探索者教習─実習─
胃に限界まで昼食を詰め込んだ祥吾は自分の消化器官を信じていた。どうにかクリュスと母親の弁当を食べきった後はひたすら胃の中の物が消化されるのを待つ。
「うーん、結構苦しいな。この分だとまだ時間がかかるか」
「本当に全部食べなくても良かったのに」
「その言葉、食べきる前に聞きたかったな」
椅子の背もたれに深く背を預けた祥吾がため息をついた。いけると思って食べたが、どちらの弁当も思いの外ぎっしりと入っていたのはちょっとした誤算である。それでも30分程度あればまともに動けるようになるはずだ。
しかし、現実は非常で、昼休みは残り10分を切っていた。次は実習の授業なので別の建物に移動しなければならない。
席から立ち上がった祥吾は既に誰もいない教室に視線を巡らせた。それから中学に入学して以来使っているスポーツバッグを持ち上げる。
「クリュス、行こう。これ以上休んでいると遅刻してしまう」
「そうね。授業のある場所に案内するわ。ついて来て」
少し気遣わしげな表情を向けてきてクリュスにうなずいた祥吾はその後に続いた。腹を労るようにゆっくりと歩く。
座学を受けていた教室から実技を受ける施設まではそれほど遠くはなかった。そこは中学校の体育館のような場所で、入る前に靴からスリッパに履き替える。
さすがに運動施設なだけあって教室よりもずっと広い。その中の隅に何人かの実習生と中沢という名札を付けた男の教官が集まっていた。
様子を見ていると自分たちが最後らしいと祥吾は気付いたが、特に気にすることなくその輪に交ざる。多くの視線が祥吾、それからクリュスへと集まった。
2人が立ち止まると、ペンと紙を挟んだ下敷きを持った教官が近づいて来る。
「2人は、正木祥吾さんとクリュス・ウィンザーさんですね?」
「そうです。俺が正木祥吾で、隣がクリュス・ウィンザーです」
安心した様子の教官が名簿にペンを走らせた。それが終わると顔を上げて受講者全員に声をかける。
「それでは、これから実技実習を始めます。本日授業を担当するのは私、中沢です。よろしくお願いします」
実習生に対して丁寧に挨拶をした中年の教官が実習を始めた。これが自動車免許の実習であれば教習車に乗る授業に相当する。しかし、探索者教習における実習では自分の適性を見つけるための時間という意味合いが大きい。というのも、よくわからないまま武器や防具を選び、実戦で自分に合っていないことに気付いても遅いため、一番最初に自分に合った道具を見極めようというわけである。
このため、教官はいずれもそう言った他人の適性をある程度見抜ける元探索者が多い。この中沢という教官もそんな1人だ。
そうなると自分に合った武器や防具に習熟するためには他の手段が必要になる。大抵の場合、実習生は民間の教室や道場で手ほどきを受けた。教習で全員が武具に慣れるまで教えるには人手も時間もまったく足りないからだ。ただし、最近では民間の教室や道場であらかじめ習ってから探索者教習を受ける者も増えてきている。こういった人々は実習を受ける意義が薄いので、空いている時間を鍛錬に費やしたり他の実習生の面倒を見たりすることが多い。
祥吾とクリュスが参加している実習では、2人を除いて全員が既に道場などで自分に合った武器や防具を選び終えていた。完全に丸腰なのは中学生組2人のみだ。
自己申告後に実習生の状態を理解した教官が2人に告げる。
「それじゃ、正木さんとウィンザーさんはどの武器が扱いやすいのか一通り試してみましょう。こちらにウェポンラックがあるので、どれでも好きなのを選んでください。扱えそうな武器は最低1度は手に取ってもらいますから、どれからでもいいですよ」
「祥吾はどれにするの?」
「まずは剣からだな」
かつて最もよく使っていた武器を祥吾はウェポンラックから取り出した。刃が潰されているとはいえ、金属の塊ではあるので人に当たると危ない。そんな武器を祥吾は慣れた様子で扱い、軽々と振った。異世界で使っていた剣とは当然異なるが懐かしい感触に頬が緩む。
「随分と手慣れていますね。道場か教室で習ったことがあるんですか?」
「昔ちょっとね」
感心しつつも不思議そうに尋ねてきた教官に祥吾は曖昧に答えた。馬鹿正直に異世界で10年ほど冒険者稼業を営んでいましたと言っても頭の出来を疑われるだけだ。
幸先良く武器を扱った祥吾は、その後も斧、槍、ナイフなどの武器を無難に扱っていった。これには教官も驚き、自分の好きな武器を選べば良いと言ってもらえる。
一方、クリュスはダガーや棒などの扱いやすい武器を中心に振るっていった。どの程度扱えるのか祥吾も知らなかったが、どうやら扱える範囲の武器の筋は良いらしい。
次いで祥吾とクリュスは防具を身に付ける実習に移る。異世界では主に革の鎧が広く使われていたが、現代世界では科学の粋を集めた素材で作られた防具が主体だ。HPPEマテリアルや超高分子軽量ポリエチレンなどが使われているという触れ込みだが、残念ながら祥吾にはさっぱりわからない。
そんなかわいそうな子である祥吾だが、身に付けて動き回ってその扱いやすさを実感する。感触としては軟革鎧以上に体にぴったりと密着し、それでいて防御力は硬革鎧以上だというのなら、それだけでもう買いだ。しかも重ね着が可能な防具を合わせて身につけると更に防御力が上がり、それでいて思ったほど蒸れない。文明のありがたみが身に沁みる。
現在、祥吾と一緒に実習に参加している実習生はいずれも短期集中講座の応募者だった。その面々のうち、祥吾とクリュスだけが事前に教室にも道場にも通っていなかったが、その2人も早々に自分に合った武具を選び終える。
「最近実習でやることがなくなることが多いんですよね。皆さんが優秀なのは嬉しいことなんですが、どうしようかな」
苦笑いする教官は少し考え込んでから、防具を完全装備した上で模擬試合することを提案した。武器は教習側が用意する木製の武器を使用する。それでも当たり所が悪ければ痛みに苦しむことになるが。
しかし、実習生は全員が教官の提案に賛成した。自分の実力がどの程度か知りたいと思うのは皆同じというわけだ。
というわけで、祥吾とクリュスは他の実習生と対戦することになった。別の実習生同士が1度対戦した後、次に祥吾は友田という青年と模擬試合をすることになる。剣同士での対戦だ。
教官を中心に左右に分かれた祥吾と友田が向き合って剣を構える。合図と共に試合が始まった。しばらく両者は睨み合ったままゆっくりと間合いを計る。
対戦相手が攻めあぐねているのか待ち受けているのかわからなかった祥吾は、自分から仕掛けることにした。小さく踏み込んで軽く突いてみる。すると、大きく横に躱したかと思うと友田に切り込まれた。それでも慌てることなく迫る剣を半身になって避け、相手の手を剣ではたく。
「勝負あり! 勝者、正木さん!」
教官の宣言を聞いた祥吾は体の力を抜いた。体に以前のようなキレがないのは気になるが、これは今の体だとこんなものかと思い直す。クリュスへと目を向けると笑顔を向けられた。美人に笑いかけられるのは気分が良い。
そんな祥吾に友田が話しかけてくる。
「すごいですね。俺、全然相手にならなかったですよ」
「うまく対応できて良かったです。剣道でもやっていたんですか?」
「この教習のために半年ほど前からですけどね。はぁ、まだまだだなぁ」
言葉を交わすと友田は肩を落として少し離れた場所に座った。
次いでクリュスが松永という女子大生と模擬試合を始める。こちらは棒と木製のダガーだ。ちなみに、このダガーの刃渡りは約30センチ程度である。
試合が始まると、クリュスが優勢に戦い、最後は松永を地面に取り押さえる形で勝った。1メートル程度ある棒の長さに松永が対応できなかったのである。
「何よあれー! ずるーい!」
「そう言われても、棒術はこういったものですから」
「剣術スクールで習ったのと全然違う! 棒との戦い方なんて教えてもらってないもん!」
「でしたら、今度そのスクールに行ったら教えてもらえばいいんじゃないですか?」
「うー、この短期集中講座を受けてる間は行く暇なんてないし、今月はもうピンチだし」
「私に言われても」
「いいもん。そのうち魔法を覚えてやり返してやるんだからね!」
あずかり知らない相手の事情を訴えかけられたクリュスは困惑した表情を浮かべた。とりあえず話が一段落したところで祥吾の元へと戻ってくる。
こうして、短期集中講座の初日は終わった。帰宅するとすぐにクリュスとの復習だ。中間試験までの我慢だと自分に言い聞かせながら祥吾は耐えた。




