第11話――さっき僕の名前を呼ばなかった?――
坑道に入ってから半時間が経過した時、とうとう天井の電灯が途切れた。こうなると、すくねのライトしか頼るものはない。一気に暗くなった足場を、三人で身を寄せ合って歩く。坑道の外なら悪くないシチュエーション、というか体勢なのだけど、今はそれを楽しむ余裕なんてこれっぽっちもない。
すると、闇の中から急に強い風が吹いてきた。トラはその風圧に思わず瞼を閉じる。頑張って目を開けると、胸くらいの高さに鉄柵が設けられていた。
「『たて坑』に着いちゃったみたいね」
すくねが、静かに言った。
続けて温が、たて坑についての説明をくれる。たて坑とは、鉱山の上層から下層までを一気に繋げる穴のことらしい。
すくねは数歩前に出て、たて坑の上からライトを掲げた。そこには直径10メートルくらいの馬鹿でかい穴隙が口を開けている。地獄に続いているのではないかと思えるくらいの、深さと暗さだ。底からは呼吸をするかのように一定の間隔で突風が吹き上げてくる。
「すご……」
「下から上に風が抜けるようになってんの。ドラフト効果っていう、自然の現象よ」
すくねの短い前髪が、風に踊る。
「どうします、先輩? 父さんが言ってたL―6ラインまで下りてみましょうか?」
「うーん……それはちょっと厳しいかも」
温は難しそうに唇を歪めた。
「L―6ラインだと、40メートルは下らないとだめでしょ。時間がかかりすぎるわ」
「でも、昔はそこまで下りて作業していたんですよね? みんな、どうやって下りていたんですか?」
トラは温とすくねに割りこむ形で訊いた。なにか、簡単な下り方があるはずだ。
しかし温は、残念なため息を一つついただけだった。
「前はエレベーターがあったけど、もう動いてないの。だから、下りようと思ったらあそこの側道を斜めに下りるしかないわ」
温が指し示す先には、黄土色の階段らしきものがあった。だが、その床面には鉱水が浸透しており、朽ちてぐちゃぐちゃになっている。
「ま、でも、せっかく来たんだし、たて坑をのぞいてみましょうよ」
すくねが提案し、危なくない程度にたて坑に近づいてみるということになった。
「この柵だけ、完全に固定されてないのよねぇ」
すくねは目の前の鉄柵のうち、一番左の柵に手をかけた。
ところが地面にぬっぽりとはまっているため、なかなか抜けない。すくねは手袋を外して尖った岩盤の上に置き、素手で柵をがっしりと掴んだ。
「ぬぬぬぬぬぬ……」
「すくねちゃん、無理しないでね」
「だ、大丈夫ですよ、このくらい……ぬむむむ……」
「いける? 僕も手伝うよ」
「そう? じゃ、じゃあ……お願い」
トラはしゃがみこんで、柵の下側を握った。湿気のためにすっかり錆びた鉄柵がもろりと崩れ、手の中で粉々になる。
「せーのでいくわよ」
「よし」
「せーの……、それっ!!」
二人で力を合わせると、柵はすっぽりと抜けた。人が通れるだけの隙間ができたので、トラたちはたて坑にそろりと近づいてみる。
「……ん?」
しかしその時、トラの耳は何者かの声を捉えた。
反響するようなその声は、トラの名前を呼んでいるようにも聞こえる。
「ほら、ぼーっとしてないで、あんたの不思議な記憶のなんとかで、早く思い出してよ」
「無茶言うなよ。それより、さっき僕の名前を呼ばなかった?」
「さっきって、いつ?」
「今。五秒くらい前」
「五秒くらい前って、柵を……」
すくねがそう言った瞬間、すくねの手からライトが転げ落ちた。ライトは上向きになって坑道の天井を照らす。人の顔にも似た岩盤模様が、鈍く笑ったようにも見えた。
「ちょ、ちょっとあんた! 人の手をはたかないでよ!」
「僕じゃないって!」
「嘘! あんたじゃなかったら、誰が叩くっての、よ……」
そこで、すくねがブルッと身震いをした。トラの背中にも鳥肌が立つ。二人して同じことに気づいたのだろう。
すくねの『前』に立つトラは、すくねの『後ろ』から手を叩けないという事実に……。
「や、やめてよ!」
すくねが口をアワアワにしながら叫んだ。
「あんた、なにか思い出したの? 思い出せるの? どうなの?」
「む、無理……無理無理無理。なーんにも思い出せないよ」
「よし、帰ろう!」
すくねがわざと元気よく片手を挙げた。もう、ここにはいたくないといった感じだ。
トラにも異論はなかったし、温も「あまり遅くなってはみんなの家族に心配をかけちゃうかも」と言うので、全会一致で元来た道を引き返すことになった。
帰りは、早かった。速歩に速歩を重ね、途中からはすくねと肩を組んであいみょんの曲をメドレーで歌いながら歩いた。すくねとの友情をこれほどに感じたことは、初めてだ。
入口の門から吐き出されるように外に出ると、極寒の風がトラたちを襲った。歯をガチガチガチガチ! と合わせ、皆両手で自分の身体を抱く。
パイ生地のような雲の隙間に、月の光がぼんやりと映っていた。




