不穏な影
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帝国出身であるシャーリィには馴染みが無いが、商国に次いで火山を多く有する王国は昔から温泉文化があり、共同浴場が世間一般に広まっている。
タオレ荘の浴室が住民共同であるのも、その辺りの背景が経緯にあると言っても良いだろう。そんな文化は驚くべきことに、王族にまで浸透していた。
「ふえぇ……なんか凄く広いお風呂だね」
「ん。タオレ荘の四倍くらいはありそう」
言葉が出ない……という訳ではないが、それでも大層な感想を抱く余裕もないと言わんばかりに、ソフィーとティオの二人は圧倒される。
湯船というよりも、最早温水のプールとも称すべき広大さを誇る浴槽には花弁が浮かべられ、どこか甘く上品な香りが湯気と共に充満しており、これだけでも相当費用と手が込んでいると理解できるが、浴槽中央には口から源泉を吐き出す多頭竜の彫刻まで設置されていた。
まさに典型的な、イメージ通りの王宮の浴室。生まれた時から庶民である二人は、これまで味わったこともない豪華な待遇に、喜ぶより先に「本当にここまでしてもらっても良いのか」という戸惑いが生じた。
「でも意外だね。貴族や王様って、なんかこう……一人で湯舟に浸かって使用人の人に隅から隅まで洗ってもらうってイメージがあったんだけど」
「そだね。アレを見てると、本当に豪華に広くなったタオレ荘のお風呂みたいだし」
ティオの視線の先には複数並んだシャワーと蛇口が設置されている。要するに、自分の体は自分で洗えという、大衆浴場と同じ造りという訳だ。
「まぁ、確かに宮殿にこのような浴場があるのは王国だけのようですね」
実際、次期皇妃という身分だった時は、シャーリィも自分の髪や体を使用人に洗ってもらっていたし、そもそも複数人が同じ浴槽に入ること自体あり得ないと思っていたくらいだ。
今では共同浴が当たり前になっているが、上流階級の人間とは妙なところで神経質な者も多い。そんな彼らからすれば、使用人と同じ時に、同じ風呂に入る事など考えられないだろう。
「尤も、それを気にしない奇特な方々もいるようですが」
「な、何ですのこれは!? まさか自分自身で体を洗えと!? た、確かにそれなら自分の好きな力加減で洗うことが……ざ、斬新ですわ……!」
王国王家然り、ヒルダもこの浴室に関心を抱いていて特に気にする様子もない。むしろ興味津々とばかりに、自分からシャワーを弄っている。
「わぴゃあああっ!? な、何ですこれはぁ!? 王女にこのような事をするなど無礼でしてよ!?」
「あはははははっ! 大丈夫? これはこうして……」
その結果、頭の上から温水をかけられた魔国の王女はシャワーに向かって叱責するという醜態を晒してしまっているが。
思わず笑ってしまったソフィーが助け舟を出した時には見事な縦ロールの髪がずぶ濡れになってしまい、銀糸の髪が幼い肢体にぺったりと張り付いていた。
「うぅ……わたくしの縦ロールがぁ……」
「ま、お風呂に入ったらどっちにしろそうなるんだから、気にしない」
「それはそうですけれども……」
「……いずれにせよ、王女殿下はまだ慣れていないようですね。ソフィー、ティオ、これも経験だと思い、色々と教えてあげてください。私は周囲の警戒もあるので」
「うん!」
忌々しいことだが、今この瞬間にも《怪盗》がこちらの様子を伺っている可能性がある(もし《怪盗》が男だった場合は確実に始末する必要がある)。
これ見よがしに警戒し、相手の神経を研ぎ澄まさせるのもかえって逆効果。故にシャーリィは自然体を演出するように髪や体を洗い、周囲の気配に最大限警戒する。
その際に歪み揺れるシャーリィの豊かな乳房をジッと見つめる瞳が四つ。入浴タオルの使い方を教えるソフィーと、加減を間違えて泡だらけになったヒルダだ。
「お、大きいですわ……。普段女性のお胸をゆっくりと眺める機会など無かったのですが、共同浴場というのはこういう機会もあるのですわね」
「いきなりそこを感心するのもどうかと思うけど……うん、いつもながら大きい」
二人は一斉に自分の胸を見下ろした。そこにあるのは真っ白な壁である。歪む余地もなければ、揺れることもない壁だ。
彼女たちはまだ子供だ。なのでこれが普通なのだと理解している。むしろ将来性があると言っても良いだろう。
「「……」」
「……? どうしたの?」
しかしである。隣でマイペースに髪を洗っているティオの胸を見て見ると、自分たちと同様に薄いながらも膨らみ始めているのが目に見えて分かる。
この釈然としない敗北感は何なのだろう? 悲しみとも妬みともつかない感情に囚われていると、ヒルダは自分の胸を両手で押さえながらポツリと呟く。
「そう言えば……わたくしのお母さまは小さ……大きくはなかったですわね……」
「泣かないでヒルダ! 大丈夫! 私たちの成長はここからなんだよ!」
「ソフィー……!」
異常なまでに親近感が湧いたソフィーとヒルダは互いを慰め合うように固く抱き合う。それはまるで、この世でたった一人の同胞に巡り合えた時のような熱い抱擁であった。
「??? よく分からないけど、わたしも。えいっ」
一体何を騒いでいるのかも理解できず、二人を纏めて抱き寄せるティオ。その姿を見て随分と仲良くなったものだと、シャーリィは実に微笑ましく眺めていると、ティオは思い出したかのように首を傾げる。
「そう言えばお母さん、レイアはどうしたの?」
「無論、声を掛けました。しかし先に装備の最終確認だけしておきたいので、後から向かうと言っていましたが……丁度来たようです」
「お待たせー! って、うっわぁあー! ひっろーい!! アタシの家より広ーい!」
立ち込める湯気を切り裂き、勢いよく浴室に現れたレイアに、ソフィーはどこか期待したような視線を向けた。
ハーフエルフでありながら、ホビット族並みの体躯の持ち主であるレイアならば、これ以上自分たちに哀しい思いを味合わせることはないだろうと。
些か失礼な話だが、十五歳でも小さい人は小さいのだと確認できれば元気が出そうなのだ。
「今すぐ飛び込んでも良い!? 良いよね!?」
「先に体を洗ってからどうぞ」
「「…………っ!」」
しかし、普段胸当てに隠れて気付けなかった。彼女の秘められた発育の力に。
弾けるように快活な性格のレイアは風呂場でも同じテンションだ。むしろ豪勢な浴槽に興奮して飛び跳ねると、二つの山が盛大に揺れまくる。
サイズ自体は見た目ほどでもないのだろうが、彼女の身長の低さによってその大きさが強調されていた。
どうやら身長と反比例する体形の持ち主らしい。それを知った時、二人は自身の将来性にちょっと自信を無くした。
「……二人とも」
「……なに?」
身長か、身長が低い分大きさがそっちに回るのか。そんな事をブツブツと呟く少女たちの様子を眺めていたティオは、しばし考えるような仕草をしてからポンと二人の肩に手を置く。
「個人差を気にしててもしょうがない。それよりも自分の良さを見つけることの方が大事だと思う」
「また妙に大物感のある台詞をー!」
「くっ……このわたくしが下に置かれることに納得してしまうだなんて……!」
女三人揃えば姦しいというが、これが五人ともなればそれどころではない。
もはや芸術的ともいえる浴室に反響する子供たちの声は似つかわしくなく、さりとてそれを咎める者は誰一人としていない。
「そんじゃ、そろそろお楽しみの~♪」
体を清めて、いざ浴槽へと足を入れようとするレイアたち。しかし、その前にシャーリィが多頭竜の彫像に向かって声を掛けた。
「それでは、同じ浴槽に失礼させていただきます、王妃殿下」
「へ?」
「あら? バレちゃったのね」
「お、お先に失礼しています」
水をかき分ける音と共に彫像の裏から姿を現したアリシア。その後に続くようにフィリアとルミリアナが現れる。
「少し驚かそうと思ったのに、本当に気配だけでバレちゃうなんてねぇ」
「その上個人まで特定するとは……シャーリィ殿、参考までにお聞きしたいのですけど、一体どのようにして?」
「大したことはありません。面識のある相手の体捌きの癖を覚えただけですから」
「……今なんかサラッととんでもないことを口にしたような」
改めて浴槽に浸かり始めるシャーリィたち。浮かべられた花弁から漂う芳香は湯に染み込み、それが体の芯を温め、疲れを取るだけではなく、王妃が同じ湯に浸かっているという状況下にも拘らず精神を解き解していく。
いわゆるアロマによる効能の一種だ。浸かることで初めて実感できる、最高峰の湯と言っても過言ではないだろう。風呂好きのシャーリィもこれには気が緩みそうにならざるを得ない。
「ん~~~~~~っ。極楽だねぇ~……」
「た、確かに気持ちいいですけれど……やっぱり恥ずかしいですね。帝国には同性同士でも裸を見せ合う状況は中々ありませんから」
「あら。それこそ今更でしょう? さっきまで私と一緒に入ってたじゃない」
「それはそうなのですが……こうも人が増えると、やっぱり……」
浴室がより姦しさを増していく。そんな中で、ソフィーは今更ながらにシャーリィに問いかけた。
「ねぇママ。何か成り行きで王妃様と一緒のお風呂に入っちゃったけど、本当に良かったの?」
「問題ないでしょう。もし問題があれば、私たちは更衣室の前で門前払いされているはずですし」
「そうよ。私含めて夫や息子たちはお忍びで共同浴場に出入りしてるくらいだし、気にしないでちょうだい。お風呂じゃ無礼講よ」
権威とは服の上に被せるもの。裸の王など居ないように、風呂場まで上下関係を口煩く拘るほど王家は狭量ではないらしい。
「それより、こうして女同士で集まったのだからもっと楽しい話をしましょう? 例えば恋の話とか!」
「ふぇっ!? こ、恋!?」
「ねぇ、シャーリィはそういう相手はいないの?」
「何故いきなり私に……期待に添えられないようですが、いません。相手を見つけようとも思いません。私は今の生活で満足していますし」
過去を時間の川に流して新しい道を進めるようになったのかと問われるが、十年前の繰り返しは御免だとばかりに首を振るシャーリィ。
バッサリと言ってのけるシャーリィにソフィーとティオは一斉に胸を撫で下ろし、レイアは男湯にいるであろう仲間に心の中で合掌した。
「あらそう? ……それじゃあ貴女……確か、レイアだったわよね? 貴女はどうなのかしら?」
「うぇえっ!? こ、今度はアタシ!? ないない、そんな相手いませんってば!」
「……そうなのですか? クードさんとはいつも喧嘩しつつも仲が良いと思っていたのですが……」
「はぁああっ!?」
「まぁ」
シャーリィという、意外なところからの一言にレイアの表情が一気に赤くなり、アリシアは眼を輝かせる。他の女衆も興味があるのか、一斉にレイアに視線が集まった。
「何それ!? ちょっと興味あるかも!」
「違うってば! あいつはただの腐れ縁! 誰があんなデコスケのことなんて!」
「……そう、ですか? 喧嘩ばかりの割には、同じパーティを組んでいるので実は仲が良いと思っていたのですが……」
「それはその……あ、あいつが一人じゃ頼りないから、昔からの縁で仕方なく組んでやってるだけで……」
「まぁまぁまぁ」
「……ま、前に友人の令嬢から借りた恋愛小説そのままです……! まさか現実で目の当たりにするとは」
「ちーがーいーまーすってばー!」
「……気の毒に」
微笑ましさと興味の視線を向けるアリシア。知り合いの色話に身を乗り出すソフィー。顔を赤くしながら興味を隠しきれずにチラチラと伺ってくるフィリア。同情的ではあるが助け舟を出すつもりもないルミリアナ。
この中で救いがあるとすれば、思わぬ一言で発破をかけたシャーリィを除けばティオとヒルダだが、前者は興味が薄いのか我関せずとばかりに湯を堪能し、ヒルダはどこか憮然とした表情を浮かべていた。
「むぅ……なんだか話に付いて行けませんわね」
「あれ? そうなの? 私たちくらいの年になったら、こういう話で盛り上がる子も多いのに」
「知り合いの殿方と言えばお父様を除けば、執事長くらいでしたから……そういう話はよく分かりませんわ。同じ年頃どころか、若い男性とまともに話したことだってありませんのよ?」
「え? そうなのですか?」
「……ふぅ。ゼクトル陛下の話は聞いたことがあるけれど、そこまで徹底的とはね」
どうやらゼクトルの過保護はヒルダの交友関係にまで手が及んでいるらしい。若い男と会話させずに過ごさせるというのは王族だからこそ可能な待遇ともいえるが、ここまで来ると干渉が過ぎるというものだろう。
「…………せめて私に権力があれば…………」
「? お母さん、どうしたの?」
「いえ、何でもありませ…………!?」
変な親近感と共に余計な虫を愛娘に寄せ付けないゼクトルに感心していたシャーリィだったが、次の瞬間、勢いよく湯船から立ち上がり、それに数舜遅れてルミリアナが何かに気付いたように周囲を警戒し始めた。
「ど、どうしたのルミリアナ?」
「ママ?」
「……シャーリィ殿、今……」
「……失礼、少し強い気配を感じたので」
「私はその辺りのことはよく分からないけれど……巡回の者じゃなくて? 警備強化の影響で普段より多いわよ?」
「その可能性は高いでしょうね。少々、神経質になり過ぎていたようです」
無駄な恐怖を与えないように取り繕い、改めて湯船に浸かり直すシャーリィだったが、とても人が通る事など出来ない、蛇腹状の部材が取り付けられた通気口に視線を送りながら、内心首を傾げる。
(今あの辺りから、この中の誰かを伺うような視線を感じた……それも相当粘着質な視線を、私以外の誰かに……)
他のざまぁシリーズもよろしければどうぞ。




