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野営の一幕



「っくち」


 可愛いクシャミが出た。

 時にそれは古くから遠くの誰かが自分の噂話をしているという天空の女神の知らせという言い伝えがあるが、シャーリィはそんなものは特に信じてなどいない。

 ただ何故か知らないが、未半刻の少し前からどうにも嫌な予感がする。根拠もないのだが、まるで明日いきなりテストすると言われて勉強を見てくれる大人がいない娘が家で困っている……そんな感覚だ。


(くっ……ここは今すぐ戻るべきか……いいえ、そんな事をしてただの杞憂だったら……うぅ、私はどうすれば……!)


 そんな事を考えながら難しい顔をして天を見上げるシャーリィの両手には川で汲んだ水で満たされた水袋。


(シャーリィさんがあんな儚い表情を……きっと僕の理解に及ばない悩みがあるに違いない)


 そんな傍から見れば深刻な感傷に浸っている彼女を見て、偏見と誤解を重ねるカイルは両腕一杯に枯れ木の枝を抱えている。


「お二人とも、こちらの準備が整いましたぞ」


 拳大の石を円形に置いていくアステリオス。


「ねー! 乾物ってこのくらいでいいの―!?」


 鍋に干し肉や乾燥豆に干し野菜を入れ、調味料片手に問いかけるレイア。


「うぇ……気持ち悪ぃ……吐きそう……」


 リュックを枕にして青い顔で地べたに寝転がるクード。 

 

「えぇ。さっそく食事を作りましょう」


 朝から晩まで休憩を挟みながら移動し続け、ジュエルザード鉱山を目前に控えた荒れ地でキャンプの準備を進める一行。

 暗闇は敵だ。夜に山で魔物退治を行うなど論外として、今日はこの場で一晩を明かすことに決まった。

 戦車(チャリオット)を引っ張ってきた騎乗竜(ランギッツ)がエサ皿に口を付けて肉や干し草を食んでいる隣で、カイルがアステリオスの指示を受けながら火打石を駆使して、運んできた枯れ木に火をつけていた。  

 魔術で焚火の火を起こす者は三流だ。無論時と場合にもよるが、魔物の領域である街の外での野営では、魔力は生き延びるためにのみ使用し、少しでも温存しなければならない。


「カイル殿はもう痛みが引きましたかな?」

「ええ……何とか問題なく動ける程度には」


 戦車に揺らされて何度もぶつけた尻を擦るカイルは、次戦車に乗る時は尻にクッションを敷くことを固く決意する。


「あ~……ようやく酔い覚ましが効いてきた……」

「あははは、なっさけな~い! あの程度でもうグロッキーな訳?」

「うっせーぞ、このクソチビ……!」


 むしろ重症なのは尻の痛みに加えて乗り物酔いでまともに動けないクードだろう。その証拠にレイアの揶揄(からか)う声に対する怒声には全く力が籠っていない。

 ようやく酔い覚ましのポーションが効き目を発揮し始め、食事が摂れる程度には回復したが、本調子を取り戻すにはまだまだ時間が掛かりそうだ。


「ていうか、おかしいだろ……? 何で俺とカイルだけダメージ受けてて、他の三人は無事なんだよ……?」

「うん……立ってたアステリオスさんはともかく、どうしてレイアとシャーリィさんは何とも無いなの?」

「私は単にクッション敷いてましたから」

「アタシは途中から腰浮かせてたし。あんなに揺れてるのにずっと座ってるわけないじゃん」


 揺れる御者台、爆走するドラゴン、傾く戦車の恐怖に気付かなかったが、二人はちゃんと対策を取っていたりする。

 ただ泣き叫んでそこら辺の配慮が出来ず、周りに目が向いていなかった二人は憮然とした表情で押し黙るしかなかった。


「いずれにせよ、これも訓練の一環です。一応これでも新人育成という名目もありますからね」

 

 そう言いながら視線を鍋に集中させて呟くシャーリィ。

 獣の脂肪と共に鍋で炒められる乾物は泡が弾ける音やカラカラとぶつかり合う音と共にゆっくりと食材が焼ける匂いが漂い始める。


「貴方たちもランクが上がれば騎乗竜に乗る機会が増えるでしょう。遠出には必要不可欠ともいえる乗り物ですが、スリルという点ではどの騎乗竜も似たようなものですよ?」


 炒めた食材を煮込むために水を鍋に入れて蓋を閉めたベテラン冒険者がなんてことは無さそうな口調で軽く脅す。

 目を輝かせるレイアの隣で苦い顔をしたカイルとクードを前に、アステリオスが呵々と笑いながらシャーリィに同調した。


「そうですな。今や冒険者や騎士といった者たちにとってなくてはならない乗り物とはいえ、森を縦横無尽に跳び回る騎乗竜や空を翔ける翼竜から落ちれば絶体絶命ですからな」

「縁起でもないこと言わないでくださいよ……」


 いざそうなった時の事を考えるとゾッとしないとばかりに身を僅かに震えさせるカイルとクード。

 

「さぁ、出来ましたよ」

「あ、美味しそう!」


 頃合いを見計らい、シャーリィは鍋の蓋を開けて調味料を足してから器によそって全員に配っていく。

 

「そう言えばこれお肉入ってるけど、レイアやアステリオスさんは食べれます?」

「ええ、問題ありませぬぞ」

「アタシも生粋のエルフってわけじゃないからねぇ」


 草食動物である牛や肉類を受け付けない生粋のエルフとは違い、雑食の人間の因子を持つ獣人やハーフエルフの食に対する嗜好は人間と変わらない。

 植物由来の食材を主食とする種族が元となっただけに、野菜や果物が嫌いな者はいないが、中には肉類を好んで食べるミノタウロスやハーフエルフも少なくないのだ。


「あぁ、良いねぇ。こりゃ腹にしみる」

 

 腹に溜まる携帯食やパンと共に頂く。  

 煮込み汁で戻された野菜や豆類に、干し肉を細かく刻んで煮込んだスープは中の物を吐き出した胃にも優しい、塩味の効いた味だった。

 春になったとはいえ、夜間で冷えた体を芯から温めてくれるスープで満たされた鍋は、若者たちが何度もおかわりを要求することであっという間に鍋が空になる。


「そう言えばさ、シャーリィさんは何で冒険者になったわけ?」


 それは単なる興味本位で聞いたことだった。腹が満たされ、微睡が意識を覆い始めた頃、レイアはシャーリィにそう問いかける。


「……それは、わざわざ答える必要がありますか?」

「無いけどさ、やっぱり気になるじゃん? いつまで一緒か分からないけど、同じパーティだし」


 取りつく島も無いと冷たく突き放すシャーリィだが、陽気なハーフエルフはそれを承知の上で踏み込んでくる。

 ここで沈黙を決め込むのは簡単だが、それだと余計な不和をパーティに残すことになりかねない。

 不愛想でギルドでは孤独な《白の剣鬼》は好奇心に溢れる金色の眼に毒気を抜かれたかのように、嘆息を一つ零して簡潔に告げる。


「別に物珍しい理由ではありません。ただ娘二人の養育費を稼ぐ為です」

「むすめって……娘!? シャーリィさん、結婚されてたんですか!?」

「マジで!? その若さでか!?」

「若いって……私はもう三十になる中年です。娘が居てもおかしくは無いでしょう」

「そう言えば、シャーリィ殿は半不死者(イモータル)でしたな」


 外見が十代後半の為、思わず不老の存在であるという事を失念していたカイル達。年齢だけ聞けば確かに娘が居てもおかしくないが、何故か釈然としない気持ちがカイルの胸中で渦巻いていた。


「あのー……ということは、シャーリィさんってご結婚とかされてるんですか……?」

「いいえ。私は未婚のまま一人で育ててきましたが……まぁ、色々(・・)あったのです」


 そう言ってこれ以上の追及を拒否し、シャーリィは立ち上がった。

 釈然としない感情が、不思議と晴れた気がしたのは気のせいか。


「そろそろ夜も遅いですし、私から寝ずの番に入りますが、その前に魔物除けの細工だけ周辺に施してきます」

「うん、よろしくー」


 魔物が嫌う匂いを発する香料を持って一旦この場を離れるシャーリィに向かって軽く手を振り、レイアはポツリと呟く。


「それにしても、半不死者ってどんなに酷い怪我をしてもすぐに治るんでしょ? それってシャーリィさんの場合、損傷無視した特攻をし続けられるって事じゃん。そりゃ、あの華奢な体でも有名になる訳だよ」

「バーカ。そんな都合の良い力がある訳ねぇだろ。半不死者は文字通り、中途半端な不死者なんだ。お前、背丈だけじゃなくて脳味噌まで小さいんじゃねぇの?」

「はぁああっ!? 誰がチビで鳥頭だこのゲロ男!」

「ぶっ!? て、てめっ!? ブーツで顔面蹴るのは無しだろうがっ!!」


 即座に取っ組み合いを始める二人をカイルが諫めようとするが、アステリオスがその肩に手を置いて左右に首を振る。

 込められた意は、すぐに疲れて寝るから放って置けといったところか。しばらく二人を心配そうに見ていたカイルだが、先程のクードの言葉を思い出し、アステリオスに問いかける。


「あの……さっきクードが半不死者は中途半端な不死だって言ってましたけど、それってどういうことですか?」


 半不死者は高い知性を持つ生物なら誰でもなり得るゆえに特別な存在ではないが、数が少なく珍しい存在であることには変わりがない。

 その為、詳細を知る者も相応に少なく、カイルが気になって調べた範囲では不死の秘密である復元能力の詳細は分からなかったのだ。


「中途半端な不死者……確かにその通りですな。実際に完全な不死など吾輩聞いたことがありませぬし、半不死者もまたしかり。吾輩は以前、他の半不死者と戦いになりましたが、脳に損傷を受ければそれが致命傷になりますからな」


 自分の額を指で二度突くアステリオス。

 精神の異常によって魂と肉体が変質することで誕生する半不死者は、精神を司る脳を復元する事が出来ない。

 狂える理性こそが彼らの原動力であり、それを物理的に異常をきたせば復元能力を失うというのが最も有力な説だ。


「そして再生を超えた復元能力ですが、まさにこれこそが半不死者最大の弱点」

「え? どういう事ですか? 普通に考えたら、肉体の欠損も瞬時に治せるなんて強みしかないと思いますけど」

「クード殿も先程仰っておいででしたが、無制限に肉体を復元するなど、そんなに都合の良い力など存在しませぬ。復元には大量のエネルギーを必要とするのですから」


 例えば体力や魔力。そういった体内エネルギーや魂魄に宿るエネルギーを大量消費して肉体を強制的(・・・)に復元してしまうのが不死性の秘密だが、逆に言えばエネルギーが足りなければ復元は成功できず、仮に首から下全てを吹き飛ばされて肉体を復元できたとしても、それが一般人並みのエネルギーしかなければ衰弱死しているだろう。


「復元能力こそが半不死者にとっての弱点の目白押し。無論、ある程度なら戦略的に自身の手足を囮にして痛恨の一撃を与えることも可能でしょうが、それを何度も続ければすぐに疲労で動けなくなるでしょう」


 ドラゴンの逆鱗しかり、吸血鬼に日光しかり、高名で強力な力を秘めた怪物ほど弱点もまた有名になるが、長所と弱点が表裏一体と化した怪物など半不死者をおいて他に居ないだろう。


「ただ、だからと言って半不死者が弱いという訳ではありませぬ。彼らは大抵、覚醒と同時に異能に目覚めるものですからな」


 異能とは、魔術に頼らず超常現象を発生させる特殊能力の事だ。元々は石化の目を持つバジリスクを筆頭とした魔物が使う能力だが、半不死者は覚醒と同時にそれを手に入れる。

 そのせいで一部からは魔物と迫害されることもあるが、それらを差し置いても魔力を用いず魔術相応の力を人の知恵で操れるというのは最大の強みといってもいいだろう。


「つまり半不死者にとって、復元能力は名前の代名詞程度でしかなく、その真価は老いない体と異能にあるんですね」

「吾輩は炎を自在に操る半不死者と戦ったことがありますが、恐らくシャーリィ殿も何らかの異能をお持ちになっておられるでしょう。それが何なのかは、必要に迫られなければ教えてくれそうにありませぬがな」


 カイルはシャーリィが立ち去った方角に眼を向ける。

 人の身を維持しながら人ならざる者となった孤高の剣士は一体何を思って怪物と化し、何を想って娘を守り育てているのか。

 その過程に悲しみがあったかのような気がしてならない。そう思うと、無性に胸が締め付けられるような感覚を味わった。


(恩を返せればと思ってたけど……僕はあの人に何が出来るんだろう……?)


 秘めた思いを叶えるには、彼女と並びたてるほど強くなれれば良い。しかし憧れた背中は天の様に遥か高く遠く、霞のように酷く儚かった。




 一方その頃、シャーリィはというと。


「ふぅ……娘分補充と。…………はぁ、癒されます」


 魔物除けの準備を終わらせ、懐に忍ばせていた娘の写真を見て親馬鹿全開で気力回復に勤しんでいた。


いかがでしたでしょうか? お気に召しましたら評価してくださると幸いです。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「よろしくお願いします」だろ。上級者が見張りと準備をしてくれるのにタメ口で返事するのは無礼だろ。どんだけイキがっていても最低限それくらいの礼儀はとれよ。 [一言] カイルちょっとキモイ…
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