148、ガラス工房
工房から出てきたのは、五十代ぐらいに見える筋骨隆々なおじさんだ。少し緊張してるみたいだけど、どうしたんだろう?
「初めましてレオンと申します。本日はよろしくお願いします」
「おう、あっ、はい? 俺は、この工房の工房長だ、です。敬語は苦手で、す」
あっ、もしかして俺が貴族だと思ってるのか? 確かにロジェが話を通したのなら公爵家が来ると思うか。おじさんには悪いことをしたかも。
「敬語は使わなくていいですよ。俺は平民なので」
「何だ、そうなんか。はぁ〜、早く言ってくれよ……貴族様から連絡が来て工房に来るって言われて、まじでビビってたんだぜ。普通貴族様は工房に来ることなんてないからな」
え? そうなの? でも商会で売ってないものが欲しい時は工房で注文するんじゃないの?
俺がそう疑問に思っていると、察したロジェが説明してくれた。
「レオン様、ほとんどの貴族は商会に売っていないものを欲しがるということはないのです。もしあった場合でも、欲しいものの概要を従者に伝え、工房に来るのは従者のみとなります。ただレオン様はご自分で足を運ばれたいようでしたので、今回はレオン様が訪れるように調整いたしました」
「そうなんだ。ロジェありがとう」
やっぱりロジェって本当に優秀だ。最近は俺の考えもわかってくれて、言わなくても俺の意向に沿って仕事をしてくれる。
今は俺がタウンゼント公爵家にお世話になってるから俺に仕えてくれてるけど、今後はどうなるんだろうか。ロジェさえ良ければ、今後も俺に仕えてほしいな。まあ、これはリシャール様やクリストフ様とも話し合わないといけないことだ。
「とりあえず俺は平民なので、敬語や態度に配慮する必要はありません。いつも通りにしてください」
「おう、ありがとよ! なんならお前も、レオンだったか? 敬語やめてくれや。なんか落ち着かないからよ」
「そう? それなら普通に話すよ。じゃあ、早速注文してもいい?」
「ああ、まず中入れや。そこの椅子に座ってくれ」
おじさんはそう言って、俺たちを工房の中に入れてくれた。中に入ると応接室のようなものはなく、工房の隅に机と椅子が置いてあり、そこに案内された。
「それでガラスのケースが欲しいんだったか?」
「うん。かなり大きめのケースが欲しいんだけど、作れる?」
「ああ、枠を木工工房に頼めば作れるはずだ。木が嫌なら鍛冶屋だな。少し時間はかかるが作ることはできる」
「本当!? じゃあ、そのガラスケースの中に氷を入れて、中を冷たく保つことって出来るかな?」
「氷だぁ? それってあれだろ? 冬に桶に水張っとくとできてるやつだろ?」
「それ! それをガラスのケースの中に入れて、ケースの中を冷たく保ちたいんだ。ケースの中を冬のようにして、食料を保存するの」
俺がそう言うと、おじさんはよくわかってないような不思議そうな顔をした。
そうだよね、よく考えたらおじさんはガラス工房の人で、冷蔵技術なんて知らないよね……。テンションが上がって思わず聞いてしまった。
「俺にはわからねぇな。そもそも氷って冬が終わると溶けちまうだろ? ならずっと冷やしておけねぇんじゃねぇか? それに冬なら外に出しとけば保存できるからわざわざ家の中で冬を作り出す必要はないし、夏は氷がねぇだろ?」
「ううん。氷は魔法具で作れるんだ」
「そうなのか、貴族様ってのはすげぇんだな。でも氷があっても夏じゃすぐ溶けちまうだろ?」
確かにそうなんだよね、そこが一番難しいんだ。俺もどうすれば良いのかはよく知らない。
ただ、たしか冷気は下に行くから、氷は箱の上の方に置けるようにした方が良いんだと思う。あとは出来るだけ断熱効果があるようにして、出来るだけ密閉させた方が良いのだろう。それで氷を定期的に変えれば……できるのかな?
とりあえずおじさんには、ガラスケースで密閉出来るのか聞いてみよう。
「おじさん、ガラスのケースってどのくらい密閉できる?」
「ん? なんだ? みっぺい?」
「密閉は、うーん、ガラスケースの中の空気が、外に漏れないようにすることかな。できる?」
「空気が漏れないようにって、どういうことだ?」
「あ、そっか、違う。そう、隙間のこと! ガラスのケースって隙間が全くないように出来る?」
「それならわかるぜ。枠とぴったり合わせれば、ほとんど隙間をなくすことはできるはずだ」
やっと通じた……この世界にない概念なのか、このおじさんが知らないだけなのかはわからないけど、言葉がわからない人に伝えるのってやっぱり難しい。
とりあえず最低限の密閉はできるのか。まあどれほど隙間がないのかは怪しい気もするけど。でもとりあえず作ってもらおうかな。もし使えなくてもそのうち使い道もあるだろうし。
お店に置いて中に展示物を入れるのとかでも良いよね。貴族が見て楽しいものといったら……お花とか? 定期的に交換するのが大変だとしてもありだ。
まあ、そんな感じで使い道もあるだろう。
「じゃあおじさん、この設計図の大きさで作ってくれる?」
俺はそう言って、お店で測ってきた寸法から書いた設計図を渡した。書いたのはロジェだけど。
「こんなに大きいのか」
「うん。作れそう?」
「ああ、問題ないぜ。六週間ぐらいはかかるけどいいか?」
「うん! じゃあよろしくね」
「おう! 任せとけ」
そうしてとりあえずガラスのケースを頼んで、俺たちは工房を出た。
ふぅ〜、疲れたよ。なんか冷蔵機能付きガラスのショーケースは上手くいかない気がしてきた。勢いで作ろうとしてたけど、よく考えたら問題だらけだよね。ちゃんと考えてからやらないとダメだな……勢いだけで突っ走らないように気をつけよう。
何となくのイメージで出来そうだなと思ったやつは、ほとんどの確率でできない気がする。よく考えたら材料が足りないとか、技術的に無理とか、俺の知識が足りないとか。
ガラスのショーケース、作りたかったんだけどな。
例えばだけど、ガラスのショーケースの中に桶に入れた氷を置いて、溶けたら定期的に変えるようにする。それだけで冷蔵になるのだろうか? 隙間がないといっても密閉は無理だろう。この世界ってゴムを見たことがないし。窓も木枠にガラスが嵌め込んであるのだ。
だから密閉は難しい。そんな空間に氷を置いておくだけで良いのだろうか。またガラスケースって光を通すから、よく考えたらケースの中は暖かくなっちゃうんじゃないのかな? 窓際とかかなり暑かったりするよね。
お店にはガラスの窓があって、昼間はずっとカーテンも開けてるだろうし、太陽の光が差し込んだら氷なんてすぐ溶けちゃう気がする。
それに同じ空間で氷が溶けてるのって、湿度が凄いことになりそうだ。ケーキがダメにならないのかな? ビシャビシャのケーキになりそう……。
こうして考えたら本当に問題だらけだ。氷を使って効率の良い冷蔵設備にしたいけど、俺ってそういう知識は全くないんだよね……。どうすれば上手くいくのか見当もつかない。
日本で理系だったら、もう少し知識が役に立ったのかもしれないのに。俺って文系で、しかもこの世界では全く役に立たない学部だったんだ。日本にいる時はそれが楽しくて学んでたんだけど、今となってはマジで役に立たない。もし転生することがわかっていれば、絶対に理系を選んだのに!
まあ、今更嘆いてもしょうがないんだけど。俺ができる範囲で考えよう。この世界で俺が冷蔵設備を作るとして、一番可能性が高いのはやっぱり魔法と魔法具だ。
というかもうそれしかない。スマホがあれば話は違うんだけど、あるのは俺の頭脳だけだし。もうこの世界に来て数年経って色々忘れてきてるし。
魔鉄と魔石でどうにかできないか考えてみよう……これはかなりの難関だ。今度実家に帰る時、マルセルさんの工房に行こうかな。久しぶりに会いたいし、冷蔵設備への助言をもらえるかもしれない。
うん。その時までは、とりあえず保留だな。




