第9話――青い海がパノラマに広がった――
温と花火大会に行った日以外、トラの夏休みはつつがなく流れていった。
晴れの日は太陽の傾き一つで景色の濃淡が入れ替わり、まれに雨が降る日には天の怒りのような雷が走る。山咲の夏は、どこを切り取っても名画になりうるくらいに鮮やかだ。
そんな夏休みも終盤に差しかかったある日の炎天下。トラと義夫が並んで向かった先のバス停には、剪定鋏を肩にかけたすくねが健康的な生足を伸ばして立っていた。
「うっ……尾崎?」
「なに? あたしがいたら迷惑?」
義夫は愕然……というか恐々としているのだけど、すくねは意外と嬉しそうだ。
「わたし、海はほとんど行ったことがないので、楽しみです」
温はかぶっていた麦わら帽子をそっと外す。ライムグリーンを白に重ねる形でティアード状になったワンピースが実に爽やか。広いネックラインからのぞくたおやかな鎖骨は、ちょっと目のやり場に困るくらいだ。
(おい、トラ。オリーブさんはどうしたんだよ、オリーブさんは)
義夫が、トラだけに聞こえる小声で訊いてくる。
(そんなこと言ったって。だいいち、僕、オリーブの連絡先なんて知らないもん)
(えっ、そ、そうだったのか……早く言えよう……)
(ごめんね、ヨッシー)
(まあ、藤原先輩がいるからひどいことにはならんだろ。たぶん……)
義夫はそう言って、がっくりとうなだれた。
今日から、トラたち四人は一泊二日で義夫の祖父の家に遊びにいくことになっている。山咲から亀山まではバスで移動、亀山から義夫の祖父の家がある島崎までは電車で二時間といったところらしい。しかも海遊びをするから水着をもってこいとの指令まであった。
で、義夫からは、他にも誰か誘っていいと言われていたわけだが。
他の誰か、と言われてすぐに思いついたのが、温とすくねだった。温には花火大会に誘ってもらったし、すくねには亀山を紹介してもらったことがある。元は義夫のプランではあるけれど、トラは温とすくねに対する返礼として誘いの電話をかけてみたのである。すくねがすんなりと承諾してくれたのは意外だった。ちょうど予定が空いていたらしく、これで四人が初めて一同に会する運びとなった。色々と人間模様があるみたいだから、ぎくしゃくしなきゃいいけど。
だが、そんなトラの不安はいとも簡単に吹っ飛んだ。
亀山からローカル線に乗って島崎へ。車内では四人がけのボックス席に座り、各々もち寄ったお菓子を開いて交換し合った。乗客は少ない。車窓を開けて、風を取りこめば気持ちいい。すくねの短い髪がもしゃもしゃと絡まったのでついつい笑ってしまったところ、すくねにアイアンクローをくらって圧殺されそうになった。
すくねのその他暴力を義夫が止め、温はマイペースで常に微笑んでいる。途中の駅で七分間停車した時には、義夫がダッシュで四人分の駅弁を買ってきてくれた。発車のベルが鳴ると同時に滑りこみセーフ。義夫は冷や汗を流していたけど、弁当は無事だった。
窓の向こうではしばらく田園風景が続き、やがて山道に入ると大枝小枝が漫画の集中線のように進行逆方向へと流れていった。山を越える。青い海がパノラマに広がった。
みんなで窓に張りつき、息を止めて波飛沫に見入った。




