6冊目 学園に来ました
「……来てしまった」
私は、小さくため息をついた。
ルイーゼ姉様に命じられるまま、問題の学園に来てしまった。
学園に入学するのは14歳からで、まだ私は2年足りない。どの学生よりも幼いことに加え、私服であるためだろう。異常なまでに周囲から浮いている。
だから、登校してきた学生たちが一様に「誰だろう?」と不審な目を向けてくるのだ。なんだか、居心地悪くてたまらない。
「ほら、姫様。明るい笑顔を心がけてください」
従者が耳元で注意を促してきた。
「分かってるわよ、シルフィード……ん?」
ふと、登校してくる学生たちの群れの中に、見知った顔を見つけた。
柔らかそうなクリーム色の髪に、ルイーゼ姉様そっくりの碧眼の持ち主が、どこか退屈そうに廊下を歩いている。
あの人物こそ、私が探していた学生だ。私は、クリーム色の髪をした学生の前へ足を進めた。
「なにをしてる。邪魔だ、早く退け……っ!?」
「お久し振りですわ、アルフォンス兄様」
スカートの裾をつまみながら一礼すると、アルフォンス兄様の顔が強張った。
無理もない。いつもどおり登校したら、学園にいるはずもない末の妹が挨拶して来たのだ。誰であっても驚くであろう。
「リディナか。お前、なんでここにいる? まだ、就学年齢ではなかったはずだ」
「はい。私は12歳ですので、入学するのは2年後です」
私も14歳になるまで来ることはないと思ってたよ、アルフォンス兄様。
「この度、学園の外部監査官に就任しました。今日は、学園長様への御挨拶に伺ったのですが……その前に、お兄様が恋い焦がれ夢中になった女性にお会いしたいと思いまして」
私が目を輝かせて見つめれば、兄様の耳まで真っ赤に染まった。
「なっ、なっ、なんで、俺がソフィーのことを愛してると!? というか、外部監査官とはなんだ!?」
「ソフィー様という方なのですね!」
私は、ずぃっと兄様に近づいた。
兄様は、あからさまに狼狽している。兄様は手を横に振りながら、慌てて私から距離をとった。
「私もお会いしてみたいです。兄様が懇意になされる方なのであれば、義理の姉様になるのですから」
「義理の姉……って、お、俺とソフィーは、まだそんな関係ではないぞ!? い、いまは、ただの友人だ!」
アルフォンス兄様、説得力皆無です。
その熟れすぎたトマトみたいに赤い顔と狼狽した態度が、すべてを物語っております。……それにしても、予想以上の惚れっぷりだ。私の記憶が正しければ、アルフォンス兄様は、感情を表に出さない性格だったはずだ。それが、たった数ヶ月でここまで変化してしまうとは……おそるべし、恋の魔力。
「こほん。それで……監査官とはなんだ?」
どうやら、兄様は話題を変えたいらしい。
私は居住まいを整えると――他に登校してくる学生たちにも聞こえるような声で――宣言した。
「最近、学園の風紀が乱れているとの通報が入りました。
それを調査するため、父上様が私に命令されたのです」
「父上が、リディナに?」
兄様は怪訝な顔をしている。うん、私も他に適任がいると思うよ。すくなくとも、私より他の兄様や姉様のほうが監査官に向いているだろう。
「私には、特別な後ろ盾がありません。あるのは、王女という地位だけです。ですから、公平に学園の様子を判断できると考えたのでしょう」
「……おまえは、ルイーゼの派閥ではなかったか?」
さすがは腐ってもアルフォンス兄様。私が公平な立場でないことに気づいたらしい。私がルイーゼ姉様の派閥だから、彼女に肩入れするのではないか?と警戒しているのだろう。
だが、その心配は無用だ。
「それならご心配なく。私、ルイーゼ姉様から派閥を追放されましたから」
私は少し項垂れると、寂しげに笑って見せた。
……もちろん、大嘘である。
監査官になったのも、ルイーゼ姉様が父上に口利きしてくれたからだ。いや、正確に言えば、宰相経由で父上へ「リディナの監査官就任」を進言したというのだろうか……まぁ、どちらでも構わない。
『いい、リディナ。あなたは監査官として、学園に潜入するの。そこで、公平な視点で学園を見極めるのよ。
いまの私に必要なのは、公平な資料・情報。私がいくら訴えても“ルイーゼが学園の人気者に嫉妬しているだけ”として片付けられてしまうわ。だから、第三者の公平な視点が必要なのよ!』
私の脳裏に、姉様の真剣な表情が蘇ってきた。
もちろん、最初は無理だと断った。私は後ろ盾も政治的権限もないのに監査官になれるわけがない、と。そしたら姉様は
『父上は事態を重く見ていないようだけど、宰相様は違ったわ。だから、私が宰相様にリディナを監査官就任に推すよう説得してみる』
と、強く断言した。
『監査官に就任したら、事態が解決するまで、私の派閥にはいられないけど……解決したらすぐに戻してあげるから。
……いいわね?』
私は、頷いて肯定した。
ハイとしか、答えられない。断ったら最後、ルイーゼ姉様から見捨てられてしまうし、派閥から本当に追放されてしまう。ただでさえ、肩身の狭い思いして生きているというのに、さらに小さくなって生きなければならないのだ。そんな人生では、本づくりの野望も叶えることができないだろう。
そう、すべては本づくりの野望を叶えるためなのだ!
その通過点で、大好きな姉様を助けることができるうえに、自分のキャリアアップもできるなんて、こんな上手い話は滅多にない。
……うん、そうやって前向きに考えることにしよう。
「……そうか、ルイーゼに追放されたのか……すまないことを聞いたな。だが、どうしてだ? おまえたち、仲が良かっただろ?」
はたっと我に返ると、アルフォンス兄様が悲しそうな顔で私を見下ろしていた。そういえば、この兄と話していた最中だったことを思い出す。私は、ルイーゼ姉様に表向き追放された理由を語ることにした。
「姉様は、『監査官なんて、私の学園運営が悪いというのですの!?』と、大層ご立腹でして、その勢いで追放されてしまいました」
「ルイーゼの奴……なにが、私の学園運営だ。あいつ1人で運営しているわけではないだろうが」
アルフォンス兄様は、ルイーゼ姉様に怒っていた。
私は「……ですが、アルフォンス兄様。現実問題、いまはルイーゼ姉様ひとりで学園運営しているらしいのですが?」と尋ねたくなったが、ぐっと堪える。まだ確証もつかんでいないのに、ここで問いただすのは得策ではない気がした。
さて、どうしようか?と考え込んでいると、シルフィードが耳元で囁く声が聞こえた。
「姫様、そろそろ時間です」
シルフィードが、時間を指摘してくれる。
柱時計に目を向けると、そろそろ始業のチャイムが鳴る時間だった。兄様も教室へ向かわなければならないだろうし、私も監査官として与えられた部屋へ向かわなければならない。
「ということですので、兄様も生活態度には気をつけてくださいね」
そうして、私が去ろうとした直後だった。
「アルフォンス先輩っ!」
朝っぱらから甲高い声が廊下に響き渡る。あまりの響きに、私は思わず耳を塞ぎそうになった。いや、元気が良いことはかまわない。だけど、明らかに自分より位の高いアルフォンス兄様に向かって、「先輩」呼ばわりなど笑止千万。百歩譲って「ベルジュラック先輩」だろう。
この失礼すぎる生徒は、いったい誰なんだ?と声の方へ視線を向けたとき、顔の筋肉が強張るのを感じた。
「今日は遅いですね、いったいどうかなさったのですか……って、あれ? この女は?」
声の主は、柔らかい印象の少女だった。
ルイーゼ姉様を「儚い美少女」と称するのであれば、今現れた彼女は「可愛らしい少女」と表現するべきだろう。ほどよくウェーブがかかった茶色の髪に、くりっとした紫色の瞳。身体つきのバランスも良く、包容力のありそうなイメージを与える美少女だ。
「あぁ、こいつは俺の妹だ。紹介しよう、リディナ」
アルフォンス兄様の顔が、いままでに見たことがないくらい綻んでいる。「家族に対しても、笑顔を見せない」とまで言われた兄様が、満面の笑みを浮かべているだけでも驚きに値するが、それに加えて、あの「女性嫌い」で有名な兄様が少女に手を広げているのだ。これで驚くな、というほうが無理だろう。
「先輩の妹ちゃん?」
少女は躊躇うことなく、兄様の腕の中に飛び込み、こちらへ笑いかけてきた。
……いや、違う。顔は笑っているが、目は笑っていない。
紫色の瞳が「この女は誰だろう?」と推し量っている。私は少女に微笑み返しながら、強く確信した。
あぁ、たぶんこの人だ。
「彼女は、ソフィー・アタランタ子爵令嬢だ。仲良くするように、リディナ」
アルフォンス兄様達の心を射止めた、噂の令嬢は。
※投稿後、一部改訂しました。




