二振りの宝剣、その片割れは悪鬼の手の中に
50話まで達成して感慨深いものがある大小判です。タイトル略して元むす、記念すべき50話! 皆さんの評価や感想をお待ちしております!
「それではメイナード伯爵、これがルキウス公爵閣下からの書簡です」
「おお、殿下自ら運んでくださるとは、大変恐縮です」
「いえ、何処に反対勢力が居るか分かりませんから」
流れるような金髪に空色の瞳を持つ皇女、フィリアは自国の南西部を統治する伯爵に封蝋が押された手紙を直接渡した。
帝国南西の隣国にして、二十三もの小さな領土同士が併合し、共同で統括する公国では元首という者が居ない。領土の数だけ存在する貴族たちが公国の方針を話し合い、運営する、大陸でも異例の国である。
その中で最も広い領土と強い発言力、莫大な財を有するルキウス公爵の手紙を読み、メイナード伯爵は鷹揚に頷いた。
「……お手紙、確かに確認させていただきました。今閣下に返事をしたためるので、今しばらくお待ちいただけますか? 我が領土は公国に加盟するという手紙を」
権威を堕とし、皇室を滅ぼす。ひいては領民に被害を与えずに帝国そのものを瓦解させる。それはかつて、敬愛する姉同然であったシャーリィを追いやったことに対する復讐であり、兄を神輿にした貴族たちに暗殺された父母の無念を晴らす戦いであり、皇室の一人として他を顧みない暗君と化した皇帝から民を守るという義務でもあった。
そんなフィリアのフットワークの軽さは、自国や仮想敵国である王国だけに留まらず、公国や聖国と広い範囲に及ぶほどだ。
少しずつ領土を切り崩し、最終的にはどの国にとっても取るに足らない弱小国に追いやる事で、無血で他国に国を明け渡してしまうのが理想である。
「こう言っては何ですが、今の皇帝陛下の代になってからというもの、帝国の求心力は明らかに衰えています。政府中枢から要求される税も右肩上がりですし、公国からの打診はまさに渡りに船でしたな」
「……本当なら、私が国を治める事が出来ればいいのですけれど」
フィリアとて、祖国に思い入れがない訳ではない。国を構成する民すらも蔑ろにする、現皇帝である兄への反逆を水面下で行っているが、自分自身が皇帝となって国を変えるという手段を考えなかった訳ではないのだ。
しかし、慣例として皇子が居ない場合でなければ、皇女が君主となる事が認められていない帝国で、その決まりを覆そうとするには、歴史が古い上に莫大な権力を有し、兄を神輿にして既得権益を守らんとする中央貴族たちを、二十歳にも満たない小娘が押しのけなければならない。
仮に兄がいるフィリアの即位が認められるようになったとして、既に皇帝として君臨する兄を退位させることに味方する有力者の少なさも、それを邪魔する者の多さも知っていたフィリアは、自国領土を売るかのように他国にすり寄る事にしたのだ。
この売国奴め……フィリアは内心で自分自身を罵倒する。しかし既に賽は投げられたのだと腹を括り、それを一切悟らせない様な上品な笑みを浮かべた。
「手紙を書き終えるまでの間、我が家の客間でティータイムなど如何ですか? 生憎妻は所用で出かけておりますので話し相手が居ないのが心苦しいですが」
「お気遣いありがとうございます。折角ですから頂きますわ」
そう言って後ろに控えさせていた赤髪をポニーテールにした女騎士、ルミリアナと共に執務室を後にしたフィリアは、誰も居ない広い廊下で、腕を動かさずに背中をグッと伸ばした。
「これでメイナード伯爵が〝鼠〟でなければ、今回の一件は落着ね。ルミリアナの家に戻って、ゆっくりと書類整理でもしようかな」
「姫様、書類整理はゆっくりするとは言いません」
「そう? 刺客や密偵の眼を逃れながら手紙を運ぶことに比べればゆっくりと過ごせると思うけど」
そんな仕事中毒な発言をする主君に、ルミリアナは溜息を零す。
「ここ数年、休みらしい休みを取っておられないじゃないですか。他の者たちもいつか倒れるのではないかと心配しておりますよ?」
「うう……それを言われると……」
休みも自分の時間も潰して東西南北を駆け回る生活を送るフィリアは、疲労が体に蓄積していることは自覚しているが、それを無視して行動している。
体調管理は基本中の基本。確かにここ最近、それが疎かになっているとは思っていたので、ルミリアナの言葉は胸に深く刺さった。
「そうだ! 折角ですから休暇を取って、ヴォード子爵の領地を通ってシャーリィ殿の所に遊びに行かれては?」
「ふぇっ!?」
思わず変な声が出た。耳を寄せての小声とはいえ、廊下の真ん中で国王公認の密入国をしろという事に対してではなく、シャーリィの所に遊びに行ってはどうかという提案に対してだ。
「む、無理だよ! 姉様にだって用事はあるし、王国の辺境から帝国への行き帰りなんて何日もかかるんだから、理由もなしには行けないってば!」
「そうですか? シャーリィ殿が相手なら、姫様も休みに徹する事が出来るのかと思ったのですが」
それはどうだろう? と、フィリアは内心首を傾げる。むしろ緊張して余計に疲れるのではないかという事態が安易に想像できるからだ。
「というか、本当はルミリアナが姉様と再戦したいと思ってるんじゃないの?」
「……ま、まぁ……そんな期待も少しばかりはありますが……」
しどろもどろになりながら目を逸らす近侍にジトッとした視線を送るフィリア。
以前の神前試合でシャーリィに破れた後、多くの貴族の心無い批判の声がルミリアナに降りかかった。彼女自身も主君に身命を捧げる騎士、その敗北の重みを理解し、一切の言い訳をしない。
それを良いことに、やれ「生意気な小娘が出世街道から外れた」だの、「所詮は女、騎士を務めるには不十分」だの好き放題宣う輩が多く、皇帝アルベルトが「この役立たずめっ!」と口汚く罵る中、フィリアの一言で彼らは一斉に口を閉じることになる。
『それでは貴方がたがシャーリィ様と戦って勝つことは出来たでしょうか? ルミリアナに勝てなかった貴方がたが』
そう言われて押し黙る一同。神前試合の敗北を機にフィリアの護衛の座を取って代わろうとした者も多かったが、護衛の適正とは強さ以上に信頼がものをいう。フィリアの為にその身を盾に出来る者など、帝国にどれだけ存在するというのか。
結局、ルミリアナは今まで通りフィリアの護衛を務めている。帝国一の女騎士は先の敗北を糧とし、知らず知らずの内に天狗になっていた自身の鼻っ柱を圧し折った剣鬼を目標に、今は更に苛烈な鍛錬に励んでいた。
「しかし、あの時のヴォルフス騎士団長の様子は少し尋常ではなかったように感じます」
昨年の武闘大会で打ち負かした時から、帝国騎士団団長であるグランはルミリアナに対して妙に突っかかってきてはいた。
それが神前試合で負けた途端、見るからに喜色を浮かべながら、自分よりも一回りは年下の少女を口汚く罵ったのだが――――
『何がレグナード家の神童だ! 所詮は女子供ではないか! やはり以前の大会で私に勝ったのは、何か卑怯な手を使ったからに違いない! そのような下劣な者を誉れある騎士団に置いておけないな! よって団長権限で貴様を除隊処分とする! 二度と騎士を名乗る事は許さん!』
ドヤ顔を浮かべながらそんな事を宣うグランだったが、フィリアのやや言い難そうな言葉で唖然とすることとなる。
『騎士を名乗る資格は主君に忠誠を誓う事。規則としてこれといった決まりはありません。帝国騎士団という名称も前時代の名残りであって、その実態は軍隊ではありませんか。それにルミリアナは私が個人的に結成した直属部隊の一員です。帝国騎士団に所属している訳ではありませんから、貴方の権限で除隊することは出来ません。……団長ともあろう者が、自分が預かる兵すら把握していないのですか?』
グランが真っ赤な顔でフィリアを睨みつけ、早足でその場を後にした時の様子はやけに印象的だった。
「思い返せば、姉様に対してもルミリアナに似たような視線を向けてたような気がする。……変に暴走しなければいいのだけれど」
帝国皇室はかつて、国に貢献した二人の騎士に、それぞれ二振りの宝剣を下賜したという。
帝国武門の双璧の片割れであるレグナード家に与えられた五大属性を操る《五元の指揮権》のように、ヴォルフス家にも強力な魔武器が与えられ、それは普段、当主であるグランが厳重に保管しているのだ。
「さて、お前は帝都の食材市場で盗みを働いた……これに間違いは無いな?」
兵舎の取調室でグランは縄で縛られた男の前に座り、そう問いかける。
騎士然り、兵士然り、国は違えどその職務は同じ治安維持だ。帝都で盗みを働いた小汚い浮浪者を捕らえ、取り調べを行ってから厳正な裁きを与える……しかし、本来このような小物を相手に騎士団長自ら取り調べを行うことなど滅多に無い。
「か、勘弁してくだせぇ、旦那。ここ最近税が上がって生活が苦しくなって……つい、出来心なんです」
男はつい三ヵ月前まで帝都近郊の街で酒場を経営していた者だった。しかし度重なる増税の煽りを受けて経営が破綻し、行く当てもなく、所持金も底をついて彷徨い歩き、瑞々しい果物の誘惑に逆らえずに懐に忍ばせたところを巡回していた騎士に捕縛されたのだ。
法を破りし者はいかなる理由があれ許してはならないのだが、現状の帝国では致し方ない部分があるのも事実。真っ当な裁判官ならば情状酌量の余地ありと判断するのだろうが、グランは厳然とした態度を取りながら鞘尻で床を叩いた。
「ならん! 崇高なる皇帝陛下が治める帝国で窃盗など言語道断! 貴様には相応の処罰を下す!」
このやり取りだけを見れば、彼は規則に対して極めて厳しい男だろう。しかし次にグランがとった行動は、騎士の本分から遥かに逸脱したものだった。
「ひ、ひぃいっ!? な、何で剣まで抜くんですか!?」
グランの手に携えられた剣は、優美な装飾が施されたクラレントとは対を成すかのような簡素な造りだ。
魔術に使用する紋様が刻まれた布帯で柄の部分を巻いた、鍔も無い無骨な両刃剣。およそ貴族が持つとは思えないが、これは正真正銘、武門の名門であるヴォルフス家に下賜された宝剣である。
「皇帝陛下のお膝元で犯罪を犯した者は万死に値する……!」
「そ、そんな!? 確かに悪いことしましたけど、だからっていきなり殺すなんてあんまりじゃねぇですか!!」
男の言い分は尤もだ。確かに罰せられるべき行いをしたが、言ってしまえばそれは、たかだか窃盗未遂でしかない。
それを裁判も待たないどころか、判決を下す権限の無いグランが独断で男を処罰……それも斬り捨て御免という、罪に対してあまりに大きすぎる罰を与えようとしているのだから、それがどれほど筋の通らない出来事か理解できるだろう。
「貴様は人間の屑だ……! 生かすに値しない下郎だ……! せめてもの慈悲として、俺自ら天空の女神の御許へ送ってやろう」
グランの瞳が光悦に歪み、手にした刃はただひたすら冷たく輝く。その姿が正に血に飢えたケダモノのそれだと直感で理解するや否や、男は両手が不自由なまま閉ざされた扉に向かって走り出す。
「う、うわああああああああああっ!?」
このままでは殺される。そんな本能の訴えに対して忠実に、男は渾身の体当たりで扉を破って逃げる、それが出来なければせめて大声を上げて人を呼ぼうとしたが、騎士団長として長年鍛錬に励んでいたグランの前では無意味だった。
「逃げようとしても声を上げようとしても無駄だ。既に人払いは済ませてあるし、予め《サイレント》の魔術を施してあるからな」
「むぅっ!? むぅううううっ!?」
「もっとも、貴様如き浮浪者が一人消えたところで誰も騒ぎにならんが」
取り押さえられ、大きな手のひらで口を押さえられながら首を左右に振る事しかできない男の喉に向かって、グランは白刃を突き立てた。
「ご……ぼ……ぉ……!」
血泡を吹いて声にならない声を上げる男に突き立てられた剣を捩じり、その命脈を断つ騎士団長。すると宝剣の刀身全体に赤黒い血管のようなものが浮き上がり、血液を吸い上げるかのように脈動する。
見る見るうちに水気が失われていき、やがて死体はミイラと見紛う死体とかした男は、最後には赤黒い光の粒子となって柄に取り込まれた。
「ふふふ……素晴らしい。これで俺はまた強くなった……!」
全身に活力と魔力が漲るのを自覚する。事実、確かにグランは男を殺める以前よりも肉体的に強くなっているのだ。
「見ていてくれ、アリス……俺はきっと誰よりも強くなってみせる。世界中からお前を守れるほど強く……シャーリィなど圧倒できるほどの力を得てな」
頬を軽く染め、愛する人に詩を送るかのように呟く。グランの行いは騎士としてあるまじき蛮行だが、実をいうとこれが初めてではない。
殺しても文句は言われない、居なくなっても誰も気にしない者を探し出しては己の糧として、何人もの軽犯罪者や罪なき者を食い物にしてきたのだ。
「我が祖先は実に素晴らしい一振りを残してくれたものだ……これさえあれば俺は無限に強くなれる。……そうすれば、何時かアリスを俺だけのものに……」
忠義も忘れ、研鑽を蔑ろにするようになった騎士団長は、本人も気付かない邪悪な笑みを浮かべる。
かつて汗を流しながら、一途に剣を振るっていた少年時代は記憶の彼方へと消え去り、今ここに居るのは己の欲望を満たす為だけに他者の血肉も魂魄も奪う悪鬼が一人。
「……い、一応、念のためにもっと力を集めなくてはな。シャーリィを圧倒的な実力差で打ち倒し、皇女を連れて帰ればアリスも俺を一番に想うようになるはずだ」
あの人の理を超えた剣士を簡単に倒すだけの力を集めてから挑まなければならない。その上で子に恵まれないアリスの元に、アルベルトの血を引いた双子を連れて行けば、愛しい彼女は必ずや自分に惚れ直すだろうと、グランは信じて疑わなかった。
神前試合で禁止にされたのはあくまで王国に対する宣戦布告や侵略のみ。たかだか平民堕ちした元貴族令嬢如き、殺したところで文句は言わせない。
むしろヴォルフス家当主である自分の為の礎になれるのだから感謝してほしいものだと、悪意も無いまま悪魔よりも凶悪な精神を宿した男は次の獲物を求めて部下を走らせ、自分は椅子の上で傲慢にふんぞり返る。
……自分でも気づかない深層意識で、既にシャーリィに敗北していることから全力で目を背けながら。
記念すべき50話で何グランへのアンチ・ヘイトを集める胸糞悪い話書いてるんだ俺は?
前話では評価が減ったり増えたりの±が三日間続き、久しぶりに本気で凹みました。一体僕の小説に何が足りないのか、色々と情報を集めて整理する必要がありそうですね。




