閑話・少女たちの日常
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これは、シャーリィがジュエルザード鉱山に赴いている間の事。
辺境の街に建設された民間学校は、約四十人で二クラスが構成された学年が三つある、王国では比較的大きな学校である。
開拓を目的に興された冒険者の街にそれだけの子供が集まるのは、元々この地に建てられていた大型孤児院が大きな理由だ。
親の死と言うものは今の世の中珍しくはない。それが冒険者や兵士なら尚の事だろう。学が必要なこの時代に生まれた子供たちが将来進む道の選択肢を増やす為、孤児院と結託したギルドマスターの支援によって建設された学校にはシャーリィの愛娘たちも通っている。
母一人、子供二人で暮らすこと十年。無償の愛を受けて育ったソフィーとティオは美しくも聞き分けの良い子供に成長した。
冒険者の内情をよく知らなくとも毎日命のやり取りをしていることを察していた二人は、色々と手のかかる十歳でありながら母の負担を減らすように変化しつつあるのは、まさに母娘の愛がなせる業だろう。
そんな彼女たちは同年代の子供が集まる民間学校でもかなりの有名人だ。それもそのはず、雪のように白い髪と肌、幼いながらも類稀な美貌
とそれぞれ蒼玉と紅玉を嵌め込んだかのような瞳という特徴的な外見だけでも周囲の目を引き付ける。
「やーい! この白髪女ぁー!」
「ウチの婆ちゃんと同じ髪の毛したババアじゃん!」
「ちょっと! 白髪とか言わないでよね!?」
しかしだからこそと言うべきか、子供相応の苦労もあったりする。
十歳前後の気の強い男子というのは、興味の引く対象を挑発しなければ気が済まない質であることが多い。
それが好意ゆえかは本人のみぞ知るところだが、そんな事情もあり彼らにとって幸か不幸か、二人の交友間に男子の影は殆ど存在しない。
例え話しかけたい男子がいても、影響力の強い男子が率先して二人にちょっかいを掛けているおかげで話しかけることも出来ず。
そんな事情を乗り越えてませた少年がアプローチを繰り返しても――――
「ん。ゴメン、無理」
謝りつつも、端的にバッサリとした切れ味抜群の断り文句で撃沈する男子も現れ始めたことが、大きな影響となっているのだろう。
美貌は時に女子からも敬遠されるものだが、男子との交友が無い為に堅気な気質と捉えられ、女子との交友ばかりを深めては意図せずにどこぞの親バカを安心させていたりする。
様々な経緯があるものの、子供らしく同性の友達と楽しい学校生活を送るソフィーとティオ。しかし学生だからこその悩みというのも、常に付き纏っていたりする。
「えー、明日のテストは大陸共通語の単語を五十問出すから、ちゃんと予習しておくように。半分以上正解できなかった奴は補習だからな?」
終わりのホームルーム、若い男性の担任教師の言葉に教室に居た生徒たちは一斉に非難の声を上げる。
抜き打ち反対、テスト反対、補習とか信じられない! といった言葉を軽く受け流し、担任教師は努めて威厳を保ちながら告げた。
「元々テストっていうのは日ごろの成果を試す事でもあるんだよ。ちなみに、家の用事があっても大丈夫だぞ? 後でちゃんと補習を受ける日を設けるからな」
後半からの冗談めかした口調に応じて殺到するブーイングを背中に浴びながら、ワザとらしい高笑いと共に教室を出ていく担任教師。
放課後になって喧騒と共に生徒たちが帰っていく中、ティオは机に突っ伏して動こうとしなかった。
「……テストなんて滅びればいいのに」
「現実逃避しないでよ。言いたいことは分からなくはないけど」
ボソリと呪詛を零す妹を呆れた視線で見降ろすソフィー。
ティオにとって勉強と言うものは鬼門に他ならない。母が文字通り命を懸けて稼いでくれてた金で通っているため、真剣に勉学に励んでいるが、苦手なものは苦手なのである。
「読み書きするのに使うは分かるけど、覚えることが多すぎて嫌になる」
「仕方ないでしょ? 授業って殆どが読み書きの勉強なんだから」
公式さえ理解出来れば解ける計算とは違い、言葉の数だけ文字が増える文章は根気を要する暗記がものを言う。
ティオは俗にいう体育会系だ。体育の成績だけなら学校でも群を抜いている彼女だが、長時間根気強く机の前に齧りついていると眠くなるのだ。
「ただでさえ普段の授業でも眠いのに、その上補習なんて言われたら起きていられる自信が無い」
「まったくもー。そんなに補習が嫌なら、私が勉強見てあげるから頑張ってテスト乗り切ろう?」
「……ソフィーは急にお姉さん風吹かせるようになった」
「まあね。私はティオのお姉ちゃんだし」
未発達の薄い胸を反らし、得意げな顔を浮かべる姉をティオは眠たげな紅色の瞳で見上げる。
同じ日に生まれ、双子ならではの似た顔立ちのソフィーとティオだが、性格だけではなく得意不得意も大きく異なる。
運動能力に突出するようになったティオと比べ、ソフィーは学年で一番勉強が出来る生徒だ。
運動も得意という訳ではないが苦手という訳でもない、まさに優等生と評しても良いソフィーが、こうしてお姉さん風を吹かせるようになったのはいつ頃だったか。
『ねえママ。私とティオってどっちがお姉ちゃんで、どっちが妹なの?』
『どちらも同じ日に生まれてきましたが……先にお腹から出てきたのはソフィーですので、貴女が姉になるかと』
学校に入学する前、そんな会話をしていたことを不意に思い出した。そこから姉としての自覚が芽生えたように思う。
「それにほら、ママだって冒険者も読み書きできた方が良いって言ってたじゃない? だから頑張ろう!」
二人には、母にも秘密にしている将来の夢がある。それは母と同じ冒険者となって、いつか家族皆で世界中を旅して周ると言うものだ。
世界は険しいが、それに負けぬほど美しいものがあるとタオレ荘に住む冒険者たちに聞いたことがある。
とても自然の産物とは思えぬ欄然と輝く水晶の谷。
人の手足では登れぬほど険しい山の上に広がる、妖精の楽園と呼ばれる美しい花畑。
七色に煌く翼を翻し、見た者全てに幸福をもたらすという空の王。
危険で険しい道のりゆえに、シャーリィはきっと反対するだろう。だがそうしたものを三人で見られればきっと楽しいに決まっている。いつも自分たち以外を顧みない母も、楽しんでくれるに違いない。
「……ん。分かった、頑張って勉強する。そして補習を免れる」
「最後の台詞にやけに力が入ってたけど、まぁ良いや。それじゃあ早速家に帰って――――」
「おっと、それなら私たちも混ぜてもらおうか」
生徒がほとんど残っていない教室で双子に向かって何故か得意満面を浮かべてながら腕を組んで仁王立ちする二人の女子と、その二歩後ろでどこか困ったような半笑いを浮かべる女子が一人。
「リーシャにチェルシー」
「それにミラまで。一体どうしたの?」
彼女たちはいずれも、二人が入学してからできた友人たちだ。
「いやなに、私たちも補習は勘弁だからさ。ここはソフィー大先生の力を借りようと思って」
この中で一番背の高い少女……リーシャが両手を合わせて頼み込むと、糸目の少女……チェルシーがソフィーの背中にもたれ掛かる。
「ねーえー、頼むよー。無駄に勉強したくないんだよー、放課後にまで学校に居たくないんだよー」
「ちょっとチェルシー! 重いってば!」
絡みつくチェルシーを引き剥がそうと抵抗するソフィーに珍しい黒髪黒目の少女……ミラが何の非も無いのにどこか申し訳なさそうな顔で頼み込む。
「ごめんね、二人とも。わたしも一緒に勉強させてもらって良いかな?」
「それは良いけど、ミラまで一緒なのは珍しい。どうしたの?」
「おいおいティオ? その言い方はちょーっと引っかかるぞ?」
リーシャの声を丸ごと無視し、ティオはミラに問いかける。
ティオと同じく勉強が不得手なリーシャとチェルシーはともかく、ミラはソフィー程ではないにしても勉強が出来る方だ。
こうしてともに勉強を、と誘う事は今までなかった友人は、少し言い難そうに告げる。
「最初はリーシャちゃんとチェルシーちゃんの勉強を見ようと思ったんだけど、わたし一人じゃ手が回らなくて」
「そういう事なら別に良いけど……ティオもそれでいい?」
「ん」
問題無いと、ティオは頷く。
「それじゃあ何処でやる?」
「あ、先に言っとくけど私の家は無理だぞ。今日は親父とその友達が集まって騒いでるから」
「アタシん家も無理かなー。来ても下の子がうるさくて勉強になんないし」
「ごめんね、私の家はお母さんとお父さんがお仕事してるからあまり大人数で勉強するのはちょっと」
「それじゃ、わたしたちの家しかないね」
こうしてシャーリィたちの家であるタオレ荘の一室に三重の挨拶と共に入った一行。
三部屋ある内の一つ、居間として使用しているスペースに設置された広い机に学友たちを座らせ、ソフィーとティオで人数分の飲み物を淹れトレイに乗せて帰ってきた時、自分たちの気配しかない住居を見渡してリーシャは問いかけた。
「シャーリィさんは今日居ないのか?」
「うん。ギルドの依頼で遠くまで行くって」
「何時もだったらお母さんに勉強見てもらうんだけどね」
依頼を好きに受理出来る冒険者であるシャーリィは、仕事よりも娘の事を優先して二人の勉強を見ることが多いが、今回は間が悪く依頼とテストが被ってしまったのだ。
「でも良いなぁ。あんな美人でGカップで勉強もできる上に、凄腕の冒険者なんでしょ? 同じ冒険者の兄ちゃんが言ってたし。アタシもあんな母ちゃんが居ればなぁ」
「フフン、まぁね……って、なんでママの胸のサイズ知ってるの!?」
「え!? 第一印象でグレートなサイズだと思って適当に言ったんだけど……本当にGあったの!?」
「うっそ、マジで!? デカいデカいと思ってたけど、本当に偉大山脈だったのか!?」
本人与り知らぬところで何故か本人の胸のサイズの話に花が咲く。実際にアレを頻繁に枕にするティオは「確かにアレは偉大な寝心地だったなぁ」と思い返していると、ふとある事に気が付いた。
(そう言えば、お母さんは何処で勉強したんだろ?)
母は読み書き計算だけではなく、各国の歴史や経済にまで理解が及んでいる。
元々浮浪者としてソフィーとティオを抱えて彷徨っていた時に、ギルドマスターに誘われてこの街に来たというが、母が勉学に励んでいる姿を見たことが無い。
特に気になるという訳ではないが、何となく疑問に思ったティオ。その思考を払ったのは、騒ぐ三人を宥めるミラの声だった。
「ま、まぁまぁ三人とも。時間も勿体ないし、勉強始めよう? ね?」
何時の間にか勉強会が三十路の乳談義に突入したが、何とか軌道修正して教科書とノートを開く少女たち。
うー、あー、とアンデッドの様に呻く三人をソフィーとミラがフォローしながら教えるという光景が二時間ほど続き、途切れた集中力を回復させるために机から離れ、各々勉強とは関係の無い事をし始める。
「すげぇ……」
「でっかー……」
「あのさ、ママの下着を握りしめながら感心しないでくれるかな?」
そうなると、家にある物を物色し始めるのはある意味必然。胸部下着を奪い返されたチェルシーが何となく部屋を見渡してみると、隅の方に布が掛けられた箱のような物を発見し、布を捲り上げる。
「何これ宝箱じゃん!」
それは物語に出てきそうな大きな宝箱だった。
「どれどれ? ……ん? なんか字が彫ってあるね」
「〝勇者の……道具箱〟? 何だそりゃ?」
「あー、それママの仕事道具とか入ってるから開けたら――――」
「トレジャーボックスは開けるしかねぇっ! いけチェルシー!」
「合点!」
「駄目って言ってるのにぃいいいいっ!?」
宝箱を前にしたとレジャーハンターの様に蓋を開けようとしたが、まるで溶接したかのように蓋はビクともしなかった。
「よく見りゃ鍵穴も無いし、これ本当に使ってるのか?」
「その筈だけど……」
細工らしきものも見当たらず、結局宝箱を開けることを諦めるしかなくなったリーシャとチェルシー。
しかし二人の視線は新たな獲物……綺麗に整理され、棚に収納されている娘の成長記録と背表紙に書かれた本に注がれていた。
ページを捲り、まるで光景そのものを切り離したような絵が並んでいるのを見て、三人は驚いたような声を上げる。
「コレって写真でしょ? シャーリィさん、映写機なんて持ってたの?」
王都にある最新鋭の魔道具工房で作り出された、風景を写しだし絵にする魔道具は六年程前から市井に出回り始めたが、その値段は決して安いとは言い難く、映写機を所持する平民の数は極めて少ない。
「ううん。映写機持っているのはマーサさん……この宿の女将さんなんだけど、写真を撮るのが趣味で、私たちが映ってる分を貰ってるんだ」
気が付けばここに居る者全員の関心を引いていた。
一ページに四枚ずつ貼られた写真の下には、その時その時の日時や出来事が綺麗な文字で記され、思い出が双子の脳裏を過る。
少しの間時を忘れ、そろそろ勉強に戻ろうかとしたその時、ふとある事に気が付いたリーシャがポツリと呟いた。
「今思ったんだが、八歳から下の年齢の写真、ソフィーがティオに手を引かれてるのばっかりじゃないか?」
「本当だ……なんて言うんだろう、これを見る限りはティオちゃんの方がお姉さんって感じだね」
ギクリと、ソフィーの肩が大きく跳ねる。
写真に写されているのは双子のツーショットが多いが、民間学校に入学する前の時に撮られた写真はティオの服の袖を後ろから遠慮がちに引っ張ったり、泣きながらその手を引かれるソフィーの写真まで、今とは違いティオが〝お姉さん〟と言った感じのものが多い。
「へぇ、今じゃソフィーが姉貴ぶってるけど、前までは立場が逆だったんだな」
「ち、違うから! これは偶々そう見える写真を撮られてたってだけで!」
「これ見ても同じこと言える?」
チェルシーが開いたページ。そこには盛大な地図が描かれた布団が干され、その脇で泣きじゃくるソフィーを慰めるティオの姿を捉えた一枚の写真。
『ソフィー六歳、ある日の事件。面白がったマーサさんから写真を提供される』
そんな文章を添えて、ソフィーの痴態がしっかりと記録されていた。
「ど、どうしてこんな写真まで貰ってるのママーッ!?」
顔を真っ赤にして成長記録を奪い取るソフィー。
普段成長記録など見る機会が無い事が災いした。まさかこんな恥ずかしい写真まで収められているとは思いもしなかった。
「だ、大丈夫だよソフィーちゃん! お漏らししなかった人なんてそんなに居ないんだから!」
「フォローしてくれてありがとうミラ……でもはっきりとお漏らしって言わないで……!」
「にしても、まさかソフィーとティオの立ち位置が完全に逆だったとはなぁ」
「姉ちゃん風吹かせ始めた時は戸惑ったんじゃないの?」
「んー」
ティオは何かを思い出すかのように首を捻り、堂々と告げた。
「戸惑いはしたけど、実際にソフィーの方がお姉さんだし、別にいいかな。泣き虫がしっかりし始めてむしろ安心したって言うか」
「…………」
妹の何やら大物感溢れる台詞に怒る訳でもなく、ただただ戦慄するソフィー。
姉としての威厳は、大きな罅を入れて崩れ去ろうとしていた。




