開戦
今更なのですが、ここで捕捉。
ボノボという猿は実在します。決して語感がいいから適当に付けた名前ではありませんので、悪しからず。という訳で投稿しました、お気に召しましたら評価してくださると幸いです。
「持ってきましたよ」
「おお、これは重畳」
首から血が滴るバッドボノボの死体をアステリオスに渡すと、シャーリィとクードが死体を調達している間に作っていたと思われる簡単な造りの十字架に磔にし、地面に描かれた魔法陣の中心に突き立てられた。
「これで吾輩の準備は完了。後はお二方が戻ってくるのを待つだけですな」
「そう言えば、アイツらはどこ行ったんだ?」
この場に居ないカイルとレイアの二人の行方を尋ねるクード。アステリオスは鉱山の正面に突き立てられた聖釘を指差しながら答えた。
「お二方には山の四方にコレと同じものを設置してもらいに行っております。もうじき戻ってくると思いますが」
「お待たせー!」
そう言い切らない内に、カイルとレイアが戻ってくる。
「お二方、準備は終わりましたかな?」
「はい、何時でも行けます」
満足げに頷いたアステリオスは軽く切れていた二人の息が整うのを待ち、鐘を鳴らす。
アンバランスな砂時計に似た形に形成される光の障壁は鉱山と一行を包み込み、大規模な結界を張ったにも拘らず疲労した様子の無いアステリオスにシャーリィは感心する。
「少し手間がかかるとはいえ、簡単な準備だけで鉱山丸ごと覆い隠す大結界……それを短い音色だけで展開するとは」
「規模の小さな結界であれば、無詠唱でも可能ですぞ。では、始めましょうか」
作戦の開始を告げる声にEランク冒険者たちの間に緊張が走る。
「《座標・固定》」
二節の詠唱をアステリオスが唱えると、地面に突き立つ聖釘が光を発すると同時に、魔法陣から吹き上がる青白い炎がバッドボノボの死体を炙っていく。
「《宝の山の狂猿たち・誘蛾の粉をその身に浴びて・遺骸の元へいざ来たれ》!」
得意の魔術だからこそ短い暗示で発動できるが、専門外の戦略魔術はそうはいかない。
三節で区切った詠唱を確固たるイメージと共に唱えるやいなや、鉱山全体を震わすかのような怒りの咆哮が響き渡る。
「うわぁっ!? き、来たっ!」
怒涛の勢いで鉱山からこちらに向かってくる黒い雲霞……否、あれは全て怒り狂うバッドボノボの群れだ。
人に最も近いとされる知恵ある魔物とは思えないほど、我先にと殺気を宿す血走った眼でパーティに突撃する狂気の猿たち。
戦略魔術、《ヘイトエリア》は魔法陣で炙られる生物の〝仲間〟の敵対心を煽り、正気を奪ってから術者の元に殺到させる魔術だ。
指定した範囲内全てに影響を与えるこの魔術は、バッドボノボやゴブリンのような知恵が回るが魔力に対する耐性が低く、群れで行動する魔物に対して極めて有効だ。
人同士の戦争でも度々使用されるこの魔術。敵が一ヵ所に集まるという効果は一見自ら不利な状況に追い込んでいるようにも見えるが、正気を失ったまま群れで突撃した先に罠が待ち構えているとしたら、これほど恐ろしい魔術はそう無いだろう。
「ギャウッ!? グロロロロロッ!!」
砂時計の様な結界は、バッドボノボたちの通り道を集中させるためのもの。
蜂の腰状になった狭い通り道に密集する猿たちは、互いを踏み潰し合いながら憎き術者の元へ殺到する。
やっとのことで一番先に通り道を抜けたのは若い個体だった。片腕が可笑しな方向にねじ曲がった状態でもなお、怒りを眼に宿して目の前の人間に跳びかかるが――――
「でりゃああああっ!」
「ギャブ……っ!?」
棍棒の一撃が脳天を捉え、釘による簡易なスパイクが頭蓋を穿つ。
もはや彼らには道具を使う、魔術を行使するといった方法でこの状況を突破するという知性は残ってはいない。
敵の元に辿り着くよりも先に味方に踏み殺されるか、動くのに支障をきたすほどの損傷を受けた状態で通り道を抜けるか。
「ギャギャギャッ!!」
「グォオオオオッ!!」
「ギャウッ! ギャウギャウッ!!」
それでも最早痛みなど感じないのだろう。牙と爪を剥き出しにして、三体のバッドボノボが敵の喉笛を引き裂かんと跳びかかる。
「ぬぅうんっ!!」
戦斧による横一文字の一撃。三体同時に上半身と下半身を泣き別れさせられ、血の雨がアステリオスに降り注ぐ。
戦士の一族で知られるミノタウロスの凄まじい膂力で敵を屠り、強固な結界によって味方を守り、敵の動きを阻害するその姿は、まさにAランク冒険者に相応しい貫禄と言える。
「グォオオオオオオオオ!!」
「ギャギャウッ!!」
しかし、通り道を抜けてくるのは必ずしも深手を負ったバッドボノボだけとは限らない。
折り重なり、潰し合うように進む猿たちの一番上を通って無傷の個体が二体、本来の俊敏性をそのままに頭上から襲い掛かる。
「おいおい! 無傷なのが来たぞ!」
「任せて!」
例え弦を引く腕の力と長さが無くても、エルフの血を引く者は総じて射に優れる。
連射機能が取り付けられたクロスボウから放たれるのは銛の様に引き抜きにくい特性がある返しが付いた二本の太い鉄矢だ。
寸分違わず命中。しかし鉄矢が突き刺さったのは胴体だ。射られた反動で背中から地面に落ちる二体の猿だが、その程度の傷で立ち止まる精神状態ではない。
すぐさま起き上がり、矢を射た本人であるレイアに襲い掛かろうとするが、彼女は逃げずにただ一節だけ唱えた。
「《K》!」
鉄矢が炎と共に爆裂し、バッドボノボの上半身が弾け飛ぶ。
エルフには古来より弓術と共にルーン魔術という、二十四の魔術文字を媒体に一節で様々な効果を発揮する魔術が伝わっている。
彼らは鏃に予めルーン文字を刻み、射抜く事でその力を発揮するが、レイアの矢も原理は全く同じ。
ルーンという爆弾とも毒ともいえる力を敵の体に埋め込み、一節でそれを炸裂させる森の戦闘民族エルフの技、その血を引いたハーフエルフの魔弓術である。
「そんなチマチマ倒してる暇があんのかよっ!」
そんなレイアに負けじと続くのが、地属性魔術で迫る数を増やすバッドボノボを足止めするクードだ。
古今東西、数多くの魔術が存在するが、こと戦闘に置いて最も扱い易く、効果的な魔術があるとするならば、それは大地の形を自在に変化させる地属性魔術の他に存在しないだろう。
「《地形・変革・針山》!」
地面から広範囲に突出した小さな岩の杭の山が迫りくるバッドボノボ三体の足の裏を抉り、転倒すれば全身を傷つける。地属性魔術の初歩、《ニードルフィールド》だ。
戦闘中に足場となる地面の形を自在に変えられる。これだけで大地の上を歩き回る生物はその機動力を奪われると同時にダメージを負ってしまう。
「あとは任せた!」
「了解!」
そうして動きを封じられたバッドボノボに止めを刺すのはカイルの《ファイアーボール》やレイアが頭を目掛けて射る鉄矢だ。
吹き荒れる炎。斬るというよりも破壊を旨とした戦斧の一撃。目まぐるしく変化する地面と飛び交う鉄の矢の中でアステリオスはシャーリィに向かって叫んだ。
「ここは我々に任されよ。竜が下りてくる前にシャーリィ殿は巣がある山頂へ!」
この戦場は、あくまで前座に過ぎない。本命が座すと予測した鉱山の頂をシャーリィは睨み、この場は任せて大丈夫かと目を配らせる。
「流石にドラゴンの相手とかゴメンですから! 後はお願いします!」
「正直、戦ってみたくはあったんだけどね!」
「テメェは黙ってろ、このクソチビ!」
順調にバッドボノボの数を減らしていくパーティの言葉を受け、シャーリィは無言で頷く。
両手に剣を握った《白の剣鬼》は天井の無い結界よりも高く跳躍し、バッドボノボが密集する通り道を跳び越えて、着地と同時に間合いの内側に居た猿共の首を残さず刎ね飛ばした。
噴水の様に飛び散る鮮血を浴びるよりも先に山頂に向かって駆け出し、進路上に居るバッドボノボの首が宙を舞う度に、彼女が通った後には真っ赤な華が咲き乱れる。
血脂で切れ味が落ちた剣は通り過ぎざまに投擲して頭蓋や喉、心臓に突き刺し、また新たな剣を握ってバッドボノボの大群を一直線に突き抜ける姿を結界越しに見て、レイアは愕然と呟いた。
「ちょっと誰さ。あの人が弱そうとか言ったの」
「それはお前だろ。ていうか敵を見ろ敵を! 次々来るぞ!」
短剣で喉笛を切り裂き、体重の軽いバッドボノボの死体を鈍器や盾代わりにしながら叫ぶクードに「分かってる!」と怒鳴り気味に言い返して、レイアは猿共に次々と鉄矢を撃ち込んだ。
ジュエルザード鉱山にはドラゴンのような巨体が入れる洞窟は無く、プライドの高い魔物なら鉱山全体を見下ろす事が出来る山頂に巣を構えるだろうという推測は正解であったと、シャーリィは確信する。
山頂に近づくにつれて、バッドボノボの姿は見えなくなってきた。山下を見下ろせば広がる黒色の殆どが猿の体毛だとするならば、アステリオスの目論見通り鉱山中のバッドボノボが下山しているのだろう。
山頂を除き、生物の気配を感じられない岩が切り立つ鉱山を風のように、あるいは舞うような軽やかな足取りで汗一つ掻かずに駆け上がる。
(それにしても、山頂に近づくにつれて増していくこの圧力……存外、大物かもしれませんね)
肌を刺すような覇気という言葉は、あながち比喩とも言えない事をシャーリィは知っている。
弱肉強食がものを言う野生において、生態系の覇者たちが放つ烈気は真実肌に感覚として伝わってくるのだ。
山頂で待ち構える竜の力量は果たしてどのくらいか。かつて相対した山岳に住み着いた黒龍か、あるいは王都に現れた吸血姫と似たような威圧を感じ取る。
(現在、午前八時……順調と言っても差し支えはありませんね)
懐から懐中時計を取り出し、満足げに頷く。この分なら予定通り、明日中に娘と一緒に夕食を食べられそうだ。
これで猿とドラゴンを同時に相手にしながらだったら、下手すれば街に帰るのに三日を越えていたかもしれないと思うと、パーティで挑むというのは悪い事ではない気がした。
…………もっとも、今後も組むかどうかは分からないが。
「っと、着きましたか」
瞬く間に山頂に辿り着いたシャーリィは、岩を寄せ集めて出来上がった竜の巣、その中央で腹這いになっている巨体を見上げる。
体の大きさとしては、以前戦った地竜と同じくらいか。しかし周囲に撒き散らす余剰魔力は比べ物にならない量で、それ以上の違いがあるとすれば全身を覆う二対の翼。
そして何より特徴的なのは、ドラゴンにとって権威の象徴である宝石の様に光輝く角。
『ほぅ……猿共の様子がおかしいと思えば、これは貴様らの仕業か?』
加えて、まるで文化の違う人の言語すら解するその知能。詳細が分からなくても、シャーリィにはこの個体がどういう存在なのか大まかに理解できた。
「古竜ですか」
『ククク……如何にも』
唯一絶対の存在である龍神を除き、実質上ドラゴンの階位の中で二位に君臨する上位種、それが古竜である。
悠久の時を生き、力と共に膨大な知識を溜め込む彼らはSランク冒険者が率いるパーティで相対してようやく倒せるという。
それほどまでに強大な敵を前に、一人立ちはだかるBランク冒険者。肩書だけを見れば勝負にならない戦いの前触れでしかない。
『それにしても、人の術に踊らされるとはものの役にも立たん猿共よ。多少知恵が回るとはいえ、所詮は貧弱な種。我が傘下に加えるには力不足であったか』
鼻を鳴らしながら酷薄に言い捨てる古竜。高位のドラゴンにとって、自分たち以外の種族は取るに足らない存在だ。
前足に力を込めて巨体を持ち上げるその姿は英雄譚から飛び出してきたかのような威容に、並の戦士ならば畏れて身動き一つとれずに粉砕されるだろう。
『だがよかろう、矮小なる人間よ。ここまで辿り着いた褒美として、この西のり――――』
朗々と語るその言葉は、最後まで言い切ることは出来なかった。
「敵を前にして何時までも独り言に興じるとは、随分と余裕ですね」
ピッという音が太い首元から聞こえ、続いて体重を感じさせない軽やかな着地音。
ゴボゴボと血泡を口から吹く古竜は、今しがた自分が何をされたのかも認識できずに瞠目する。
気付かぬ内に自身の斜め後ろに移動していたシャーリィに、喉笛から噴き出る大量の血液が意味することを、古の竜は数秒考えた。
「御託は結構。生憎興味の欠片もありませんので」
剣を振って血を払うのではなく、血脂に塗れた剣を消してから新しい剣を出現させるシャーリィ。
首筋に通る太い血管を残さず切断されるという文句なしの致命傷。大量の血液を体外に放出させられ、グラリと傾く巨体を《白の剣鬼》は一切の油断なく、戦闘態勢を維持しながら青と紅に輝く二色の眼で睨みつけていた。




