第15話――変わっていく運命だってあると思うから――
「これ、なに……?」
温は自分の名前が原稿用紙に書かれていることを不思議に感じのか、静かに呟いた。
「どうして、わたしの名前が?」
トラはまず、しっかりと温を見つめた。そして一つ一つ、これまで自分が抱えていた謎を温に説明していった。ただし一点、温とすくねのどちらかがやがて消えてしまうことだけは口に出せない。ただ、温は静かに耳を傾けてくれた。
全てを聞き終えた温は、トラの髪をごしごしと撫でた。
「……知らなかった。トラくんもわたしと同じように、謎を追っていたのね。わたし、どうして知らなかったのかな。知ってあげられなかったのかな」
「ち、違うんです。それは僕自身の問題だったから……」
トラが言い終わる前に、温の柔らかい手がトラの毛先を触った。トラは照れながらも、素直に頭を差し出す。
「ねえトラくん、これから困った時はどうすればいいかわかる?」
「温さんに、相談する?」
「そうよ。わたしは、トラくんがわたしを助けてくれたように、トラくんを助ける。もしわたしの力が及ばなかったとしても、話してくれるだけでいい。誰かに話すだけで、変わっていく運命だってあると思うから」
温はトラを、強く抱き締めた。深閑とした部屋の中、月の光が窓枠の形に切り取られて差しこんでくる。
温の心が、痛いくらいに伝わってきた。温の涙がトラの肩に落ち、ぽつぽつと鳴った。
トラはこの世で一番の優しさをもらった。
ならば次は、温の番だ。
江坂はどこにいるのか。そして、なぜトラの病室に現れることはなかったのか。
トラは壊れ物を扱うように温の腕を外し、日記へと向き直った。最後のページを開く。そこには、鉱山での仕事についての簡単なコメントがあった。
『明日はL―6ラインの作業だ。足場が脆いらしいから、気をつけよう』
L―6ライン。
この記述は、すくねの父の証言と一致している。ではなぜ、この日記はここで途切れてしまったのだろう。
そう疑問に思った瞬間、温のスマホから着信メロディが流れた。ディスプレイには『すくねちゃん(実家)』と表示されている。すくねからの電話ならば、実家ではなく彼女の電話からかかってくるはずだ。トラは、きな臭い予感を覚えた。
スマホから聞こえてきた声はやはり、すくねの父のものだった。
『もしもし、藤原さんか?』
「はい。どうかされましたか?」
温の声も、いつしか真剣なものに変わっている。
『あいつ、まだ帰ってこないんだけど、今藤原さんと一緒におるんか?』
「いえ、いませんが……」
『そうか。弱ったな。それじゃ、トラくんにかけてみるか……』
「え、トラくんですか? 隣にいますから、代わりますね」
温は急いでスマホをトラに渡す。スマホ全体から、ほんのりと温の香りがした。
「もしもし、代わりました。すくねがどうかしたんですか?」
『おう、トラくんか。きみならわかるかもしらんけど、すくねの奴、きみにもらったプレゼントをなくしたって言ってなかったか?』
「いや、聞いてないです。でも、今日はずっと元気ないみたいだったんですけど、それが原因だったんですか」
トラがすくねにあげたプレゼント……たしか、栗色の手袋だったはずだ。
『あいつ、昨日から落ちこんどったんじゃけど、昼休みに僕に電話があったんだよ。手袋をなくした場所がわかったから、今日の帰りは遅くなるって。だけど、あまりに遅すぎじゃろう。もう七時回っとるんぞ』
すくねが手袋をなくした場所。
どこだった。……最後にあの手袋を見たのは、どこだったっけ。
その時、トラの頭の中に閃光が走った。
すくねが手袋を置いた瞬間の映像が、点滅しながら蘇ってくる。トラはスマホを強く握り絞めた。あそこに、すくねはいるはずだ――。
「わかりました。僕も、探してみます」
『すまんな。なんかわかったら、教えてくれ』
トラはすくねの居場所を告げずに電話を切った。あの場所は、すくねの父には教えない方がいい。後でどれだけ叱られるか、わかったものじゃないから。
「トラくん」
温が必死の顔でトラの名前を呼ぶ。どうやら、温もすくねの居所に気づいたようだ。
「待って下さい。できたら応援がいた方がいいです」
トラは間髪を入れず、自分のスマホを取り出した。かける先は義夫の家だ。
早く出てくれ、早く出てくれと念じながら、数秒間を待つ。
『はい、藤田ですが』
中年の男性の声が聞こえた。どうやら、義夫の父が出たようだ。
「同級生の在布といいますが、義夫くんはいますか?」
『あら、悪いねえ、まだ帰っとらんのじゃよ』
「え、まだなんですか」
『あいつはいっつもどこぞをほっつき歩いとるからのう。また、帰ってきたら電話するように言っとくけん。えっと、名前はなんじゃったかの』
「在布です。在布大河」
『在布……?』
わずかに間がある。通信が切れたのだろうかと案じたが、一拍の後に返事がきた。
『……ああ。ん……?』
「義夫くんが帰ってきたら、高城鉱山の入口に来てくれるよう伝えてもらえますか」
『そりゃええが、きみも遅うなったらいけんよ。家の人が心配されようけん』
「はい。すみません、それでは失礼します」
受話を終える。残念ながら、義夫は間に合いそうにない。
すくねがまだ帰宅していないということは、なにかがあったんだ。迷ったか、あるいは考えたくないが、怪我をしているとか。
急がないといけない――。
トラと温は互いにうなずき合い、江坂の家を飛び出した。




