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マイン ~僕を導いてくれた場所~  作者: 木野かなめ
第四章――シクラメンの咲くアプローチ――
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第17話――背負うべき未来を掴むために――

 それから五分くらいは足首を押さえていただろうか。


 立ち上がってみると、鈍い痛みを覚えたが、早歩きくらいならできそうだった。


 トラは(おん)の後を追って、ひょこひょこと走り出す。すぐに分岐路に差しかかった。一昨日の記憶を必死になって探り出す。一度通っただけなので全ての経路を覚えているわけじゃない。トラは、ある程度は直感に委ねながら道を選んだ。


 しかし、たて(こう)への正しい道を選び続けるのにはやはり無理があった。地面は次第に湿りっ気を帯び、歩く度に靴の下でじゅくじゅくという音が鳴った。さらに頭の上から水滴が垂れてくる。この前も無人の寂しさが感じられた道だったが、さすがにここまで荒れていた覚えはない。しかも地下に下らないといけないはずなのに、少しずつだが坂を上っているような気がする。トラは、焦った。

 それでも、前に進むしかない。今から元来たルートを戻る時間はないし、そもそも正しく戻れるかどうかもわからない。地面はとうとう、水浸しとも呼べる状態になってきた。水深はやがて浅い池ほどにもなり、トラの足首がずっぽりと泥にはまった。


 どうしようか……。


 そう思って足を止めた時、目の前に白い壁が見えた。トラの背丈くらいの高さだ。ここで行き止まりなのかもしれないと思うと、いくら気を張ろうとしても、いよいよ心は折れてしまいそうになる。


 トラはその壁にゆっくりと近づいて、手をかけてみた。残りの力を振り絞って壁によじ上ると、下方から勢いのある風が吹き上げてトラの前髪を天に立たせた。

 そこで、昨日のすくねの言葉が頭の中に響いた。


(下から上に風が抜けるようになってんの。ドラフト効果っていう、自然の現象よ)


 たて坑はドラフト効果で風を吐き出している。もしその風が行き場を探して上方へと抜けたとしたら、この場所に到達するのではないか。


 壁の向こう側には、崖といっても過言ではないほどに急峻な下り坂が斜をなしている。電灯は設置されておらず、下り坂の終点が見えない。坂の右端には木枠で覆われた階段っぽいものがあって、もうボロボロに腐ってはいるけれど、坂を下る唯一の通り道のようにも見えた。


 いくか。


 トラは覚悟を決めて、壁から飛び下りた。着地とともに、硫黄分を含んだ鉱水が頬と服に飛び散った。かかとでぬるりとした感触を覚え、バランスを崩す。なんとか岩盤に手をかけてこらえ、深呼吸。落ち着いて、落ち着いて。


「よし!!」


 自らを鼓舞し、転がるように階段を駆け下りた。手すりはない。踏む先の木枠はいつ崩壊してもおかしくない。この道がどこまで続いているのかも不明のままだ。ただひたすらに、底へと向かって突き進む。


 おかしなことに、山咲(やまざき)病院での光景が頭の中に瞬いた。


 オリーブの本で病気がよくなりかけた時、病院の中庭で走ってみたことがあったな。

 由紀(ゆき)は叫びながら屋上から駆け下りてきた。すみません、と頭を下げた。頭を下げつつもいたずらっぽく笑うトラを、由紀は容赦なしに叱りつけた。

 あの瞬間、トラは背負ってきた過去を全て振りきろうと思って走ったはずだ。

 けれど、今は違った。トラは今、背負うべき未来を掴むために走っている。


 その回想を打ち消したのは、温の悲鳴だった。


「だめ――――――っっ!!」


 その声は進行方向から響いた。つまりトラは、一昨日とは別の道を迂回しつつもたて坑に近づいているらしい。

 坂の上の電灯の光はもう届かない。ここは、本物の闇の世界だ。

 人間の目というものは、暗い部屋にいようが夜道を歩いていようが、次第に慣れるつくりになっている。ただしそれは、カーテンの隙間から入ってくる光や道を照らす月があるから。けれど光源のない坑道では、目は闇に慣れてくれない。自分がどこにいるのかも、どこに向かっているのかも判断できない。もしここが平坦でありなんの障害物もない道だったとしても、歩くには勇気がいる。だから、温の声は唯一の案内者だった。


 突如、踵の裏で角度の終了を覚えた。つんのめる身体をなんとか元に戻す。どうやら坂を下り終わったようだ。

 目を凝らすと、(もや)一枚を隔てて岩盤の筋が見えた。つまり、新たな光源がこの先にあるということを示している。


 いっそう強くなる風を受けて、身体が動くよりさらに早く身体を動かそうとした。


 気持ちだけが、自分の二歩も三歩も前を走っている。


挿絵(By みてみん)

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