幕間 混迷する世界と混迷した世界2
混迷を極めて行く世界では何が正しくて何が間違っているかなど二の次でしかない。
誰もが生きる事に懸命であり、言い換えれば、生きる事に醜悪であった。
膨大な力を用いる為に必要な回路を構築する為には一から作り上げるしかない。
けれど、膨大な力を用いる技能を育てるには一から作り上げる時間は残されていない。
ただそこに居るだけで膨大な捕食者と化したクィツラヴィフェンを止められる者は居なく、結局の所、滅びから逃れる為に滅びを生み出したとも言えるのかもしれない。
クィツラヴィフェンは剣であり、武器であり、兵器であった。そこに異論が挟まれる余地はない。
多数の為に少数が犠牲となるのは必然であり、必然と“した”ヒトの悪意である。
未だ自国の民を捨てきれぬ権力者は決めるべき時に決断を決める事が出来ず、そしてクラウシュラは星を一つ作り出した。
魔素の配給源として、この星のもう一つの形として、星の記録に触れた禁忌、次元を歪めた先に“あり得た”星の可能性を生み出したのだ。
「クィツラヴィフェンは?」
「問題なく稼働しております、何処まで持つかは不明ですが」
轟音の鳴り響く中、科学者はただ事実だけを述べて現実を見ていた。
特化型の兵器作製は上手く行っていた。ただ根本的な所で配給源となるモノが足りなかった。
別にタンクを作り上げるという案は既に前からあった、だが膨大すぎる魔素を受け止めるだけの器が用意出来なかっただけだ。
だが今、目の前の現実にはそれが出来てしまっていた。
「……そういう世界に“作り替えた”とでも言うのかクラウシュラ・キシュテイン」
「幻想の中で生きる事が果たして救いというべきかどうか、どちらにせよ夢、幻であれ生きたいと願う気持ちは嘘ではないのだろう」
ぽつりと呟いたその言葉には重みが有った。
空に浮かぶ青い月、あれこそが本当の世界であると知っている者はもはや居ない。
全ては加護持ちという異質な存在へと変わって行った。誰も知らず、誰も聞かず、誰もが認めたく無い事実だけを残して。
「魔素が無くなれば良い、魔素が無くなれば全てが収まると……。加護持ちはただその魔素を吸い取る装置に過ぎず、その力はただの副作用に過ぎず、ただこの夢幻の世界の中で永遠に戦い続ける道化と化した。そして現実の世界では空中都市ルヴァリンは滅び行き、“魔術”の無い世界が始まる。この夢幻の世界が存在する限り、加護持ちが存在する限り」
配給するのではなく、吸い上げる為に。存在を否定する為に。
決断できぬ権力者の視点を逸らす為に、ただそれだけの為に、数千、数億のヒトを殺し、裏切り、捨て去った。
「だが誰も真実は知らない、強大な力を手に入れ、英雄の如く龍へと立ち向かう。あの龍すらも作られたモノであるという可能性を残して」
呟いた言葉はクィツラヴィフェンの放った一撃によって発生した轟音にかき消された。
――龍は墮ちた。そして、ヴェルトライは龍に囚われた。魔素を生み出す一装置として、魔獣を生み出す一システムとして。
“この”世界の脅威を維持する為に。
○
ゆらり、と世界が揺らぐ。魔素の消えた世界で空中都市は生きて行けない。
ゆっくりと高度を落とし、大地へと沈んで行く。数千万という命を奪いながら海の藻くずへと消えて行く。
崩れ行く家屋、悲鳴の上がる広場、罅割れて行く道路、そして――その光景を見ながら一人の女は歪んだビルの一角で僅かに嗤った。
「魔素の無い世界、魔術が無い世界、それがどのような世界になるかはわからないけれど」
「それでもきっとヒトとヒトは争い続ける、明確な敵が、明確な悪が必要なのかもしれないな」
声には返事が有った。やや僅かな沈黙。女は、クラウシュラは声の有った方へと視線を向けて、そして僅かに悲しげな顔をした。
「……アーノルドか」
「これがお前の望みだったのかクラウシュラ?」
「さてな、もはやこれを成した私はヒトの身ではなくなった故に、その価値観も果たして生前と同じ物であるかはわからないさ。星の記憶は移ろい行く、ヒトの体では支え切れぬ。いずれ私が私であるという価値観も経験も全て虚ろとなり消え行くだろう。既にそれは私ではなく、クラウシュラ・キシュテインという記号を持った物体にしか過ぎない……」
トン、とクラウシュラはグラスを置いた。木製のテーブルの上、綺麗に整頓されたその上には何も無い。
ただ揺れ動くこの部屋の中で先ほどまで水か、あるいは酒か、何らかの液体が入っていたであろう名残を残したグラスが一つ置いてあるだけだ。ずりずりとグラスが少しづつ動く、部屋が傾いて来た証拠だろう。
「思えば、魔獣、という存在は正義であったのかもしれない。悪である彼らが存在する事によって我々は正義を執行する事が出来る。それこそが生み出されている悪であったというのに」
「妥当な循環システムだ、使用された魔素を有用に活用し、悪意として用いて悪を処理し、そして有用な魔素へと還元する。世界のシステムだ」
「別にそれを否定するつもりは無いさアーノルド、だから貴様も私を否定しないでくれればそれで良い。否定した所でもはや遅いけれども」
クラウシュラの言葉にアーノルドは僅かに顔を歪めた。
クラウシュラの整ったその唇からは浪々とまるで誰に告げる訳でもない独白が続く。
「世界は二つになった。魔素の無い世界と魔素の有る世界。魔素を吸い上げる為“だけ”に作り出した加護持ちは、あの世界では世界を救う為の救世主として生きて行くだろう。そのうちヒトに利用される兵器となるだろうが……。そしてこの世界では消えて行く魔素の為に龍は現れず、そして世界の覇者であったこの国は墮ちる」
「あちらの世界ではクィツラヴィフェンがとどめを刺すか?」
「あるいは指標となるかもしれんな。圧倒的な力というのは有る意味求心力すらも己が力とする。だがそれはそれ、これはこれだ」
「勝手だな」
「ヒトというのはそう言うものだ、独善で欺瞞で、そして満たされる事は無い飽くなき欲望」
「悟った振りをして諦めただけだろう、勝手な女だ」
「覚悟を決めるというのはそう言う事だ」
「巻き込まれる者を少しは考えたらどうなんだッ! ヴェルトライは誰かを救える力を手に入れられると喜んでいた! それが誰かを犠牲にした上で手に入れた力だと知ったらどう思う、ロルヴェの事もそうだ、お前だって気持ちに気付いていた筈だ、あいつはお前に認められたい一心でッ」
怒鳴り声が部屋に響いた。クラウシュラは僅かに微笑み、そして目を瞑った。
「では止めれば良かったか? 共に死ねと言えば良かったか? 上を納得させ、誰かを救うには最善であった筈だ。私に取っての最善であったという事も当然認めるが、あの世界に取っては最善だったはずだ。……あの世界“では”私は星の“記録”の番人だ、そしてアーノルド、君はこの世界“でも”守護者の番人だ、以前言った筈だ、文句が有るならば代案を出せ、と。それとも今から国を守るか? あるいは、星を守るか? 壮大な話になって来たな」
「……ッ」
「魔素は有限だ無限ではない、ヒトが生み出せる魔素は限られている。別の所から持ってくるのにもう一つの世界を作って何が悪い、あの世界の彼らは満足しているだろうさ、己の力を示す事が出来て、己の研究の世界を示す事が出来て。そして私はこの腐り切った国を潰す事が出来た。それで十分だ……、それが龍を産んだ者の末路として相応しい、この世界にあのようなモノは必要ない」
「あちらの世界はどうなるというのだ」
「知った事か」
「クラウシュラッ!」
「アーノルド、“コレ”を作ったのは“記録”のクラウシュラだ、私ではないよ」
「詭弁を言うな……ッ、そうであれとしたのはお前だろう!」
「言っただろう、もはやアレは私ではない。私に良く似たナニカだよ」
国が墮ちる、世界が変わる、魔術が消えて科学が産まれる、世界の始まり世界の終わり。
突き出したアーノルドの手はクラウシュラを吹き飛ばし、そして彼もまた、国とともに墮ちて行った。
○
帝国アールフォード
さらりとながれる深緑の髪、片目をやや隠す様に落されたその髪を耳に掛け、その瞳はブルー、整った顔立ちではあるがどこか幼さを残した表情は愛嬌すら感じられる。男だ、20と少し、いや後半に差し掛かっているであろう年齢の様に見受けられるがどうにも雰囲気がそれを安定させる事は無い。
僅かに薄らと笑みを浮かべながら王城の中を闊歩するその男の名は第9階級:隔離のダーシャ・フロイツを所持する者、ライドリヒ・フロイトであった。
「あぁー、君ぃ〜、済まないけどカール君はどこかなー?」
間の抜けた様な声、気怠げに問いかけられた女中の一人は相手が誰かを理解し、瞬時に顔面を蒼白にして答えた。
「あぁー、ごめんごめん驚かせちゃったね。大丈夫大丈夫何もしないさぁ〜」
答えを聞いたライドリヒはひらり、と手を振りその場を去る。皇帝であるグリフィスの次の次に、(しかし現在はフィーア・ルージュが不在のため2番目に)個人戦力としての力を持つ男から声をかけられれば誰しもが驚くだろう。ライドリヒはわりと気さくな性格では有るが、加護持ちらしくどこか歪んだ部分を持っている。いつぞやは気に入らないという理由だけで目の前でバラされた女中が一人居た程だ。顔面を蒼白にした程度ならば軽いものだろう。
ライドリヒは先ほどの女中に教えてもらった一室の前にたどり着き、扉をノックしようとした所で部屋の中から聞こえる怒鳴り声に思わず笑みを浮かべた。
「ざっけんじゃねぇぞクソ共が! 俺をさっさとここから出せっつってんだぶっ殺すぞ!」
扉を開けるとそこには包帯に巻かれ、ベットに貼付けにされているカール・ブラルハムが居た。
腹の傷は思った以上に深く、更には抉られていたためむしろ死ななかった方が不可思議な程だ。完治はして居ないとは言えど取り合えずは危機的状況を脱したカールではあったが、目が覚めた途端この有様であり、勇士によってベットに貼付けられているという現状であった。
「やぁやぁ、カール君、お久しぶりだねぇ。君の介護をしてくれるヒトに邪険に当たっちゃ駄目だよぉ〜」
声は穏やかでありながら部屋に響く様な不思議な状況を作り出した。声を張り上げていたカールは怪訝な顔をして入り口の方に視線を向け、周囲に居た治癒術師はその扉の所に居た相手を認識し、慌ててカールから距離を取った。触らぬ神、もとい加護持ちに祟りなしである。
「……ライドリヒ卿、なんの御用で?」
ギロ、と音が付きそうな程不機嫌な表情でライドリヒを見たカール、所詮使い捨てに過ぎない部隊の隊長だ。いくら腕が立つとはいえどその態度は度が過ぎている、だがその様相にライドリヒは特に何も苦言を告げず、ただ苦笑を浮かべ答えを返した。
「いやぁ、ぼろ負けしたクソ以下の負け犬の面ってどんなモノか一度見てみたくってさぁ〜、予想以上に道端の糞並みだなぁ〜これは酷い。回りに居る彼らは介護者じゃなくて飼育係かなぁ? 糞の掃除は大変だよね、皆お疲れ様〜」
そう言ってライドリヒはげらげらと嗤った。カールの手がミシミシと鳴るが誰もが目を背けている。
「それで? 何々? 子供に負けたんだって? いやぁ、これはもう糞どころか存在価値すら無いよねぇー? てかなんで死ななかったの? 皇帝陛下様のお役に立つくらいしかもう役目が無いじゃん、いや、むしろ陛下が糞を取り込むとかないかぁ〜、そう言う意味では良くやったよカールくん」
「……ッ」
ギリ、とカールが歯を食いしばる所を嘲笑を浮かべ見下ろすライドリヒ。ハッ、と鼻で笑おうとした瞬間カールがベットから跳ね上がる様にして飛び上がり、ライドリヒの顔面目掛けて拳を振り下ろした。――が、
「ぎぃッ――!」
ミシ、という嫌な音がカールの体、いや、ライドリヒへと叩き付けた拳から発生した。
まるで空間が歪んだかの様なそれがライドリヒとカールの拳の間に発生していたのだ。そして一瞬宙に浮いたかの様になったカールは次の瞬間地面へと叩き付けられていた。言うまでもなくライドリヒが魔素を纏った拳で叩き付けたのだ。
ビキリ、と地面に罅を入れるほどの勢いで叩き付けられたカールは一瞬意識を飛ばした。
「あぁー、ごめん、ちょっと大人げなかったねぇ、ごめんごめん」
「ぐ、かはッ……、ぶ、っ殺……、す」
「あっははー、いいねぇ、加護持ち相手でもそんな啖呵が切れる君が僕は大好きだよ。命令には従順でいて、兵士として完成していながらも自身の狂気には正直な外れ者。正直今回の件で二度と会えないかと思ってたけどまた会えて感動だね、はい感動の再会の握手〜」
意識が朦朧としているカールの腕を強引に掴み、ぶんぶんと振り回す。腕が振るわれるごとにカールの顔が歪むが歯を食いしばり堪えた。
数回腕を振った後飽きたのか乱暴に腕を離したライドリヒは先ほどまでの嘲笑した笑みは姿を消し、真剣味を帯びた顔でカールへと問いかけた。
「で、真面目な話お前がそんなぼろくそにされる子供って誰だい? 顔は? 姿は? 背格好は? フィーアちゃんも“返って”こないし、結構上層部はピリピリしてんだよねぇ。ま、我らが陛下は返って来なかった事に対しては特に何も思っていないみたいだけど、死んでないのに戻って来ない、という事に関しては少々思う所があるみたいだけどねぇ」
後半の言葉まで聞こえていたかは定かではないが、カールの答えは沈黙だった。一瞬ライドリヒは喋られなくなる程叩き付けてしまったかなと顔を覗いたが、そこに有った醜悪な笑みで答えを知った。
「おやおやご執心かー」
肩を竦めてそう呟いたライドリヒはこれ以上は時間の無駄だと理解した。カールもまた狂っている、これ以上痛めつけた所で自分の獲物を喋る事は無い。となれば、だ、――それ専用として使う方が有用であろう、とライドリヒは判断した。
「とはいえど、糞をせめて糞尿にするくらいはしてあげないとねぇ〜」
そう言ってにんまりと嗤ったライドリヒは軽く腕を振った。同時に吹き出る様な膨大な魔素が辺りを満たし、そしてカールの右腕が“消えた”。
文字通り右腕が肩口から綺麗に消えたのだ。綺麗な程に切られた切断面、だがそこから血は一滴もたれる事は無かった。骨の芯まで確りと見える程に綺麗に切られた肩口の断面は血の流動すら感じられる程。
ひぃ、と誰かの悲鳴が上がった。当然だろう、目の前でいきなりヒトの腕が消えたのだ。だがその悲鳴はカールのではない事は確かだ、カールは目を見開き、自身の肩口の切断面を凝視していた。
「コンフェデルスからのプレゼントさぁ〜、あの国もカナディルに勝たれちゃ困るんだろうねぇ。とはいえ負けても困る、と、互いに消耗してくれる事を期待してるんだろうね。こちとら消耗してくれる事が狙いなのにねぇー」
フィーア・ルージュを手に入れた可能性が高いカナディル連合王国が“圧勝”する事になってしまっては困る、という事だろう。
国益って何なんだろうねぇ、と言いながら再度ライドリヒは手を振った。その先には黒く重厚であり、そして奇怪な形状をした腕があった。
「……ッ」
その黒い鉄の腕は二の腕部分にはナニカを差し込む様なスリットが付いており、そして手の平は無く、肘からは太い筒状の“銃身”が伸びていた。
「魔導銃って言うらしいよ。正式名称は魔石流用型連発式魔導変換砲って言うらしいけどねぇ」
肩を竦めてカールへと告げるライドリヒに、カールは勝手に腕を付け替えた事に対して何も言わない。そしてカールも同様にそれに対して何も言う事は無い。殺す為だけに、ただ兵士が兵器へと変わっただけの話、力が貰えるのであれば言う事等無い。
カールにとって帝国の都合も、帝国の思惑も、連盟の都合も思惑も全て知った事ではないのだ。ただ殺し、殺し、殺して行く。誰かを殺す為には誰かを押しのけて前に進む為には力が必要だ、その力をくれるというのならばそれに不満等有る筈も無い。
ガァン、と一際大きな音が鳴った。傍にいた治癒術師の頭が吹き飛び、一拍遅れて血飛沫が舞う、悲鳴が上がると同時にライドリヒは僅かに眉を顰めてその死体を“隔離”した。死体となったヒトは一瞬にして場から消え去り、名残の様に鉄臭い血の匂いと僅かに飛び散った肉片が残るのみ。
「はっ、こいつぁいいや」
カールは凶悪に嗤った。銃身の先から僅かに煙を立ち上げて自身の腕と化したそれを見る。
「まいったねぇ、目の前で大切な治癒術師を殺されるとは困ったもんだ。これは不良品を押し付けて来たコンフェデルスへの抗議と危険人物を自国領から排斥しないとならないねぇ〜」
「はっ、アンタのそう言う所大好きだぜ」
「あんまり長くここにいると貴族連中から面倒事を押し付けられるだろうから、さっさと行ってなぁ〜。一応慣れるまでは無茶するんじゃないよ。わかってるとは思うけど、腕はまだ完全に繋がってる訳じゃないんだからさぁ〜」
ひらひらと手を振るライドリヒにカールは再度凶悪に嗤い、そして再度銃身を構え、そして放った。
崩壊する壁、広がる空、そしてカールは舞い降りる様に外へと飛び立って行った。
それを皮肉気に嗤って見つめたライドリヒは怯えて踞る治癒術師達を一瞥した後、くすり、と笑い部屋を出た。
「ここにいらっしゃいましたかライドリヒ卿」
部屋を出たと同時に声をかけて来たのは加護持ちとしてのライドリヒである彼の傍付きとして着任しているコンラートであった。
やや焦げた短い茶髪、腰にはロングソードと呼ばれる部類の武器を吊るしている。やや厳つい顔つきでは有るが、威圧感を与える程ではない。その姿を確認したライドリヒは片眉を上げ、まるで何も無かったかの様に微笑んで問いかけた。
「おや、コンラート君じゃないか、何か用かい?」
「……何か、ではありません。何か大きな音がしたので何事かと思いましたら、犯罪者を野放しにする等何を考えているのですか」
「そうは言ってもほらぁ〜? アレはもう死んだ事になってる存在だしさ、有効活用しないと」
「困ります。先日のコンフェデルス側からの献上品からも“盗まれたもの”があったというのに、警備隊の連中が責任を負わされますよ」
「そりゃしかたがないさ。城に忍び込まれた挙げ句、物を盗まれ、さらに治癒術師を殺されたんだ、責任とらなきゃねぇ〜」
くすくすと嗤うライドリヒにコンラートは再度溜め息を吐いた。
カールに関しては捨て駒として使う分には別に構わないが、治癒術師を犠牲にされても困る、有能な治癒術師は下手な金よりも価値があるのだから。
「フィーア卿が不在の今、貴方の居場所が不明瞭なのは困ります。連合王国との開戦も近いのですから、あまりこちらを困らせないで下さい」
「はいはいっとー」
手を振って返事としたライドリヒはその深緑の髪を掻き上げてコンラートへと返事を返した。
「文句が有るなら白蛇(帝国情報局)でも動かしたらどーだい?」
「ご冗談を……」
「ま、そりゃそうだよねえ〜、この状況で犯罪者一人の為にそんなの動かせやしないか、でもそーだな。彼女ならやってくれるんじゃない?」
「……は?」
歩きながら話すライドリヒにコンラートは怪訝な表情を向けた。視線の先のライドリヒは片手を筒の様に丸め、片目を瞑り遠くを見る様にしてそれを覗き込んでいた。怪訝な表情はそのままに、コンラートはライドリヒの視線の先を見るとそこには白蛇の一人、ツェツィーア・ハルトベルが立っていた。
「どーも、ツェツィーちゃん」
「……ご無沙汰しておりますッス、ライドリヒ卿」
普段の朗らかな表情はどこへやら、固く強張った顔でライドリヒへと敬礼し返事を返したツェツィーアはやや目のそこに有る敵意を隠し切れていない。それを認めたライドリヒは薄く笑った。
「不満かなぁー?」
「その様な事は……、有りません……ッス」
「そーかなぁ、犯罪者を枷無く自由に放逐して多少の犠牲は目を瞑ろうって話はとてもとても許せないけれど、自分だって相当にその両手を血に染めて、それ以上の悪辣な行為だってやって来た訳で、大体指示を出したのが加護持ちの一人だから実力的にも立場的にも文句は言えないし、まじこまったわーこれ、な気持ちなんじゃないのぉ? あぁ、それとも話の流れから自分に特別に任務をくれてあの男を裏から見張れるかなーとか淡い期待をしちゃったりしてたりするかな? 残念! 君には与えない!」
「……」
ビシリ、と無駄にポーズを決めて告げたライドリヒに対し、ツェツィーアは沈黙と共に片手を胸の前に、そして片膝を付き頭を軽く下げた。最敬礼の一つだ。
それを見てもライドリヒの言葉は止まらない。
「どうしても欲しいならそうだなぁー、一晩付き合ってくれたら考えても良いよぉ〜? いやぁ、君のその体一度好きにしてみたかったんだよねー。もしかしたらほら、加護持ちの子供とか授かるかもしれないよ?」
けらけらと嗤うライドリヒにツェツィーアは顔を上げ微笑みを浮かべて答えた。
「ご冗談を、私程度では勿体無い話でございます……」
その顔にライドリヒは笑いを止め、そして僅かな沈黙。
「君も後から出ろ、余計な横槍を入れた奴、カールの標的は奴を追って確認。同時にフィーア・ルージュの場所も調べ上げて状況を把握しろ。陛下にはこっちから言っておいてやる」
「了解致しました……ッス」
「任務完了後はカールも始末しろ、良いな? もしコンフェデルスの仕業に見せられるようならそうしろ」
その言葉に再度最敬礼を捧げたツェツィーアは礼を述べてその場を去った。そしてライドリヒはと言うと先ほどまでの真剣味を帯びた顔は直に破顔し、ふりふりと揺れるツェツィーアの尻に釘付けとなっていた。
「いやぁ、溜まらんなー、あれはいいケツだ。胸も反則だし、やっぱり失敗だったかなー、一晩くらい無理言っても良かったかもしれない」
「……ライドリヒ卿」
疲れた様な声が横から聞こえた所でライドリヒは肩を竦めた。
「冗談冗談、正直ツェツィーちゃんはきっと抱かせろって命令出せば抱かせてくれると思うけどー、完全に機械的になるだろうしつまらないさ。やっぱ抵抗してくれないとさぁー、無理矢理しないと駄目なんだよねぇー」
「……」
「あは、大丈夫大丈夫、自分が狂ってる事くらいよくわかってるさ。だから奴隷で我慢してるだろ? それも一人だけで我慢してやってるんだから感謝して欲しいくらいさ。まぁー両腕無くなっちゃったけど。最近あんまり泣かなくなっちゃってつまらないんだよねぇ」
「ライドリヒ卿、あまり戯れはよして下さい……」
「はいはい、ごめんなさーい。けど下を見れば正直何人も囲って馬鹿みたいに盛ってる奴とかさぁー、剣の試し切りに使ってる様な奴もいる訳だし、結構まともな方だと思うんだけどなぁ。残飯しか食わせない所もあるのに、食事は主人と同じ物を食べさせてあげるし、睡眠時間だって下手すりゃ1、2時間しか眠らせてくれない所も有るのにこっちは毎日8時間だよ? 体調が悪い時は手は出さないし、怪我をしてもちゃんと完治するまで待ってあげるし。ただ治った後はちょーっと、骨折ったり、皮膚を剥いだり、肉を抉ったりするだけなのになぁー。ま、そこが世間一般的に見れば十分狂ってると思うけどね」
この世界の命は軽い、そしてその中でも奴隷となれば更にその価値は落ちる。特に奴隷制度を設けている帝国では顕著だ。カナディル連合王国やコンフェデルス連盟は表向きには禁止している為そのような光景を見る事は無いが、帝国では普通にありえる話だ。とはいえど一方的に暴力や殺害をして良い訳ではない。奴隷は商品であり、物だ。殺せば所有者に対して罰則を払わなければならないし、暴力を振るえばそれも当然所有者に罰金を支払う必要が有る。ただ、奴隷本人に払われる事は無いのだが。社会的弱者、それの更に下に存在する最下層のヒト、いや、ヒトとすら認めてもらえないモノ、が帝国の奴隷であった。
弱き物は生きて行けない、弱き物は搾取されるだけ、ただ強き物だけが生きて行ける世界。
巫山戯た様に返事を返すライドリヒにコンラートは軽く頭を振るだけで特に何も告げる事はなかった。
何も返さないコンラートに呆れたか、鼻を一つ鳴らしたライドリヒはふと、足を止めた。窓の外、空が見えた。
「まったく、僕みたいな化け物が存在している世界に一体何の価値があるって言うんだろうね。そしてそんな化け物に頼らないと成り立たない国なんかに国としての価値なんてあるんだろうかねコンラート」
「……私にはわかりかねます」
「ははっ、まぁそうだよね、難しい問題だ。ま、そーいう事は未来の歴史家が語る事であって今の我々が語る事ではないのかもしれないね。そう言う意味では陛下は正しい。勝った者が歴史を作る、勝者こそが正義を語る。正義が勝つんじゃない、勝った方が正義なんだ、だから、何をも屈服させる力こそが、正義である。そう、だから強い陛下は正しい、ってねぇー」
くるり、とコンラートへと振り返り語ったライドリヒの顔はどこか空虚で、歪んでいた。




