新宿ダンジョンに挑戦(前)
週末である土曜日の朝、祥吾はいつも通りに目覚めた。ダンジョンに入る日は日課をしないと決めているので今朝の筋力トレーニングはなしである。
出発の準備を整えた祥吾はリュックサックを背負い、スポーツバッグを持って自宅を出た。最近になってようやく日差しが和らいできたので早朝も真夏より涼しくなってきている。
最寄り駅へとたどり着いた祥吾は改札口から少し離れた場所に立った。平日とは違って人の数はずっと少ない。スマートフォンを取り出してウェブ小説を読み始めた。
日陰でしばらく読書をしていると祥吾は聞き覚えのある声を耳にする。
「祥吾、おはよう」
「おはよう。今日はタッルスを連れてきているんだよな」
「そうよ。今は変身して私のリュックサックの中に入っているわよ」
「さすがに2日間家を空けると駄目か」
「それもあるんだけれど、そろそろ祥吾に会いたいって主張する頃だから。祥吾はタッルスと最後に会ったのはいつだったか覚えている?」
問われた祥吾はクリュスから一旦視線を外した。思い返して見ると夏休みの末、足利ダンジョンからの帰路で別れたときだ。もう少しで1ヵ月ほどになるだろう。
「なるほど、そろそろ呼び出される頃合いだな」
「そうでしょう。だから連れてきたのよ。後で構ってあげてね」
黒猫の話をしながら2人は駅構内へと入った。やって来た電車に乗ると座席に座って談笑を続ける。約1時間乗り続けると新宿駅に到着した。相変わらず人が多い。どちらを向いても人ばかりだ。駅の外に出てからもしばらくはそんな状態が続いた。
しかし、ある場所を境に突然人気が少なくなる。探索者協会新宿支部へ近づいてきたのだ。ここでようやく一息つく。
更に歩き続けると新宿支部へと着いた。敷地内は広く、新宿駅ほどではないにせよ人が多い。もちろん本部施設を始め、どの施設の建物も大きくて出入りしている人が多かった。
まだ2回目なので祥吾などは多少圧倒されながら支部の本部施設へと入る。広いロビーを往来する探索者の数は多い。夜でも人が絶えることがないという話を容易に信じられるくらいの光景だ。
周囲の一部の視線が2人に向けられる。正確にはクリュスにだ。探索者の大半が男ばかりなのがその理由だが、向けられて嬉しい視線ではない。慣れているらしいクリュスはまったく気にしていない様子だった。
ロビーを突っ切った2人は廊下へと移る。そこも人が途切れることはない。その流れに乗って進むと更衣室へとたどり着いた。
振り向いた祥吾がクリュスに声をかける。
「それじゃ、着替えたらこの手前で会おう。ああそうだ、クリュスは着替えてもしばらく中にいた方が良いんじゃないか? 外で立っていると知らない奴に声をかけられることがあるだろう」
「あら、心配してくれるの。嬉しいわ。でもそうね、だったら少し更衣室の中で待つわ」
最初は冗談じみた返答をしたクリュスだったが、やはり思うところはあったのだろう、最後は祥吾の提案を受け入れた。それから女性更衣室に入る。
廊下で1人になった祥吾も男性更衣室に入った。空いているロッカーの前に立ち、スポーツバッグからインナーやエクスプローラースーツを取り出して身につけ、更にプロテクターを装備する。それからロッカーにスポーツバッグをしまい、リュックサックを背負ってから剣を佩いた。
用意ができた祥吾は男性更衣室から廊下に出て周囲に目を向ける。女性更衣室の近辺を含めてまだクリュスは出てきていない。提案通り更衣室の中で待っているのだろうと推測する。
廊下の端に立つ祥吾は待っている間往来する探索者たちをぼんやりと眺めた。最初の感想は普通の人々である。世田谷ダンジョンの探索者のようなガラの悪さはない。その点は安心できる。ただ、クリュスに対する視線は新宿ダンジョンでも変わらないようだ。絡まれたり襲われたりする可能性が高くなるだけに面倒なことこの上ない。
そんなことを考えていると女性更衣室からクリュスが出てきた。まっすぐ祥吾の元へと向かってくる。
「お待たせ。待っている間思ったんだけれど、これって電話で確認すればすぐ会えるわよね」
「今指摘されて気が付いたな。今度からそうしよう」
合流の仕方を改善することに決めた2人はロビーへと向かった。人の多いそこから受付カウンターへと進み、まずは行列に並ぶ。
待っている間にも往来する人々や行列に並ぶ探索者たちの視線の一部がクリュスに向けられていた。どこへ行ってもこんな感じなことに祥吾の方が落ち着かない。
ようやく自分たちの番が回ってくるとクリュスが受付嬢に新宿ダンジョンの様子を尋ねた。すると、今のところ特に注意するようなことはないという返答を得る。
「問題なしか。前と同じか。結構なことだな」
「まったくね。さて、それじゃいきましょうか」
受付カウンターから離れて歩く2人は出口を目指した。ロビーが広いので少し時間がかかる。
建物の外に出ると2人は正門へと向かった。他の探索者の流れに沿って自動改札機を通り過ぎる。
警戒区域を歩く2人は周囲へと目を向けた。ダンジョンの入口まで続く道を往来する探索者が多い。そして、その半数以上が楽しそうに笑っていた。
その様子を見た祥吾が何とも言えない表情を浮かべる。
「なんか、みんな楽しそうだな。他のダンジョンでも成果が上がって楽しそうにしていた連中はいたが、それとも少し違う様な」
「いわゆるエンジョイ勢ではないかしら。新宿ダンジョンだと地下5層までで活動しているらしいわよ」
「ダンジョンで楽しむのか? 何を、どうやって?」
「魔物を倒してストレス発散、冒険を楽しみたい、非日常感溢れるところで過ごしたい、なんてことを求めている人たちがいるらしいわ」
「それで怪我をしたり死んだりしたら元も子もないだろうに」
「だから浅い層で活動しているのよ。そこへ多くの人々が押し寄せたら魔物を駆逐できるから安全になるでしょう?」
「罠はどうするんだ?」
「地図情報があるじゃない。そこにすべて記載されているから確認できるわよ」
「それでも間抜けな奴が怪我をしたり死んだりすることもあるだろうに」
「だから、探索者教習で自己責任を強調されるんじゃない」
話を聞いた祥吾は呆れた。仕事で散々危険なことをしてきたことがあるせいか、ちょっとした危険を味わうという感覚がまったくわからない。ただ、自分とはまったく異なる感性を持った人たちの考え方なので非難するまではしないが。
ダンジョンの入口に着いた2人は他の探索者たちと一緒に階下へと降りていった。その先には正面玄関の部屋が広がっている。ここも探索者で溢れていた。
反響する周囲の話し声に祥吾は顔をしかめる。
「すごくうるさいな。馬鹿笑いしてる奴までいるし」
「早く先に進みましょうか。祥吾、あっちの通路よ」
いつもなら正面玄関で色々と確認してから行動を始める2人だったが、今回は先に動いた。祥吾を先頭に通路へと入る。
しかし、その通路もまた多数の探索者で賑わっていた。それを見ていた祥吾がクリュスに話しかける。
「クリュス、もしかして最短経路はずっとこんな感じなのか?」
「恐らくはそうよ。程度の差はあれ、地下5層までは」
「たまらないな。少し脇に逸れて別の通路を進んだ方がましだと思うんだが」
「ならそうしましょう。次の分岐路を左に曲がってちょうだい」
あっさりと要求を受け入れられた祥吾は多少驚きつつもクリュスの指示に従って分岐路へと足を向けた。途端に反響音が和らぐ。最短経路から離れるに従ってそれは小さくなっていった。
ようやく耳が落ち着いてきた祥吾が小さく息を吐き出す。
「あの騒いでいる連中はみんなエンジョイ勢なのか?」
「恐らくほとんどはそうでしょうね」
「楽しむのは良いとして、こんな声が反響するところで騒いで耳が痛くないのかなぁ」
「あの様子だと気にならないんでしょうね」
「それと、連中を見ていて思ったんだが、武具や道具だって揃えるのにそれなりの金がかかるはずだろう。あいつらバイトでもして貯めたのか?」
「最近はレンタルできるそうよ」
「嘘だろう? 武具って消耗品の側面があるんだぞ。なくしたり壊したら弁償しないといけないんじゃないのか?」
「レンタカーみたいな保険があるんですって。それで、レンタル料に含まれているらしいわよ」
「探索者教習の講習費は? あれだって馬鹿にはならないはず」
「大抵はアルバイトをして貯めるそうよ。中には分割払いをする人もいるとか」
「そこまでして探索をしたいのか」
「最近、流行になっているみたいよ」
困った表情のクリュスの言葉に祥吾は呆れた。なぜ流行しているのかがわからない。
首をひねりながらも祥吾は通路を歩いた。




