9冊目 予期せぬ遭遇
「どうして、貴方がここに?」
「それは、こっちの台詞です!」
ソフィーは、どこか怯えたような声をあげた。
しかも、ソフィーの後ろにはアルフォンス兄様と宰相の子息がいた。まるで、ソフィーを護るのように立っている。
「どうして、リディナちゃんがここにいるんですか?」
ソフィーが再び尋ねてきた。
「リディナ、ちゃんですか」
私は、思わず眉を潜めてしまった。
……王族に対して「ちゃん」付けとは、馴れ馴れしい。
いや、私は確かに彼女より年下だから「ちゃん」付けしたくなる気持ちが分からないでもないが、それでもここは日本ではなく異世界。しかも、階級制度がある世界だ。子爵の令嬢が王族の娘に対して「ちゃん」付けなど言語道断。絶対に許されない言葉づかいだ。
「アタランタ子爵令嬢様、無礼ですよ! 姫様に向かって『ちゃん』付けなど!」
私が注意しなくても、シルフィードが怒ってくれた。その隣に立つ牢番も、どこか不満そうな表情をしている。
「もう、従者の分際で生意気ね」
しかし、ソフィーは違ったらしい。
ソフィーは腰に手を当てると、どこか怒ったような口調で話し始めた。
「だって、私とリディナちゃんは友だちだもの。友だちに『様』づけなんて、おかしいでしょ?」
「……1回会ったら、それで友だちですか?」
私は苦笑いを浮かべてしまった。その1度の出会いですら、ほとんど言葉を交わさなかった。私はソフィーとアルフォンス兄様たちが繰り広げる劇を観ていただけだというのに、どうやったら友だちになるというのだろうか。その理由を説明して欲しい。
「失礼だぞ、リディナ。口を慎め」
「ええ、王族だとあらせられるのに情けない」
アルフォンス兄様と宰相の子息が、ソフィーを庇うように前に出てきた。
この2人も、ソフィーと同意見らしい。2人とも、私のことを塵虫のように見下している。
「子爵令嬢を見下した発言、王族として人の上に立つ者として許しがたい行為だ」
アルフォンス兄様が、断言する。
いやいや、アルフォンス兄様。それ以前に、子爵令嬢が王族を軽んじたような言葉遣いをしているのだが、それは注意しなくてもいいの? 王族としての威厳云々を重視するなら、子爵令嬢を注意するべきでは?
……なんて反論を口にできる雰囲気ではない。
たぶん、反論したところで「ソフィーは特別だ」とか「差別はよくない。同じ貴族ではないか」みたいな切り替えしをしてくるのだろう。
そもそも、ここで口論していること自体が時間の無駄である。
「私は、彼女を見下したわけではありません。ただ、事実を申したまでのこと。
……もうよろしいでしょうか? 私、急いで父上にお会いしなければなりません」
どうして彼らが牢獄に来ていたのか疑問だが、私にも時間がない。
ガルーダと名乗る赤銅色の髪をした少年が護衛騎士になると決まった今、すぐにでも処刑を止めるよう父上と話をつけなければならないのだ。
「父上に? どうしてだ?」
アルフォンス兄様が問い詰めてくる。
まぁ、そのくらいなら話しても良いだろう。
「この者の処刑を止めるためです」
私は、ガルーダを真っ直ぐ指差した。ガルーダは、いまだに跪いて従順の姿勢を示している。
「アルフォンス兄様、彼を私の護衛騎士として雇うことになりました」
「リディナ! お前、罪人を――」
「嘘よ!!」
アルフォンス兄様の言葉を遮ったのは、ソフィーだった。
ソフィーは、あからさまに動揺していた。紫色の瞳は、異様なまでに揺れている。口元も手も足も、わなわなと震えていた。
「だって、彼を解放するのは……」
「解放?」
「い、いえ。それにしても、聞き捨てなりません。護衛騎士とは、どういうことですか?」
ソフィーは「解放」という言葉を誤魔化すように、問うてきた。……どうして誤魔化したのか気にはなったが、深く追及することなく理由を話すことにする。
「どういうこともなにも、彼を雇うことに決めただけです。
腕も立つみたいですし、なにより他の騎士や傭兵を雇うより安上がりです」
「安っ!? リディナちゃん、貴女は人を金銭で見ているのですか!? 金銭が理由で、この人を助けたのですか!?」
「……まぁ、平たく言えばそうですね。私、自由に使える金銭があまりありませんし」
「酷い!!」
ソフィーはそう言うと、ガルーダの前に駈け出した。彼の檻の前に立つと、私から庇うように両手を広げた。
「人を金銭で取引するなんて、奴隷です! 人権侵害です!」
「否定はできないわ。でも、彼は死刑囚。
命を救った対価。私に絶対服従の護衛騎士になるなんて、安いものだと思いません?」
命より高い買い物はない。ここは異世界だが、死んだら人は生き返らない。それは異世界でも同じ理だ。
「だから、その考え方が駄目なのです! なんでも金に置き換えるなんて、ありえません!
彼は、人間なんです! 生きようと死に物狂いで運命に逆らおうとしていた、1人の少年です! 彼を解放し、自由に生きたいようにさせるのが、人として相応しい行動だと思います!」
「……そうかもしれないわね」
ソフィーの発言は、たしかに一理あるかもしれない。
ただ、気になる点があった。そこは監査官として、どうしても見逃せない。
「1つ尋ねるわ。どうして、彼が生きようと騒いでいたことを知ってるの?」
「えっ……そ、それは、アルフォンス先輩とバージル先輩からお聞きしたのです。
『国に卑怯な手まで使わせて捕えた死刑囚がいる』って」
ソフィーは後ろの2人に同意を求める。
アルフォンス兄様も宰相子息のバージルという学生も、ほとんど同時に頷いた。だから、彼女の言い分は正しいのだろう。
だからといって、騒いでいたことを知っているとまでは限らないのだが……たぶん、さきほどまでの喧騒が上まで届いていたのだろう。私は、そう判断することにした。
「どちらにせよ、彼は私に仕える騎士よ。
私は、これから国王陛下に了承を取りに行くわ。ついてきなさい、シルフィード」
私がソフィーたちから顔を背けると、まっすぐ牢の外へ出向いた。
「は、はい。姫様!!
命拾いしましたね、死刑囚」
シルフィードが、慌てて後を追いかけてくる。
「待ちなさい、リディナ・ベルジュラック!!」
後ろからソフィーの声が聞こえてきたが、興味はない。いまは、すぐにでも父上……国王に会いに行く。ソフィーたちが何をしに来たのか分からないが、どうやらガルーダに関係することのようだ。
「姫様、どうしましょうか? 陛下が、そうすぐにお会いしてくれるとは思えません。手続きをとらなければ……」
シルフィードが困ったように尋ねてくる。
彼の困惑は、もっともだ。私だって、そう簡単に父上に会えるとは思えない。本来なら、今日中に手続きをして、早くて明日に面会する予定だったのだから。
「どうしましょうか、じゃないわ。今すぐ父上との面会の許可を取りに行く。もともと、今日は夜に宰相と謁見する予定だったわよね? 監視官として」
私は、宰相に学園の様子を話す予定になっていたはずだ。
「それは確かにそうですが……」
「宰相経由で父上への面会に取り次ぐわ。
私が知る限り、今日は特別な要件がなかったはずよ。宰相も『早めにいらしても構いません』とおっしゃっていたわ」
「いや、確かに言っていましたが、まだ約束よりも3時間早いですって!」
シルフィードは、私を咎めるように文句を口にする。だけど、そんな文句の1つや2つは、すでに了承済みだ。
「……そこまでして、あの死刑囚をお求めになるので?」
「ええ、もちろんよ」
理由なんて、とっても簡単だ。私は、いままで何も嘘をついていない。
「だって、安い買い物だもの」
他に、理由なんてない。
腕が立ち、伸び代があり、忠誠を誓う可能性が高い人物。おまけに、貴族との繋がりがなく、給金も安く済むなんて、こんな好物件は二度と出てこないはずだ。
お金はいくらあっても足りない。ならば、できる限り質素倹約して、ここぞというとき――たとえば、本作りのときなどに使うべきなのだ。
「本作りのためにも、節約は大切じゃない。
無駄な出費は抑えるべきよ」
そこまで口にしたとき、ちょっとだけ自己嫌悪に陥る。ソフィーの言う通り、これは人をモノとしか見ていない行いだろう。
私は、気がつくと苦笑いを浮かべていた。
「……私って、最低な女」




