第1話――わたしは未熟だから――
冬が明け、いよいよ三年生の卒業する日がやってきた。
温は第一志望の亀山高校に合格し、この春からはバスで亀山まで通うらしい。
亀山高校といえば、この地域一の名門だ。あのアンケート三昧の生活を続けながら、どこに勉強に費やす時間があったのかとつくづく不思議に思う。おそらく毎晩トラとアンケートに関するラインをした後に、一人でもくもくと取り組んでいたのだろう。トラが間の抜けた顔で眠っている間も、温はけして自分のペースを崩さなかったのだ。
卒業式の当日は、透き通る快晴の空に恵まれた。
次々と体育館に入場してくる三年生は全員、胸に花のコサージュをつけている。
トラは在校生の席に座りながら、温を含む三年生全員に敬意を払った。それほどに上級生たちの顔は澄みきっていたのだ。
温はもちろんよく頑張った。だけどここにいる人たちは皆、迷ったり、止まったり、あるいは流れる季節に思い出を溶かし、全ての時間を過ごし終えてこの場所を去ろうとしている。そう考えると、誰かに促されるまでもなく自然と拍手を送っていた。
温は長い列の終わりの方にその姿を見せた。体育館に入ってきた瞬間、誰もが温の凛とした制服姿に目を奪われていた。堂々とした歩様は、さすがはお嬢様といったところか。
山咲中学の卒業式は、卒業生一人一人が名前を呼ばれ、壇上にて卒業証書を受け取る。温も卒業証書を受け取り、式は無事に閉会となった。
式の後、卒業生と在学生は校庭であちこちに輪をつくった。仲の良い者同士でいつもどおりに喋ったり、この三年間の出来事を語り合ったり、あるいは涙を流しながら抱き合ったり。トラとすくねと義夫は、温が他の誰かにとられる前にと、急いで温のところへと走る。
「藤原先輩、おめでとうございます」
そう言って丁寧に礼をしたのは、すくねだ。
「明日から、先輩はもう、学校にいないんですね」
「うん。でも、花ヶ原の家は変わらないから、またいつでも会えるわよ」
温は柔和に微笑む。しかしすくねは歯をギリッと噛み締め、吐き出すように言った。
「先輩、すみませんでした」
「え? なにか謝られること、されたかしら」
「あたし、先輩にひどいことを言いました。アンケートばっかりやってる変な人って。先輩にとってアンケートは大切な思い出なのに、あたし、なにもわかってなかったんです」
温は、数秒黙る。祥風の中、温の髪がさらさらと揺れた。
「わたしはすくねちゃんと友達になれて、よかったなぁ」
「……え」
温は時間を追いかけるように、目を閉じる。
「一緒に海に行ったし、クリスマスを過ごした。わたしにとって、すくねちゃんとの時間はとっても大切だったと思うの。それに、すくねちゃんがわたしのためにわざと辛くあたってくれたってこと……ほんとは知ってたのよ。だから、謝るのはわたしの方。色々と迷惑をかけてごめんね」
「そんな!」
すくねは手をぶんぶんと横に振る。
すると温の唇が次第に開き、やがて満開の笑顔になった。
温はいきなり、すくねに抱きついた。すくねはびっくりした顔をしたけど、特に抵抗せずに温を受け止めた。すくねは声を殺しながら、涙を必死にこらえている。
「これからもずっと友達でいて。わたし、すくねちゃんのことが大好きよ!」
ついにすくねの涙腺は限界を迎えたようだ。真っ赤になった鼻を、水玉の筋が伝った。
「やー、尾崎、泣いてやんの」
そうやって冷やかす義夫だって、スン、と鼻をすすっている。
「うるさいわね! 泣いて、ない、もん。泣いてなんて……」
トラと義夫は女子同士の友情を温かく見守る。しばらくの間すくねが温の胸の中で涙を流した後、トラは義夫に脇腹を肘でちょいちょいとつつかれた。
「トラも、なんかあるんじゃねえの?」
その言葉で、温とすくねは離れた。今度は、トラと温が向き合う形になる。
誰かが校庭の中で花火を打ち上げたようだ。叱られている。この馬鹿野郎! と叱る先生の声も、なんだか嬉しそうに聞こえるのは気のせいか。
「僕は、温さんに助けてもらってばかりでした」
トラは今の気持ちを、包み隠さず温に伝えようと思った。
「病気が治ってから、クラスのみんなについていけずに辛く感じていました。でも、一番辛い時に温さんに助けてもらって。今は、みんなと仲良くやれています。山咲の方言もちょっと覚えました。おえん、とか、ぼっこー、とか」
そこで笑おうとしたのだけど、だめで。
あの、苦しかった時の気持ちが、鮮やかに蘇ってきたんだ。
でも頑張ろう、と思った。あの日に感じた悔しさは無駄じゃない。きっと悔しさも喜びも、全部が混じって未来のトラを形づくっていくんだ。
だから……、頑張って言おう。
「温さん。ありがとう」
トラが言った瞬間、校庭の砂の上に小さな染みが三つできた。
ついに温の目元からも、透明な雫が落ちてきたのだ。
「それはお互い様だよ、トラくん」
温は腰の後ろで卒業証書の入った筒を握り、ちょっと胸を張る。
「わたしは未熟だから、なにがなんだかよくわからなくなって、自分で悩みを解決することができなかった。トラくんはそんなわたしから逃げずに、助けてくれたでしょ?」
「温さんが未熟? 温さんは、なんでもできる人じゃないですか」
「そうじゃない」
温は静かに首を振り、トラ、すくね、義夫を順番に指差した。
「トラくんにも、すくねちゃんにも、ヨッシーくんにも敵わないことがたくさんある。でも、それはわたしだけじゃない。この世界に生きる人はみんな同じよ。だからこそみんなは、誰かと繋がりながら生きてるんじゃないかな」
そうかもしれない。
温の言葉は、トラの中に自然と染みこんでいった。
スピーカーから、チャイムが鳴る。卒業式が終わって生徒が三々五々に入り交じっている今日も、チャイムは正しく時刻を告げてくれる。温は懐かしむように、チャイムの音に耳をそばだてる。そして鳴り終わると同時に、鞄からカメラを取り出した。
「さて、アンケートです」
ニンマリと笑い、その、白銀色したキヤノン製のカメラをトラたちに向ける。
「今からわたしたちは、なにをするべきでしょうか?」
全員で吹き出した。質問者が答えを言っている。こんなの誘導尋問だ。
近くを歩いていた先生に、シャッターを切ってもらうようお願いをした。前列にトラと温、後列にすくねと義夫。すくねがグーの拳で、トラの頭をうりうりと潰してくる。
「お、おい。こんな時まで、お前……」
義夫がはらはらとした声で言う。見れば、温は穏やかな顔で唇を結んでいる。
四者四様の表情になったところで――、はい、チーズ。




