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月蝕  作者: 檸檬
2章 魔術学院編
32/67

儚き幻想血に染まりて地に伏せる11

 We aim above the mark to hit the mark.

 成功したいなら普通以上の事をやれ。


 バルトン伯爵の領土は山に囲まれた盆地であり、陸地しか無い為水産資源は無く、しかしながら麦と芋類が取れる。

 それ以外にも一つ、この領土にはコンクリートの原料であるポルトランドセメントが取れた。


 採掘できる場所はココだけではないが、領土の収入源の一つとしている。

 では、今このポルトランドセメントの最大の売り先はどこかというと、カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグ男爵である。

 原因としては明白、それを用いて作られるコンクリートの配合率を彼しか知らないからだ。

 故にバルトン伯爵はそちらの調査も含め、自領の商人や職人に声をかけ指示を出し、自分の領土でもコンクリートの作製に取りかかった。

 そして、ボルトランドセメントを値上げし、そしてカリヴァ男爵への配給を停止したのだ。


 元々販売価格が格安であり、足下を見られ値段をつけられたのは言うまでもなく、バルトン伯爵はそれに対して忌々しく思っていた。

 そして自分達でコンクリートが作れる事となったバルトン伯爵はそれの販売を始めた、だがしかし直にそれは行き詰まった。


 問題は価格であった。


 自分達が販売した価格の3分の2程度の価格でカリヴァ男爵は他領土へと販売していたからだ。それもバルトン伯爵が商品を出すやや前に値段を下げた。これに憤り、文句をつけようとした伯爵だが、そこに口を出してきたのはグリュエル辺境伯だった。


「文句があるのなら貴殿も値段を下げれば良かろう。安いものを我々に提供してくれる男爵に何故文句をつけるのだ」


 伯爵と男爵、力関係は明白。だがしかし辺境伯と伯爵の力関係も明白だ。そして辺境伯の言い分に間違いは無い。

 価格の違いは運送費だった。コンクリートは液体でありそして重量が有る。材料だけ運び現地で配合するとしても結局の所それは岩、石である。重たい荷物を運ぶにはそれなりに運送費がかかるのだ。そして魔獣に対する護衛費も馬鹿にはならない。


 蒸気機関車の導入に吹っかけたバルトン伯爵の自業自得であった。


 そして次に行ったのはボルトランドセメントの販売停止を呼びかけたのだ。カリヴァ男爵を締め上げようと考えた故に。

 しかしながら誰も彼もその話には乗らない、自分の領土が潤うのならばさして問題視しなかったのだ。当然バルトン伯爵の言を断れぬ者もいた為渋々と頷いた者もいたが、大半はそうではなかった。


 結局バルトン伯爵はコンクリートの販売を諦め、そしてボルトランドセメントを適正価格で売ろうと交渉したのだが……。


「申し訳ございません。私としてはその価格では購入できません、なにせ運送費が馬鹿になりませんので、そちらで持って頂けるのであれば考えますが……」


 バルトン伯爵が使いに出した使者に告げた言葉。

 それを伯爵に告げる使者が主人に殴り飛ばされる事になるのだが、カリヴァとて慈善事業ではないのだ。自領の領民を守る為にやるべき事をやっているだけである。


 貴族は国に毎年税を納める。ボルトランドセメントによる収入もなくなったバルトン伯爵は、今更線路を引いてくれと頭を下げる事も出来ず、かといってポルトランドセメントを格安で売る等到底我慢がならない。故に領民の税収を引き上げ、それを補填した。


 この様な事と似た様な案件が各地で起る。そしてこの時期からカナディル連合王国は西と東で発展速度が目に見えて変わる事になる。それはやがて貧富の差となって現れるその前兆であった。


 ○


「あの成り上がり風情がッ!」


 机が軋む程の力で拳を叩き付け、憤る男はバルトン伯爵。

 給仕をしていた女性が僅かながら引きつった様な悲鳴を上げる。仕方が無いとも言えるだろう。

 バルトン伯爵は昔は戦場でその2メートルに近い体格を用いた豪快な戦い方をしていた。その姿は目を見張る物であり、それがたとえ衰えたといえど、一般女性から見れば脅威な事には変わりない。


 悲鳴をあげた給仕の女性を睨みつけ、叱責の一つでも飛ばそうとした所横合いから声がかかる。


「確かに、どうにかせねばなりませんな」


 先ほどのバルトン伯爵に対する同意の声だ。今、この部屋には数人の貴族が集まり会合を開いていた。

 議題は無論最近増長しているカリヴァ男爵についてだ。


 塩の専売だけでは飽き足らず、コンクリートに始まり、香辛料の独占、そして蒸気船の開発と国に対する発言力を次々に高めていってしまっている。これに面白く無いのは昔から国に仕えている貴族だ。彼らは成り上がり貴族が益を得る事を良しとしていなかった。

 

「挙げ句に子爵への引き上げを検討している、だと! いつからカナディルは商人上がりごときに頭を垂れる事になったのだ!」


 それは誰もが許せない事。

 カリヴァ男爵が行った実績を鑑みれば当然とも言える報酬。むしろ今まで良く与えなかったとも言える事なのだが、そんな事は彼らには関係がなかった。貴族とは血である。昔からカナディルへ仕えてきた彼らの誇りであり、彼らの信念でもある。それをどこぞの誰とも知らない男が同等階級に成り上がる等何としても阻止しなければならない事だった。


 そも、カナディル連合王国は貴族になれるとはいえど、実際それは男爵家止まりなのだ。

 例外として近衛騎士が一代限りの子爵の地位を得た事が有るが、それも遠縁に貴族の血が混ざっており、それで捩じ込んだ様な物。

 彼らに取っては男爵家を与えるだけで十分な寛大、それを子爵家まで望む等と天地がひっくり返ったとしても許される事ではない。


「しかし、現状かの者には……、グリュエル辺境伯が付いております。あまり派手には動けませんぞ」


 その言葉で会合に集まった者は皆渋い顔をする。

 どのような密約が合ったのか知らないが、なぜかグリュエル辺境伯はカリヴァ男爵を擁護する。とはいえそれも完全に表立ってではないのだが、彼らとて馬鹿ではない、幾度となく行われたパーティーでそれとなく釘を刺されるのだ。わからない方がおかしい。


「ふんっ、辺境伯も地に落ちたものよ……。どうせ金で買収したに過ぎん、むしろ我らが辺境伯の目をさまさせてやらねば。貴族たる者としての立ち位置を示さねばならん」

「言葉が過ぎるのではないか伯爵」

「笑わせるな、何を取り繕う。貴様とて蒸気機関車が出来てここ数年、税収が減ったと聞いているぞ? それもこれもカリヴァ男爵の策略だろうよ、忌々しい商人風情がッ。我らから金をむしり取り、その金で辺境伯に取り入ったに違いないわ!」


 ぎりぎりと噛み締める歯の隙間からは怨嗟が漏れ出てきそうな程。

 国に納める税収に悩まなければならなくなったバルトン伯爵は、それら全てがカリヴァ男爵のせいだと考えていた。


「然り、しかしあの運送手段は魅力的だ、何としても我が領土に入れたいものだが」

「愚かな、あの様な異物、魔術に対する冒涜だろうよ。早急にやめさせるべきだ」

「では、妨害でもするかね? 確か既に何人か行ったらしいがな?」


 伯爵との問答を黙って聞いていた他の者がぼそり、と呟きそれに対してまた話が始まる。

 蒸気機関車はその運送能力、運送速度共に置いて他に類を見ない程の性能だ。線路を設けなければならないという手間はあるが、それを補ってあまり有る恩恵を与えてくれる。

 しかしながらその構造を理解しない者に取っては恐ろしい物に過ぎず、従来の魔術、魔法に頼った方法の方が安心できるという者も少なく無い。

 

 非常に傍迷惑な話では有るが、危険な物を他者が使っている事に対して危ないからやめろ! と声を大にして言うものがいる。だが言われた方からすればあなた方に迷惑がかからなければいいだろう? と思うのも当然だ。それで話が済めば良いのだが、話が済まない場合も多々有る。其の為、強引にでも危険性を訴えてやめさせようとする者。そしてその利益を羨み妨害しようとする者、そういった者は必ず出てくる。が……。


 沈黙が広がる。

 その妨害を行ったものはすべて肉のかたまりと果てた。


 列車が走っている間に襲撃を加えたものは窓から射出される強力なボウガンによって撃ち落とされ。客員として潜入した者は皮を剥がされ晒され、線路に対する破壊工作を行った者は発覚次第その場で極刑に処され、そして駅で待ち伏せしていた者は徹底的な周辺調査がされた。

 一番最後のは当然とも言えるが、駅内で問題を起こせばその駅を持つ貴族の沽券に関わるのだから。


 流石の彼らも蒸気機関車について辺境伯がそれを是としている以上、自分達の行為だとバレるとまずい。故にそれほど大掛かりには動けない。


「伯爵、お主の倅はうまくやるのだろうな?」

「……そのくらい役に立たねば意味が無い」


 乱暴に給仕にいれさせたワインを飲み、告げる。


「あの男が我らから奪い溜め込んだ財、それを取り戻すぞ。商人あがり程度が、我々に対する対応というものを改めて教えてくれる」

「当然でありますな」

「無論、立場を弁えてもらわねば」


 誰もが頷く、この場にいる者全てカリヴァ男爵のここ最近の立ち位置に対する不満は一致していた。


「リリス王女様の件は如何様に?」


 ふと、思い出した様に一人の男が別の話題を振る。

 宮廷で相当揉めたリリス王女の入学。権力闘争の末、結局は誰もリリス王女と関係を深める事が出来なかったと連絡を受けていたためどうするか、と問うたのだ。

 しかしながら同じ学院に通うというだけでもメリットは有る。故に他の男が然程気にする事ではないと返事を返した。


「それは良かろう、こちらも、まぁ商人の息子ではあるが……。下手にどこぞの連中と組まれて関係を深められても困る。これも無難とも言えるな。守護の加護持ちと同様、学院にあまり強く言えばこちらの立場がまずい、静観するしか無かろう」

「あの女、没落貴族の娘。国の手の者なのだろう? ならば心配は要らぬだろうよ。動きが有るならば消せば良い、所詮ただの地方都市の商人の子よ」

「しかし学院の生徒を手にかけるのはリスクが高いでしょう。それにフォールス家と言えば蒸気船を作っている所では? 国との繋がりもあるでしょうし」

「カリヴァ男爵経由であろう? やはり問題はあの男だ、所詮指示されているに過ぎないだろうよ」

「然り、そもリリス王女様は国の加護持ちよ、心配するだけ無駄であろう。ルナリア王女様によく懐いているしな。陛下もリリス王女様に関しては問題ないと言っている」

「ではリリス王女様については様子見で。まずはアルフロッド・ロイルでの不祥事を」

「……ふむ、ではそれで」


 告げると同時にそれぞれが自分達のワインを取り、掲げ、そして、


「我が連合王国の栄光の為に」

 

 一気に飲み干されるワイン。そして地面へと叩き付けられ割れるグラス。

 僅かに残るそのグラスから溢れたワインの色は今から流れるであろう血の色の様に染まっていた。


 ○


 クラウシュベルグ領 カリヴァ・メディチ・クラウシュベルグ男爵邸


「頭が痛いですねぇ、護衛費がうなぎ上りです。しかしながら危険性のあるモノだと思われては困りますし、信用を守るというのは意外にも金がかかる」


 ふるふると頭を振りながら今月の決算書を睨み、カリヴァは呟く。

 最近になって頻発した窃盗や強盗などの被害から守る為に蒸気機関車に取り付けた武装や傭兵の維持費である。

 カリヴァもまた貴族として税収を得る事が出来てはいるが、それらは全て現在インフラの整備へと使っている。其の為護衛費や武装費はメディチ商会の金から出ていた。

 しかしながら元々メディチ家でやっていた商売の利益は丸々懐に入るので懐が寒いという訳ではない。そも、蒸気機関車による運送費の利益は国への納税とは別に入る部分が多い。当然だろう、首都には走っていないのだから。国で開発されたというのに首都に走っていないという不可思議な状況では有るが、安全性の確保されていない危険性の高い物を他領地に使わせ、不具合や問題を起こした時の責任をなすり付けたいのだろう。

 そんな思惑を鼻で笑ったカリヴァは使用料の納税を叩きに叩いた。そも、首都にそれが走らないとなった時点でルナリア王女もまた、グリュエル辺境伯も使用料の納税に対してかなり渋い顔をしたので然程大変ではなかったのだが。

 そも、開発者であり、自領で使う物なのになぜ使用料が発生するのかスオウはそれを聞いた時、馬鹿では無いのかと感じたそうだが。正直意味が不明だと言いたいだろう。しかしながら、蒸気機関車に関しては、ルナリア王女への無礼の対価としてルナリア王女の資産となっているのだ。故に仕方が無いとも言える。ではルナリア王女の個人に金が入るのか、と言われるとそう言う訳ではないので納得のいかない話だ。

 兎にも角にも、取り敢えず収益は税収だけではないという事、とはいえ無駄な出費を抑えたいのは当然の話だ。


「嫉妬は必ずついて回るものだとは理解していましたが……、いやはや」


 ふぅ、とため息を吐く。

 妨害してきている、襲撃してきている相手の裏は予想が付く。

 完全に裏が取れた訳ではないし、取れたとしても所詮は男爵家の商人あがりの男が何を言った所でたかが知れているだろう。

 辺境伯の力を借りる事も出来るが、あまり借りを作りたくは無いのが現状だ。


 故に、カリヴァは受けの姿勢を取るしか無かった。

 勿論襲撃者には一切の情けなく皆殺しにし、晒し者にしているのだがそれでも劇的な効果があるわけではない。

 問題は他にもあった、襲撃犯の裏にいると思われる彼らの統治する領土の税収が上がり、飢えに苦しむ者が出てきたのだ。

 だから彼らは裕福に暮らす他の領土を羨む。そして苦しんでいるのは彼らに搾取されているせいだと促され、こちらに不満の矛先を向けられる。国内情勢が安定していない時に他国へ矛先を向ける事が有るが、それと同じ方法だ。このままでは近いうちに何らかの切っ掛けが有ればクラウシュベルグ領が攻撃される可能性が高い。


「アルフロッド君を一時的に呼び戻しましょうか。いやいや、それでは宮廷を刺激しますし、辺境伯も良い顔はしないでしょうねぇ。しかしながら出兵となれば辺境伯が手を貸してくれるかは微妙ですね。丁度良く責任転嫁して加護持ちの、アルフロッド君の身請けでもしそうな感じです。クラウシュベルグだけではそう大勢は受けられないでしょうし、さて困りましたねぇ」


 問題となっている蒸気機関車の開通を受けてやれば良いのでは、と思うかもしれないが、それもまた悪手となる。

 一度断った貴族には面子がある、故に同価値では受けないのだ。では値段を下げるかと言われるとそれはそれで既にその価格で受けた貴族から不満が噴出する。カリヴァとしてはこちらの味方の不興を買ってまで敵対した連中に塩を送る必要性を感じていなかった。頭を下げて前の価格より高い価格であれば飲んでやっても良いとは考えているが。


「このまま干上がるまで黙ってるとは思えませんので、5ヶ月、いや6ヶ月くらいが猶予期間と言った所ですか」


 あまりにも時間をおけば、既に商人の多くが手を引き始めている現状なのだ、悪化しか無い。であれば近いうちに行動する必要が有るだろう。


「ですが……、学院の愚者はきっと暴発させる方を選ばれるでしょうね。一気に掃除するには一番簡単ですし」


 男爵となった以上、商人の息子に様を付ける訳にはいかない。スオウからの提案で付けられた二つ名でスオウを呼び、予測するカリヴァ。

 そしてその予測は間違ってはいないだろう。向こうが先に挙兵した状態で勝てばこちらの物なのだ、勿論勝てればではあるが。

 単純な人数での戦力差は激しい、故に真っ向勝負は愚策。

 

「予想できるのはバルトン伯爵、ギッズェル子爵、ゴーラウザ男爵、多い所はその辺りでしょうか……」


 とんとん、と机の上を指で叩く。

 思案気な顔、その眉間に皺が寄り、目が細く、鋭く、睨みつける様に変わっていく。いつも温和な顔を浮かべているカリヴァとは思えない表情だ。

 僅か数分、何かを考えていたカリヴァはその眉間によった皺を手でほぐし、そしてため息を吐いた。取り敢えずは置いておこうと考えたのだろう。

 そして次に視線が移るのは報告書だ、つい最近あがってきた物で、その後の動向を纏めたもの。


「まったく国内だけでも大変だというのに」


 その報告書はクラウシュベルグへ潜伏していた帝国の者だ。コンフェデルスの者も別の用紙に纏められているがそちらはさして問題ではない。問題は帝国の者、その一番上に書かれている名前。


「ツェツィーア・ハルトベル。かの有名な魔弦のツェツィーアを寄越すとは……。面倒な仕事を増やしてくれますね」


 通達は既に済んでいる。危機的状態にならない限り絶対に手を出すな、という物。

 情報通りであれば彼女は特に破壊工作等を行うつもりには見えず、ただの情報収集だろうと予想している。

 もし破壊工作に出られればこちらの戦力を総動員する必要が有り、それによる出費を考えれば憂鬱であった。


「鮮血……、いえ、アリイア嬢がいてくれれば良かったのですが、仕方が有りませんか」


 鮮血であれば間違いなく拮抗、おそらく勝てるだろう。更にこちらの兵も含めれば盤石。

 だが彼女はいない。果たして彼女がいないから魔弦を寄越したのか、偶々鮮血がいない時に魔弦が来たのかはわからないが取り敢えず刺激しない様に監視するにとどめていた。

 数日間クラウシュベルグに滞在後、何処となく消えたツェツィーア。彼女を追っていた者も途中で離され、見失ってしまった。消されなかっただけ幸運だとカリヴァは追跡した者を特に叱責する事はなかったが、足取りが掴めなくなった事に対しては不安感が残ってしまっていた。


「まぁ、いいでしょう。魔弦の目的がアルフロッド君と愚者であるのなら、学院に行くのでしょうし。愚者ならなんとかするでしょう」


 く、と笑うカリヴァ。それは信頼というより同情。

 底の知れぬバケモノに相対する魔弦に送る、カリヴァのささやかな意趣返しだった。


 ○


 中央都市ヴァンデルファール ストムブリート魔術学院 野外実技講義


 ぶつぶつと呟くと同時に杖が振られ、その先端が淡く光ると同時に拳大の火の玉が現れる。

 この程度は魔術学院に入学するにあたって当然出来る範囲のレベルではある。


 一度その火の玉を消し、今度は先ほどより長い詠唱を述べてから杖を振る。

 魔素が揺らぎ、その杖の先端へと集まり行く。幻想へと働きかけ、世界へその力を現実をして表す。魔法だ。


 先ほどの1つとは違い、今度は3つ、無事成功させたライラは安堵の息を吐いて握りしめていた杖から力を抜いた。


「いいですね、その調子です。とても魔素の流れが綺麗でしたよ」


 担当の教師からも褒められ、ライラは漸く満足げに微笑む。

 ライラは正直な話、Aクラス程の実力は無い。精々がBクラスの真ん中より下程度だろう。それでも世間一般的な所から見れば優秀では有るのだが、それでもAクラスの中では実力不足は否めない。それがライラにとってアルフロッドの足を引っ張っている様に思えてならなかった。


 元よりアルフロッドに庇護される存在である、という立場はそれとなく理解していた。だがしかしここ最近それに不満を覚える自分がいる事に気が付いていた。

 役に立ちたい、とまではいかなくとも、せめて足を引っ張らない程度には、と学院に入学してから必死に食らいつく様に勉学に励んでいる。本当に脇目も振らず、目的に到達するのであればスオウに教えてもらえば良いのだろうが、それはそれで嫌だった。感情が受け入れないのだ、故に彼女はカーヴァインやロッテにスオウから聞いたコツやポイントを教えてもらい、必死に縋り付いていた。


 改めて考えてみればそも、彼女はアルフロッドと共に居る必要がないのだ。更に言うなら苦手意識の有るスオウがどうしても近くにいるこの学院に入学する必要も無かった。


 あくまでも彼女個人の立場からの話だが。


「(何やってるんだろう……)」


 最初はアル君が守ってくれた、助けてくれた、その憧れの気持ちだった。

 雲の上の存在である加護持ち、そんな彼が私を守ってくれる。まるで物語の姫様になったかの様な気分。

 特別な存在である加護持ちに守られる私は特別な存在なんだ、なんて勝手に思い込んで、そして直ぐに触れたのがヒトの死だ。


 這い出てくる様な死神の腕、寝ても寝ても夢に出てくる青白く色の抜けた目、けれど、アル君はずっと傍に居てくれた。

 震える私の手をずっと握ってくれていた。このヒトは私を守ってくれる、だから、手放しちゃいけない、そう、根底にはそれが有った。


 だから、学院へ入学する事に全く疑問を持たなかった……。


 けれど学院に入ってみれば、結局の所自分はそこらに居る女性と何ら変わりはなくて。

 アル君の周りにはもっと綺麗で、親は貴族や金持ちで、更に実力も備えてるヒト。

 ずるずると思考は深みへと落ちていく、自分の存在意義に疑問を覚える程に。


 だからせめて、足を引っ張りたくは無かった。


 1週間。


 2週間。


 1ヶ月。


 必死に食らいつく彼女はどこか焦燥感が漂っており、余裕が無くなって来ていたとも言えるだろう。

 それでもカーヴァインやシュシュ、ロッテと出会えた事によって彼女の余裕は少しだけ広がっていた。


 大丈夫、大丈夫、と心の中で何度も呟いて。


「(大丈夫、私は大丈夫。だから、頑張らないと)」


 ギュゥと握りしめられる杖、高まる魔素がその先端へと集まる。

 次は5個の火系統の初級射出攻撃魔法の維持。アル君はこの辺りは苦手なので全く出来ないけど、ーーそもそれ以外が特に身体強化系と防御系魔術がずば抜けて高い為さほど問題ではないーー、Aクラスでも出来ていないのは数名いる。でも私は加護持ちの従者、出来ない訳にはいかない。アル君と同じチーム、出来ない訳にはいかない。


 手が白くなる程杖を握りしめて、虚空を睨む。

 全身の魔素を杖の中央へと集め、頭の中で魔方陣を描く。

 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、ちりちりと首筋が引きつる様な感覚を覚えながら魔素を放出しようとしてーー


「ッ! ライラ・ノートランドッ! 杖を離しなさい!」

「えっ?」


 先生の怒鳴り声が耳に届いた。

 集中して瞑っていた目を開き、前を見るとビシリ、と杖に罅が入っている事に気が付く。瞬間ーー


 軽い衝撃と振動。自分が吹き飛ばされた事に気が付いたのは自分の視界が空を向いていた事からか。

 痛みはなぜか無い、至近距離どころか密着で魔素の暴走による衝撃を受けたというのに、だ。


 だがすぐに彼女を襲うのは自分が怪我していない事の安堵よりも早く、“失敗”してしまった事の恐怖だった。


「(あっ、失敗……、失敗した、どうしよう、失敗した……)」


 わなわなと震えそうになる手を必死に堪え、押さえつけようとした所で漸く自分が誰かに抱えられている事に気が付いた。


「大丈夫かライラ!」


 声がする方へと顔を向けるとそこには、


「あ……、アル君。ご、ごめんありがとう」


 そして今自分がいる状況を理解して、顔が熱くなる。

 わたわたと手を振り、慌ててアルフロッドから離れるライラ。先ほどまで悩んでいた事なんてすっかり飛んでしまっている。

 僅かな後、心配気にこちらを見て気遣ってくるアルフロッドから離れ、教師へ謝るライラが居た。しかし謝られた教師も怪我が無くて良かったとほっとしていたのだが。


 ただ、なんであそこまでの爆発が起ったのかは教師にも解らなかったのだが。


 ○


 そんな一騒動が有った場所から少し離れた所。その状況を傍観者の如く見ている二人の男女が居た。


「お見事です」


 そのうちの一人、黒髪の女性スゥイは僅かに不満げな表情を滲ませながら、ぐい、と唇を袖で拭う。


「やっぱりスゥイの贈血ブーストが有ると違うな、細かい制御の精度まであがってる」


 コキコキと首をならしながら、自分の手を見て、そしてライラの居た場所を見て呟くスオウ。その唇からは僅かに血が滲んでいる。


「当然です、でなければ意味が有りませんので」

「とはいえ口じゃなくても良かったんじゃないのか?」

「こんな人目に付く所で吸血行為そのものの行為をしろというのですか? 私がそれを嫌っている事は知っているでしょう」

「まぁ、そうだが」


 とはいえど、だからといって口移しも相当どうかと思うのだが。僅かに口内に残る血の味、それは鉄の味とは違いどこか甘みの有るソレを感じながらスオウは思う。

 杖が暴発する瞬間にライラを守る様に展開した風の盾、それは彼女が握りしめていた杖と掌の間まで寸分なく覆い、怪我一つ無く済ませた。が、その際にこの離れた距離でも届くだけの魔素量と掌まで覆う精密性、そしてスオウがやったという事をバレない様に隠密性まで含んだ魔術を行うには骨が折れた。


 僅かに制御に苦慮し眉を顰めたスオウを認めたスゥイが、強引に唇を奪い、血を与えたという訳だ。


「世間一般的な価値観からする私の外観の評価からすれば、喜んでおけば良いのではないですか」

「あまりその考えは好きじゃないな」

「……偽善ですね」

「本意のつもりだ」


 僅かに両者に漂う張りつめた雰囲気。見上げるスゥイの目には感情が乏しいが、それなりに付き合いが有るスオウにはその目には僅かな怒気が混ざっているのに気が付いていた。いや、不満、の方が近いかもしれないが。

 とはいえ互いに剣呑な雰囲気になるつもりも無く、それは直ぐに消え、スゥイは生徒達の方へと視線を戻す。その仕草を認めたスオウは、本来の目的を問うた。


「それで、居たか?」

「ええ、せめて表情を取り繕うくらいの技能は欲しかった所ですね。それと自分だけ輪から外れれば疑ってくれと言っている様な者です、アルフロッドを取り巻いていた一人ですね」

「彼女か……、となると一人じゃないな。性格的に誰かに背中を押されたか、他には?」

「魔素の揺らぎまで感じたのは9人、ただこれは自分の身を守ろうとした可能性が高いので絶対では有りません。むしろーー」

「“それなり”なら、態と使わない可能性もある、か。一応その9人もリストアップしておいてくれ、後で洗う」

「解りました、では今日の夜にでも」


 僅かに目を伏せ、答えるスゥイ。その仕草にさて、今日の夕飯は多少豪勢にするかな、とスオウ考える。

 それが果たして謝罪なのか報酬なのかはさておいて……。

 スゥイの腕が僅かに震えているのには最後まで気が付かない振りをした。

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