エピソード37:大地君、おいで
「はぁ、はぁ」
こ、こえが出ない。気を抜くと、置いて行かれそうだ。ラブちゃんはもちろん、彩乃さんもペースが全く落ちてこない。
む、むしろ……上がってるのか?
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今から数十分前のスタート地点。
いつもの待ち合わせ場所で、今日も俺はラブちゃんからの熱烈歓迎を受けていた。
『ワン! ワン! クゥ~ン』
「ラブちゃん、くすぐったい、くすぐったい。俺もラブちゃんに会えて嬉しいよ」
尻尾をぶんぶん振りながら、俺の足へと体をこすりつけてくる。地面にゴロゴロとひっくり返りながら、本当に喜んでくれている姿が愛おしく感じる。
「ラブ! ちょっと落ち着きよ! 大地君、いつもながらごめんね」
「全然いいんですよ。俺もこんなに喜んでもらえて嬉しいです」
そんな俺に彩乃さんは、何かを警告するように真面目な顔で話し掛けてくる。
「大地君、わかっちょんと思うけど、ラブは速いよ」
「ハイ! 俺も長距離には自信があるので、きっと大丈夫です」
「膝は本当に大丈夫? 少しでも痛くなったら、遠慮なく休むんよ」
「心配ありがとうございます。もう随分前に完治してますから、大丈夫ですよ」
なんだろう? 散歩の時とかなり雰囲気が違う。しかも彩乃さん、けっこう大きなリュックまで背負ってるし。
「彩乃さん、そのリュックは?」
「ん? ラブのとか、いろいろ……」
彩乃さんは『ね』っと、この前みたいに優しく微笑みかけてくれる。身軽な俺は、せめてリードを持とうとラブちゃんに近づいたのだが
「ラブちゃん、おいでよ。俺と一緒に走ろう」
そんな俺の誘いに首をフリフリしながら、ラブちゃんは彩乃さんの傍から離れようとしなかった。なんとなく俺を見る顔が、ちゃんと付いてこられるのか? そう問い掛けているように感じる。
「ランニングはいつもうちと走りよるから。今日は最初やけんね。軽く準備運動をしたら出発しましょ」
彩乃さんの優しいフォローが、ますますみじめに思えて。俺の闘志に火がついた……はずだったんだけど
「は、速い」
「大地君、無理せずゆっくりでいいんよ! このずっと先に公園がありよるけん、そこがゴールで」
大きなリュックを背負い、ラブちゃんのリードを持ちながらも、ほとんど体勢が変わらないような綺麗なフォームで彩乃さんは走っていく。
まるで短距離走かと思わせるそのペースに、俺の走るフォームはバラバラになりかけていた。
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そして現在に至ってる訳なんだけど……く、くるしい。
あとどれぐらい走るんだ?
ラブちゃんがリードを俺に持たせてくれなかった理由がよくわかる。前を走るラブちゃんも、彩乃さんも、全くペースが落ちてない。少しずつ加速している気さえする。
トレーニングウェアに身を包み、スラっとした長い足でタンタンタンと規則正しいリズムを奏でながら、彩乃さんは走っていく。徐々に俺との差も開いていき、その姿を捉えるのがやっとの状況だった。
こんなにも……こんなにも俺の体は錆び付いてたのか。
朦朧としてきた意識の中で、最初に啖呵を切った手前、あまりにもダサ過ぎる自分に怒りが込み上げてくる。俺は歯を食い縛りながら、ただひたすらに足を動かす。
止まったら、もう二度と動けないかもしれない。ゴールもどこなのか分からない状況の中、急に『ドン』っと、何かにぶつかったような、抱きかかえられたような感覚がした。
「大地君、お疲れ様。ここがゴールよ。よく頑張ったね」
「はぁ、はぁ……あやの、さん」
俺は公園の入り口で待っていた彩乃さんに抱きかかえられていた。汗でぐしょぐしょになっていたタオルを取られ、新しいタオルを頭に被せられ『はい、大地君』っと、スポーツドリンクを渡された。
「あ、ありがとう、ございます」
俺は両膝に手を突きながら、ぜぇぜぇと煩い呼吸を必死に整えようとする。そんな俺の背を優しくさすりながら『無理にしゃべらんでいいんよ』っと伝えてくれた。
「さっ、大地君左膝よね? アイシングだけするから」
彩乃さんは慣れた様子で、俺の膝にアイシングバッグを当ててくる。ヒヤッとする感覚に『つめたっ!』っと思わず声を上げた。そのままアイシングバッグを当てた膝を、タオルでクルクルと巻かれる。
「15分くらいかな?」
彩乃さんは時計を見ながら、そう口にする。俺はあまりの手際の良さに、ぽかんとしながらも、まだ落ち着きを取り戻さない鼓動を感じていた。
「あっちの芝生にシートを広げよるけん、いきましょうか。大地君、歩ける? 肩貸そうか?」
「だ、大丈夫です。それにしても彩乃さん、めちゃくちゃ速いです。正直……恥ずかしいです」
「うちの方こそ大地君、しんけん速くてびっくりしたに」
「え? 速い?」
「約10㎞なんやけど、大地君は40分切りよったよ。ラブもうちも、もっと早く置いてくつもりやったんやけど……うちね、高校1年と2年に都大路走ったんよ」
都大路? なんだろう。聞きなれない単語だ。
俺が不思議そうな顔をしていると、彩乃さんは少し照れくさそうに補足してくれた。
「イメージしやすく言えば、高校の箱根駅伝っち感じかな」
「ぜ、全国区!?」
彩乃さん……それはずるいです。俺、付いていけるはずないです。
「うふふ、昔の話よ。さぁ、ラブも待っちょんよ」
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『ワン! ワンワン!!』
シートが敷かれた芝生のすぐ横で、ラブちゃんはお座りして待ってくれていた。
俺と彩乃さんがシートへ座ると、ラブちゃんが俺の顔をぺろぺろと舐めてくれる。そんなラブちゃんの行動に、情けない俺を嫌ってないようでちょっと安心した。
「大地君、しんけん疲れたやろ。少しクールダウンしよ」
そういうと彩乃さんは、太ももの上をポンポンと叩いていた。まるでそこに頭を置いて休みなさいと言っているように感じる。
「ほら、大地君」
俺の予感は的中して。彩乃さんは、誘うように太ももをポンポンしている。
「んふ、遠慮せんでいいんよ。大地君、おいで」
当然の如くためらっている俺に、ラブちゃんが覆いかぶさってきた。今の俺にパワフルなラブちゃんを押し返す力もなく。そのまま彩乃さんが誘っていた場所へと着地する。
「アイシングが終わる頃に起こしちゃんけん、少し眠っていいよ」
そう俺に伝えてきた彩乃さんは、掛けてくれたタオルで俺の髪の毛を拭きながら、どこからか取り出した内輪で軽く仰いでくれていた。
『頑張ったね、大地君』っと、優しい声を最後に、だんだんと俺の意識は遠のいていった。
大きなリュック
「そうや……ラブ、ちょっとリュック持ってきてくれる?」
ラブはリュックをくわえて、私の横へ運んできてくれた。そんなラブの頭を軽く撫でると、なぜかエッヘンと言わんばかりにドヤ顔をされる。
「良かったぁ。お弁当、崩れてないに。ラブぅ、大地君の寝顔、可愛いね」
「ワン!」
「ラブ、しぃーー! 大地君が起きちゃう。もう少しだけ、このまま寝かせてあげましょ」
『クゥ~ン』




