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第十話

 リタが目を覚ますと、星が見えた。体のすぐそばで仄かな温かみを感じた。視線をずらすと、はじけるような音を立てる焚き火があった。

 上半身を起こすと、パサリと何かがずり落ちた。アルバートのコートだった。

 辺りを見渡すが、彼の姿はない。

(どこだろう、ここ)

 灯りがある分、近くがやけに明るくて遠くまでは見渡せない。だが、自分のいる辺りは、低い草と、それが剥げた土の地面が混在する平らな場所のようだ。数十メートル先は打って変わって木が生い茂った森のように見える。

 森の反対側に視線を移すと、黒が広がっていた。ふと、黒の中にぽつんと佇む歪な円が、水に反射した月であると気がづいた。

 川ではないようだった。もっと広く穏やかな水辺だ。

(湖、かな)

 確かめようと立ち上がろうとしたところで、左足に鈍い痛みが走る。確かめると、切ったような傷があった。どこかで怪我をしてしまったらしい。

 どこで、と首を傾げてからやっと、今の状態に至った経緯が不明であることに気がついた。

 川を渡るために馬車に乗ったところまでは覚えている。

 その後、突如大きな音と衝撃を受けた。そこで記憶は途切れている。

(川に落ちたのか)

 そう結論せざるを得ない。ただ、幌の中にいて外が見えなかったため、どうして馬車が落下したのかまではわからなかった。

 何故かもわからず、何処かもわからず、誰もいないこの状況は不安に心が蝕まれそうになる。

 ただ、自分には覚えの無い焚き火と、体にかかるアルバートのコートが、決して孤独ではないことを感じさせてくれた。

(何処に、行ったのかな)

 ふと、草木を掻き分ける音が聞こえた。アルバートかと思い、気を緩めたが、もし賊の類だったら、猛獣か何かだったら。その考えが頭をよぎり、緊張が走る。

 いつでも戦闘態勢に入れるように杖を構えようとしたが、手元には無い。辺りを見渡し鞄を探すが、それは焚き火の向こう側にあった。慌てて立ち上がろうとするが、再度左足に激痛が走る。うずくまる間にも音は大きくなっていく。

「あ、目が覚めたんですね」

 その声を聞いて、一気に体の力が抜ける。

「どうしたんです?」

「いえ……コホン。化け物でも出てきたらどうしようかと思ったのよ」

 久しぶりに声を出したせいか、一度咳き込んでしまう。近づいてくるアルバートを見て、立ち上がろうとした体を元に戻す。上半身だけ起こして彼を見やった。

「何、持ってるの?」

 彼は右腕に何かの植物を抱えていた。一見、雑草にしか見えないそれが何なのか、彼女にはわからなかった。

「ええ、まあ」

 そう言って彼は、一旦その植物を地面に置き、代わりに脇に置いてあった小さな鍋を手に取った。質素なスープが一人分やっと作れるかという程度の大きさだ。

 鍋を手に取ると、彼は水辺の方へと歩いていく。

 辺りをよく見ると様々な物が地面に置かれていた。散乱しているのではなく、おそらく鞄(といっても彼のものは小さな革の袋だが)から出して乾かしているのだろう。

 鍋に水を汲んだのだろう、彼は戻ってくると、これも置いてあった小さな三脚を手に取り、鍋を火に掛けた。そして、先ほどの草を鍋に放り込んだ。

 彼は切り株の上に座って、じっと鍋を見つめていた。時折風が吹き、草木を揺らす音だけが聞こえた。

「ここ、どこ?」

 沈黙が耐えられなくなって、リタは尋ねる。

「たぶん、ライル湖です」

 ライル湖は、ルーイント川から分岐した支流が流れ込む湖だったはずだ。頭の中に地図を描こうとしたが、破けた絵画をでたらめに張り合わせたような、滅茶苦茶な構図になりつつあったので、諦めた。

「マウエルからさらに北上したことになります」

 その思考を読み取ったのかは定かではないが、彼が説明する。

「私たち、どうなったの?」

「わかりません。たぶん、橋が崩れ落ちたのだと思います」

「どうして?」

「わかりません」

 矢継ぎ早に質問する。それでも彼は困った顔一つせずに淡々と答える。さらに続ける。

「これから、どうする?」

「どうするも何も、あなた、動けないでしょう?」

「え?」

 その答えに面食らってしまう。しかし、意に介さず彼はおもむろに動き出した。

「氷の魔術、使えますか? あ、すみません。びしょ濡れだったんで、勝手に出してしまいました」

 彼はリタの杖を差し出す。先ほどの口ぶりからすると、鞄の中身はほとんど取り出されて乾かされているらしい。見られて困るものは無かった、はずだ。

 杖を手渡したアルバートは今度は、鍋を持ち上げる。どうやら、鍋を冷やしてくれ、という意味らしい。

「ええ、大丈夫」

『テゴ グラキエス』

 氷の魔術を唱えて、鍋底を覆うように放った。途端に、氷が溶ける弾けるような音がしたが、やがて音は止み、湯気も無くなった。

「そろそろ良いかな。魔術が使えると時間の短縮になって便利ですね」

 そう言うと彼は鍋を地面に置き、右手にはめてあった手袋を口で噛むようにして外した。眩い手が姿を現す。その手を鍋に突っ込むと、指先にどろっとした液体がこびりついていた。

「ちょっと失礼」

 彼はリタの足元まで回りこみ屈みこんだ。

 そして、手についた液体を、彼女の傷口に塗りこんだ。

「――っ!!」

 沁みるような痛みが彼女を襲う。とっさに足をバタつかせて、彼を跳ね除けた。

「我慢してください。そのままじゃ、化膿しちゃいますよ」

 彼は眉をひそめて苦笑している。

「痛っ……。何なのよ、それ!?」

「何って、ミール草ですよ。傷薬の原料。本当はもっとちゃんとした精製過程があるのですが、こうやって煮込むだけでも効果はあります」

 そういえば、昨晩の旅人風の男も、ライル湖にミール草を取りに来たと言っていた。どうやら、この辺りに自生しているようだ。

「取りに行ってくれたの?」

「ええ、まあ」

 彼は先ほどと同じような受け答えをする。

「今日はここで野宿しましょう。明日には、歩ける程度まで治っていると良いですね」




 明るい夜だった。

 勢いは減ったが、焚き火は相変わらず辺りを照らしていたし、月も満月ではないにせよ、半分以上の姿を見せていた。

 目も暗闇に慣れ、月明かりが照らす湖の水面が一望できるようになった。

「……ねえ」

 彼女は言った。反応は、期待していなかった。

「……寝ていなかったんですか」

 だが、反応はあった。

「アルこそ」

「僕は、まあ、癖みたいなものです」

「癖?」

「ええ。一人旅が長いと野宿も多いですから。そうすると、賊や猛獣を警戒して、眠りが浅くなるんですよ」

「……ねえ」

 再度彼女は問いかけた。

「何ですか?」

「アルはどうして旅をするの?」

「え?」

「旅をする、理由」

「何を今更。知っているじゃないですか。師匠を探すためですよ」

「それは、理由じゃないよね」

「……どういうことですか?」

 薄暗い闇の中で、アルバートの瞳がこちらを向いた。元々茶褐色の瞳は、闇に紛れていたが、何故だかそれでも彼女の視界には映えていた。その瞳は、疑惑の目だ。こちらの意図が伝わっていない。しかし、不信の目ではないようだった。

「それは、目的だよね。旅のゴール。私が聞きたいのは旅を続ける理由。何ていうのかな、うーん……」

 伝えたいニュアンスが出てこない。それでも必死に言葉を紡ぐ。

「だってさ、二年だよ? 二年もずっとこんな旅を続けてさ。見つけた結果、師匠と暮らしたいとかなら、わかる気もするけどさ。言ってたよね? 見つけたら独り立ちだって。じゃあさ、何でだろうって。正直、諦めたって良いわけじゃん。先生だってそのためだけにずっと隠れ続けているわけじゃないだろうし、どうせまた会えなくなるなら一緒じゃん、って。何があなたをそんなに突き動かすの?」

 彼は顔を上空に戻した。つられて彼女も空を向く。月と星しか見えない。その虚空に彼は何を見ているのだろうか。

 しばらくして、彼は口を開いた。

「……取り戻すため、ですかね」

「取り戻すって、何を?」

「何か大切なものを」

「先生が何かを持って行ったの?」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

 うまく言えないのか、もしくは言いたくないのか。彼の歯切れは悪い。無理に彼の心に踏み込むのも躊躇われた。

「わかった」

「すみません」

 そんな短いやり取りで会話は終了した。

 少し、間が空いた。

 草木が揺れる音、虫の音、風切音だろうか、低い地鳴りのような音。

 口火を切ったのはアルバートの方だった。

「明日は街に戻りましょう。何とかして橋を渡る方法を考えないと。だから、今日は早く寝ましょう」

「ええ」

 再び、低い音。獣の唸り声のようにさえ聞こえる。よくよく聞くと風切音には到底聞こえない。

「……ねえ、何か変な音が聞こえない?」

 たまらなくなって、彼女はアルバートに問いかける。

「奇遇ですね、僕もです」

 彼も同様らしい。

 心なしか、音が大きくなってきている気がする。

「……そういえば、昨夜の夕食の出来事、覚えていますか?」

「昨日って、旅人風の男の人が見たとか見てないとか言ってたやつ? って、え?」

 彼の言わんとするところがわかった気がして、言葉に詰まる。わからなければ良かったとさえ思えた。

「あれって、ライル湖でしたよね?」

「え……」

 こちらの心情などお構いなしに彼は続ける。

「何を見たのだと思います?」

「ええと、普通は見えないもの?」

 おそるおそる口にする。それが何なのかを想像することは出来なかったが、想像できない何かだということは想像できた。

 アルバートが黙って刀を手に取り立ち上がった。

「え、ちょ……」

「来ます!」

 刹那、大きな音と共に湖に水しぶきが上がった。キシャアという獣の甲高い鳴き声のような音も聞こえる。

 水柱が治まるにつれて、それの姿があらわになる。その姿を見とめて、リタは言葉を失った。

「うそ……。シーサーペント……」

 水面から出ている部分だけで三メートルほどはあろうかという体躯。全体では十メートルほどもあるのではないかと思われる大蛇は、魔物と呼ばれる存在だ。

 魔物。定義は曖昧だが、動物とは一線を画す、想像上の生物とさえ言われるものだ。

 そんな生き物が、目の前で牙を剥いている。比喩ではなく、実際に。

 威嚇するように甲高い鳴き声を上げる大蛇は、牙をさらけ出して血走った目をこちらに向けている。

「ちょっと、どうするの!?」

 見たこともない存在を前に、彼女の思考は止まってしまっている。それに対してアルバートはいたって冷静に見えた。

「ちょっと交渉してみましょうか」

 腰に刀を帯びたまま、抜刀せずに彼は大蛇へと歩み寄る。

 大蛇の威嚇は収まらない。

 彼が岸辺までたどり着くと、射程内に入ったのか、鎌首をもたげた大蛇の頭が突進するようにアルバートに向かっていった。

 彼はとっさに刀を引き抜き、大蛇の牙とぶつかり合った。それでも体躯の差で一、二メートルほど押されるようにして後退する。

 さすがのアルバートも体格の差は埋められないようだった。自らの牙で刀と鍔迫り合いをする気はないらしく、蛇は一瞬身を引いて、今度はもたげた首を跳ね上げるようにしてアルバートを突き上げた。彼の体があっけなく宙に浮いた。

 放物線を描くようにして彼女のいる地点まで飛ばされてきた。

「カッ……」

 息が止まったように短い声を上げて彼は地面に叩きつけられた。その彼はふらふらと立ち上がるとポツリと言った。

「……わかりました」

「え? 何が? ……って、ええ!?」

 あろうことか彼は刀を地面に突き刺して、丸腰のまま再び大蛇の元へと歩いて行く。

「アル!」

 彼は歩みを止めない。相変わらず大蛇の威嚇は勢いを緩めないし、端から見ると自殺行為にしか見えない。

 じりじりと近づく彼に対して大蛇は再び鎌で刈り取るような動きで彼へと迫る。それをアルバートは真上に飛んで避けた。

 そして、巨大な体の上に乗った。

「ええ!?」

 予想だにしない彼の行動に、思わず上ずった声を上げてしまう。

 乗りかかられたシーサーペントは、嫌がるような唸り声を上げながら、振り落とそうと左右に首を振っている。それをアルバートは右腕だけで器用に耐えている。

 何をする気だろうかと考える間もなく、振りほどくことを諦めた大蛇がその身を全て水中に隠してしまった。

 リタは叫んだが、彼を呼ぶ声は水しぶきの音にかき消された。

「どうしよう……」

 必死に考えようとするが、頭が回らない。焦る気持ちが先行し、冷静な思考は置いてけぼりにされていた。

 再度、水しぶきが上がった。

「避けて!」

 彼の叫ぶ声。月明かりに、何かが反射した。

 彼女の数メートル手前にそれは落ちた。ずしりと重みのある音を放って、それは地面に突き刺さった。

「……剣?」

「鍋!」

 彼は叫ぶ。

「……は?」

 状況についていけない。

「鍋、取ってください」




 川を南下する。

 徒歩よりも数倍早く、揺れも思ったより少ない。存外、快適だった。

「……私、未だについていけていないんだけど」

 快適ではあるのだが、状況をすぐに受け入れることが出来ない。

 先ほどまで自分たちを襲ってきた、シーサーペントの上に乗って、川を泳いでいるのだ。すぐには適応できない。

「何が、ですか?」

「まず、この子かな」

 『これ』と言おうとしたが、乗せてもらっているのに物扱いは無いだろうと考えた結果、自分より数倍の巨体を持つ蛇を『この子』と表現することになった。

「この子、何?」

「シーサーペントです」

「それは見ればわかる……いやいや、本当にシーサーペントなの?」

「どう見てもシーサーペントですが」

「そうなんだけど……。本当にいるんだ……」

「ひとつ覚えて帰りましょう。『盲亀の浮木』滅多にないことの例えです。いるんですよ、魔物って」

「信じられない。いたんだ、本当に」

「僕たちが生まれてくる頃くらいまでは、まだもう少しは見られたみたいです。確かに、今では存在自体が危ぶまれている感はありますね。僕もまだこれで三回目、ですかね」

「他には何を見たの?」

「ユニコーンとフェンリルを見ました」

「フェンリルって、あの巨大な狼の?」

 ユニコーンは角の生えた白馬、フェンリルは巨大な狼で、どちらも想像上の生き物とされていた。しかも、ユニコーンはともかく、フェンリルは凶暴な猛獣のはずだ。

「ええ、襲われて死にかけました」

 さらっと言うアルバートに寒気を覚えた。

「……で、滅多に出会わない魔物に出会ったうえに襲われた私たちは西から日が出るくらい運が悪いと思って良いのかしら」

「誰かさんのせいだとは思いますけどね」

 誰か、といわれてもここにはアルバートとリタしかいない。心当たりは無いが、自分しか標的がいないではないか。

 そんな不機嫌な感情がこぼれ出たのを感じたのか、彼は苦笑して肩をすくめる。

「あなたのせいではないですよ。あの剣です」

「あ、そう、それ! あれ、何だったの? 危うく私が怪我するところだったじゃない!」

「ここに刺さってたんです」

 彼は自分の乗っている一メートル手前を指差す。今は緑色の粘性の液体で覆われているが、十センチほどの深い傷が出来ている。

「それで、怒り狂ってたのか……。酷い、誰がこんな……」

 確かに、出会ってみると恐怖を感じるかもしれないが、こうして二人を乗せてくれていることからも、決して凶暴な魔物ではないことはわかるはずなのだ。

 そうでなくても、逃げればよいのだ。せいぜい十メートルほどの体格で、水辺からは離れられないのだから(もしかすると、それこそ蛇と同じように地を這うことも出来るのかもしれないが)。それにも関わらず、あえて攻撃を加えたのは何故なのだろうか。

「これは、完全に推測です」

 ゆっくりとアルバートが口を開く。

「あの剣、見た覚えがあります」

「私は覚えてないけど」

「あなたも見ているはずです。ただ、印象に残るような業物でもないし、記憶に残るやり取りをしたわけでもありません。おそらくどこにでも売っているようなもので、考えすぎの可能性もあります」

「そんなに予防線を張らなくてもいいから。何なのよ?」

「昨晩――もう日を跨いでいるかもしれないので一昨日かもしれませんが――夕食の席で騒ぎ立てた男、彼の持っていた剣と同じだと思われます」

「え? ってことは」

 少しずつ、疑問のピースが繋がっていく。

「彼が見たと言っていたのは、このシーサーペントの事で間違いないと思います。そして、それを否定された彼は、証拠を掴もうとしたのではないでしょうか?」

「証拠って……」

「そこまではわかりかねます。ただ、あまり平和的な方法ではなかったでしょうね」

 彼は再び大蛇の傷口に視線を落とした。

「……彼は、どうなったのかしら」

「その質問は、聞かなかったことにします」

「え、あ、うん」

 何となく、想像が出来た。

「ここまではわかったわ。で、何で私たちはこの子の背中に乗っているのかしら?」

「魔物の中には高い知性を持っていて、人語を解するものもいます。ためしに交渉してみたら、交渉に乗ってくれたので」

「剣を抜いてあげたお礼ってこと?」

「そんなところです」

「ふーん。だいたいわかったわ。けど、まだわからないことがあるのよね」

「何ですか?」

「あれよ、あれ」

 彼女は前方を指差す。いつの間にか出発地に近づいてきており、壊れた石橋が見えた。

「ああ、あれですか」

「そう、何でいきなり落ちなきゃいけなかったのよ。そういえば、他の人たちは大丈夫かしら」

「何人かは岸に上がるのが見えました。怪我人は出たかもしれませんが、死人は出ていないと思います。希望的観測ですが」

「で?」

「背中が痒かったんじゃないですかね?」

「は?」

「背中が痒いけれど、手を持っていない。そうすると何かに擦り付けるしか無いですよね」

「……え。ええ!?」

「想像です。憶測です」

「本当に?」

 ふと、シーサーペントが唸り声を上げた。どういった意味なのだろうか。

「まあ、水に流しても良いんじゃないですかね」

「散々流されたわよ。あんまり上手じゃないわよ、それ」

 何だか釈然としない。

「まあ良いじゃないですか。そろそろ降ろしてもらいましょう。せっかくなので反対側に降ろしてもらいましょうか。……あ」

「大丈夫、少しくらい歩けるわ」

「それでは」

 会話を理解したのか、シーサーペントはマウエルとは逆の岸辺に寄って行った。首をもたげると、アルバートが飛び降りた。

 着地した彼はこちら側に振り向き、手を差し出した。

「大丈夫ですか? クリス……ああ」

 何故か差し出した手を引っ込めた彼は、気恥ずかしそうに頭をかいた。

「……別に、特に理由は無かったんですよ」

「何が?」

 急に語りだす彼が何を言おうとしているのかわからなかった。

「ただ、何となく恥ずかしかったというか……」

「だから、何が?」

 煮え切らない彼の態度に少しだけ苛立った。声がやや大きくなった。

 彼は苦笑しながら意を決したように言った。

「何でもありません。降りれますか、リタ?」

 全てを水に流そう、そう思った。

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