冒険者の縁
何とか9日中に投稿できました。本当にギリギリですけど
起きに頂ければ評価してくださると幸いです。
今回は閑話的な印象を強くしましたが、次回からは物語が一気に動かしていきます。
グラニアがソフィーとティオに対魔術干渉用の指輪型魔道具を与えてから北西の街に戻って数日、シャーリィは溜息を吐くことが多くなっていた。
娘たちに暗示をかけていたのが本当に帝国の魔術師なら、その後ろに居る黒幕の正体は否応が無く察せられる。
シャーリィに恐怖は無い。しかし、下手に手出しをすれば藪蛇になる事は必至で、その蛇がソフィーとティオの将来を何らかの形で歪める毒を持っていることは明白だ。
未だ確信には至らないが、帝国の魔術師がわざわざ隣国の一般市民を狙う理由など存在しない。これが変質者が偶々王国に来た際に娘に目を付けたという理由ならどうとでも出来たが、その可能性の方が低いことをシャーリィは理解していた。
(私を犯罪者として罰しておきながら、私の娘であるソフィーとティオを狙う理由が帝国人にあるとすれば……二人に流れるあの男の血以外に考えられないのが、なんとも嫌ですね)
かつての婚約者であり、シャーリィの全てを裏切った現皇帝、アルベルト・ラグドールの顔が脳裏を過る。
市井に降りたシャーリィには何があったかまでは知らないが、王国と帝国は緊張状態にあって人の行き来が極端に少ない。
帝国に居る変質者がリスクを冒してまで少女二人を攫うとは考えにくいし、リスクを冒してまで得ようとするものが次の皇位継承者というのなら納得も出来る。
(下手をすれば国際問題に発展するリスクに見合うものなど、忌々しい事にそれしかありませんが、それでも解せない。仮にそうだとしてなぜ子供を儲けることをしないのでしょうか?)
犯罪者として追われる女の子供よりも貴族の娘の子供の方が継承者として相応しいのは明白。仮に正妃が子供を産めない体だったとしても、側室を娶れば問題は解決するはず。
(……もしくは継承権とは別に、帝国が狙うだけの何かがあの子たちにあるとでも?)
無い、とは言い切れない。シャーリィの全てを視通す異能を以てしても特に変わった所が見当たらないが、突如膨大な魔力を身に宿すというのは極稀だがあり得ることだ。
それを予知魔術で先見し、偶然にも皇帝の血を引いているからそれを理由に帝国に連れて行こうとしているというのか。
……筋は通っていそうだが、それでも肝心の情報が不足していて確信には至れない。
(駄目ですね。憶測を幾ら立てても確信には辿り着けない。相手の目的が不明で、その過程を予測出来ないのではソフィーとティオを守り切ると断言するには……いいえ、違いますね)
守る事は簡単だ。ただ目の前の害を斬ればいい。問題は、愛娘たちに己の血筋と、それに伴う重圧を伝えることだ。
人知れずに街に居ようが、丁重に扱われながら城に住まおうが、今の時世一国の長の血族というのはそれだけで重要となる。
継承者にもしもの時が起こった時のスペアにするために他の将来を潰されることは当然で、最悪の場合は命を奪われることもある。
なら知らぬ存ぜぬで通せばいいかと言えば、そうでもない。シャーリィからすれば馬鹿らしいと思うが、双子に流れる血筋は国や世間にこう思わせるだろう。
――――彼女たちを国の礎に。
もしもこの根拠のない不安が実際の事だとすれば、守ることは出来ても導くことは難しくなる。世間の意思や有力者の力と言うのはそれほどまでに厄介なのだ。
ただの冒険者に抗う術があるとすれば再起不能になるまで物理的に叩き潰すくらいしかない。しかしそれを実行してソフィーとティオが周囲から白い眼で視られては本末転倒だ。
「……? お母さん、最近元気ないけど大丈夫?」
「えぇ、問題はありません。少し考え事が多くなっただけで疲れてなどはいませんから」
悩みは日を重ねる毎に大きくなり、遂には娘にも感づかれて不安を与えてしまいそうになった。
実にままならないと内心で愚痴を溢しながら打開策を模索し続ける。しかし、権力を持たぬ身では世間を制することなど到底できそうになかった。
結局答えが出ないままいつも通りに通学する娘を見送り、シャーリィが足を運んだのは冒険者ギルドの広場だった。
一度剣を振って頭の中を空にし、混乱した思考をリセットするためだ。時間を置けば状況が変わるかもしれないし、妙案が浮かぶかもしれない。
「…………」
広場中央には幅広い木陰をつくる樹木が一本植えられており、風に揺れる枝葉から無数の木の葉が飛び散る。降り注ぎながら舞う葉吹雪がシャーリィの間合いに入ると、彼女は魔力で湾曲剣を錬成し、残像も残さぬ速さで振り抜いた。
するとどうしたことか、一枚の葉が空中で二枚に増えた。続けざまに四度剣を振ると、今度は四枚の葉が八枚に増える。
相剥ぎという、厚めの本紙一枚をヘラなどで二枚に剥がす技術が存在するが、シャーリィが見せた一閃はまさにその再現。
本来なら机の上に置いた状態でもなお高難度を誇る技術だが、それを空中で、風に揺れて歪みも均一ではない木の葉を寸分違わず二枚に分ける技量は常識の範疇を逸脱しているが、当の本人はしっくりこないといった表情を浮かべている。
「……まだ少しだけ雑念が混じっていますね」
無想は剣の極限の一。その最後の歪みを切り捨てるかのように、風が止んで木から落ちてきた最後の一枚を斜め上から剣で振り抜く。
しかしその剣が木ノ葉を断つことは無かった。剣が鈍ったのかと思われるが、それも違う。剣に直接触れた葉は一筋の切れ目も入れず、その軌跡の先にある地面に落ちた一枚を両断したのだ。
「ふぅ……こんなものでいいでしょう」
並の剣士ならば神技にしか見えない剣技を〝こんなもの〟という一言で片付け、手に持つ仮初の剣を魔力に霧散させると、シャーリィは広場入口へと眼を向けた。
「使うのなら退きますが?」
「……バ、バレてた?」
ギルドの建物と一体となっている入り口、陰になっている壁から顔を出したのはすっかり馴染みとなったレイアとクード、そしてカイルの若手三人だ。
「こっそり見てたつもりだったんだけどなぁ……やっぱりアレ? 気配とかで分かったりするの?」
「最初から不躾な視線を送られれば嫌でも気付きます」
どうやら何時頃来たかも感知されていたらしい。何処かバツの悪そうな半笑いを浮かべる三人だが、シャーリィには気にしていないという風に話題を広げた。
「今日も訓練ですか? 最近は随分と熱を入れているみたいですね」
「まぁな。今度は俺らだけで巨大蜚蠊の討伐に行くんだけどよ、連携の打ち合わせしようと思ってな」
「あぁ……なるほど」
シャーリィはどこか遠い眼を浮かべる。巨大蜚蠊はスライムやゴブリンのように駆け出し向けの魔物と呼ばれている。
人間大の大きさで素早く、群で行動する以外はこれといった特徴は無い、魔術的な力も無ければ知恵も持たない虫型の魔物だ。
イレギュラーな強さを持つスライムや知恵の回るゴブリンと比べれば断然倒しやすい相手で、シャーリィも駆け出しの頃に倒しに行ったことがある。
「ちなみに……巨大蜚蠊がどんな魔物かは見たことがありますか?」
「えっと……見たことは無いんですけど、確か大きい虫って感じの魔物なんですよね? オーガタランチュラなら見たことがありますけど」
「貴方の予期せぬ遭遇率はおかしくないですか?」
「……正直、今度お祓いしてもらった方が良いような気がしてきました」
このカイルという少年、初めての冒険で地竜と遭遇し、次の冒険でゴブリンクイーンと遭遇し、パーティを組んでからは古竜と遭遇しているのだが、どういう訳か竜王戦役以降もEランクなのに何故か薬草狩りに行っただけでもBからAランク相当の魔物と冒険先でよく遭うのだ。
運の女神にどんな愛され方をしているのか、どうやらシャーリィが知らない内にドラゴンを捕食することもあるオーガタランチュラとも遭遇しているらしい。
この分だとまだまだ出てきそうだが、これ以上脱線させるわけにはいかないという免罪符を持っていたシャーリィは無理矢理話を戻す。
「まぁ話を戻しますが、巨大蜚蠊との戦いは力よりも心の勝負になるので、気を引き締める様に」
「? よく分からないけど……アタシたちは冒険行く時は何時だって真剣だから大丈夫だって! クードはともかく」
「そうそう、一瞬の油断が命取りだって、あんた何時も言ってるだろ? 俺たちだって成長してるんだぜ? レイアはともかく」
「あ?」
「お?」
互いの胸ぐらを掴んで至近距離から睨み合いを始める二人を見るとまるで説得力はない。
「まぁ、何事も体験です。いざという時は本気で逃げれば生き残れるでしょうし、物品の準備も覚悟も不足の無いようにしてください」
「でも結局、巨大蜚蠊ってどんな魔物なんですか?」
「……それは自分の目で確かめてください」
「……さっきから気になってたんですけど、何でさっきから遠い眼を?」
十年程前の出来事に想いを馳せる。巨大蜚蠊の見た目を簡単に説明すれば、成人男性並みの大きさを持つゴキブリだ。
触覚がピコピコ動き、全身は黒光り。棘が生えた六本の脚を高速で動かして這い回るその姿は、台所に出てくるようなサイズでも生理的嫌悪感が半端じゃ無いというのに、それが巨大化したとなればどんな屈強な戦士や清廉な聖者でも悲鳴を上げざるを得ないだろう。
それが狭い洞窟や地下水路に群れを成すのだから、命のやり取りとは全く別のベクトルで精神的にキツいものがある。
しかし時には未知を未知のままに冒険しなければならない時が来る。ゴブリンやスライムと勘違いされがちだが相手はシャーリィが知る限り最弱の魔物、高難度の依頼を受けて初めて焦る時の気持ちを味わうよりかはマシだろうと、シャーリィは心を鬼にして巨大蜚蠊の情報を伏せたのだった。
「あの……シャーリィさん」
「何ですか?」
「もしかして……いや、僕の勘違いかもしれないんですけど……何か悩みでもあるんですか?」
カイルの言葉に、シャーリィは人知れず心臓を強く跳ね上げる。
「……なぜそう思うのです?」
「いや、何となく何ですけど、さっき剣を振ってる時、最後の方まで集中出来てなかったように見えたから……間違いだったらすみません、変に勘ぐっちゃって」
まさか自分の半分ほどしか生きていない少年に悩みを見抜かれるとは思ってもいなかったシャーリィは返答に窮した。
それほど分かりやすく顔に出ていただろうか。思わず自分の頬に手を当てるが、その仕草こそ図星であると告げているようなものだと気付いた彼女は、未だ掴み合いの喧嘩をしているレイアとクードをぼんやり眺めながらポツリと呟いた。
「そうですね……少し、ままならない悩みに直面しまして」
「それってやっぱり、娘さんの事ですよね?」
「えぇ。これが自分の事ならここまで悩みもしなかったのですが」
シャーリィは詳細を明かすことはせず、カイルもそれ以上踏み込むことはしない。カイル自身、事情が分からなくても何処か雰囲気で簡単に踏み込んでいい話ではないことを察しているのだ。
(本当、これが私事ならどれだけ楽だったか)
自分の事なら多少の被害は許容できる。しかし娘の事に関してはそうはいかない。そして今回の一件、シャーリィ自身が深く介入すれば娘の将来に何らかの強い影響を与える可能性が高いという、確信にも似た予感がある。
(何に代えても二人の未来だけは守らなくては……そう、何に代えても)
それこそ、命に替えてもだ。単なる杞憂ならそれに越したことは無いが、そんな都合の良い状況などシャーリィの人生に起きた覚えがない。
たった一人で愛娘の選択肢と誰にも憚れる事の無い将来を守らんとする決意を固めていく。どこか照れた様な真剣な声が聞こえたのはその時だった。
「あ、あの……! 何か困ったことがあったらその……そう、依頼! 依頼出してください!」
「カイルさん?」
「いや、依頼なんて無くても僕は何でも手伝いますけど、それだと気兼ねしちゃうかなって思って……ほ、本当に困ったら言ってください! 何時でも駆け付けますから!」
帝国……それもかつての婚約者の影が見えたことで、無意識の内に何者も寄せ付けなかった以前のシャーリィに戻りかけたところに、何故か自分よりも必至といった赤面で両手を忙しなく動かしながら言い募るカイル。
失礼かもしれないが、その姿がどこか可笑しくて、シャーリィは怜悧な美貌に小さな笑みを浮かべた。
「そうですね……昔とは少し違うのでした」
「え……えぇっと、何かすみません。いきなり変なこと言っちゃって」
「謝る必要は無いのですが」
そう、謝る必要などない。お陰で気付かされた。
(所詮、過去は過去。帝国で誰一人味方の居なかったあの時とは違う)
信じた人たちに裏切られ、ただ絶望するしかなかった小娘だった時とは違う。情という異能を以てしても視えないものではなく、力と報酬、浪漫で繋いだ縁が今のシャーリィにはある。
こんな少年にソレを気付かされたと思うと何とも言えない気持になるが、行き詰った状況下で鬱屈とした気持ちは不思議な事に晴れていた。




