儚き幻想血に染まりて地に伏せる12
To thine own self be true.
自分自身に誠実である事が大切だ。
とある新入生の日記より抜粋。
9月○日
カナディル連合王国でも最高峰と呼ばれる魔術学院に入学する事が出来た!
あまりにも嬉しくて奇怪な踊りを踊ってしまっていたらしい、後日家族に言われたときはちょっと恥ずかしくて死にたくなったのは内緒だ。
家族総出で見送られた後、数日馬車に揺られて到着。目にしたその場所はまさに魔術の英知を極めた場所だった。もう興奮が収まらなくて大変だったよ。
空に浮かぶ空中図書、透き通って見える清浄の泉は時間とともに吹き上がり虹を作り、そして白亜の塔これから学ぶ学院の本塔だ。
僕はまだ初年度だからあそこに入れないけど、成績優秀者になって騎士候補生や宮廷魔術師候補生になるのがまず最初の目標。
本当にわくわくが止まらなくて昨日は結局一睡もできなかった。
入学式の途中に騒いでいるヒトがいたけれどきっとこの学院に入れた事に喜んでいたんだろう。気持ちはよくわかる。
ただ、蹴り飛ばすのは注意するにしてもやり過ぎだと思う。都会ってちょっと怖いのかもしれないな。
あと、驚いた事に設立してから初の最高点数での合格者が出たらしい。
入学式で発表があったんだけどさらに驚くべきはその本人が欠席していたって事。寝坊したのかな? 先生方が凄く怒っていたのが印象的だった。あの後怒られたのかなぁ、きっと僕みたいに緊張して寝れなかったに違いない。
それともう一つ、今年は加護持ちであるリリス王女様と、アルフロッド・ロイルという方が入学した。これはもう本当にすごいことだ。
冬に帰省したら皆に自慢しようと思う。
王女様は予想以上に美しくて、まるで人形みたいだった。ルナリア王女様も綺麗だけど、リリス王女様も綺麗。カナディル連合王国の王女は皆綺麗で仕えがいがあると思う。あれで加護持ちですごい強いんだからもう完璧だね。
僕も頑張って早く役に立てる様になりたいな。
アルフロッド君は終始困った顔をしていた。加護持ちなんだから堂々としてれば良いのに。あ、でも帝国みたいに力を傘にして横暴を振るう様な加護持ちよりはいいかな。会った事無いんだけどね。
9月○日
クラス分けはCクラスだった。全体から見れば可もなく不可もなくと言った所。でもまだ1年目まだまだ先が有る。
チーム編成はちょっと心配だったけれど先生が得手不得手を入学試験の時に見ていてくれたみたいで大体の班決めをしてくれた。
勿論自分達で組んでいたヒトもいたけど結構少数かな?
僕は前衛後衛を出来る様なオールラウンダーを目指すつもりだったんだけど先生に最初からそれを選ぶのは良く無いって言われた。
限り有る時間であらゆる物を取得できるのは本当の一握りに過ぎない、だから長所を伸ばすことを最初は考えろって。
確かにその通りだと思った。やっぱり魔術学院にきたんだし、魔術師を目指そう。
幸運にも前衛、騎士志望の友人も出来た事だし、彼とは長い付き合いになりそう。
それとチーム編成をしている時にものすごい轟音が鳴ったんだ。きっと誰かが魔法を失敗したんじゃないか? って噂してたけど。先生方が血相変えて走り回っていたから唯事じゃなかったと思う。
後から聞いたんだけど、リリス王女様とアルフロッド君が喧嘩したらしい。加護持ち同士が喧嘩するなんて、学院が無事で良かったって本当にそう思うよ……。
大丈夫なのかなぁ……。
9月○日
クラスの友達から聞いたんだけど、あの学年主席の彼がAクラスでやらかしたらしい。
構築の授業で先生を打ち負かしたって。
あの先生は傲慢ちきだったからざまぁみろってクラスの皆は言ってた。正直僕もそう思う。
しかもかっこいいのが恋人を馬鹿にされたかららしい、これは男として黙ってられないのはよくわかる。
でも恋人のスゥイさんはすごい美人さんなんだ。なんかむかつく、不公平だ。
9月○日
理論式が、辛い。覚えられないよ……。
9月○日
噂だけれど入学式初日に貧血で倒れたらしい上級生が自主退学をしたらしい、なんでだろう?
9月○日
アルフロッド君を初めて見かけた。もう2週間も学院にいるのに初めてだ。
ちょっと話しているのを聞いただけだけど凄い気さくな性格みたいだ。でも、いっつも女の子に囲まれてる。
顔がいいのがいいんだろうな。くそう、加護持ちだからって調子にのりやがって、いつか目にもの見せてやるからな。
いっつも一緒にいる青い髪をサイドポニーにした子、あの子もかわいいなぁ。ちくしょうめ。
9月○日
小耳に挟んだ程度だけど、今年の初年度のAクラスは本来の実力を加味されていないんじゃないかって聞いた。
確かに実技の講義時間を見てもBクラスのヒトの方が上なんじゃないか? って思うヒトが何人かAクラスに居る。
さすがにCクラスと比べられちゃうとアレだけどね。
まぁ、でも中には別格はいるみたいだけど。スオウ君、中級高等術式魔方陣をフリーハンドで書くのはおかしいよ。そこまでいくと気持ち悪いよ……。
9月○日
そんなにいっぺんに教えられてもむりだよ……。
9月○日
今週は小試験がある。死ねる……。
寮で皆で集まって缶詰で勉強会の予定だ。入学してまだ1ヶ月たってないのに、なんてスパルタなんだ。
きっと死んじゃう。
9月○日
げっそりとしたまま図書館で資料集めをしていたら本を読んでるスオウ君を見かけた。
隣にはスゥイさんだ。彼ら二人はいつも一緒にいる。仲が良いのはいい事なんだけど見せつけられているみたいですごいむかつく。
でもお似合いの二人だ、合ってる感じがする。でもむかつくのは変わらないけど。
ずっと見てたのに気が付かれたのか向こうから話しかけられてしまった。
殆ど睨んでいた様な顔だったのに凄い丁寧に対応してくれた。学年主席は性格まで完璧なのかと思ったよ。世の中不公平だね。
スゥイさんはずっと無表情だったんだけどスオウ君にはその表情の違いがわかるらしい。
彼女は学年2位らしい、美人で頭もいいので隠れファンが多いらしいけど、全く相手にされないらしい。
というか、美人だけど、正直近寄りがたくて冷たい感じがするんだよなぁ。
僕的にはやっぱりリリス王女様が一番だね、うん。
そのまま小試験の勉強も教えてくれた。凄い丁寧に教えてくれてわかりやすかったんだけど……。
教科書も参考書も開かないでなんで教科書に書いてある図式から方程式まで全部書けるの? なんかもう壁を感じたね……。
9月○日
小試験終了! 思ったより出来が良かった。スオウ君のお陰かもしれない。
彼に教えてもらった事をクラスの皆に話したらうらやましがられた。特に女性陣に。
彼は確か商家の息子でかなり大きな所だった筈。確かに顔もそこそこいいし、良い物件では有るのか。ちくしょう、むかつく。
でもスゥイさんがいるからきっと無理だね。うちのクラスに彼女より綺麗な子なんていないし。
そう言ったら殴られた。僕は正直に言っただけなのに……。
10月○日
アルフロッド君が実技講義で上級生をふっ飛ばして全治3か月らしい。
加護持ちがどんな物か知りたかったらしいけど、馬鹿だよね。
アルフロッド君も落ち込んでたけど、自業自得だと思う。どうせなら全治半年にしてやれば良かったのに。
ちょっとかっこいい上級生だからって調子に乗ってるからだ。
10月○日
スオウ君がリリス王女とチームを組んでたらしい。
ぐ、ぐぐぐ、く、くやしくなんてないさ!
いいなぁ……。
10月○日
スオウ君がリリス王女とチームを組んだせいでやっかみが多いらしい。
今日も誰かに絡まれてるのを見かけた。一度も怒らずにやんわりと断ってるスオウ君がすごいなぁ、と思う。
僕ならきっと怒ってる、あんなに言われて言い返さないなんてって思う。でも言い返すとリリス王女にも迷惑がかかるとか考えてるに違いない。すごいなぁ。でもなんか僕の友達が言うにはにこにこと笑いながら相手を脅してるときも有るらしくて、最近ちょっかいを掛けるヒトも減ったとか。そんな事無いと思うんだけどな。図書館でも優しかったし、まぁ所詮噂、気にしない気にしない。
けどたまに背筋がぞくっとするんだけどなんでだろう。
10月○日
スオウ君とチームを組んでるブランシュさんを見かけた。
アルフロッド君のチームもそうだけど、スオウ君のチームも学院で有名だ。最近になって見つかった加護持ちのチームと、学年主席に王女様がいるチーム。目立つのも当然だろう。
そのスオウ君の方のチームにいる、ブランシュさん。彼女はなんか不思議なヒトだ。
今日は壁におでこをぶつけてた。そして壁に謝ってた。大丈夫なんだろうか。ヒトごとながらちょっと心配だ。
Aクラスにいつまでいれるのかうちのクラスで賭けをしてるくらい。さすがにそれはちょっと酷いと思う。
10月○日
野外実技講義でちょっとした爆発騒ぎが有ったらしい。魔素の制御を誤って魔術が暴走したって言う話。
どうやらそれをしたのがアルフロッド君のチームの一人、あの蒼髪の子らしくて、誰もが加護持ちのチームに相応しく無いんじゃないかって噂してる。
誰にだって失敗は有るんだし、そんな事言う必要ないと思う。案の定その日の夜にアルフロッド君が食堂で怒鳴ってた。こそこそと皆せこいんだよ。でも僕はこそこそと彼女を見るけどね、可愛いから仕方が無いよ、うん。
あ、でも彼女がアルフロッド君のチームから離れたら僕にも組めるチャンスがあるかなぁ……、いや、無いね。
っていうか彼女、アルフロッド君の傍付き従者らしい、じゃあ無理だー、絶対無理だー。というかかわいい子に囲まれて、綺麗なおねーさんに囲まれて、そしてかわいい従者付き、だと……! なんだこれ、不公平だ。皆でこそこそねちねちいじめてやれば良いんだ。ちょっとでも同情しようと思った僕が馬鹿だったよ。ちくしょうめ。
僕にはリリス王女がいるから良いもんね……。
10月○日
最近学院の様子がちょっと変。
なんか嫌な感じがする。皆はいつも通りって言うけれど、なんだろう胸騒ぎがする。
○
つぅ、と唇を撫でる様に触れてその感触を思い出す。
ライラの持つ杖が暴発しそうになった瞬間に動いたスオウ、それの精度を上げる為に使った方法。
疎んでいた血、恨んでいた力を迷い無く行使した事に対してスゥイは少しだけ憂鬱になっていた。
しかし、それ以上にスゥイはその“行為事態”について自分自身に吐き気を覚えていた。
「淫乱……、まさにその通りですね」
ぶち、と自分の唇を噛みちぎるが痛みは感じない。あれほど嫌悪していた行為を結局はしている事に気が付いた故か。
体を使った方法だ、他に手は無かったのか、あの状況でやりようが有ったのではないか。
そしてソレを行う事に対して抵抗感が無い自分は結局言われた通りの存在なのだろうか。
それによってスオウを引き止めようと全く思わなかったか?
彼が喜ぶのではと下種な考えを覚えなかったか?
彼を愛しているのか? 好いているのか? ただの代用品じゃないのか? お前は、依存する相手が欲しいんじゃないのか。
ぞわぞわと這い上がってくる様な嫌悪感が全身を包み、吐き気を覚える。吐けば楽になるのか、吐けば忘れられるのか、あの時の感触が脳裏によみがえると同時に体が震える。
「ふ……、ふふふ、キス一つで情けない……。そう、そうだ、あれは贈血行為に過ぎない。過ぎない、そう過ぎない。何を、何を今更。吸血すれば良かったと言うのですか、いつも通り、いつも通り?」
口内に広がる自分の血の味を感じながら自分自身へと言い聞かせる。
未だ痛みは感じない。
あの後に切れた唇に手を添えて癒してくれたというのに結局また切れてしまった。
あの時温もりを感じなかったか。
何をしても引き止めようと思わなかったか。
汚れた血の通うこの体で持ってーー
「ちがう、私は違う、違う、違う。違う……?」
私は? は? は、とは何だ。まるで他にもいるみたいな言い方じゃないか。
違う、母は違う、違う、母はそんな事は無い。違う、チガウ。
私はライラを守る為に必要な事をしただけに過ぎない、ただそれだけに過ぎない。
利用しておいて? 今更守る? 救う? 何を?
ライラを引き込んだのは、巻き込んだのはお前だろうスゥイ・エルメロイ。何を今更善人ぶっているんだ。
「考えるな、考えるな、そうだ、スオウに付いていけば大丈夫、付いていけば。契約を、制約を、彼だけは裏切らない、私を必要としている」
だから彼が導いてくれる。
ベットの上で踞り、頭を抱えて眠る。まだ眠く無い、眠くは無いけれど、寝てしまえ。
「あ……」
今日の夕飯は……。
僅かに考えたが、直ぐに頭を振って微睡みの中に落ちる。
こぼれ落ちる涙とともに呟かれた言葉はーー。
○
「スゥイはどうした?」
「体調が悪いそうだ、明日には回復していると思うが」
夕食の時間、スオウはリリスから問われた。
先ほどノックした時に返って来た返事は曖昧では有ったが、恐らく出てくる事は無いだろう。
嫌悪しているのならばやらなければ良いというのに、彼女はどこか矛盾している。
そこまで思って僅かに笑みを浮かべた。リリスから怪訝な表情を向けられるがいつもの事だ、さして気にする程の事でもない。
矛盾、一番矛盾しているのは自分だ。いや、そもそもヒトという存在は矛盾して生きている様なもの。
明確に割り切れる者もいないし、簡単に決断できるものもいない。
それは強さが足りないのではなく、意思が足りないのではなく、ヒトとして根源的なもの。
悩む事を忘れたヒトはもはやヒトでは無くなるがために。
「んー、んぐ? んう、喧嘩ー? 二人が喧嘩なんて珍しーねー。だーめだよー」
もぐもぐと口にパンを詰め込みながらブランシュが喋る。その口に物を入れながら喋る行儀の悪さにリリスの目が吊り上がるが、その視線を感じたブランシュは面白いくらいに背筋を伸ばし、慌てて急いで咀嚼する。最近一緒にいる事が多いので弛んで来たのかどうか知らないが、地が出過ぎている。
まぁ、個人的にはどうでもいいのだが、リリス王女の護衛がこれで良いのだろうかと思わないでも無い。
普段の彼女の速度からは考えられない程の速度で咀嚼し、飲み込んだブランシュは残りをスープで流し込んで続きを喋る。
「スオウが謝らないと駄目だーよ? どうせまた酷い事いったんでしょー?」
「また、とは何だ。そもそも体調が悪いって言っただろ」
「そーかなぁ、お昼までは問題なかったと思うけどー? 野外講習の講義の後から調子が悪かったみたいだけど、なんかしたー?」
スプーンでポテトサラダをつつきながらブランシュが聞いてくる。
流石に元監視役だけあってよく見てるな、と思いつつも適当に返事を返す。
あれが原因かどうかは解らないが、もし原因だとすれば俺にも問題が有る訳で……。
「(俺としたから気分が悪くなったというのは……、いや、スゥイの性格上それは無いと思うが)」
しかしそうだとしたらそれはそれで結構落ち込むかもしれない。
そもそもこっちからした訳ではないというのに、まぁ……、それは取り敢えず置いておこう。
「む、なんか心当たりがありそーだよー」
「さてな、それよりさっさと食え。大体なんで俺がお前らの夕飯まで準備しなくちゃならん」
「むぅー、いいじゃんいいじゃんー、お給金少ないんだもんー。奨学金貰ってるんだからいいじゃんー。スゥちゃんばっかりずーるーいー」
ぷくぅ、と頬を膨らませて抗議してくる彼女はそのままつついていたポテトサラダを口に運び笑みを浮かべて食べている。マヨネーズは至高であるそうだ、が。
そんなブランシュにくれてやるのは哀れみしかない。
「一月でバレたのに未だに給金がもらえている事に感謝するんだな」
告げた言葉にうぐぅ、とスプーンを咥えて唸る。だがあまり責めると今度は俺の失態を突きかねないからこの辺りでやめておく。
まぁ、あの件は互いにダメージを受けるので触れない事にしているのだが。
テーブルを挟んで二人、微妙な牽制を交わしている所でリリスが口を開いた。
「スオウ。昼のその野外講習、ライラ嬢が暴発騒ぎを起こしたな。何か関係しているのか?」
「さぁ? 魔素のコントロールを誤っただけだろう」
「……スオウ、加護持ちを馬鹿にするなよ。あの愚か者とは違い、魔素の流れくらい手に取るように解る。あの杖、何か細工されていたのだろう?」
「かもな」
「かもな、ではない! 貴様どう言うつもりだ、あの少女はお主の知り合いなのだろう? 友人なのではないのか? 犯人を捜さんのか! 何故あの場で言わなかったッ」
ダン、とテーブルを叩いて身を乗り出すリリスにスオウは僅かに眉を顰め、そしてため息を吐く。
「あの場で言ってどうする? 杖に細工されていたとは言うが、それを明確にしてどうする? 管理不行き届きの不祥事。そんな学院に加護持ちは置いておけないとでも言われたらどうする? 少なくとも目の前にいるブランは失態だなぁ。ま、リリス王女に直接何か有った訳ではないから微妙かもしれんが」
「ううっ……」
ブランシュが咥えていたスプーンに力が加わり、ビンと跳ね上がる。
流石に状況がつかめていたのだろう、本人のショックはそれほどでもない様だが、改めて言われた事に僅かに憂鬱な表情を覗かせる。
「……貴様」
そのブランシュの様相を見てギリ、と歯を噛み締めるリリス。
そしてこちらを睨んでみてくるのだが、正直睨まれても困ると言いたい所だ。
「それに、細工したのが貴族の誰かだったらどうする? 尻尾を切られて終わるかもしれない。あるいはもみ消されるか? そも、あまり学院を騒がしくするのは宜しく無いだろう。そう思ったからリリス、君も言わなかったんじゃないのか?」
彼女が言うのと、スオウが言うのでは言葉の重みが違う。
間違いでした、で済まない可能性が高いのも理解は出来る。
「……心配ではないのか、友人、なのだろう?」
「さて……、友人か、果たして本当にそう思っているのか、そう思われているのか」
友人を利用する事に抵抗を覚えているのだろうか。それとも友人でないから利用する事に抵抗を覚えていないのだろうか。
あの瞬間、ライラが怪我をしそうになった時、体は瞬間的に動いて彼女を守ろうとした。嫌われていた、苦手意識を持たれていたとしても守りたい、とその時は思ったからだろう。しかしながら、それに関して黙っていた方が、バレない方が有利だろうと考えたのも事実だ。
そして明らかに狼狽していた者を問いつめなかったのも事実。今後再度彼女に対して、ライラに対して何らかの行動を取るであろう事を見越して、だ。
彼女に被害がいく事を理解して、泳がす行為は果たして友人がやる事だろうか。
●●●●の知識としても、スオウ・フォールスとしても、それはやってはいけない事ではないかと思う。
しかし、抵抗は無かった。全く無かったとは言わない、しかし……。
「何を言っている?」
「ただの自問だ。そのうち答えは出るだろうさ」
時間は止まらない、待ってはくれない。悩んでいる時間を与えてくれる程世界は甘くは無い。
だから、俺は俺の最善を目指すのだ。
「リリス王女、一つ言っておく。俺にとって現在学院で一番大事なのはスゥイだけだ。他は正直“どうでもいい”」
「……本気で言っているのか貴様」
「リリス王女、何事にも優先順位を付けておくべきだよ。理想論で言えば皆が皆幸せになれるのが良いのだろうが。そんな事はあり得ない、絶対に、だ。加護持ちだからって誰でも彼でも守れる訳ではない、そして俺は君の様に力を持っている訳ではない、守るべきものの為に犠牲ならいくらでも払う」
スオウの言葉が発せられると同時にミチリ、と握りしめられた手。リリスの周りは魔素が揺らぎ、僅かに紫電が走り部屋の照明が明滅する。
「……やはり貴様は下衆だ。心配しなくても貴様の優先順位は一番下にしてくれる」
「これは光栄、一応順位には入れて頂けるとは。だが覚えておくんだリリス王女、たとえどんなに力を持とうとも選ぶ時が来る。その時悩めば、いや、悩むからこそヒトなのかもしれんな」
吐き捨てる様に告げるリリスにスオウは目を閉じ、そう伝えた。
パリ、と再度紫電が走る。ふわり、とリリスの髪が浮き上がり、スオウを睨みつける。が、
「リ、リリス王女様、や、やめましょうよー。スゥちゃんも体調悪いって、ここで喧嘩しないでくださいよー」
主に私の命のためにー、と半泣きで臨戦態勢のリリスへと縋るブランシュ。
リリスが問題を起こせばブランシュにも被害がいく可能性が高いのであながち間違ってはいないのだが。
いや、根本的にここで暴れたら命が無いという意味かもしれない。
「ーーッ 帰る」
縋り付くブランシュを見下ろし、一言。
苛立ちが収まらないのか、乱暴にブランシュを振りほどき玄関へと歩き出す。
「え、えぇぇっ、リリス様!? ポテトサラダまだ半分、スープも、まだ……。うぅー……クルミパンー……」
「お主は食べていけば良かろう、私はもういらん」
「そ、そーいうわけには……。あ、でも、リリス様がそう言うなら、えっと、いいかなー?」
「……はぁ」
その間の抜けた言葉にリリス怒りが目に見えて萎んでいく。
はぁ、ともう一度疲れた様にため息を吐いたリリスは一度こちらを見た後、部屋を出て行った。
○
リリスが部屋へと戻り、ブランシュも食事を終え部屋へと戻っていった後スオウは一人リビングに居た。
テーブルの上に鉄杭を並べ、一つ一つを磨いていく。
それぞれの鉄杭には刻印が刻まれており、その種類は3つ。刻印に傷が無いか、チェックしながら一つ一つ拭いて仕舞う。
一通り清掃が終わった後に始めるのは魔素流動の訓練だ。
いつもは自室でやるが、今日はリビングで操る。自分の体からじわりと溢れ出てくる様な魔素を自分の手足の様に操り、そして指示を与えて変化させる。集まって現れたのは水球。出て来たのは5個、くるくるとスオウの周りを回る様に回転し、水球自体も回転する。
その回転に合わさる様にただ丸かった水が鋭く、円錐の様な形状へと変わる。同時に、ピキピキという音がするとその水球は氷の矢と変化した。
「やはり段階が必要か、性質変化の魔術と同時に行えば可能、か?」
適正の有る風とは違い、水や氷の性質を苦手とするスオウは段階を踏まなければ現象を起こす事は出来ない。
大気の流動による空気中の水分飽和度を上げ、そこから生み出した水を性質変化によって氷に変えるという3段階の手順を踏まなければならない。やろうと思えばそれを瞬時に行う事も可能だが、使用される魔素量を考えれば風を使った方が早いのは間違いない。
「だからこそ魔方陣や刻印があるのだけど、まぁいいか」
そう呟いて手を振る。同時に空間に浮かんでいた氷の矢は水へと戻り、そしてバシャリ、と窓の外へと飛んで弾けた。
「夕飯は食べられるか?」
「……? あぁ、もうそんな時間でしたかすみません」
途中から気が付いていた気配。やや憔悴した様な顔をしたスゥイへと声をかける。
ぼぅ、とした表情が声によって意識を取り戻したかの様にこちらへと視線を向け、返事を返す。
その様相に僅かに目を細めるスオウだが何も言わずキッチンへと向かいスープを暖め直し、カップへとよそう。
「ありがとうございます」
礼を言ってカップを受け取るスゥイ。受け取った事を確認したスオウはテーブルの上の一部にかかっていた布を取る。
そこからは残していた一人分の夕食が出て来た。
「体調が悪いなら無理して食べなくてもいいぞ」
「……? 体調が、ですか?」
「体調が悪かったんじゃないのか?」
「いえ……。どうやら疲れて寝てしまっていた様で。すみません声をかけましたか?」
「……あぁ。その時返事を貰ったんだが。いや、聞き間違いだったかもしれん」
「そうですか」
首を傾げて答えるスゥイはどこかおかしい。
「スゥイ」
「なんですか?」
「……あまり無理をするな」
逡巡して口から出た言葉はありふれた言葉の一つ。20年も多く生きているいるのにこんな陳腐な言葉しか出てこない自分に辟易する。
ちがう、怖がっているのか、踏み込むのを。利用しておいて何を今更、愚かだ。本当に愚かだ。
ギ、と唇を噛み締め、そしてスオウは怪訝な表情をしているスゥイへと問うた。
「スゥイ、昼の事は覚えているか?」
「? 勿論です。主犯と思われる人物の顔もしっかり覚えていますよ、それがなにか? 流石にこの短時間で忘れる筈が無いかと思いますが」
「暴発を止めた方法も?」
「おかしな事を言いますね。それとも何ですか褒めて欲しいんですか? まぁあの距離であの精度の魔術を“一人”でやられたのは流石だとは思いますが」
「……そうか、いや、なんでもない」
ーー記憶の改竄。
(二度目の生を得ようとも、長い時を生きようとも、果たして得る事が出来るのは一体何なのか。本当に欲しいものを手に入れる事が出来るのは一体何時なのか。クラウシュラ、一人の幼い少女の人生を犠牲にするぞ、俺はここまで落ちて来たぞ)
パンを片手に怪訝な表情を向けているスゥイ。
手で目を覆う。そして、ギチリ、と握りしめた。懺悔はしないのだろうスオウ・フォールス、全て全て、踏みつぶしていけ。
「だが、そうだ。お前は俺のものだ。だから、誰にも渡さん」
「……? 急にどうしたんですかスオウ……? 気味が悪いですよ」
たとえ、それがお前自身でも。
続かぬ言葉は虚空へと消えて。だが、向かいのスゥイは流したであろう涙の跡にも気が付かず、狂った様に微笑んだ。




