い物を口いっぱいに入れて噛んだみたいな」
その認識、実はまるで間違ってはいない。ソフィーとティオの自由研究の課題を手伝おうと意気込んでいたシャーリィだったが、それを不確定要素によって奪われ、真実苦虫を噛み潰したような思いをする羽目になったのだ。
カイルたちに止められなければ、そのまま護衛を放棄して一緒に図書室まで付いて行こうとしていたかもしれない。意外なことにソフィーとティオには親バカであるということを隠せているシャーリィの未練がましい視線は、二人の目には珍しい様子に映ったのである。
「あら? 貴女たちは……」
二人が母の姿を思い返して首を傾げると、図書室の扉が開かれる。廊下から中に入ってきたのは、フィリアとルミリアナだった。
「あ……お母さんの知り合いの……」
「こ、こんにちは」
「……えぇ、こんにちは。こうして挨拶をするのは初めてね」
期せずして、血縁上の叔母と姪が顔を合わせることとなった。しかしそれを告げる気のないフィリアは今、元帝国領土の貴族であり、シャーリィと付き合いのある令嬢で通っている。
その事がバレるわけにはいかない……少し心配そうにするルミリアナの視線を後ろから感じながら、フィリアはすっかり慣れた身分や心を取り繕う仮面の笑みと、混じりっけのない本心からの笑みを混ぜ合わせた。
「それは……勉学のノート? いえ、王国の子供なら、学校の宿題かな?」
「えぇっと……実は」
ソフィーが図書室にいる経緯を話すと、フィリアは合点がいったとばかりに軽く頷く。
「あぁ、なるほど。王国では平民にも一定水準の学力を与えるのは知っていたけれど、思ったよりも高度な知識も与えているのね。帝国では、読み書き計算も覚束ない平民ばかりなのに」
「……そうなの?」
「えぇ。少なくとも、歴史なんて大まかなことは知っていても、詳しい事象や年代とか知っている人は殆ど居ないんじゃないかな? おかげで帝国じゃ、平民の職は限られてて……冒険者ギルドも国境沿いの方にしかないし」
そのことがフィリアは少し羨ましかった。帝国では知識は貴族ばかりが独占するものであって、平民から学のある者が滅多に生まれない。それどころか、貴族の間でも未だに女性差別が根強く蔓延り、学問の道を閉ざされる子女も大勢いるのだ。
平民に知恵を与えれば反乱の芽となる。仕事は男の領分であり、女の領分は家のこと。事実ではあるが、カビの生えた古い考えが帝国の根幹にある。
それに対して子供に教育を施し、女性でも貴賤なく仕事にありつける王国……それを実行できる治世を敷かれていることが、為政者の一族の一人として、素直に羨ましく思える。
もしそれほどまでに国が栄え、民が自由でいられたのなら、フィリアとて帝国を他国へ切り売りしなくても良かったというのに。
「でもやっぱり、お母様がお仕事で居ないと寂しい?」
しかし、その職の自由さ故に少し心配になった。シャーリィのことだから杞憂であるとは思うが、女手一つで子供二人を育てて、彼女たちを寂しがらせていないか。そういうお節介にも似た気持ちが芽生える。
「うーん……確かに丸一日帰ってこない時もあるからちょっと寂しいけど、ママが頑張って戦ってるの知ってるから」
「そう……偉いね」
そして良い子たちだ。思わず頭を撫でたくなる衝動に駆られる。
「……あれ? そういえば……」
「どうしたの?」
「何で帝国領土にいた貴族の人と、お母さんが知り合いだったのかなって思って。お母さんのこと考えたら、帝国とか絶対に足を踏み入れなさそうなのに」
(い、意外と鋭い……!?)
フィリアは思わず口から心臓が飛び出しそうになった。相手を舐めていた訳ではないのだが、十歳児に話の矛盾を突かれるとも考えていなかったので、いつもなら当たり障りのない嘘をペラペラと口にできる彼女の舌が、今回ばかりは動かない。
その辺りはやはりシャーリィの娘というべきか……子供ながらに聞き分けよさそうだと思ったが、聡いところも隠しきれていない。
「シャーリィ殿とお嬢様が知り合ったのは、シャーリィ殿がまだ帝国にお住まいになっていた時だったのよ」
不意を突かれて頭が真っ白になっていたフィリアに、ルミリアナがそっとサポートを入れる。視線だけ振り返ってみれば、頼りになる親友兼騎士は颯爽とウインクをした。
「お嬢様のお父君とお母君であるアイグナー伯爵夫妻様は前皇帝陛下と前皇妃殿下と親交がありましたから。その縁があって、若かりし頃……といっても、今も若々しいですが、当時のシャーリィ殿にも良くしてもらっていたのですよね?」
「そ、そうなの! 前皇帝ご夫妻がお亡くなりになるまでは、私も頻繁に城へ行ってて」
ちなみに、アイグナー伯爵家が暗殺された前皇帝夫妻と懇意にしていたというのは本当だ。その縁があって、アイグナー家が敵国である王国にフィリアが向かう橋渡し役を担っていたのだから。
「若い頃のお母さん?」
「わわ……! それちょっと興味があるかも!」
そしてソフィーとティオは若かりし頃のシャーリィと聞いて、そちらに興味を持った。
フィリアとルミリアナは夏至祭の数日前には王国を後にする。ならばこれは、叔母と姪の最後の交流になるかもしれない。
そう思ったフィリアは同じテーブルに着き、まるで絵本を子供に語り聞かせるような穏やかな笑みを浮かべる。その表情にはどこか、シャーリィの微笑にも似た面影を感じさせた。
「そうだね。それじゃあ時間があるなら、昔のシャーリィ様がどういう人だったのか、こっそり教えちゃおうかな?」
「本当?」
「えぇ。……そうね、まずは何から話そうか」
本人が居ないところでの昔話は、シャーリィもいい顔はしないだろうが、大事な娘たちが知りたがっているのなら教えてあげてもいいだろう。フィリアはそう考えた。
「……えへへ」
「? どうしたの、ソフィー」
「うん、なんかね。私たちは双子だけど、私の方がお姉さんだから、妹の気持ちってあんまり分からなかったんだけど」
「お姉さん」の部分をやたら強調したソフィーは、少し遠慮がちで控えめな笑顔をフィリアに向けた。
「もし私たちにちょっと歳の離れたお姉ちゃんが居たら、こういう人だったのかなぁって」
「はうっ!?」
お姉ちゃん。その言葉に、フィリアは得難い感動で胸を貫かれた気持ちになる。
その気持ちの正体が、普段シャーリィが娘たちに感じている感情に近く、それでいて別種の何かであると自覚できないまま、気が付けばフィリアは震えながら口元を抑え、指を一本立てて二人にお願いをした。
「ご、ごめん……! 二人とも、もう一回〝お姉ちゃん〟って呼んでくれてもいい……?」
「姫……じゃなくて、お嬢様!? 気をお確かに!」
そして日付は過ぎて夏至祭前夜。夏の祭りに相応しく、雨雲一つ漂う気配のない満天の夜空が王国を星と月の明かりで照らし出す。
つい先日までは予告通り、《怪盗》の活動は見られない。しかし、今晩が犯行の決行日なら、何時動きがあっても可笑しくはないだろう。
シャーリィは誰も居なくなった中庭に立ち、腰の儀礼剣の柄を握りしめ、そっと気合を入れ直す。そんな時、彼女の後ろから軽い足音が聞こえてきた。
「ママ? こんなところでどうしたの?」
足音の正体はソフィーだった。シャーリィはゆっくりと振り返り、娘の目をジッと見据える。
「少し見回りを。この位置からなら、王女殿下が居る部屋も見えますし、何かあっても私の間合いの内です」
「そっか。でもそろそろ戻らない? 私、お城のメイドさんに紅茶の淹れ方教えてもらったの! ママにも飲んで貰いたいんだけど……ダメ?」
「いいえ、そんなことはありません。ソフィーが淹れてくれた紅茶なら、ありがたく頂きます」
シャーリィは何時も娘たちに見せる穏やかな表情を浮かべた……次の瞬間。
「ですがその前に」
全霊の殺気を二色の双眸に乗せて、神速で儀礼剣を抜き放ち、その切っ先を他の誰でもない、自らが愛してやまない娘の顔に突き付けた。
活動報告に書籍化の追加情報有ります。
ほかのざまぁシリーズもよろしければどうぞ。




