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月蝕  作者: 檸檬
3章 加護と加護
52/67

虚構の世界に立つ夢幻5

 ごめんなさい。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。


 許して下さい、もうしません、ごめんなさい。許して下さい、許して下さい。

 許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい、許して下さい。 


 涙と鼻水でぼろぼろの顔、見捨てられる事を恐怖して、世界にひとりぼっちであるという事をその心で感じてリリスは泣いた。


 ルナリアはそれを冷めた頭で眺めていた。焼けた腕の痛みは既に無く、国お抱えの治癒師によって治癒済みであった。要安静という事で横たわるルナリア、そのベットの傍に踞り先ほどから同じ言葉を繰り返し続けるリリス。

 

 壊れた人形の様なその様はいっそ、滑稽であった。

 

 包帯の巻かれた両腕、未だ感覚の戻らない指先、伸ばしていた髪は焼け焦げた為に一部がばっさりと切り落とされていた。

 残された部分も整えようかと侍女に言われたがルナリアはそのままにしてそれを結い上げていた。

 包帯の巻かれた手でその結い上げた髪を撫で、そしてリリスに聞こえない程度に鼻で笑った。リリスに、そして己に。


 これが加護持ち?


 世界で数名しか居ない最強の力を持つ神の代行者?


 “こんなもの”に私の母は殺されたのか。


 そして呟いた。


 ――無様だ、と。


 ○


 時は流れる、ゆっくりと、緩やかに。そして過ぎ去った時初めて思う、あっという間であったと。


「14歳……。もう、14年も経ったのね……」

「姫様?」


 ぽつり、と呟かれた言葉は馬車の音にかき消され、対面に座る侍女にすら届かなかった。問いかけられた言葉には返さず、言葉の主は憂鬱げにストムブリート魔術学院へと向かう車両の窓のヘリに肘を立て外を眺めた。


 燦々と太陽が照らす夏の日、時期はもう既にその時であった。


 金糸の髪を一部だけ結った特殊な髪型をした美女、ルナリア・アルナス・リ・カナディル。18歳となり、その美しさに更に磨きをかけた彼女が、王族用の天蓋つきの華美華麗である車両に備え付けられていた長椅子へと座っていた。


「ヴァンデルファールまで線路を引けばこんな無駄な時間は無かったと思うのだけれどもどうかしら?」

「申し訳ございません、私どもにはなんとも……」

「そうね、ごめんなさいね」


 対面へと座る侍女は申し訳無さげに返事を返した。結局未だに中央都市まで蒸気機関車を通す計画は完了していなかった。

 どちらにせよ時間的な問題、金銭的な問題その双方によって許可が下りたとしてもおそらく模擬戦までは間に合う筈も無かったのだが、ガタガタと揺れるこの不快な乗り物に長時間揺られたルナリアは文句の一つも言いたい気分ではあった。

 

 首都と中央都市ヴァンデルファールの距離が近い事が唯一の救いだろう。


 そも、よくよく考えてみれば途中ワイバーンを使用したとはいえど、数年前クラウシュベルグへと向かった時に比べれば断然短い時間なのだ。違いといえばその時は楽しくて楽しくて仕方が無く、今回は面倒で面倒でしょうがないという事だろう。


 スオウが居なくなったという報告を受けているので、それが有るからこそモチベーションを保てるともいえる。楽しい見せ物でなければスオウに何を言ってやろうかと笑みを浮かべ、――隣に座る侍女に不審気な顔で見られた。


「姫様……」

「何かしら?」

「良からぬ事は考えておりませんよね?」

「失礼ね何も考えてないわよ?」


 胡乱気な視線を寄越す侍女にルナリアは更に笑みを深めた。

 ここに来るまでも相当揉めた彼女、最たるものとして王族護衛の近衛部隊を最小限にし、ニールロッドを基本とした私兵で護衛を固めたのだ。近衛の者にしてみれば面子を潰されたに等しい。連合王国の中でも上位者のみで構成される近衛部隊、彼らの敵意を煽って何も良い事は無いのだが、ルナリアはそれをした。


 近衛を信用していない、と明言した様なものだ。


 不満の矢面に立たされているであろう外を並走しているニールロッドの事を思うと苦笑が浮かぶ。

 顰めっ面で居る事だろう、数ヶ月前はスオウにあっさりと出し抜かれ、今度は近衛連中からの殺意の篭った視線である。転職を考えているかもしれない。


「不躾ながら……」

「何かしら?」

「もう一方の加護持ち様の件ですが……、あまり乗り気ではないと聞いております」

「あら、誰からかしら?」

「……申し訳ございません。宮中でも少々噂に……」


 それは困ったわねぇ、と笑みを浮かべルナリアは視線を外した。


「乗り気ではないどころか絶対にやらないと頑として断っているそうよ? ギリギリになって話す彼らも問題だけれど、無駄に意固地なのも考えものよね。話が通じないって大変だわ」

「それは……、どうなさるので?」

「別に構いやしないわ、どうでも良いのよそんな事。リリスが私の手の内にある事を再度認識させて、アルフロッド君では勝てないという事が証明されれば、ね。問答無用先手必勝で叩きのめしても良いし、コンフェデルスの彼女、ライラちゃんを使ってもいいし、あんまりうだうだしてると父親の目玉か片腕が手元に届くでしょうから。極力それはやめたい所よね、グラン・ロイルは結構な実力者だそうだし、協力的であればそれに越した事は無いわ、自分で自軍の戦力を捥いでも何も良い事なんて無いのだし」


 それをしないのは飽くまでも国の良心に過ぎない。厳密にいえば、ルナリアの良心に過ぎないのだ。

 14歳の子供相手、犯人を帝国に仕立て上げる事も可能であるし、あるいは国内の不穏分子を適当にでっち上げて恨みの矛先にする事も出来ない訳ではないのだ。不確定要素の高い行動である事が問題ともいえるが、短慮を起こさない者が居ないとは言えない。


「……姫様、お戯れが過ぎます」

「あらあら、ごめんなさい」


 くすくすとルナリアは手の甲を口に当てて笑った。その仕草は優雅でありながらどこか寒気を覚える。

 ぶるり、と対面に座る侍女が身震いしたのを見てルナリアはまた視線を馬車の外へと向けた。


「まぁ、そうね宮廷魔術師長のゴドラウが出ているのだからその辺りは彼がやるのでしょう。私個人としては自分と同じ存在を作りたくは無いのだけれど、王女としては仕方が無い所ね」

「……姫様?」

「コンフェデルスの子という所がお父様の意思が見え隠れしているわ」

「……」


 侍女は黙った、聞くべき事ではなく、聞いていなかった事とする為に。


「兵器に口はいらぬ、兵器に感情はいらぬ、ただ殺戮し、従順であれば良い。たしかにその通りだと思うわ」


 くるくると結った髪を指先でいじる。

 認めては居ないが、現にそうしているコンフェデルスは緩やかな成長を見せ、力を示し加護持ちこそが全てを治めるべき者だと頂点に座る帝国は最盛期を誇り、象徴として崇めたリメルカは世界から独立し、共存路線を目指したスイルは滅び、ニアルは衰退の一歩を辿っている。


 政治の世界に甘さはいらない。それを良く理解しているルナリアにとってつけ込まれる材料が有る現状は唾棄すべき状況でもあった。それでいて選択肢を設けたのはリリスを愛しているからであろう。それが歪んだ形だとしても、だ。


「(まったく、スオウに説得してもらおうと思っていたのに。まさかそれが面倒で逃げ出したんじゃないでしょうね? 私が直接言う訳にも行かないし、あの子に頑張って貰うのが一番かしら)」


 頭に浮かべたのは黒髪の少女、スゥイ・エルメロイ。彼女に拒否権等あるはずもない。

 ライラ・ノートランドでも良いが、そちらはゴドラウが行なうであろう事は容易に想像できる。


「姫様、そろそろ学院に到着します」

「そう」


 随分と前から地面から伝わる振動が少なくはなっていた。舗装されている道路へと出ていたのだろう、それでも倦怠感が有る事には違いは無いが。

 そもそもが無駄に締め付けるコルセットや、肌を見せる事が出来ない為にこのクソ暑い中でも長袖を着なくてはいけない事や、先ほどから延々と啀み合う周りを囲う護衛部隊の事とか色々と面倒なのだ。全て放り出して海にでも泳ぎにいきたい気分である。プライベートビーチで裸で泳ぎたい。この汗だくの体を何とかしたい。華の18歳が加齢臭の酷い老害共相手に笑みを浮かべて手の甲にキスを毎回受けなければならないこの苦痛が誰にわかるというのか。


 王族に生まれたからこその義務だと理解し、遂行しているとは言え不満はあるのだ。

 だが、だがしかし、自分の利益と顕示欲のみに興味しか無い連中がなんと多い事か。

 

「……結婚しようかしら」

「ひ、姫様!?」


 出来る筈も無い願望、そも、自分を手に入れるという事はリリスを手に入れると同義、国がそれを許すとも思えない。妥当な所で辺境伯の系列で誰か、だろう。それも正直望み薄い。

 父の弟、あそこの息子もいたが、生憎とアレは駄目だ。


 事情を知らない者からすればそれを拒否する事が出来る程度に力を持ってるからこそ結婚しない。

 事情を知っている者からすれば認める事等出来る筈も無いからこそ結婚出来ない。


 ルナリアは王族として必須とも言える政略結婚の道具としては限りなく欠陥品であった。

 ルナリア自身があまり望んでいないというものあるのだが。


「冗談よ」

「戯れは程々にして下さい……、心臓に悪うございます」


 本当に冗談であったというのに、どうやら本気にした様だ。

 ほぅ、と胸に手を当てて溜め息を吐く侍女は心底驚いたと言わんばかりに疲れた顔をしている。


 女として生まれた以上結婚に興味が無い訳ではない、しかし同時にどれだけ国に利益を上げられる相手と結婚するべきか、という考えが頭にあるのだ。


 どちらにせよ、蒸気機関車の開発、献上、クラウシュベルグ叛乱の鎮圧、カリヴァ男爵の起用における利益。グリュエル辺境伯との繋がりも含めて、現在ルナリア王女に口を出せる者は非常に少ないのだから急ぐ必要も無い。不満に思っている者は別として。


「誰がいいかしらねぇ」


 頭に思い浮かぶは数名の男性、直系という事であれば男児を産む必要が有る。リリスとアルフロッドがくっついてくれればそれに越した事は無いが、今回の模擬戦で関係が捩れる可能性も高いだろう。

 最悪ヤるだけヤってリリスが懐妊してくれればそれはそれで構わない。両親が加護持ちであるならば担ぐには十分だろう。市民も納得する。加護の力を継承する等という事実は無いが、加護という雲の上の存在の血を引いているというだけで王族とまではいかないが、それなりに市民には英雄像として映るのだ。


 そもそも変な貴族とくっつかれても困るのだし。第一子はリリスと作ってくれれば文句は無い。


「(代替案を検討しなくてはならないわ。スオウもそう言う所があるけれど美人の女性を無料で抱けて、子供の面倒もこちらで見ると言っているんだからちゃっちゃとヤる事ヤって欲しいわよね。最悪私が産むのかしら? 流石に4つも下の14歳の男に跨がるのは抵抗があるわねぇ……。年齢が上がればそうでもないかしら)」


 想像し、僅かに寄る眉。


 とはいえど中途半端に相手を思いやる等、愛がないと等、ルナリアからしてみればそんな考え溝に捨ててしまえという物に過ぎない。所詮は自己を納得させる為だけの自己満足の考えに過ぎないからだ。相手の気持ちを、等というが果たしてそれは本当だろうか、自分の為、が正しいのではないだろうか? 結婚してから愛を育む事は出来る、愛がなかったとしても最低限夫婦として必要な関係を構築するべく努力するのは上に立つ者として最低限の行為だ。


 勿論馬鹿みたいに喜び勇んで腰を振る猿でも困るのだが。


「ま、いいわ。後で考えましょ」


 軽く首を振ってルナリアは思考を切り替えた。

 これから客引きの華としての仕事をする為に。


 ○


 ストムブリート魔術学院 本館 正面玄関広場


 晴天、お忍びとは言えど、表面上は査察訪問。楽隊によるラッパがかき鳴らされる事は流石に無いが、動ける全学生を動員した歓迎は行なわれていた。まさに今、ストムブリート魔術学院は軽いお祭り騒ぎとなっていた。中央都市ヴァンデルファールは兎も角として、直接来るストムブリート魔術学院にまでは抑え切れなかったと言うべきだろうか。

 ひくひくとルナリアのこめかみが引き攣っている所を見るにどうやら本意では無い様だが。


 そんな様子を見ている男女が一組。赤と黒の二人は騒ぐ生徒達を見下ろすかの様に見渡した後、赤い方が呟いた。


「こりゃまた随分と別嬪さんになったもんだ」

「何ぼけっと見てるのよ、王女様が到着してからが仕事よ、配置に付きなさい」

「へぇへぇ」


 2年ぶりに遠目ではあるが、直接目にしたルナリア王女に対してシュバリスがそう評した所でフィリスから小言が飛んで来た。

 確かに年を経るごとに美しくなるルナリア王女に対してフィリスも同意見では有る、だがそれを言うにしても言い方が有るだろう。


「それに、王女様相手にその発言、不敬罪で引っ張られるわよ。気をつけなさい」


 ひらり、と手を振って返事としたシュバリス。フィリスの眉間に皺が寄った。

 とはいえど、彼もプロだ、やるべき所はやるだろうし締めるべき所は締める、喉元まで出かかった不満を飲み込み、フィリスは周囲を見渡した。


「……おかしい、近衛の数が予定より少ない……? 王女様の護衛、ニールロッドの部下?」


 顎に手を当てて唸るフィリス。


『アインツヴァル、聞こえる?』

『あぁ、聞こえている。近衛の件は確認済みだ。歩き方と雰囲気からして傭兵かそこらだろう。正規の軍では無いな。ニールロッドの手の者だろう』


 どうやら同意見だったようだ。しかしながら明らかに喧嘩を売っている行為、そういう視点で見ると確かにルナリア王女の周りに立つ侍女と彼女達を護衛していると思われる男達の間に間があるかの様に見える。さらに周囲を囲う近衛の視線も厳しい、流石に露骨ではないが。


『どう言う事かしら?」


 疑問、自分の立ち位置を危うくする行為だ。その答えは思わぬ所から来た。


「暗殺に対する牽制でしょう。彼女が死ねばリリス王女様の力が得られますからね」

「スゥイちゃん!? なんでこんな所に居るの! というより”耳”盗んだでしょ!」


 振り返ったその先には黒髪の少女が一人、王女殿下の迎えとして参列している筈の学生、スゥイ・エルメロイがそこに立っていた。


「問題ありません、必要な物は伝えておきましたし。歓迎パレードに私一人居ない程度でしたら誤差です。ちなみに耳の盗み方はスオウにコツを教えてもらいました」


 その言葉にフィリスは頭を抱えた。

 確かに一般生徒一人程度なら居なくても問題は無いだろう、しかし彼女は学年2位でしかもリリス王女のチームメイトだ。リリス王女のチームメイトの内2名、つまり半数が不在で学年のトップ二人が不在不敬にも程が有る。今頃教師陣は青筋を立てている事だろう。

 それどころかルナリア王女の対応次第で物理的に首が飛びかねない。流石にそのような真似をする筈も無いが、体裁というものも必要なのだ、本人は兎も角として周りにどう思われるか、という事が思い至らぬ程スゥイが愚かとは思えない。


「スオウに毒されすぎてるわ……」


 返事は無い、しかしながら眉を僅かに緩め、少しだけ笑みを浮かべたスゥイにフィリスはため息を付いた。

 いいから戻りなさい、と告げようとした所で再度耳が繋がった。


『”そんな事”より暗殺とは穏やかではないな』


 声はアインツヴァルだ、そんな事じゃない! と思わず言いかけたが問う意味もわからないではないのでその言葉は飲み込んだ。

 アインツヴァルの声に反応するかの様にスゥイは目を半場閉じ、思案する仕草でアインツヴァルへと返事を返す。


『ニールロッドさんからの依頼は既に連絡していたかと思いますが、ルナリア王女様がああまでも強固に護衛を変更されたという事は可能性が高いという事でしょう。それも内部に、という意味で』

『情報漏洩が確定したか、しかしルナリア王女が死んだ場合リリス王女が如何出るか理解出来ない訳でもないだろうに、な』

『王位継承権がリリス王女様に移りますので担ぎ上げたい者も居るのでしょう。ルナリア王女様はどう贔屓見ても都合の良い王には成り得ないでしょうから。ナンナ王女様は既に居ませんので、……だからこそスオウは帝国に行ったのではないですか?』


 その言葉を聞いてフィリスは僅かに固まった。なぜ、そして同時にアインツヴァルから感嘆の様な声が聞こえた。


『何故そう思う?』

『その答えが既に私の言葉が正鵠であると示していると思うのですが。あえて言うなれば消去法でしょうか、ルナリア王女を排斥したいと仮定し、その犯人が国内の者であった場合リリス王女の反応が恐ろしい。妥当な犯人を仕立て上げる事も無難な手とは言えますが、一番安易なのは敵国に対して敵意を持ってもらう事です。帝国に憎しみを持ってくれる加護持ちが手に入るならば今後やり易い事は間違いありません』


 傀儡としての王、辿るべき未来は泥沼の戦争か。


『国王が存命の状況でやるとは考えづらいと思わないのか? 帝国を的に持ってくるのは流石に安易と思うがね』

『確かにそうですが理想でもあります。帝国からしても話に乗るだけの旨味があるのでしょう。利用されているだけとは思えませんので、まぁ、情報を漏洩させた者は利用していると一方的に思っているかもしれませんが』

『まぁ妥当だな、しかしそれだけでスオウが帝国に行くとは思えんが? 一応帝国ではお尋ね者だぞ』


 魔弦のツェツィーアが学院にまで来た程だ。それが確信に基づくものであるかどうかまでは不明だが、この状況下で帝国にはいる等自殺行為に等しい。案の定フィリスはそれを聞いて怒りに身を震わせていた。


『私は聞いていないわ! どう言う事アインツヴァルッ! 不在は聞いていたけど帝国に行っているなんて聞いていないッ、今帝国にスオウが行って無事で居られる保証なんて無いのよ!』


 仮定の話ではあったが、すでに確定と同義の様かに話すフィリス。本人もまた話の流れから推測したのだろう、虚空を睨むかの様に険しい表情をしたフィリスは怒りをあらわにした。

 対するスゥイは冷静、いや、やや僅かに怒りが見えるが、それは帝国に行った事にではなく、恐らく黙っていた事に対してなのだろう。

 沈黙を貫くアインツヴァルへスゥイはフィリスを無視するかの様に話を続ける。

 

『帝国が正規の軍を送ってくる事はまずありません。外交的な問題もそうですが、ストムブリート魔術学院へ送るには金が掛かりすぎる上に、そもそもが国境を越えられるか怪しい、となると少数精鋭の部隊、その上最悪見捨てる事が可能な存在が上げられるでしょう。

 考えられるのは三つ、暗殺、撹乱等を主とした特殊部隊を派遣。もう一つが帝国の加護持ちを派遣、最後に両者を同時進行。おそらくはこの模擬戦自体を茶番劇に仕立て上げるつもり、と言う所でしょうか? となると限られるのは一つ、帝国特務強襲部隊“黒狼”が妥当』

『流石だな。……帝国が敵であると認識させるべき相手はアルフロッド・ロイルに対してだ。そして未だ平和ボケしている貴族連中に対して、多くの見物客が集まる中で襲撃があれば意識も変わる。そしてこちらの目的の相手も抑えられる。木に紛れて、だがな』

『戦争へと舵取りをするつもりですか?』

『そんなつもりは毛頭無い、が、スイルが落ちれば次はカナディルであると認識させる必要が有る。未だ内乱が続くスイルに支援を送っているのは誰だと思う?』


 僅かにスゥイが目を伏せ、


『グリュエル辺境伯。国が手を出せない為に裏から、という事ですか。しかしバレれば帝国も黙っていないとは思いますが』

『国境に隣接している辺境伯が一番状況を把握しているのは事実だ。現実的な方法なのだろう、スイルの国民には出血を強いているがな。どちらにせよ今の内に国内を統一し、アルフロッド少年を“使える”様にしなくてはならない』


 成る程、とスゥイは呟いた。


『しかしながら帝国もよくわからないですね、自軍の犠牲も少なくは無いでしょうに、加護持ちを出せば直ぐ終わるのではないですか?』

『確かにな、だがスオウが言うには三階級オードリッヒの為だそうだ』

『……帝王の加護がそれだと? 理由は? 根拠は? なぜスオウがそんな事を?』

『さてな、そこまでは聞いてない』


 一体何処から情報源が来るというのか、舌打ちしたい所を堪え、スゥイはフィリスを見た。

 蚊帳の外にされた事、そして未だ帰らない答えにギリギリと手を握りしめながらスゥイを睨んでいた。


『……最初の答えはッ、スオウを何故行かせたの! それにスゥイちゃん、なぜ貴方はそこまで冷静なの!』


 睨みつけたスゥイは答えず、アインツヴァルが答えた。


『必要だからだ』

『巫山戯ないで! 何をしているかわかってるの!? スオウが死んだらどうするの!』

『死んだらそれまでなのだろう』


 その言葉にフィリスは口を噤んだ。スゥイは目を伏せ、フィリスの視界から逸れる。

 苛立ち、いやもはや決別とまで言えそうな程の怒りがフィリスの全身を覆う、もはや我慢成らないと怒鳴りつけようとした所でアインツヴァルが口を開いた。


『フィリス、我々は正規の軍という訳でもなければ明確な後ろ盾がある訳ではない。であるならば多少無茶と無理を重ねる必要が有る』


 告げる言葉は正論、ルナリア王女とて正規で後ろ盾になってくれている訳ではないのだ。

 全てはスオウを買ってくれた事に過ぎず、ほんの気まぐれで揺れ動く不確定なものに過ぎない。

 カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグとて同様であろう、結局の所利益があるからこそ繋がっている関係に過ぎない。


『これを打開する為には正規の軍となるか、それ以上の手札を手に入れる必要が有る。……コンフェデルスで我々は一般市民を大量に虐殺した、一方的にこちらの都合だけで。彼らの所業から考えても自業自得と言えるが、だからといって一方的に殺す事が良い訳ではない。我らは正義の味方ではない、こちらの利益と繋がった時に他者の観点から見たら正義と言える様な事をするかもしれないが、根本的に我々がやっている事は褒められる事ではないのだ』

『なにが、言いたいのよ!』

『フィリス、君は、いや、君だけが特殊なのだ。我々の中で君だけが強い意志を持っていない。シュバリスは復讐を、エーヴェログは奴隷商を皆殺しに、私は過去の因縁との決着を、アイリーンは最後の守るべき者を守る為に、そして君の前に立つスゥイ嬢もまた確固たる目的が有る。その為にはあらゆる物を利用し、排除するだけの決意が有る。だが、君だけが無い。スオウを一人にして置けないという慈愛の感情に基づいて傍に居る。それは確かに素晴らしい事だ、我らの中で限りなく善に近い感情だろう』

『……ッ』

『……引くならここで引け、スオウもそれを望んでいる。片腕とは言えど紹介出来る仕事はある、お前はまだ、戻れる可能性がある』


 フィリスには目的が無い、いや、他者に比べて目的が薄い。


 腕を失ったとはいえどシュバリス程の恨みは無い、傭兵なのだ、金次第で敵に回る可能性が無い訳ではない。

 やり方に、方法に、問題があるとは思う、あの時の傭兵仲間に対する、特に女性の友に対する行為に嫌悪感を感じない訳ではない。むしろ、今目の前に居れば殺す事に抵抗は無いだろう。だがそれでもあらゆる物を犠牲にしてまでそれをしたい、という確固たる意思がある訳ではないのだ。


 平穏、ではないが、それなりに温もりの有る生活をしていた。それがブレを生じさせているのもまた事実だ。


 故にそれがどこかで足を引っ張るかもしれない。その時対価として払うのは自分の命、最悪他者の命すら巻き込む事だろう。

 ギリギリと握りしめた腕、噛み締められた唇。フィリスは怒りで目の前が赤く染まる様な錯覚に陥っていた。子供を一人置いて自分だけ平穏を享受しろというのか、同い年くらいの子供を殺した事が無いとは言わない、無抵抗のヒトを殺した事が無い訳ではない、傭兵なのだ、ヒトとヒトの殺し合いの中で対価を得て生きて来た、それを今更そんな事が許されるというのか。


『ふざけ、ないで! 今更何を言っているの!』


 怒声とともに、睨み上げた先、そこにはスゥイが立っていた。まるで能面を被ったかの様な感情を排したスゥイの顔がそこにあった。

 僅かな沈黙、アインツヴァルの提案を撥ねたフィリス。逸らしたスゥイの目が僅かに揺れた様に見えた。


 話しは、続く。


『犠牲の上に立つ理想とでもいうのですか?』

『違うな、犠牲の上に立つ目的だ。我々に理想等無い、それはルナリア王女が持つべき物だ。スオウは必要であると決めたら止まる事は無い、それが自身の為であり、自分の目的の為であり、そしてその目的の為に切り捨てた全ての物に対して“得ない”という選択肢が無い為に』


 フィリスは俯いた。ぐるぐると頭の中を巡る思いは後悔と無力感だ。自分ではスオウを止める事が出来ないのを知っている。

 そして目の前に立つスゥイ、彼女もまた同様なのだろう。誰にも止められず、誰にも縋らず、彼はただ歩いていく、それがフィリスにとって何よりも悲しかった。


『スオウの事でしょうから、何かやりようがあるのでしょう……。心配は不要だと思います』

『そう、そうね……』


 慰めの言葉、自分より若い、少女としか思えないスゥイに言われる言葉にため息すら吐く気も起きない。

 もはや話しにも加わりたく無い、とフィリスはスゥイに背を向け、未だ盛大な歓迎パレードを行なっている生徒達へと目を向けた。


 そんな様子のフィリスをスゥイは一瞥した。同時にスゥイがフィリスへと告げた言葉に対してアインツヴァルから返事がきた。


『“認識”を入れ替える、と言っていたな。アリイアのお墨付きだ、それに既にグリュエル辺境伯の領土で合流したと連絡があった。であれば心配するだけ無駄だ』


 その言葉にグリュエル辺境伯もまた共犯である可能性が浮上した。

 帝国からの侵入を許す場合海からか、深遠の森を経由したセレスタン辺境伯か、あるいは真っ当にグリュエル辺境伯の領土を通る必要が有る。しかし、流石に衛星からの監視等が無いこの世界、少数精鋭の部隊を全て把握しろというのは無理がある、国境警備隊がいくら優秀とはいえど限度があるだろう。故に確定ではない。だが一番可能性が高いのはグリュエル辺境伯だ。


『……今回、情報を漏洩させたのは何処だと思いますか?』

『わからん、ガウェイン辺境伯が一番可能性が高いと思うが、な。他の貴族も無い訳ではない、そもそもが加護持ちが存在している学院に帝国もそれなりに注目しているだろうしな、単純に帝国独自の情報網で情報を得たという可能性が無いとは言わない。限りなく低いがな、高ければルナリア王女も近衛を使うだろう』


 今回一番割を食っているのは有力者の中ではガウェイン辺境伯だろう。蒸気機関の関係でコンフェデルスとの関係をガウェイン辺境伯を差し置いて王家が強めてしまったし、加護持ちの所持に関してはクラウシュベルグでの一件の関係で未だ疑われており候補にすらあがらない。だが――


『いくらなんでも安直かと思いますが……』

『まぁ裏で誰かが動いている可能性は無いとは言わん。ルナリア王女が亡くなって喜ぶ者は多いし、リリス王女の力を欲する物もまた多い、アルフロッド少年も同様だな。だがどちらにせよ我々のやる事には変わりはない』


 その言葉と同時にフィリスは視線をずらし、部屋を出て行った。配置に付きに行ったのだろう。その仕草はまるでここに居たく無いとでも言いたげな様子であったが。

 スゥイはその様相に目を細めて軽く頭を振った、理解出来ない、というのが正しいのだろうか。

 自分の感情がうまくコントロール出来ていないのだろう、それが今のフィリスに対しての評価だ、まるでスオウを消耗品の様に使うアインツヴァルに対してだろうか、それともこれといって反対すらしなかった自分に対してだろうか。


 ふと思う。”普通”はこういう場合狼狽するべきなのだろうか、と。スオウを心配し、彼の死を恐れ、恐怖し、泣き叫ぶべきなのだろうか。

 つ、と自分の唇に自然と指を持って行っていた。なぞる様に唇を触り、記憶に無い温もりをなぜか感じた。

 恐れ等無い、恐怖等無い、彼がやるのならばそれは絶対なのだろう、拒否も否定も出来ない絶対。ぶるり、とスゥイは体を震わせた。

 

 だがしかし、この胸に沈殿していくかの様などろり、とした感情は一体何なのだろうか。

 ぎゅぅ、と締め付ける様な痛みが胸に広がり、スゥイは胸の上を強く掴んだ。


『スゥイ嬢』

『問題ありません、やるべき事はやりますので』


 ――スオウの為に。


 風の流れ、伝わる声。その先でアインツヴァルは僅かに眉を顰めた。


 ○


 同時刻 ストムブリート魔術学院 貴賓室

 

 平身低頭。学院の教師が揃って目の前で頭を垂れている中で不機嫌顔のリリスから渡された手紙が一通。


「まったく、さすがはスオウが選んだ子、かしら?」


 開いた中には一通の手紙、その内容は最低限の礼節を告げ、同時に歓迎の一連に参席出来ない謝罪が記載され、そしてルナリアが望むべき答えがそこに有った。

 差出人はスゥイ・エルメロイ。要点は一つ――


 ――アルフロッド・ロイルの説得は既に済んでおります。


 ルナリアは妖艶に微笑んだ。

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