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幻想蝶

お気に召しましたら評価してくださると幸いです。



 七色で構成された女神を象るステンドグラスは陽光を取り入れ、礼拝堂内部を明るく染め上げていた。

 魔術の基本原理、自己暗示による現象の改変という古来より伝わる学説には外せない、世界を創造した原初の存在。

 原初の一とも呼ばれるその存在を教会が女神と奉るようになったのは、公表されている資料を見るだけでも二千年以上も前の昔。

 創造神の存在は信仰を集めるには丁度良かったのか、はたまた本当に原初の一と天空の女神を崇める宗教の開祖が会い見えたのか、今となってはそれが事実かどうかも分からない。

 そういった失われた現代の未知を探求するのが冒険者、あるいは考古学者と呼ぶようになったが、考古学の為に冒険者になったり、冒険の幅を広げるために考古学を学習する者は少なくない。

 何が言いたいのかと言えば、王国北西の街に拠点を置くSランク冒険者、《幻想蝶》ことグラニアは考古学者であり冒険者、どっちつかずで楽しんでいる一流の魔女だという事。


「んー、神父様の説法も、学者肌な魔術師の論文も、どちらも的を射ているようで外している気がするわねぇ」


 建物の大小の違いはあれど、基本的に王国のどの町にも礼拝堂と言うものがあり、それは北西の街も同じことだ。

 多くの信者が女神の教えを伝える神父の言葉に耳を傾ける細やかでありながら厳かな雰囲気を醸し出すミサが終わり、人一人いなくなった静寂に包まれる礼拝堂で、グラニアは悩ましげな声を上げる。


「女神は住む場所の無い魂を哀れみ、大地の化身たる《太歳龍》を生み出した。原初の一は途方もないエネルギーの塊が意思を持ったモノ。ふふふ、一体どっちが正しいのかしらねぇ」


 解析不可能の謎を前に、楽しくて仕方ないとばかりにグラニアは微笑む。

 竜王戦役を経て手に入った、討伐こそ叶わなかったものの、未だ謎の多い竜王の折れた角から作られた杖を愛おし気に撫でる彼女は、今非常に機嫌が良かった。

 生きた古代遺物とも例えられる古竜、竜王の素材が手に入ったこともさることながら、新しい遺跡の発見に加えて全く未知の言語が記された古い経典の発見。

 更にはこれまで入る事が出来なかった水晶と宝石で出来た寺院の奥の間に続く扉の暗号の解読が大きく進み、古のホビット族が暮らしていた街の跡を、南の森の中で見つける事が出来た。


「あぁ、これだから冒険も考古学も止められないわぁ」


 浪漫も知的好奇心も同時に満たせる兼業は、双方を愛するグラニアには非常に心地良いもの。傍若無人な生きた先祖に唆されたようにして始めた事だが、今はそれが楽しくて仕方がない。

 他の血族たちは好き放題言っているが、グラニアとしては割と《黄金の魔女》に懐いている事を他の者が知れば、一体どれだけ意外そうな顔をされるのか彼女は知らないが、それもグラニアには興味の無い事だ。


「それに……ふふ、もうすぐ面白そうな人との出会いがあるものねぇ」


 昔から妹のように可愛がっていた親戚からの通信を思い出し、グラニアは妖艶に笑う。

 冒険者としての恩師であるミノタウロスの推薦もあって引き受けた依頼だが、別にそれが無くても引き受けるような内容だったからだ。

 報酬の事ではない、彼女の関心を引いたのは依頼主。冒険者ギルド屈指の剣士でありながらBランクに留まり、その上でSランクの証ともいえる異名を持つ女。

《白の剣鬼》と呼ばれる彼女自身にも興味があるが、グラニアの興味を引いたのは伝え聞く剣鬼の愛刀。

 今は遥か遠き神代に存在したという大国の首都を支えた二本の柱から削り出したという、考古学的にも非常に価値のある一対の魔剣の存在を知ったのは四年前、まだAランクに昇格したての頃だった。

 

「あの時は先を越されたと思って……悔しかったわぁ」


 古代バロニアと後世で呼ばれるようになったかの国は、実在を歴学的に証明されていられながら未だ謎が多い。

 多くの魔物が巣食う遺跡にあって、他の魔物が寄り付かない怪物の巣となっていた祭場に一対の剣が奉納されていたという話を聞いて駆けつけたのだが、件の怪物は倒され、残されたのは剣が刺さった跡である二つの穴を残す台座のみ。

 

「依頼の成果如何では、追加報酬もあり……ねぇ。なら、それは金貨じゃなくても良い筈」


 その言葉を最後に、扉を開かずに礼拝堂から忽然と居なくなるグラニア。参拝者が座る長椅子の角には青い蝶が止まり、吹いて消えた灯の様に掻き消えた。 




 辺境の街にはカフェテリアなどという洒落たものは存在しない。学校などの冒険に間接的にも関係しない施設があること自体が珍しいのだ。

 武器や防具に道具を売る店、冒険の疲れを慰撫(いぶ)する施設が立ち並ぶ街にある飲食店と言えば、あるとすれば酒とつまみを重点的に売る宴会場のような店ばかりだ。

 シャーリィがこの街に来てからの十年近く、外出して紅茶を飲めるのはギルドの応接間のみしか知らない。

 Sランク冒険者、《幻想蝶》が依頼内容の説明する場所に指名したのは、やはりというべきかギルドの応接間だった。


「ママ……」

「……」

「大丈夫です」


 両手に小さなぬくもりを感じる。娘と共々応接間に通されたシャーリィは、不安げに両隣に座る愛娘たちの手を優しく握り返した。

 ソフィーとティオには何らかの魔術的干渉を受けそうになっていたことは、既に話してある。

 本人たちに直接関係する事なので何時までも黙っていく訳にはいかないし、対策を講じると同時に警戒を促さなければならないのだ

 気を紛らわすかのようにソフィーが紅茶を飲んでいると、応接間の扉を開いてユミナが姿を現した。


「シャーリィさん、冒険者の方をお連れしました。……姉さん、こっち」

「えぇ、ありがとう」

 

 応接間に入ってきたのは、カナリアとは別のベクトルでシャーリィと対となるかのような雰囲気を持つ一人の美女。

 ロングスカートにブラウスという露出の少ない清楚な恰好をしているシャーリィに対し、美女は背中や豊満な胸の谷間、肩を露出し、深いスリットが肉感の良い太腿をさらけ出す黒を基調とした衣装に魔女特有の鍔の広い三角帽子を被った、妖艶さを主張する美しさ。

 身長も女性としては高く、長い菫色の髪が特徴的な二十前半の女性だが、外見よりも随分達観した雰囲気の持ち主だ。


(……凄い恰好)

(うん、胸とかあんなに出してるし)

「…………」


 侮蔑ではなく、普段見ない派手さでありながら不思議と似合う服装に対する率直な感想を抱くティオにソフィーが同調し、シャーリィは見ているこっちまで恥ずかしくなる姿に少しだけ目を逸らす。


「始めまして。私はSランク冒険者のグラニア……こうしてお会いするのは初めてねぇ、《白の剣鬼》殿」

「ええ、私も《幻想蝶》の話題は聞き及んでいますが……想像していたよりも随分人当たりが良さそうですね」

「ふふ……誉め言葉として受け取っておくわぁ」


 続いて双子を一瞥する。思わずビクリと体を震わせる彼女たちを見て、グラニアは実に微笑ましそうにニコリとした表情を浮かべた。


「そちらの可愛らしいお嬢さんたちも初めまして。貴女たちの事は聞いているわぁ……私の事は気軽にグラニアと呼んでくれていいわよぉ」

「は、初めまして」

「……ども」


 シャーリィがグラニアの対応を意外と心の中で留める。あの騒動や混沌を好むカナリアの直弟子にして血族だというからどんな変人かと思っていたが、第一印象では正に良識人と言うべき穏やかさがある。


「うちの(ばば)様が随分面倒を掛けているみたいでごめんなさいねぇ。どうにも見た目が若いと中身も若くなるみたいで」

「いえ、貴女が謝る事ではないので」


 見た目が若いと中身も若くなる。その点に関しては人の事が言えないシャーリィは適当に茶を濁したかのような言葉で返した。

 人の親として威厳が無くなるので許容しがたい事実だが、老いが無くなると精神年齢が外見年齢に引っ張られるという説は、シャーリィにも見覚えがある。

 千歳を越えているカナリアが、極めて質の悪い悪童を連想させるような性格をしているのはこう言ったことも理由の一つかもしれない。


(マーサさんを見ていると、ある一定の年齢に達すれば羞恥心が薄くなってくるようなのですが)


 未だに肌の露出や貞操観念を緩めることを完全に認められないシャーリィ。以前の露出過多なメイド服など、彼女からすれば本来あってはならない事なのだ。


「それにしても……母娘揃って宝石のように綺麗な瞳ねぇ。噂に聞く異能に関係しているのかしらぁ」

「さぁ、それに関しては何とも」


 シャーリィが異能に目覚めたのは、まだ胎の中にソフィーとティオが宿っていた時の事だ。

 瞳の美しさが異能に影響されるかどうか、そんな調べられてもいない事柄に対して答えを持ち合わせていないが――――


(私の異能が、胎の中に居た二人に何らかの影響を与えていた?)


 その可能性までは考慮していなかったシャーリィは、思わず訝しげに双子を見やる。


「ママ? どうかしたの?」

「……いえ、何でもありません。それよりも、話を進めましょう」

「そうねぇ、これ以上は雑談だもの」


 意味の無い仮説を話して無駄な不安を与える必要はない。そう判断したシャーリィはユミナが淹れた紅茶の口を付けていたグラニアを促す。


「まず、魔術の調査だけれど……ちょっと失礼するわねぇ」


 グラニアが両手の人差し指でソフィーとティオの額を軽く押すと、その指が翡翠色に淡く光る。

 恐らくその動作こそが彼女が魔術を発動させるための自己暗示なのだろう。しばらく瞼を下ろして、暗闇の中で何かを見ていたグラニアは一つ頷いて目を開いた。


「これは……無意識下で行動を強制させる暗示ねぇ。それも結構大掛かりな儀式で遠くの相手に仕掛ける類の」

「今のだけでそんなに分かるの?」

「そうよぉ。元々探知の魔術を私なりにアレンジして、術者の残留思念を探れるようにしたものだけど……貴女の予想通り、この子たちを狙った魔術だわぁ」


 本格的な魔術師の診断にシャーリィは形良い眉を歪ませる。当たって欲しくなかった予想が当たってしまい、実に頭が痛い出来事だ。


「術者の居場所は?」

「それに関してはもう一度相手が魔術を仕掛けてくれば調べられるけれど……今まで干渉があった回数は?」

「依頼を出すまでに二回、依頼を出してから一回ですね」


 最初に魔術干渉を向けられてから五日、かなり速いペースで術を差し向けられていると言っても過言ではない頻度だ。


「そう……分かったわぁ。それなら、しばらく私もこの街に滞在して干渉対策や調査に当たるわぁ。しばらく近くに住むことにするけど、それで良いかしらぁ?」

「私は構いませんが……」


 チラリと双子を見る。


「私は良いよ。私たちの為に来てくれたんだもん」

「わたしも。むしろそっちの方が安心かな」

「ふふふ……素直な子たちねぇ」


 グラニアは優しげな眼を娘たちに向ける。シャーリィとしても魔術師が身近に居てくれることはありがたい。

 見れば断ち斬ることは出来るが、逆に見えずに剣も届かない場所だとシャーリィ一人では対応しきれないのだ。


「ところで報酬の話だけれどぉ」

「……依頼書通りの額は用意していますし、書いてあった通り追加報酬もありますが、何か不満でも?」

「その追加報酬の事でねぇ」


 グラニアは悩ましげな声でシャーリィに耳打ちする。


「金貨は要らない……その代わり、貴女が持つ魔剣全てを見せてほしいわぁ」


 それは予想だにしていない事だった。意外な要求にシャーリィは目を丸くしていると、グラニアは楽しそうな忍び笑いをする。


「こう見えて考古学者でもあるもの……骨董品には目が無いのよぉ。(と・く)・に……古代バロニア所縁の魔剣とかねぇ」


 一見デメリットの無い要求に見えるが……冒険者にとって手の内を明かすのは共闘相手やパーティメンバーに限られるのが鉄則だ。

 竜王戦役で愛刀イガリマとシュルシャガナの能力を大々的に披露したシャーリィだが、それでも全ての能力を見せたわけではない。 

 一体どういうつもりなのか、思わず猜疑心が表に現れ顔を顰めていると、そんな心情を見透かしたかのようにグラニアは告げる。


「心配しなくても大丈夫よぉ。断っても依頼は遂行するし、追加報酬も金貨で手を打っても良い。……これは追加報酬が決まっていない状況での要求だもの。どのような出会いをしていたとしても、こんなお願いをしていたと思うわぁ」


 真っ直ぐにこちらの眼を見るグラニアの言葉に嘘は感じられない。確かに報酬に金貨と明記しなかったのはシャーリィだし、もし万が一この要求を断って手を抜かれるようなことがあっては敵わない。

 ならばこちらから誠意を見せるべきだと、シャーリィは機密よりも娘の安全性の引き上げを選ぶ。


「良いでしょう。今この時から、貴女を一時的なパーティメンバーと認識し、私の手の内を必要な分だけ晒します。私が所持する魔剣を見せるのは、信頼関係を築くための必要経費という事で」

「理解があって助かるわぁ。……気難しい人だと聞いていたから断られるかもしれないと思ったのだけれど……貴女って人が良いのねぇ」   

 ここ十年、聞き覚えの無い誉め言葉にどう反応すればいいのか分からなくなる。

 手の内を一部見せるという判断を下して一早く信頼関係を築けそうな状況に持ってこれたのは、ひとえに他者との繋がりを深めようと意識し始めたおかげか……少なくとも、悪い気分にはならなかった。


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