エピローグ
何とか11月中に第一章の投稿が終わりました!
「それで、何か言い残すことはありますか?」
「ちょっ!? これは流石に洒落にならんのじゃが!?」
幼くも妖艶でミステリアスな雰囲気が台無しになるとは正にこの事。
帰って来るや否や泣きながら抱きついてきた娘二人に困惑したシャーリィは事の顛末を知り、すぐさまギルドへ強行。
逃げ出そうとしていたカナリアは縛り上げられ、木の枝から逆さ吊りにした状態。その下にグラグラと音を立てる煮え湯で満たされた、災害時用の巨大鍋を設置していた。
「あっつぁっ!? もうちょっと縄を短くできぬのか!? 湯気だけで熱いんじゃが!?」
「別にこの程度で死にはしないでしょう? まさか娘まで巻き込むなんて……!」
「やめて! 剣先でツンツンしないで!」
手に持つイガリマとシュルシャガナの刃先で縄を突いたり、刃をトントンと当てたりして怒りを露わにするシャーリィ。
ちなみに、カナリアお得意の空間魔術で逃げようとしても無駄である。魔術発動の際に生じる魔力の流れを異能で見極め、断ち斬られてしまうからだ。
「とんだ二重契約ですよ、これは。一体何をさせるつもりなのです? 事と返答によっては……」
いっそのこと、このまま煮え湯の中に沈めてしまいたいところだが、カナリアの助力で授業参観に出られるのだから弁解の余地を与えることにした。
「た、大したことはさせぬ! 妾が新しく立ち上げるメイド喫茶なるもののモデルになってもらいたいと思っておっただけなのじゃ!」
「メイド喫茶?」
メイドと喫茶店。この二つが合わさっただけで奇妙な聞き覚えの無さを感じる造語にシャーリィは首を傾げる。
「いやな? 最近王都の貴族邸や王城に勤める平民の男共が「メイドに奉仕されたい」という願望を抱いておるようでのぅ。気になって調査してみれば、どうやら最近の王都に住む平民の男はメイドに憧れておる様子。そこで妾は新企業として平民の男の願望を叶える店を王都に構えて一儲けするつもりなのじゃ」
「はぁ……」
そういう願望を抱いた男性をいまいち理解……と言うよりも、共感できないシャーリィ。
生まれてから十九年間、身近にメイドが居る環境で過ごしてきた彼女からすれば、一体何が良いのか理解できないが、平民で男性だからこそ共感できる嗜好なのだろうと、無理矢理納得する。
「まさか、私と娘たちにその広告兼テストケースになれと?」
「その通りじゃ! 見目麗しい娘が三人くらい欲しいと思っておってのぅ……髪の色が同じなのがネックじゃが、あくまで新店のイメージを掴む為のテスト其の一じゃから、別に問題ないじゃろう。丁度後日、竜の群れの討伐を祝した宴を企画しておるし、その場で給仕をしてくれれば良いのじゃ!」
群れの中央を叩いたシャーリィが給仕に回るというのは何ともおかしな話だが、本人としては宴そのものには特に興味が無いので問題ではないが、シャーリィは難しい顔をして唸る。
正直、如何なる理由があってもソフィーとティオを騙して要らぬ心配をかけたことを許すつもりはないが、接客業の体験と言うのも得難い経験となるのではないかと言う考えがない訳ではない。
ただ甘やかすだけ、身の回りのこと全てを親がするのが教育ではない。時に子供にも働かせるのが本当の教育というのが、シャーリィの持論である。
とはいっても娘が騙された結果による状況。どうしたものかと思い悩んでいると、カナリアは陸に揚げられたエビのようにビッタビッタとのたうち回りながら喚いた。
「そもそも、お主らは既に契約書に判を押したのじゃ! 子供だからと言って、契約違反の理由にはならぬぞ!?」
「まぁ……改めて事の顛末を話した上で、娘たちが納得した上でなら私も認めましょう。……詐欺師紛いの行動には納得いきませんが」
「そうじゃろう、そうじゃろう! さぁ、分かったならこの縄を解いて――――」
バキッ!
この時、不吉な音を立てて枝が折れた。元々枯れていたこともあって、暴れるカナリアに耐えきれなかったらしい。
「「あ」」
間の抜けた声が二重で響く。
ドボーンッ! という音と共に世界経済に覇を唱える《黄金の魔女》は熱い飛沫を豪快に巻き散らすこととなった。
魔女の煮込み鍋が完成し、具材が絶叫と共に鍋から逃げ出した翌日。
ゴホンッ! と、火傷一つ残さず肉体を復元させたカナリアは、ジョッキを片手に今か今かと待ちわびる冒険者たちを前に、空中に浮遊して音頭を取る。
「皆の者! 良くぞ竜王の軍勢を退けてくれた! これは妾からの細やかな祝い……今宵は思う存分に飲んで喰らって歌うが良い!!」
勢い良くジョッキを冒険者たちに突き付け、宴は始まる。
「お主らの勲に! 先陣を切った《白の剣鬼》に! これからの冒険に! 乾杯じゃああっ!!」
『『『乾杯ォォォォオオオオッ!!!!』』』
残る二方向から襲来する竜王の群れは、英雄超人の集まりである冒険者たちによって見事撃退される。
その知らせを受けた辺境の街の冒険者たちは、他の地よりも一足早い宴をタオレ荘の食堂を貸し切って開いていた。
異界を創造するという規格外の大魔術により思いの外犠牲者は少なかったが、居なかった訳ではない。
軽傷で済んだからこそ宴に出席する者も居れば、重傷で今なお意識が戻らぬ者も、戦いの果てに鬼籍に入った者も居る。
だからこそ、冒険者は祝うのだ。騒がしい祭囃子が眠れる輩を目覚めさせるものだと信じて。
だからこそ、冒険者は歌うのだ。合わせる気の無い合唱が、天の女神の元へ召された同胞に勝利の勝鬨となって伝わると信じて。
「さぁ、宴には酌をしてくれる麗しい娘が必要不可欠と言うもの。今日の日の為、妾はあのガードの硬い連中に給仕をやらせるよう取り計らったのじゃ!」
最初の一杯目を乾杯と同時に飲み干した冒険者たちの前に現れたのは、天使や妖精を思わせる幼くも麗しい双子の姉妹。
膝上程の丈しかないエプロンドレスには袖が無く、背伸びをさせるヒールとしなやかな四肢を包むニーソックスにロンググローブと言う、貴族が知っている物とは明らかに違う、言うなればウェイトレス服に近いメイド服で現れたのは、《白の剣鬼》の掌中の珠であるソフィーとティオの二人。
……なのだが、その表情は接客業には向かないゲンナリとしたものだった。
「うぅ……騙された! 騙されたよ!? なんか変にシリアスな雰囲気と無駄に巧みなセリフに騙されたっ!!」
「……あの時の不安とか心配とか、色んなものを返して欲しい」
平然と帰ってきた母がこちらの様子を見てキョトンとした顔を浮かべたのも記憶に新し過ぎる。
とはいえ、約束は約束。非常に……非常に納得できないのだが、一度契約書に判を押してしまった以上、その責任は果たさなければ。
『やべぇ……ガキに興味なんざ無かったはずなのに……!』
『妹と同い年って聞いたんだけど……変な趣味に目覚めそう……』
『膝の上に乗せて頭撫でたいわぁ』
『お家の住所を教えてくれたらオジサンがお小遣いを上げよう』
一方、そんな双子の心境などいざ知らず、可愛らしく着飾った美少女たちに骨抜きになる冒険者たち。
思わず女の趣味を変えられてアブノーマルな性癖に目覚めたり、素直に称賛したりと好評である。
……ちなみに、最後の台詞を宣った冒険者が四方八方から殴る蹴るの暴行を受けているのはどうでもいい話だ。
「そして今夜の主役! 竜の王を屠りし我らが冒険者ギルドが誇る最強の女剣士! しかして今宵は諸事情あって、給仕の衣を纏いて皆を労い奉仕するのは、《白の剣鬼》シャーリィィィィイイッ!」
宴の雰囲気でテンションが可笑しなことになり始めたカナリアの声に、その場にいた冒険者一同は一斉に廊下に繋がる入り口に視線を向ける……が、何時まで経ってもシャーリィは現れない。
一様に首を傾げる彼らを代表するように、カナリアは入り口を潜ってすぐに右へ曲がると、何やら揉めるような声が聞こえてきた。
『ほら、主役なんだから何時までもモタついてないでとっとと行きな!』
『お、押さないでください、マーサさん……! 幾らなんでも、このような格好で人前に出るなど、一生の恥です……!』
『大丈夫! 似合ってるからさ!』
『そ、そういう問題では……!』
『何をやっとるんじゃお主ら』
『あぁ、カナリアさん! 実は着替えたのは良いけど、この子ときたら人前に出るのを恥ずかしがっちゃって』
『ええい、まどろっこしい。いいから早く来るのじゃ!』
『ちょっ――――!?』
カナリアの転移魔術を対処する余裕もなく、突然食堂へ放り込まれたシャーリィの姿を見て、その場にいた者全てが瞠目する。
「や……!? み、見ないで……くださぃ……!」
種類としては、メイドの基本であるエプロンドレスなのだろう。しかしスカートの丈は娘の物よりも短く、下着が見えてしまうのではないかと疑ってしまうほど。
露出された悩ましい太腿はガーターベルトによって強調され、くびれた腰回りの部分は白い肌と小さな臍を露出。
そして何より目を引くのは、溢れんばかりに強調された谷間が露出した豊かな胸元だろう。少し身動ぎするだけで蠱惑的に揺れる偉大な山脈は男女問わず、様々な理由で目を引き付けられる。
「マ、ママママ、ママ……!?」
「……どうしたの、その格好」
右手でスカートを下に向かって引っ張り、左手で胸の谷間を隠しながら縮こまって白い肌を真っ赤に染める母を見て、娘二人は何かイケない禁断の扉を開こうとしていた。
「ち、違うのです……! これはその……こういう服だとは思わなくて……あの……えっと……!」
普段の不愛想で毅然とした態度は何処へやら。娘からも白い眼で見られていると思い込んだシャーリィは、しどろもどろになりながら必死に弁明しようとする。
始めは露出が少ない貞淑と忠誠を現したかのようなエプロンドレスを想像していたのだが、用意されたのは露出過多なカスタムメイド服。
公然での過度な露出ははしたないものであるという価値観を持つ彼女からすれば、今この服を着ている自分が恥ずかしくて仕方がないのだ。
『な、何だ? この胸の高鳴りはよ……!』
『お、落ち着け! 相手はあの不愛想で有名な剣鬼だぞ!?』
『子持ちで三十路だぞ!?』
『でもアイツ半不死者で見た目十代だし、娘二人も超可愛いし』
普段の澄まし顔や不愛想な態度とは全く違う、恥ずかしがって薄っすらと涙すら浮かべるその仕草は同性すらも魅了し始め、食堂には不穏な空気すら流れ始める。
「何時までも縮こまるでない! お主らには是非ともやって貰わねばならぬ事があるのじゃ!」
露出部分を隠すのに必死で掴むその手を振り払う事も出来ないシャーリィを無理矢理立たせて、カナリアは辺りを見渡す。
そして目が合ったのは、先ほどからシャーリィの姿に釘付けになっている駆け出しの冒険者、カイルだった。
「おい、そこなEランク……確か、カイルといったかのぅ。ちょっとこっちへ来るのじゃ」
「……え? ぼ、僕?」
ニヤリと、まるで玩具を見つけたような目で見られたカイルは白髪母娘の前に立たされる。
「さぁ、妾が教えた通りに言うのじゃ」
「えぇ!? ほ、本当に言わなきゃダメ?」
「流石にちょっと……恥ずかしいかな」
一体何が始まるのかと緊張で身を固くするカイルだったが――――
「えっと……お、お帰り」
両手を胸の前で組み、恥じらいで潤む瞳で見上げるソフィーに。
「……なさいませ」
やや恥ずかしそうに肌を染めながら、気ままな猫を思わせる仕草でそっぽを向くティオに。
「……ご、ご主人……様……!」
恥じらいの割合が強すぎて全く迫力の無い赤い顔で睨んでくるシャーリィに、カイルは心臓を貫かれた幻覚を見る。
そのまま蹲り、幸せそうに悶えるカイルだったが、邪魔だと言わんばかりにカナリアに尻を蹴り飛ばされる。
……それすら気にした様子もなく、変わらず悶えていたが。
「さぁ、次じゃ! 次は膝の上に乗って「あーん♡」をしてもらおうかのぅ!? それとも、「美味しくなーれ♡」の呪文が良いか!?」
「なぁ……!? …………っ!!」
「そ、そんなの聞いてないんだけど!?」
ガタタッ! と、男共が一斉に腰を浮かせる。
カナリアの突拍子もない発案にシャーリィは顔を更に赤く染めながらブンブンと顔を左右に振り、ソフィーとティオも難色を示す。
甘ったるい恋人同士でもあるまいし、普通の女性ですら恥ずかしい事を親しくも無い相手にやれなどと、シャーリィにはハードルが高すぎた。
「ふははははははは! 抵抗は無駄じゃ! 今宵のお主らの人権は妾が買い取った! 我先にと思った者は名乗りを上げよ! この母娘に好きなご奉仕をさせるが良いわぁっ!」
そんな最低なセリフに冒険者たち(主に男)が挙手しようとした瞬間 カナリアの肩を何者かが叩いた。
「えぇい、何じゃ!? 今は良いところ――――」
「随分楽しそうね、お婆ちゃん?」
満面の笑顔なのに目は一切笑っていないユミナを見て、最強の魔術師である《黄金の魔女》の顔は真っ青な恐怖に染まる。
「バ、バカな……!? き、貴様は今ギルドに缶詰め状態のはず……!?」
「えぇ、どこかの誰かさんが何の前触れもなくBランク以下の冒険者さんたちを動かしたしわ寄せが全部事務員にきた所為で支部長の薄い髪がごっそり抜けたのは非常に爽快……じゃなくて、すっごく大変でしたけど、何とか終わらせてこっちに来ました。それはそうと、ちょっとこっちに」
「ぬわっ!? は、離せ!」
お婆ちゃんという呼び名から察せられるように、ユミナはカナリアの血族だ。
見た目が幼くても実年齢は千歳以上、子供も居れば孫も居る。もはや遠い先祖と言ってもいい魔女の頭の両側に生えている黒い角を鷲掴みにして持ち上げると、受付嬢は廊下の方へと消えた。
『や、止めるのじゃ! な、何をする気なのじゃ!? さてはお主、妾に乱暴をする気じゃな!? エロ小せ……あっ!?』
カラン。カラカラカラ……。
乾いた音を立てて食堂に転がってきたのは、無残に折られた黒い角。
子孫に連れ去られた最強の魔女の身に一体何が起こったのか、それを知る者は誰も居なかった。
それはさておき、宴は恙無く続いていた。
ドワーフの戦士や巨漢の戦士と飲み比べをして同時に倒れるクードとレイア。
酔い潰れた二人を隅に寄せたタオレ荘の経営者夫婦の作る料理を忙しなく運ぶソフィーとティオ。
そんな双子を事ある毎に呼び寄せてはだらしなく鼻の下を伸ばす真正の変質者に殺気を飛ばすシャーリィ。
娘へのセクハラ防止と給仕に大忙しのシャーリィに酌をさせて満足気なバスタードソードを背負うBランク冒険者。
食堂の隅に置かれた見覚えのある黒い角が突き出ているゴミ袋に関しては……ユミナが怖いので誰も口に出さなかった。
「ふぅ……」
宴も終盤に近づき、ようやく一息付けたシャーリィは食堂全体を見渡せる壁際にもたれ掛かる。
今回の戦いで得た物は大量の金貨、功績に対する称賛はどうでもいいと思って給仕に参加したが、思った以上に色々と疲れた。
格好に関しては途中からもうヤケクソになっていて気にならなくなってきたが、もう二度と着ないと心に固く誓う。
だってこんな露出が多い服、自分の性に合わないし……と、他人の評価も知らずに。
「お疲れ様です、シャーリィさん」
そんな時、あのまま宴に参加したユミナがワイングラス片手に、シャーリィの隣で同じように壁にもたれ掛かる。
「ごめんなさい、お婆ちゃんが随分目茶苦茶したみたいで」
「いえ……結果的にはこちらの望みも叶いましたから。……ですが」
シャーリィは自分の姿を見てから重い溜息を吐き、痛そうに額を片手で抑える。
「こんな年甲斐もない露出過多な服装で人前に出る羽目になるとは思いませんでしたが……!」
「それは……本当に、申し訳ないです。でも本当に似合ってますよ?」
「年齢的にキツいのですが……!」
シャーリィの感性からすれば存在すること自体あり得ないが、こういうフリフリした露出の合う服は、もっと年若い女性が着る服だ。
少なくとも三十路の中年が着たところで「無理するな」といったところ。外見年齢の若さなど、この際関係が無い。
「カナリアの言う事ですから、何かあるとは思ってましたけど」
「うぅん、他の冒険者さんからすれば良くやったといったところなんでしょうけどね」
ふと、会話が途切れる。気まずさからではない、突如訪れる空白を喧騒が埋めていた。
「……少し気になったのですが」
二人の間に広がっていた静寂を最初に破ったのは、意外な事にシャーリィだった。
「なぜ彼らは竜の群れとの戦いに赴いたのでしょうか? 幾ら大金が貰えるからと言って、憶測推測だらけの勝算で戦場に来るとは思えないのですが」
宴の最中にそれとなく聞いてみたが、皆口々に大金の為だとか、普段澄まし顔のシャーリィに酌をさせるためだとか、どうにも本音の部分を隠しているような気がしてならない。
一番あり得そうなのは竜退治の栄誉を手にするという動機だが、それでも何故かしっくりこない様子のシャーリィに、ユミナは苦笑いと共に答える。
「あぁ、それはきっと……皆さんは貴女と一緒に戦ってみたかっただけなんだと思います」
その言葉を、シャーリィはただただ呆然と受け止めた。
「どういう事です? 私は他の冒険者からの評判は悪いと思っていたのですが」
「そうですね。シャーリィさん何時も不愛想ですし、十年前の登録時に色々やらかしたらしいですし」
それでも……と、ユミナは満腹になって尚騒ぐ冒険者たちを見ながら告げる。
「協調性がない訳でもありませんし、貴女の強さは誰もが認めるところ……《白の剣鬼》の異名がその証じゃないですか。損得や浪漫、色んな理由はあると思いますけど、そんな凄い冒険者と肩を並べて戦ってみたいっていう人は多いんですよ? 実際、私もよくシャーリィさんからのパーティ要請は無いのかって聞かれますし」
素直じゃない人が多いから本人前にして口にはしないんでしょうけど。
そう言って、ユミナは空になったグラスを持ってシャーリィに背を向ける。
「それじゃあ、私はこの辺でお暇させてもらいますね。明日も仕事ですから」
颯爽と去っていく受付嬢を見届け、シャーリィはぼんやりと娘と戯れる冒険者を見た。
娘以外に関心が無かった。そんな女が他者から関心を持たれるはずが無いと、そう思い込んでいた。
もし関心を持つ者がいたとしても、それは邪な感情を持って近づいてくるかもしれないから、娘を守るという意識が強すぎて寄せ付けようとしなかった。
「ようやく鬼が去ったか……イテテ、あ奴め……容赦なさ過ぎじゃろ」
これまで関心を持たなかった冒険者たちの事を考えていると、ゴミ袋から出てきたカナリアが折れた角を接着剤で治しながら近寄ってきた。
「で? お主は何をぼうっと見ておる?」
「カナリア……最初から疑問に思っていたことがあるのですが」
「何じゃ?」
「何故今回、授業参観を延期ではなく、増援という形で私の望みを叶えたのです?」
学校理事であり、運営支援を一手に引き受けるカナリアなら延期も可能だったはずだ。むしろそうした方が、余計な出費を抑えられたはずなのに、そうしなかったのは何故なのか?
合理では動かず、己の快楽と愉悦の為に動く魔性の存在ではあるが、大局を動かすのに無意味な行動をしないのがカナリアと言う魔女。
大義にせよ、些細な理由にせよ、人が足掻く様を見て笑うような理由ではなく、何らかの意図があるのではないかと、彼女の子孫の話を聞いて何となくそう思ってしまった。
「別に大層な理由などありはせぬ。単なる感傷じゃ。……お主ならば、妾が見れなかった光景を見る事が出来るのではないか……そんな勝手な期待を押し付けただけの……何時もの我が儘じゃな」
ニヤリと、魔女は嗤う。
「じゃがこのままでは破綻する……そう思ったからこそ、妾が割り込んだ」
「……理由を聞いても?」
「じゃってお主、娘御らを無事育て終えたら虚ろになりそうじゃったし」
それは、紛れもない事実だった。
その日その日、娘の将来だけが心配で、娘だけを生き甲斐にして自分の事など一切顧みなかったシャーリィ。
このままソフィーとティオが無事に独り立ちし、共に歩む何者かが現れれば、きっと自分は抜け殻のような存在になっていただろう。
「だがそれではいかぬ。その様な空虚な修羅道、全く面白味がない」
「他人の人生まで自分の意に添うように……ですか。相変わらずですね」
「無論じゃ。妾は《黄金の魔女》……万象一切を思うがままにせねば気が済まぬ」
この魔女は昔からそうだった。やることなすこと自分本位で、周囲に多大な迷惑をかけておきながら、何故か大抵の事を上手く運んだり、下らないことで痛い目を見たりと、まるで運の女神にでも愛されているかのような出鱈目な存在だった。
「故に、まずは冒険を楽しめよ、小娘。たった一人ではなく、仲間との冒険こそが我らの醍醐味なのじゃからな。そして何時か、自分の新しい生き甲斐を見つけるが良い。己を幸せに出来ぬ者に、我が子を幸福へ導くことなど出来ぬのじゃからな」
「……カナリア……」
「まぁ? 一番の理由はメイド喫茶とお主の恥辱に耐える姿を嘲笑う為なのじゃがな! ぬはははははははははっ!!」
「私の感動を返してください」
なんか、もう、色々台無しである。
(しかし……そうですね。冒険者とは、そういう者でしたね)
かつて、か弱い令嬢であった頃の事を思い出す。
権謀術数と愛憎に溢れた社交の末に、冤罪と裏切り、不実と不義をまざまざと見せつけられたあの日から、腹の底では何を考えているのかが分からない他人を信じることを嫌っていた。
しかしそうした腹黒い貴族社会とは正反対に報酬と浪漫、未知と勲さえあれば全て良しと言える粗暴で適当な冒険者の相手は、極めて気楽であると気づかされる。
「ママー! マーサさんが記念撮影しようだって―!」
「お母さん、早く」
「ええ、今行きます」
喧騒の中心へと足を踏み出す。
もちろん、全ての冒険者が裏表のない存在だとは思わないし、これからも猜疑心は拭えないだろうが、報酬とロマンがあるのなら信用してもいいかもしれない。
これからも万事何事においても娘を優先することは変わらないし、何があっても変えられないが……もし、冒険と戦いの末に、こんな陽気な喧騒と楽しそうに自分の手を引く愛娘たちが居てくれるのなら。
――――冒険者業も、苦にはなりませんね。
冒険者たちは瞠目し、そして顔を見合わせて豪快に笑う。
毅然にして不愛想、鉄面皮にして睨むような二色の眼が特徴の剣鬼は、誰の目から見ても分かるほどに笑った。
「では着替えてきますので、少し待って貰っても」
「「……ダメ」」
皆さんのざまぁを望む声が、カナリアを殺したのです(死んでない)。




