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第一話

 まっさらに均された土の上を少年は歩く。大通りはそれなりに活気があふれ、人々が行き交っている。時折馬車が通りかかると、人々は物珍しそうに足を止めてそれを見物していた。

 その様子を見れば町の発展具合がわかる。この町では馬車はまだ希少な乗り物なのだ。町と町を連絡する公営の馬車は珍しくなくなりつつあるが、町中を自由に闊歩する個人所有の馬車というのは、大抵が貴族か大商人の所有物なので、それなりの街でなければお目にかかれない。

 少年はその馬車を見るふりをして立ち止まった。すれ違う馬車の動きに合わせて視線を少しだけ後ろに向けた。そして、うすうす感じていた予感を確信に変え、思わずため息をついた。

「この身なりだと、なめられるから嫌だ」

 少年は後ろをつけてくる二人組の男に気が付いていた。このまま宿までつけてくる気だろうか。寝込みを襲われるほど危ない宿ではないはずだが、ねぐらを知られるのは気分が悪い。思わず少年は顔を歪めた。

 少年は大通りから折れた。それだけで道端の雑草が増え、地面の起伏も多くなった。表通りでさえ、レンガ造りの建物は少なく木造だったが、ここには放置された空き家らしき襤褸小屋のようなものも多少見受けられる。

 この様子から察するに、このまま奥地に行きすぎると、どんどん治安が悪くなり、さらなる厄介事に巻き込まれそうなので、頃良い静けさの場所を選んで立ち止まった。

 薄暗い路地だった。周りの建物は空き家なのか、それとも単純に留守なのか、人気は感じられない。

「出てきたらどうです?」

 少年は振り返って姿の見えない相手に向かって言った。すると、物陰から二人の男が出てきた。一人は最初に少年を茶化した男だった。スキンヘッドに鋭い目つき。もう一人は少年の記憶にはなかった。長身細身でモヒカン頭だった。

「追剥ぎですか?」

 少年は冷静に言った。

「わかってるじゃねえか」

 スキンヘッドが言った。見た目通りの低い声だ。

「僕はしがない貧乏旅人ですよ」

「俺らはコツコツ稼いでいくタイプなのよ」

 モヒカンがヘラヘラと笑いながら言う。下品な面持ちに、少年は思わず嘆息の意をこめて肩をすくめた。

「隻腕で少年だからですね」

「身の程をわきまえてんじゃねえか」

「昼間から物騒ですね、ここは」

 何の気なしに少年は辺りを見渡す。改めて、人気はなかった。

「人目さえなけりゃ時間なんて気にしてられねえのよ」

「なるほど」

 少年は意味もなく頷く。

「つーことで身ぐるみ全部置いてってくれよ」

 スキンヘッドが懐からナイフを取り出す。

「お断りします」

 少年は即答した。

「拒否権なんてねえんだよお!」

 男はナイフを振りかざして少年に突っ込んで来る。

「やれやれ……」

 少年はやや身をかがめると、ばねのように飛び上がった。

「っ!?」

 男は少年を見失ってしまったようで、立ち止まって辺りをきょろきょろと見渡している。

 高く跳躍した少年は、すっと男の背後に着地した。そして懐から片刃の剣を抜き出して男の首筋に突き付ける。

「……なっ、てめえ、武器を隠してやがったのか!?」

 体を強張らせて男は言う。

「別に。隠していませんよ。ただ、コートが長いので隠れてしまうだけです。それと、後ろのあなた。動いたら彼の首が飛びますよ?」

 少年は顔だけを後ろに向けて言った。モヒカンの男がスキンヘッドを助けようと、もしくは少年を襲おうと少年に近づこうとしていた。彼は少年と視線が合うと、ビクッと体を震わせてその場に固まった。

「ひとつ忠告します。たしかに、僕はまだ幼い。そして、隻腕だ。それ故にあなたたちのような人から狙われやすいんですよ。ただ、それでも僕は旅を続けてきた。この意味はわかりますよね?」

「わ、わかっ……、たっ助け……」

「人目さえなければ時間なんて気にしていられないんですよ」

 少年は先ほど台詞をそのまま返し、剣に込める力を強くした。男の首筋に入り込み、血が流れ始めた。

「ひっ!」

 外見からは想像できない、情けない悲鳴が男から発せられる。

「ひとつ覚えて帰りましょう。『人は見かけによらない』」

 少年は剣を鞘に戻すと、男が何か行動を起こす間もないうちに、彼の首に手刀を打ち込んだ。

「かっ……」

 男は短い声を上げてその場に倒れこんだ。少年は感情のこもっていない目でもう一人の男を見つめた。

「どうしますか?」

「た、助けて……」

「さっさと消えてください」

「え?」

「聞こえなかったんですか? 目障りです。僕の前に二度と出てこないでください」

「はいいっ……」

 男は気絶するスキンヘッドを置いて、足を縺れさせながら逃げるようにして去って行く。

 男が見えなくなってから、少年は短く息を吐いた。

「さて、黒髪の少女か……」

 少年にはもうその場に倒れる男のことなど眼中になかった。自分の探す男を探しているという少女を見つけることに頭は切り替わっていた。

 少女はまだこの町にいるだろうか。そもそも無事でいるだろうか。思った以上にこの町の治安は悪いようだ。十代の少女が無事でいる保証はない。

 それでも、どこに行っても角砂糖ほどの手がかりすら見つからなかった今までの中で、一番の収穫だ。これを逃す手はない。

 黒髪は珍しい。見かければ、覚えていないということはないだろう。少年は片っ端から宿を当たっていくことにした。




「ここもダメか……」

 何件目だろうか、もうすでに数えるのも止めてしまった。それなりの数の宿を回ったが、目ぼしい成果は上げられなかった。

 まだ明るいが、日は傾き始めている。あと数刻で町は暗闇に襲われるだろう。

 大通りに近い宿はもうほとんど回ってしまった。これ以上通りから外れると、宿賃が安くなる代わりに、治安が悪くなる。少女一人が泊まるのには不適切だろう。

「……そもそも、一人なのか?」

 そんな疑問が浮かんできた。少女の一人旅というのはあまりにも過酷だ。誰か付き人がいるかもしれない。それならば、少々治安が悪くとも安い宿を選んでもおかしくはないはずだ。旅は節約するに越したことはない、リスクとのバランスが肝だということは、少年も実感していた。

「もう少しだけ……」

 先ほど、物取りに襲われたことからわかるとおり、この町の治安はそれほど良くない。だが、これよりも悪い町を少年はいくつも見てきていた。中には入ることすら躊躇われるような町もあった。それから考えるとこの町はまだ歩きやすい。路上生活者も今のところ見ない。もう少しだけ奥に入ろう、そう思い、少年は範囲を広げて探すことにした。

「……なんだ?」

 しばらく歩くと、何者かが倒れているのが見えた。慎重に近づいていく。

 三人組の男たちだった。不良を絵にかいたような姿で、三人とも意識が全くないようだった。まるで、糸の切れた操り人形のようだ。屈んで様子を見る。

「死んでいるのか?」

 そうも思ったが、三人の顔にはまだ生気があった。ただ、外傷がどこにもない。切り傷も殴られた跡もない。本当に、糸が切れてしまったために動けなくなってしまったのかと思ってしまうほど、傷のない状態だった。

「これは……。ああ、なるほど」

 少年はあることに気づき、周りを見渡した。そして、宿屋が一件あるのを見つけた。立ち上がって、その宿に向かっていく。

「人は見かけによらない」

 先ほど、自らが言った言葉を反芻した。

 その宿は小さく安っぽいものだった。木の床が歩くたびに軋み、突き破ってしまうのではないかと思われた。

 カウンターには老婆がいた。椅子に座り新聞を読み、こちらには気づいていないようだ。

「あの、すみません」

 少年が声をかけると、老婆は顔を上げた。

「ああ? ああ、客かい? 一晩……」

「すみません、ひとつお尋ねしたいことがあるんですが」

「何だい、冷やかしかい」

 老婆は不機嫌そうに言うと新聞に視線を戻した。少年の問いに答える気はないようだ。

「ここに黒髪の女の子が泊まっていませんか?」

 老婆は黙っている。

「もしいたら、是非泊まらせていただきたいんですが」

「一晩百グランだよ」

 彼女は視線だけ少年に向けた。

「いるんですか?」

 眉を顰めそうになるのをこらえ、少年は問い直す。

「一晩百グラン」

 老婆は新聞から目を離さずに言う。少年はしばらく黙っていたが、ため息をついて懐から財布を出した。

 巾着袋のような財布だ。器用に片腕だけで、財布を支えつつ十グラン硬貨を一枚ずつ取り出していく。テーブルに置いて一気に取り出したかったが、この老婆に財布の中身を見られてしまうと、あらぬところでぼったくられるかもしれないと思ったからだ。

「あいよ。あんた、運がいいね。その客なら昨日から泊まっているよ。ちょうどさっき戻ってきたところだ」

 少年はホッと一息ついた。そして、安い宿は秘密や安全からはほど遠いと改めて実感した。

「どの部屋です?」

「二階の奥の部屋だよ。あんたの部屋はその手前。上は二部屋しかないからすぐわかる」

「ありがとうございます」

 少年はまず階段から上がってすぐの自分の部屋に入った。小さな部屋だった。ベッドが一つに椅子が一つ。小さなランプが一つあった。まだ少し早いかとも思ったが、薄暗かったのでランプに火を灯した。

 肩にかけていた皮の袋をベッドに放り投げるとすぐに彼は部屋を出た。

 隣の部屋の前で彼は深呼吸をする。そして、扉をノックした。

 反応はない。

 ドアノブに手をかけた。それは何の抵抗もなく回る。

 少し迷って彼は扉を開けた。

「…………っ!」

 少年目がけて矢が三本飛んできた。懐から剣を取り出し、すべて薙ぎ払う。

 一息つくと、剣を鞘に戻した。

「血気盛んですね。怪しい者ではありません。お邪魔してよろしいですか?」

 少年は部屋に向かって語りかける。返答はない。人の姿も見えない。

「あなたですね? イアン・ライアンを探しているというのは」

 少年は部屋の隅に向かって笑いかけた。

 しばらく間があった。

 やがて、少年の視線の先の何もなかった場所が霞み、そこから黒髪の少女が急に現れた。

「ああ、やっぱり」

 少年は笑みを崩さない。

「あなた、何者?」

 そう問う少女は、話に聞いた通り、黒髪で腰に届くまで長かった。瞳も黒く、顔は整っている。ブラウスに長いスカートを履いていて、上下共にシックな黒だった。

 たしかに美しい。少年はそう思ったが、彼に向けられている視線には警戒の色が見て取れて、そのせいで美貌が一割ほど損なわれているように思えた。

「僕もライアン師匠を探しているんです」

 警戒を解くために、笑みを絶やさず彼は言う。

「師匠? ……あなた、ライアン先生の弟子なの?」

「……先生? あなたも弟子なんですか?」

 少年は首をかしげる。

「あなた、知らないの?」

 少女も少年の鏡のように、首を傾げた。

 話がかみ合わない。

「何の話です? 全くわからない」

「いいわ、話してあげる。入って」

 彼女に促されて初めて少年はその部屋に足を踏み入れた。

 彼女はベッドの端に座り、少年は彼女に促され椅子に腰かけた。

「あなた、魔術師ですね?」

 彼は真っ先に尋ねた。

「ええ、そうよ。どうしてここがわかったの?」

「地道な聞き込みですよ。あなた、喫茶店で師匠の風貌を伝えたでしょう? あとは、あなたが町を出ていないことを祈って、ひたすら宿を訪ねたというわけです。今のトラップも魔術ですか?」

「ええ、ごめんなさい。この辺りは治安が悪いみたいで」

「平気です。何か来ると思ってましたから」

 少年が平気な顔で言うと、少女は驚き目を見開いた。

「どうしてわかっていたの?」

「表の三人組、あれもあなたでしょう。あれは幻術系の魔術ですね? 魔術師なら、部屋にトラップくらい仕掛けているだろうと。治安が悪いですから。それだけです」

「あなたも魔術師なの?」

「いえ、違います」

「でも先生の弟子なんでしょう?」

「まあ、その辺は……。話を戻しましょう。先生って何なんですか?」

「あなた、何も知らないの? どうして先生を探しているの?」

「質問しているのはこっちです」

 相変わらずなかなかかみ合わない会話の応酬に、二人は睨み合う。

 しばらく沈黙が続いた。

 やがて折れたのは少年の方だった。

「わかりました。女性には優しくしなければいけませんからね。僕はアルバート・アームズ。もうかれこれ十年ほど前になるでしょうか。師匠に拾われて、弟子にされました。それから……、二年ほど前ですかね。卒業試験ということで『師匠を探す』ことを課されました。それが師匠を探している理由です」

「二年前……?」

 彼女は何やら考え込んでいる。考えに耽ってしまっていて、何か話す様子はない。仕方なく、こちらから促すことした。

「次はあなたの番です」

 アルバートがそう言うと、彼女は弾かれたように顔を上げ、恥ずかしそうに苦笑した。

「え? ああ、そうね、ごめんなさい。私はリタ・クリスティ」

「東の人かと思っていました」

 東の地域では命名の文化が違うとアルバートは聞いたことがあった。だが、目の前の少女はこの近辺の国でもありきたりとは言わずとも、さほど珍しくない名前だった。

「ああ、この髪のこと? 祖母の血が濃いのよ」

 そう言って彼女は長い黒髪を梳いた。その仕草は妙に美しかった。

「なるほど。すみません、話の腰を折って。続けてください」

「私は国立魔術学院の生徒よ」

「魔術学院……ということは王都から来たんですね?」

「ええ。私は二年前から行方が分からなくなっている先生を探しているの。かれこれ一か月くらいかしら?」

「ちょっと待ってください。それじゃあ、計算が合わない。僕はほとんど師匠と行動を共にしていましたが、王都になんて一度も行ったことがない」

 説明が圧倒的に足りないが、彼女の口ぶりからするに、師匠は魔術学院の教師だったと彼は推測した。そして、それについて首を振って否定した。

 対して彼女も、首を振って否定の意を返す。

「それはそうよ。十年前から先生は一線を退いていたから。それでも月に一度は手紙をよこしてきたし、年に一度は学院に顔を出していたわ」

「まあ、たしかに、一人で出かけることは年に何度かありましたけど……。いったい師匠は何者なんです? 師匠は一度も僕に魔術学院の教師だなんて言わなかった」

「教師じゃないわ。先生は、国立魔術学院の理事長よ」

「はっ……」

 アルバートは開いた口が塞がらなかった。

 国立魔術学院と言えば、国内唯一の魔術を教える公的な学校である。ここ以外で魔術を学ぼうと思ったら、魔術師に直に弟子入りするか、高い学費の割りに国立魔術学院には足元も及ばない私立の魔術学校に通うしかない。さらに、国立魔術学院は一般教養においても国内最高の教育機関である。国立学校に通うということでさえも珍しいこのご時勢においては、魔術学院の生徒というのは、類い稀なる存在であり、ましてや教師となると一生を保証されたようなものだろう。

 それどころか、その最高機関の最高役職である男と、八年もそうとは知らずに寝食を共にしたというのか。

「まさか、ありえない……」

 彼との生活を思い出せば、朝遅くまで寝て、起きたと思えば、部屋に篭りっきり。珍しく出てきたかと思えば、アルバートへのスパルタ訓練、あるいは雑用をすべてアルバートに押し付けて、自分は昼寝。そしてまた部屋に篭る。そんな生活がほとんどだ。実のところ、師匠が何をしていたのか、ほとんどわからない。将来安泰を投げ出してまで、彼は何をしていたのだろうかと思わざるを得ない。

 そして、それ以上に、師匠がそのような役職についていたということの方が信じられない。あんな生活をしていた上に、根無し草のように居住を変える生き様は、理事長という役職とは全く釣り合っていないように思えた。

「正確には十年前に引退したから元理事長だけど。その先生が、二年ほど前から連絡が途絶えた。もともと面倒くさがりの性格だったらしいから、最初は気にしていなかったのだけど」

「たぶん、僕の試験のせいです。学院経由で師匠の居場所が割れないようにしたんでしょう。面倒くさがりですが、狡猾な性格してますから」

 アルバートは師匠との生活を思い出して身震いした。

「あなたのことは知らなかったけど、最初は誰もが面倒になったんだと思ったらしいわ。けど、事態が急変したのが二か月前。学院に侵入者が入ったの。最高峰の魔術師が集まる学校だから、犯人は簡単に捕まったんだけど……」

「けど? けど、なんです?」

「犯人は自害してしまったの。捕まる前に犯人は言ったわ。『イアン・ライアンはどこだ?』ってね」

「なっ!?」

「事態を重く見た学院は、現状を把握するために先生の捜索を始めたわ。私もその一人」

「ちょっと待ってください。なぜ学生がそんなことをするんです?」

「学生は私一人よ」

「なぜです?」

「なぜでも」

「答えてください」

「まあ、自慢になるから言いたくないんだけど、一応首席で卒業も決まっているから、かな?」

 アルバートはリタの目を見つめた。そして短く息を吐いた。

「嘘でしょう」

「本当よ」

 彼女は口調を強めて言った。

「さんざん師匠に振り回されてきたんです。そのくらいの嘘は見抜けます」

 二人は再び睨み合った。今度はリタの方が折れた。彼女はため息をついた。

「……わかったわよ。首席で卒業が決まったのは本当。それで、暇だから、その……自主的に」

 少し俯き気味になって彼女は答える。

「呆れた」

 アルバートは大きく息を吐いた。

「ねえ、あなたも先生を探しているんでしょう? だったら、一緒に探しましょうよ。一人より二人の方が、絶対にいいわよ」

 彼女は笑って握手を求めてきた。

 それに対してアルバートは微笑んで言った。

「嫌です」

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