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10冊目 謁見と見えない刃

 


 王城の2階には、複雑なレリーフが彫り込まれた扉がある。


 両開きで重厚感漂う扉の前には、常に2人の武官が立っていた。この扉の向こうは、王の執務室。つまり、父上の仕事場だ。この世に生を受けて、約12年。父上と会話したことや遊んだことは何度となくあったが、こうして執務室の扉を潜るのは初めてだ。

 私は、ごくりとつばをのむ。


「いよいよね、シルフィード」

「ええ。まさか、宰相様が本日中に陛下と謁見できるよう取り計らってくれるとは思いもしませんでした。

 ……姫様、顔が強張っております。もう少し、明るく余裕のある笑顔を」


 シルフィードが耳元で注意を促してきた。そこでようやく、自分の顔が強張っていることに気づく。


「分かってるわよ、言われなくても」

「口調もお気を付け下さい」

「……分かっていますってば」


 私は、なんだか帰りたい気分になってきた。

 いままで、儀式などの行事のときに父上の「国王としての姿」を見てきたことはある。だけど、「通常の執務中の国王(父上)」に会うのは初めてなのだ。がらになく緊張して、じんじんと胃のあたりが痛い。


「いくわよ、シルフィード。いざというときは、よろしくね」

「かしこまりました、姫様」


 シルフィードが従順に頷いてくれた。彼の業務内容通りの返答かもしれないが、少しだけ心が軽くなる。私は深呼吸をすると、扉を叩いた。


「第9王女 リディナ・ベルジュラック。国王陛下と宰相閣下との謁見に参りました」

「よし、入れ」


 扉の向こうから宰相の低い声が聞こえてくる。それと同時に、ゆっくりと扉が開いた。私は、扉の向こうに堂々と足を踏み出す。

 部屋の最奥、窓を背にした机の肘掛椅子に父上が腰をかけていた。その隣には、宰相が立っている。それに加え、壁に寄りかかるようにアルフォンス兄様とバージル宰相子息、そして例のソフィー子爵令嬢が佇んでいる。さらに、部屋の中央には、赤銅色の髪をした少年が立っていた。


「ガルーダ!?」


 その少年を見た瞬間、私は父上への挨拶も忘れて叫んでしまった。

 彼はまだ収監中で、これより解放と譲渡を願おうとしていたのに。なんで、彼がここに連れて来られているのだろうか? そして、どうしてソフィーたちがいるのか?

 その答えは、アルフォンス兄様が直々に説明してくれた。


「リディナ、お前はこの死刑囚に非人道的な扱いをしようとしていた。金銭でしか物事をはかれぬとは、学園監視官として……いや、そもそも王族の一員としてふさわしくない。

 そのことを糾弾するために、こいつを連れてきた。それだけのことだ」

「非人道的な扱い?」


 アルフォンス兄様の言葉を耳にした瞬間、ついソフィーに視線を向ける。ソフィーはアルフォンス兄様の後ろに半ば隠れながら、潤んだ瞳でこちらを見つめている。いや、睨みつけている。両手で口元を隠してはいるが、私の位置からでは丸見えだ。



 意地悪く薄い笑みを浮かべているのが。


「そう、そういうことね」


 この女、どういうつもりなのかは理解できない。

 ただ、確かなことが1つ……彼女は、私を貶めようとしている。


 それは、アルフォンス兄様の好意を引くためなのか?いや、どちらかといえば、ガルーダを手に入れるためのような気がする。もっとも、問い詰めたくても証拠がない。ただの直感を話したところで、無下に扱われるのがオチだ。


「第2王子の特権を利用して、私より先に父上への謁見に取り次いだということでしょうか」


 私は深く息を吐くと、執務室のなかへと一歩踏み込んだ。背後で重い扉が閉まる音が聞こえる。これで、もう後戻りはできない。


「父上、いえ……国王陛下」


 私は父上をまっすぐ見つめた。


 私の父上……つまり、国王陛下は、髭を生やしているわけでもなければ、アルフォンス兄様やルイーゼ姉様のような目を惹く美貌の持ち主でもない。それでも、どこか王らしく感じるのは、顔に深く刻まれた皺と身にまとう雰囲気のおかげだろうか。長年の苦労と国王としての威厳を醸し出していた。

 父の表情からは、あいかわらず何を考えているのか読み取ることができない。


「突然の無礼、申し訳ありません」


 私は、仕来り通り最敬礼を払う。

 赤い床に跪き、首を垂れる。私に続くように、シルフィードも最敬礼の姿勢をとった。


「国王陛下と宰相閣下に頼みたいことがございます。お時間を頂戴することになってしまいますが、よろしいでしょうか?」

「よい、赦す。顔を上げろ、リディナよ」


 父上の低い声が聞こえてきた。私は、父上に従うように顔を上げる。


「お前の申し出は、すでにアルフォンスから耳にしている。だが、お前の口から聞きたい。

 申し出は何だ?」

「はい。私の申し出は1つ……この死刑囚を私の護衛騎士にください」


 もちろん、誰も首を縦に振らない。当然である。死刑囚を護衛騎士にするなど、前代未聞であり、醜聞にもかかわる問題だ。ただ、一瞬――父上の表情が揺れたのを見逃さない。

 私は攻めるように、父上を真摯に見つめた。


「アルフォンス兄様は、私が彼を護衛騎士にしようとしていることを『非人道的』だとおっしゃいましたが、私は非人道的だとは思いません。

 なぜなら、彼は自ら仲間だった山賊ものの非道な行為を恨み、憎んでいます。彼には、更生の余地があります」


 「更生」なんて言葉は、利己的であまり好きではない。でも、使うしか手はなかった。灰色の脳細胞を働かせて、どうやって安給金の護衛騎士を手に入れるかを必死になって考える。


「しかし、まだ予断は許せません。ですので、私の護衛騎士という立場のもとで傍に置き、彼が更生するまで面倒を見ようと考えております」

「……それで?」


 ここで、宰相が質問を繰り出してきた。宰相は、私を推し量るように冷たい視線を浴びせてくる。


「そこまでは、そこのソフィー・アタランタ子爵令嬢の言葉度同じだが? その続きは?」


 なるほど、ソフィーも同じことを王に伝えたのか。

 ちらり、とソフィーに視線を向ければ、勝ち誇ったように薄ら微笑んでいた。私は、内心舌打ちをした。


 もし、このまま引き下がってしまった場合、「最初に王の前で主張したもの」という名目で、ソフィーがガルーダを手に入れてしまう可能性が高い。その上、彼女の後ろにはアルフォンス兄様たちがついている。発言力では負けるし、彼らの方が遥かに賢いはずだ。


 これは、一筋縄ではいかない。


 まるで、ソフィーと見えない刃を交わしてるみたいだ。


「……」


 私はガルーダに視線を向ける。ガルーダは下を向いたまま、まったく動かない。その表情は、私の位置からだと窺い知ることができなかった。


「彼は……」


 ガルーダとしては、ソフィーの方へ行きたいに決まっている。


 当然だろう。絶対服従な週休0日の仕事を安い賃金で働かされるよりも、人道的な配慮に基づいた仕事を選ぶに決まっている。しかも、傍には見た目は優しそうで可憐な美少女ソフィー・アタランタが付いているのだ。

 だから、「ガルーダ本人に、どちらへ付きたいのか」という希望をとらせるわけにもいかない。しかし――


「彼は、私に忠誠を誓っています」


 この言葉は、嘘ではない。


 いや、ガルーダの本心は分からないが、少なくとも彼の口から出た言葉だ。証人は私とシルフィード、そして牢番。それは、アルフォンス兄様やバージル宰相子息に揉消されてしまう事実かもしれない。だけど、王の前で主張したもの勝ちだ。私は誰にも言葉を挟まれぬよう、畳みかけるように話し続けた。


「彼は忠誠を示すために、私の行為・命令を受け入れるという覚悟があります。

 その言葉が本当かどうか、いまここでご覧になってください」


 私は振り返るとシルフィードに手を向けた。

 シルフィードは差し出された手を見て、私が何をしようとしているのか察したらしい。さすが、長年行動を共にしてきただけはある。シルフィードは若干躊躇したものの、私が何も言わずとも己の腰に下げた剣を渡してくれた。


「ガルーダ、利き腕は右手ですね」


 鞘から剣を引き抜きながら、私はガルーダの前へ歩み出る。ガルーダの表情には、なにも浮かんでいない。ただ、成り行きを静観している傍観者のような表情だった。


「はい」


 ガルーダは肯定する。

 剣だこの位置から考えて、おそらく右利きだろうとは推測していたが、確証がとれて助かった。私は剣の柄を握りしめ、彼の左肩に剣を軽く乗せた。そして――


「はぁっ!!」


 左腕めがけて、力任せに振り下ろす。

 咄嗟のことで、ガルーダも驚いたのだろう。思わず後ろへ仰け反ってしまっていた。その結果、剣の軌道がずれ、左肘より少し上の位置に剣が突き刺さった。


「ぐわぁぁ!!」

「き、キャ―――!!」


 ガルーダの叫び声とソフィーの悲鳴が執務室に響き渡る。


「なにごとですか!?」と見張りの騎士が駆けこんできた音が聞こえたが、私は無視して剣に力を込め続ける。漫画やアニメでは、いとも簡単に人の腕を切ってしまうが、意外と固く弾力がある。体重を統べて乗せても、なかなか切り落とせない。

 やっとの思いで切り落としたときには、床にすっかり赤い染みがこびりついてしまっていた。


「はぁ……はぁ……」


 血塗れの剣を握りしめたまま、肩で息をする。


「もう一度、問います。ガルーダ・ヴェルヌ」


 ガルーダは身体全身に脂汗を浮かべ、痛みに呻いていた。それでも、私の言葉に反応したのか、顔を僅かにあげる。鳶色の目を、まっすぐ私に向けてきた。


「貴方の腕を奪った女に、忠誠を誓いますか」

「……はい、俺は、王女様に、忠誠を誓っています。そして、これからも」


 ほとんど間を置くことなく、少年は誓いの言葉を口にした。呼吸も粗く、ひどく絶え絶えとした言葉だったが、忠誠の宣言には違いない。


 私は「よろしい」と頷くと、剣を軽く振った。


「リディナ、お前っ、いったいなにをしているのだ!?」


 私が服についた血を気にしていると、アルフォンス兄様が詰め寄ってくる。その腕には、がくがくと震えるソフィーを優しく抱きしめていた。


「なにって、この少年の覚悟を証明したまでのこと。

 それに、彼は元を正せば死刑囚。解放されるといっても、犯した罪は消えません。彼には、それ相応の罰が必要となります。

 ……記憶が正しければ、王国騎士団における罰則の内、2番目に重い罰が『腕を斬り落とすこと』でした」


 騎士団では、剣の腕が力量に直結する。故に、死刑の次に重い罪が『腕を斬り落とすこと』なのだ。騎士にとって、剣を握る腕は生命線。それを失うことは、騎士の生命が断たれることを示唆していた。


 ……もっとも、歴史を紐解くと、片腕でも騎士団長にまで成り上がった人物もいる。それに、私はガルーダの力量を見込んでいた。彼ならきっと片腕になってしまっても、それ相応の剣客に成長することができるだろう。


 最悪、義手を用意させれば問題ない。


 だから、躊躇うことなく彼の腕を斬り落とした。

 そう主張すれば、アルフォンス兄様も黙り込んでしまった。


「いかがでしょう、国王陛下? そして、宰相閣下?」


 私は剣を握りしめたまま、伏し目がちに父上と宰相を見上げる。

 父上は目を丸くしたまま固まっており、宰相も考えあぐねるように腕を組んでいた。


「……国王陛下?」


 ……正直、早めに判断を下して欲しい。

 ガルーダの腕からは、どくどくと血が流れている。早めに心配を下し、彼に適切な治療を受けさせないと命に危険が伴う。というか、すぐに止血しないとヤバい。心なしか、ガルーダの顔色が青白くなってきているように見える。


 だから、私はたまらなくなって叫んでしまった。


「父上!」


 すると、父上は大きく頷いた。そして、静かに手を挙げる。


「そこの騎士、リディナの護衛騎士を医務室へ運びなさい」

「は、はい!かしこまりました!!」


 騎士がガルーダに手早く止血を施すと、そのまま右肩を担ぐようにして立たせる。


「父上!」

「父上!?」


 私は喜びの声を、アルフォンス兄様は驚愕の声をあげた。



 父上は、いまたしかに「リディナの騎士」と口にした。つまり、それは死刑囚ガルーダを私の所有物として認めたことに他ならない。


「ありがとうございます、父上!」


 私は父上に最敬礼をすると、いそいで医務室へと向かう。その背中にシルフィードの「お待ち下さい、姫様!」と駆け寄る音と、アルフォンス兄様が「何を考えているんですか、父上!」と怒鳴る声を耳にしながら――。






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