第8話――坑道に、入ってみますか?――
「鉄板に火を入れるけん、気いつけてな」
二品目のホルモン入りサラダを食べている途中で、港が大鉄板を稼働させた。
この店の厨房はカウンターのすぐ向かいにあるのだ。料理を一からつくっている様がわかるので、調理自体が一つのアトラクションとして機能している。
港は大鉄板の上でラードを溶かし、鶏肉と数種類のきのこを器用に炒めた。そこにキャビアを盛りつけて完成。芳醇な香りがトラの鼻には心地よい。
「お肉づくしですね」
トラが満足顔で温に言うと、温は食む口元をそっと手で隠した。
「お肉は亀山の名産だからね。それに、港さん自身がホルモン料理で全国的な賞をとっちゃった方なのよ。ね、港さん?」
「そんなこともあったかな」
港は鍋をかき混ぜながら、恥ずかしそうに笑う。
「すごいじゃないですか! いや、ほんと、最高の誕生日ですよ」
「そう言ってもらえて……わしも嬉しい。ありがとな、トラくん」
それから港は鍋からビーフシチューをすくい、大皿へと流しこんだ。宴会でもできそうなくらいの大皿。これは一人前じゃなく、三人で食べる量だ。
「ほい。みんなでどうぞ」
そのビーフシチューは、トラの前へと置かれた。湯気がほこほこと舞い上がる。だけどどうして一人前ずつに分けず、一つの皿にまとめてしまったんだろう?
「でかぁ……これ、どうやって食べたらいいのよ」
すくねの問いかけを待ってましたとばかりに、港は三人の前に小皿を置いた。小皿の上にはクラッカーが斜めに並べられている。
「そのクラッカーにシチューを乗せて食べるんじゃ。どうぞどうぞ、温かいうちに」
へえ、シチューをこんなふうにして食べたことない。
新鮮さに驚きつつ、まずはトラが一番手を担った。
「おいしい!」
シチューのまったりとした食感と、弾けるクラッカーかぴったりと合う。しかも牛肉がこれまた旨く、よく仕込みが行き届いているみたいだ。
「どれどれ?」
すくねはそう言って、素早い動きで上半身を寄せてくる。
「わたしも、いただきます」
今度は温。ちょっと距離が近くないか。まあ、皿がトラの前にあるわけだから、ぴったりとくっつく形になるのは仕方ないのかもしれないが。
と――、そこまで考えて、ある仮説が浮かんだ。
はっとして港を見上げる。港の片目が瞬いた。
(さ っ き は 褒 め て く れ て あ り が と う。
た ん じ ょ う び 、 お め で と う)
たしかに港は、音量ゼロの声でそう言った。
大皿でシチューを出したのは、そういう企みだったのか……。男子的に最高のアシストなんだけど、照れちゃうのも事実で。まだまだ未熟なのですよ、僕は。
最後のデザートにはチョコレートムースケーキが用意されていた。ムースの間に詰めこまれた苺とキウイが焦げ茶色を基調によく映える。もちろん女子二人は大騒ぎ。あっという間に平らげて、すくねは舌でぺろりと上唇を舐めた。
「あ、そうだ」
そして思い出したように、人差し指を立てる。
「父さんに聞いたんだけど、この前トラと藤原先輩で工場に来たんだって?」
温はこっくりとうなずく。だけどすくねは納得がいかないようにトラを見た。
「あんたが来ちゃ、工場の人の邪魔になるでしょ」
「まあ、そうかもしんないけど……」
「どうせあんたが言ったんでしょうね。見たい、行きたいって。そういうので先輩に迷惑かけちゃだめじゃない」
「違うのよ、すくねちゃん」
温が低く、それでいてトラを護ろうとするような声で言う。
「わたしがトラくんを誘ったの」
「……え、そうなんですか? なんで?」
「えと、それは」
次の言葉に迷う温。なので、代わりにトラが答えた。
「別にいいだろ。そんなに邪魔しなかったし、すぐに帰ったよ」
「……ふーん」
そこで沈黙の帳が落ちる。温はカウンターの木目を見つめ、なにかを考えている。
そして温が、大きく息を吸いこんで均衡を破った。
「わたしね」
ひと息では言いきれない。軽く呼吸を整えて、唾を一つ呑む。
「すくねちゃんに、聞いてほしいことがあるの」
「はい。……なんですか?」
もしかして温は、すくねに鉱山の謎を話すつもりだろうか。
だけどそうすると、あの辛すぎる過去も同時に話さなければならない。かつては思い出すだけでも調子をおかしくしてしまった温だ。トラは首を軽く振るジェスチャーで温を止めようとする。
しかし、温は笑顔一つでトラの心配をかわした。強い、笑顔だった。
それから、温の唇がほどけ、一連の事情が語られた。話の合間には、溶けた氷がグラスを打つ音が定期的に響く。
温の話が終わっても、すくねと港はずっと黙ったままだった。
すくねは眉間に皺を寄せながら少し上を向き、そして、思いきった口調で言った。
「……みます?」
よく聞きとれない。温は長いまつ毛を跳ね上げて、すくねの続きを待つ。
「坑道に、入ってみますか?」
「えっ」
温の声が、少し裏返る。
「坑道の門はもう、閉じられているはずよ」
「いえ、あの門は開くんです。鍵が必要なんですけど、それも父さんがもってます。だから先輩が入ってみたいなら、内緒でなんとかすることはできますよ」
いきなりの展開にトラは驚く。坑道の中で起こった謎を解くには、坑道に入ればいい。だけどまさか閉山になったはずの鉱山に入るという発想はなかった。最初から無意識に諦めていたルートは、不可能ではないとすくねは言う。
「一度、あたしの家に遊びにきて下さいよ。父さん、坑道の中に詳しいですし。あ、でも今の話は内緒でお願いしますね」
「ぜひお邪魔させてもらおうかしら。でも、わたしだけ呼ばれていいのかな?」
温が目でトラを示す。一緒に来てほしいという意志がたっぷりと乗った視線だ。
「……しゃあないなぁ。トラも来ていいわよ」
「あ、あり……がとう?」
よくわからないけどお礼を言っておく。まあ、すくねの家に遊びにいくというのは悪い気はしないし、すくねの父もいい人だからぜひまた会ってみたい。
それから三人で日程を調整した。年末はみんな忙しいだろうということで、尾崎家への訪問は三が日を過ぎた次の土曜日に、と決まった。
「オッケー! それじゃ、父さんに言っとくね」
すくねがせわしなく手帳を開け、土曜日の青い欄にぐりぐりとマークを入れる。なんだか嬉しそうな表情をしているけど、どうしてだろうか?
すると温が、トラに向かってかわいい合掌をした。
「ごめんね。せっかくの誕生日なのに、わたしの話ばかりしちゃった」
「いや、別に……」
そんな、気を悪くしたなんてことはない。むしろ温が自らの抱えている闇を、すくねにも公開した方が驚きだ。この二人、いつしかこんなに信用し合えるようになってたんだ。
「これ、プレゼント。誕生日おめでとう、トラくん」
カウンターの下に置いた緋色のバッグから、紙包みを取り出す温。
「にひひ、あたしもあるよ。未来永劫大切にしてよね」
続けてすくねも、手で持てるサイズの直方体をトラにくれた。
梱包を丁寧に開封する。セロハンテープもできる限りそろりと剥がした。出てきたプレゼントだが、温からはFCバルセロナのユニフォーム、すくねからはペンギン型のマグボトルだった。
「え、すごい!」
バルセロナといえば、トラが海外サッカーで一番好きなチームだ。それにペンギンとくれば母の面影を思い出す。だけど悲しみに沈むのではなく、喜びが心の奥底からやってきた。母に自慢したかった。僕はこんなに素敵な二人と仲良くなれたんだぞ、って。
「僕もあるよー」
トラは若干デレデレしながら、二人にプレゼントを返した。温にはアイビーグリーンのマフラーで、すくねには栗色の手袋だ。
「わぁ、素敵!」
「いいじゃーん、これー」
すくねが透かすように手袋を照明にかざす。いや、喜んでもらえてなにより。
でも、父と一緒にプレゼントを買いにいっておいてよかった。「へへえ、なんで二つも買うんだ?」とからかわれたけれど、色々悩みながら選んだんだ。一個貸しな、と言う父の顔は、慈しむような笑みをたたえていた。
ちょうど宴も締めとなり、会計の段になる。温が全額奢ると言えば、すくねがそれは許さないと反論。トラも払うと抗議した結果、温とすくねの折半で支払うことになった。
「黙って祝われてなさい!!」
そう言うと同時に急襲してきたすくねの鉄拳で、『いえいえわたしが』論争に決着がついた。脇腹は痛かったけど、まあ、最後までいつもどおりに接してくれた二人に感謝だ。こんなに幸せなクリスマスがこの先あるのか、って疑ってしまうくらいだし。
外に出ると、雪は弱まっていた。温度の落差に身震いをする。向かいの店のジャズは、美しい賛美歌へと変わっている。ああ、これ、『いつくしみ深き』だ。知ってる。
暗い商店街の中を、自動販売機の灯りを頼りに三人で歩く。すくねの小指がトラの小指にかすったが、すくねはひとことも発しなかった。さらに肩が温とぶつかる。温は離れるどころがよりいっそう肩を寄せてくるのだから、トラにはもう、わけがわからない。




