第六話
酒場から戻った二人はアルバートの部屋にいた。リタは勝手知ったるようにベッドの上で姿勢を崩している。アルバートは木の椅子に座っていた。
「わかってると思いますけど、僕の部屋ですからね」
彼は言ったが、彼女が聞く耳を持ったようには思えない。
「ねえ、あの話どう思う?」
崩した姿勢のまま、彼女は聞いてきた。
「魔女の話ですか? どうとも思いません」
彼は率直に答えた。
「何とかしようとか思わないの?」
答えが不満だったのか、彼女は姿勢を少し正し、眉間に皺を寄せてアルバートを非難するような視線を向けた。
それに対して、アルバートは怯まずに淡々と言う。
「前から、いえ、昨日からですね。思っていましたが、あなたは正義感が強すぎます」
「だって、酷い話じゃない。魔女は魔術を悪用して村人を苦しめてるのよ?」
「たしかに、魔術師ではない僕には、あなたほど魔術を悪用されることへの嫌悪感はありません。ですが、魔術じゃなくとも一緒でしょう。武術を悪用されたところで、いちいち気にしていられません」
「まーたそうやって揚げ足取りみたいに」
「揚げ足を取っているつもりはありません。それに、あなたは一か所の視点からしか物事を見ていません」
「どういう意味よ?」
彼女は不満げに首を傾げる。
「例えば、恐ろしい虎に追われている可愛い兎がいたとしましょう。あなたはその兎を助けますか?」
「アル、あなた、私を馬鹿にしすぎよ。その兎を助けることで、その虎もそうだけど、虎の子供も餓死するって言いたいんでしょう?」
「そうです。一見すると加害者と被害者。ですが、それは弱肉強食の自然の法則に則っているのです。僕たちが肉や魚を食べるのと一緒です。肉はなかなか食べられませんけどね。
では、少し難しい問題を出しましょうか。高利貸しという職業を知っていますか?」
「氷菓子? 冷たいお菓子?」
「『こおり』ではありません。『こうり』です。お金を貸す職業ですよ。王都にもお金の貸し借りをする機関はあるでしょう?」
「たぶん、ある」
彼女は自信なさげに答えた。
「お金を貸して、返してもらう。もちろんそれだけでは商売になりません。返してもらうときに金額以上を利息として上乗せして返してもらうんです。その利息が高いから高利貸しです。
借りたお金を返せないとなると、土地や家などが担保、つまりお金の代わりとして差し押さえられます。最悪の場合、子供が差し押えの対象となることもあります。
では、お金を返せなくて、十代の娘が担保として連れて行かれそうになったら、あなたはどうしますか?」
「それは、止めるわよ。人身のやり取りなんて非人道的だわ」
「ですが、そういう契約でお金を借りているのです。たしかに非人道的ではありますが、それを承知してお金を借りたのですよ。正規の契約に基づいて担保を回収しようとしているのに、悪人として扱われるのですか?」
「いや、それは……」
「おそらくこれは水掛け論でしょう。ですが、人道的な視点と、契約上の視点、この二つから見ることで答えが百八十度変わります。今回の件も似たようなものでしょう」
「どういうこと?」
「では、本題に入りましょう。ある提案があります」
真っ暗な空間を男は歩く。床を軋ませないように、細心の注意を払って慎重に階段を上る。
男は緊張と興奮で息を荒げてしまうのを必死に抑えていた。
ゆっくりと歩く。視界はほぼゼロに等しく手さぐりで壁伝いに歩くしかない。
膨大な時間をかけて男は階段を上りきった。
少年の部屋は明かりがついている。扉の隙間から光が零れていた。
少し早すぎただろうか。だが、いまさら引くことはできない。
扉に近寄って耳を澄ます。
何も物音は聞こえない。本のページを摩る音すら聞こえてこない。読書をしているわけではないようだ。
明かりを消し忘れて寝てしまったのだろうか。それならば好都合だ。
だが、どちらにせよ目的はこちらではない。
奥の少女の部屋へと向かう。もちろん慎重にだ。
明かりは消えている。
静かに扉を開けた。
月明かりが窓から入ってきて、少しだけ視野が回復する。
ゆっくりとベッドに近づく。
ポケットからハンカチを取り出した。
森で取れた薬草のエキスをしみ込ませたものだ。これを嗅げば半日は目が覚めない。
ベッドで眠る人物は布団を頭まで被っている。
そっと布団の端に手をかけた。
「……うわっ!」
急に布団が払われる。男はまだ何もしていない。
ベッドに寝ていた人物に腕を掴まれた。
「なっ、なん……」
男は驚愕した。その腕は炎のように輝いていたのだ。
その光で、その人物の顔が見えた。
少女ではない!
まさか、ばれていたのか?
「あなたでしたか」
少年は言う。
「くそっ……入れ替わりやがったのか」
男はその奇怪な腕を振り払い、上半身を起こした少年の胸を蹴り飛ばす。
少年は短いうめき声を上げて、ベッドの反対側に落ちていった。
男は急いで部屋を出る。
予定が狂った。仕方がない。少女を人質にして……。
隣の部屋の扉を勢いよく開けた。
「うわっ!」
思わず飛びのき尻餅をついてしまう。部屋から三本の矢が飛んできたのだ。明かりがついていなければ全く気付かずに襲われていた。
見る限り部屋には誰もいない。
「どういうことだ? ……っ!」
立ち上がろうとしたところで、首筋に冷たい感覚を覚えた。
「やっぱりあなたでしたね、マスター」
少年が、見たことのない片刃の剣を自分の首に突き付けていた。
「一つお聞きします。あなたたちにとって魔女は味方なのですか? 敵なのですか?」
「あなた『たち』?」
部屋から声がする。何もないところから景色がぼやけて、やがてリタが姿を現す。
「ひっ! ま、魔女!?」
何もない空間から現れたリタを見て、男が悲鳴を上げた。
「失礼な!」
彼女は憤慨した様子で頬を膨らませた。
「彼女は魔術師ですが、魔女ではありません。廊下で立ち話もなんですし、中に入りましょうか」
三人はアルバートの部屋に入った。
アルバートは腕を隠すためにコートを羽織った。そして器用に片手でその手に手袋をはめる。
アルバートとリタがベッドに腰掛た。マスターは椅子に座って身を萎縮させている。
「……どうして、わかったんだ?」
「その前に聞きます。あなたたちにとって魔女は味方ですか、敵ですか?」
「……敵だ」
「ちょっと待ってよ! 全然わかんないんだけど。先に勝手に話を進めないでよ。あなた『たち』ってどういうこと?」
「村人全員がグルということです」
「え!?」
「あなたは言いましたよね。『入れ替わったのか』と。つまり非力な女性を狙っていたということ、そしてその部屋を知っていたということはこの宿の女将もグルということですよね」
男は黙って頷いた。
「とにもかくにも、あなたたちの仕事は旅人に魔女への関心を植え付けること」
「……どうしてそこまでわかるんだ?」
「最初の違和感です。酒場で言ったでしょう。不思議だと。生贄を条件にするほどならば、実験体は欲しがっているということです。なのに、優先順位としてはお金よりも低い。低いだけならば問題はないのですが、重要なのはお金を払いさえすれば生贄を用意する必要はないということです。これではいつまでたっても実験体が手に入らない。これはとてもおかしなことです。
ならば、その条件自体が嘘だという結論です。本当の要求は『お金と生贄』。あなたはこうも言いました。『村人は一人も』生贄になっていない、と。ならば、旅人ならばいたわけです。
魔女への関心を植え付けて同情を買う。そして、旅人が解決を買って出るならば魔女の場所を教える。
こう考えれば、その他の小さな違和感が形になってきます。『いろいろある』という、聞いてほしそうな含みのある発言。魔女の話題を振ったときも多少、強引でしたよね。『派手な髪』というだけで魔女と結びつけるとは思えません。きっと赤髪ではないんでしょうね」
男は黙っていたが、その沈黙は肯定の意を含んでいるのだろう。
「もし、旅人が魔女に関心を示さないようならば、今夜のように強硬手段に出る。あなたが僕に嗅がせようとしたのは、シビレナ草でしょう? その名の通り、麻痺症状を起こす、森に自生する毒草です」
「でも、同情を買うなんて遠回りなことをしなくても、全部こうしちゃえばいいんじゃないの?」
今まで黙って聞いていたリタが、話に割って入ってきた。
「言ったでしょう。あくまで彼らにとって魔女は敵なのです。そして、シビレナ草は森に自生する植物です。栽培は難しいでしょう」
「遠回しに言わないでよ」
「森が、怖いのですね?」
「……ああ、そうだ。村人はみな森に入ることを恐れている。森に入ったら最後、魔女に連れ去られるんじゃないかと、不安で不安でしょうがないんだ。だから、シビレナ草は最後の手段。できるだけ使わないようにしているんだ。できれば今日も使いたくなかった。ストックが切れちまったからな……」
男はうなだれた。リタは怒りと同情が混ざったような複雑な表情をしている。コーヒーに砂糖ではなく塩を入れてしまったような、奇妙な二つの組み合わせだ。
「わかったでしょう? 物事を多面的にみるとこういうことが起こります。彼らはたしかに被害者ですが、同時に加害者でもあります。僕たちを巻き込もうとしたんですよ」
アルバートはリタに言った。
彼女は黙って首を横に振った。まだ、自分の中で答えが出せないようだ。
「……助けてくれ」
男は静かに言った。
「あんたたちを巻き込んだのは申し訳ないと思っている。だが、仕方ないんだ。俺たちじゃあ魔女に歯向かえない。旅をしてきたんなら腕もたつんだろう? 頼む。お願いします……」
アルバートの答えは決まっていた。
「嫌です」




