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月蝕  作者: 檸檬
1章 幼年期編
19/67

幕間 舞台の上で踊る道化とその身に宿す業と宿命2

 I never think of the future. It comes soon enough.

 未来の事など考えた事も無い。未来はすぐそこにある。 


 剣が舞う。

 シャムシール、先端が僅かに曲線を描いているその独特の剣は銀色の線となり、空を切り、鮮血を撒き散らす。

 あがる悲鳴、消え逝く命、武器を持つ男達の命がまるで刈り取られて行く稲穂の如く、次に次にと散って行く。


 手に持つその剣とその容姿、想像するのは容易い事だ。

 彼らの唯一褒められた点はその対応の早さだったと言えるだろう。


 アリイアが居る。

 鮮血が居る。


 その事実に気が付いた後の決断は早かった。

 ただその決断が正しかったかどうかは別として。


「シュバリス、そちらへ行ったぞ」

『あいよー!』


 流れる様に動く状況をアインは風の魔法を持って各員へと連絡を繋ぐ。

 この魔法の利点は当然情報の統制と通達が出来る事ではあるが、相手がある程度止まっている事が必要であり、なおかつ距離もそれほど遠くまでは飛ばせない。


 故に、アインは街の中央で杖を揺らしながら各個人との連携をとっていた。

 

 一方的に殲滅されて行く敵、終わりは近い、ただの殺戮の終わりが。


 ○


「ごふっ……」


 ずるり、と重力に従って男の体が崩れて行く。

 胸の中心には剣が生えており、そして直にそれが抜かれて血が吹き出る。


 真横で一撃で殺された仲間、震える手で持つ剣は定まらず、ただ後ずさる事しか出来ない。

 そしてなんとか最後、振り絞って出て来た声、罵倒、いや主張とも言えるその言葉。

 死に瀕したからか、あるいは死を感じたからか、自身を鼓舞するかの様に目を吊り上げて心の声とも呼ぶべき絶叫が路地裏に響く。


「なぜ、だ、何故、っ、我らは、我らはあのようなバケモノをっ、後悔するぞ貴様ら! わかっていない、貴様らは何もわかっていない、あの様な存在を許してはいけない、いつか我が国を、我が国の民を殺す! なぜだ! 何故それが――!」

「しらねーよ」


 バン、と剣が振り抜かれて首が飛ぶ。

 赤い髪が翻り、手に持った剣は次の標的へと向かう。

  

 ぽたりぽたりと切っ先から滴る血に僅かに視線を向けながらシュバリスは剣を振るう。

 鎧を着込んでいない為に随分とやりやすい、あげくに腕はそれほどでもないと来た。


 血の匂いが辺りに立ちこめ、死体が転がり、血で家屋の壁は赤く塗られる。

 平和な時間は終わり、死と狂気の渦巻く時間が始まる。


「ひーふーみー、っと。これで全部か? フィリス、そっちはどうだ」

「問題無いよ、スオウも確認したし。スゥイちゃんと一緒だよ」

「そうかい、んじゃ俺もそっちに行くとするか。スオウは兎も角スゥイ嬢に見せるにはちっと刺激が強すぎる」

「うーん、むしろシュバも顔を見せない方が良いと思うけど? 返り血が酷いからねー」


 いつぞやの様に、と続けたフィリス。

 思い出されるのはクラウベルグの領主邸襲撃の時の件、それを思い出したシュバリスは僅かに眉を顰め――


「んだな、俺は周囲の警戒をしてるか」


 がりがり、と頭を掻き、そう告げた。


 嫌われる事が嫌な訳ではないが、別に進んで嫌われたい訳でもない。

 それに今後付き合いが無い訳ではないのだし、進んで関係を崩す様な行為をする必要も無い。

 顔に付いた血を袖で拭って、そして警戒へと回る。

 その様子をフィリスはどこか微笑ましげに見た後、スオウとの集合場所へと向かった。


 ○


 暗がりの路地裏、逃走ルートの一つの一角。

 僅かに広がっているその小さな広間に二人の子供が立っていた。

 

 一人は強張る様に手の肘をもう一方の手で強く強く握りしめ、何かを耐える様にしながら。

 そしてもう一人は手に伝わる剣の柄の感触を感じ、ただただ無表情に虚空を睨んでいた。


 少年がぐず、と剣を引き抜く。

 黒髪の少年、スオウ。彼の奪ったアリイアの記憶にある剣舞、それはそこらの雑兵程度では太刀打ちできる筈も無い。

 アリイアとシュバリス、そしてフィリス、エーヴェログの包囲を破りスオウへと近づいた者は精々一人か二人、その程度に手間取る程スオウは弱くは無かった。


 一段落した、とばかりに血糊を拭き取り、話の途中だったと続け、後ろで青い顔をしているスゥイへと話しかける。


「アルフロッドが危険だと思っている連中はとても少ない。まぁ、存在をあまり公にされていないという事も有るが、そもそも加護持ちという表現からして彼らをこの世界のヒトは殊更特別扱いしているのが分かる。加護、つまり神、ヒトの人知の及ばぬ存在がその力を与えた。故に、君たちには敵わなくて当然だ、勝てる訳が無くて当然だ、彼らは崇める存在、奉る存在、そんな所、か?」


 朗々と喋り続けるスオウ。その姿は異質、異端、だがしかしその目は狂気に彩られている様には見えない。

 吸い込まれそうになるその黒い瞳からスゥイは僅かに視線をそらし、答えを返す。


「私は、その様な事は……」

「アルフロッドは怖く無い、か? 崇めるつもりは無いか? まぁ、それには同意しよう、正直な所俺も別に怖く無いし崇めるつもりも無い、中身はどこにでも居る少年だからな。

 しかし、だ。誰もがそう思う訳ではない、その強大な力を恐れる者は必ず出てくる、自分を脅かすものに対する危機感か、あるいは自分の命を脅かされる可能性に対しての恐怖心か、加護は恐ろしい者である、そこにふと気が付いたとき、ヒトは恐怖に捕われる」


 その力が自分に向いたら?

 自分の身を守ってくれるのは?


 加護持ちは個人が所有する力だ、だからこそその個人の意識によってその力の行き先は左右されてしまう。

 ヒトの身に余る力を持ったヒトは恐れられるか、奉られるか、二つに一つ、本人の意思など関係ないのだ。


「しかし、だ。強大な力を持っている本人に手を出せば自分達が死ぬのは当然理解している。どれほど馬鹿でもそのくらいは分かるだろう」


 実際は“今の”アルフロッドは恐らくヒトを殺せない。

 その事自体はきっと悪い事ではない、むしろヒトを殺せる様な奴はどこかネジが飛んでしまっているに違いない。

 

「だから、私たち、ですか?」

「その通り。弱い所から攻める、兵法の基本だ、そして戦争では弱い所から死んで行く。俺達を人質に取れば果たしてどうなる?」


 果たしてそれでアルフロッドが言う事を聞くだろうか?

 恐らく聞くだろう、とスオウは思う、だがしかしそれだけでは弱い。


「……コンフェデルスの軍が……」

「そう、確かにそうだ。だがな、例えば俺達を助けたければコンフェデルスの軍を倒せ、と言えば?」


 僅か逡巡するスゥイ、僅かに眉を顰めながら否定の言葉を絞り出す。


「……そこまで愚かでは」

「そうかな? 間違いなくアルフロッドは葛藤するだろう。そしてあるいは俺達を見捨てるかもしれない、あるいはコンフェデルスの誰かに説得されるかもしれない。

 まぁだがそうだな、そこまでは恐らく相手も読んでるかもしれない。けれど、例えば、この街のど真ん中で俺達を殺そうとした場合アルフロッドは我慢する事が出来るだろうか、力を持つ加護持ち、きっと犯人を切って捨てて助けるだろう。尋常じゃない胆力で、犯人の体を粉々に吹き飛ばして、な」


 では、それを見ていた群衆は?

 ヒーローだと叫ぶだろうか?

 技術が進歩し、加護に対して疑問を持ち出し、犯行に及ぶ様な組織が産まれているこの街で、本当にそうなるだろうか?


 これがカナディル連合王国であればその可能性は高い、だがしかしここは他国なのだ。


「そうして奴らは楔を打つのさ、この国に。まさにイカレタ愛国心だ」


 この世界の技術レベルでは加護持ち相手に対抗など出来やしない。

 魔工学技術は確かに素晴らしい、単に技術力だけ見ればカナディルを上回る事は間違いない。

 ではそれで加護持ちに対抗できるのか、と言われれば首を傾げざるを得ない。


 だがしかしそれは加護持ちの傍に居て、その力を知っているヒトだからこそ言える言葉だ。

 コンフェデルスにも加護は一人居る、だがしかし民衆の傍で常にその力を誇示している訳ではない。

 この国のヒトは加護に対してどこか甘い考えを持っている、それは良い意味でも悪い意味でも。


「この国に来た点で良かったのはそういったヒトも居る、という事をアルフロッドが知る事が出来た事か? まぁ、アイツが分かってるかは予想に過ぎないが」

「……わかりません、自分の命を掛けてまでやる様な事とは到底」

「全てのヒトの考えを理解できる筈も無いさ、それにこれはあくまで予想だ。そもそも犯人の考えが違っているかもしれないし、あるいはアルフは俺達が人質に取られたら一歩も動けないでそこで終わるかもしれない、それはそれであまり良く無い未来が待ってそうだけどな」


 二、と笑うスオウ。

 そして怪訝な表情をするスゥイへと更に告げる。


「実際今のアルフロッドの状態はとても不安定で宙ぶらりんなのさ、厳密には誰の管理下にも置かれていない特殊な状況の加護持ちだ。本来加護持ちとはそう言う状況に陥りにくい、父親であるグランの機転と言うべきか、愚策というべきか。どちらにせよそれに鎖を掛けたいと思っている連中は割と多いんだよ。気持ちは分かるから何とも言えないがな」

「それは、どう言う……?」


 問いかけつつも思案の海へと沈み行くスゥイ。

 スオウへと問いかけた言葉に返事は無く、ただいつも通りの貼付けた様な笑みを浮かべているだけだ。

 そのスオウの顔にスゥイはぞくり、と背に怖気が走るのを感じた。

 一体この男は、何を見ているのだろうか、と……。


「スオウ……貴方は……」


 僅かに体が震えている、それをスゥイは自覚していたがそれでも問いかけた。

 いや、かけようとした、しかしそれはスオウの貼付けた笑みがしかめっ面に変わった事で否が応もなく途切れる。


「アイン……、何やってんだ……」


 呟きと同時に手で目を覆って天を仰ぐスオウ。はぁ、とため息をつき覆っていた手をゆっくりと顔から離す。そして路地の先、一つの家屋の屋根の方を睨んだ。

 同様にスゥイもそちらへと視線を向ける、何が、と思うがその答えは直ぐに出た。屋根の上をまるで飛んでいるかの様な速度で疾走している一人の少年。抱きかかえている様に見えるのは靡いている青い髪が見える事からライラだろう。


 ダン、と豪快な音を鳴らしてスオウから数歩離れた場所へと着地する。

 抱えているライラは、困惑顔でアルフを見て、そして周囲を見渡したと同時に表情は強張りアルフの服を掴む。

 もう片方の手を口に当て、吐き気を催し、目を瞑り、アルフロッドの胸へと顔を沈める。

 その掴まれたアルフは睨む様にスオウを見る。


 当然だ、何故ならばこの路地は血と肉で溢れかえっていたのだから。

 平然としているスオウが、そしてスゥイが異常なのだ。


「殺したのか……スオウ……」

「全く、見てろと言ったのに何をやってるんだアインは」

「アインさんは関係ねぇ! これはお前が! お前がやったのかって聞いてるんだスオウ!」

「説明が必要なのかアルフロッド? 彼らは俺達の命を脅かした、俺達の命を奪おうとした。奪おうとした者に対価を与えたに過ぎない。更に言えばお忍びとはいえど他国からの客人に対しての殺人未遂行為、外交問題になる可能性も有った。捕まれば死刑は免れないぞ?」


 早いか遅いかの違い、そうも同然の様に告げ、肩を竦めてアルフロッドへと答えるスオウに対してアルフロッドは我慢が出来ないとばかりに、ぎちぎち、と手が握りしめられ、その膨大な魔素が全身から溢れ詠唱もせずに周囲を嵐の様に吹き荒らす。


「殺さなくても、殺さなくても良かっただろうが! お前なら、お前なら捕らえるなり、事前に対策をとるなりいくらでも方法が有っただろうが! なんでっ、なんでこんなっ……」


 そして視界に入る血、それを見た瞬間アルフロッドはフラッシュバックの様に以前の記憶、死霊の森を思い出す。

 口の中にこみ上げてくる胃液、だがそれを意思の力で押し返し飲み込む。

 その仕草にスオウは僅かに、眉を顰めるが――


「話なら後でいくらでも聞いてやる。だがこの場にライラを連れて来たのは失敗だった、それも含めてアインに付いている様にお願いしたんだが……。アルフ、俺に対する文句は後でいくらでも聞いてやる、だから今はライラをこの場から離してやれ」

「――うるさいっ」


 その言葉は拒絶、しかし同時に胸の中で嘔吐くライラに気が付いたアルフは状況を理解し、ライラを強く抱きしめる。

 吹き荒れていた魔素は鳴りを潜め、ただ、しかしその目に篭る拒絶の意は隠せずに、スオウを睨みつける。


「ライラすまねぇ。もう少しだけ我慢してくれ……」


 腕の中で顔をアルフロッドの胸の中へと沈ませ、震えるライラはアルフの問いに対して僅かだが首を縦に振った。

 それを確認したアルフロッドはもう一度、今度は優しくライラを抱きしめた後スオウとは反対方向へと睨み、そして声をあげる。


「アリイアさん、居るんだろう、出て来いよ!」


 路地の影、常人では気付きようが無い気配の薄さ、だがしかし先ほど吹き荒れたアルフロッドの魔素に反応して漏れた殺意の欠片。混乱と怒りの中に有ったアルフロッドではあったが、流石は加護持ちと言った所だろうか、僅かに漏れた殺意を拾い、そしてその場所を探り当てた。


 僅か数秒、ゆらり、と揺れた影。路地裏の影から褐色の女性が出てくる。右手に持つシャムシールは血に濡れており、ぽたりぽたりと地面へ雫を零す。そして問題は左手、そこには片腕を折られ、そして至る所に浅くは有るが、傷だらけで血に濡れた男が引きずられていた。遠目で見るに胸の部分が上下している事からして生きているのは間違いないだろう。


 それを見たアルフは更に頭に血を上らせる、がアリイアから漏れ出る殺意と決死の覚悟を見てその殺意が萎んで行くのを自覚した。


「……アリイアさん、はは……、なんだよそれ、俺を殺す気、かよ……。それも、自分が死ぬのを理解した上で、その目、あの時の親父の目に良く似てる……」


 天を仰ぐ。

 アルフロッドは泣きそうになる自分が居るのに気が付いた。


 彼女の、アリイアの目は暴走したアルフロッドを止めようとしたグランの目にそっくりだった故に。


 いや、それとは少し違う。とアルフは思う。

 親父は殺意は混ざっていなかった、しかしアリイアの目には殺意が篭っている。

 しかし、誰かを守ろうとするその意思に違いは無かった。


「スオウ様を脅かす者は全て私の敵ですアルフロッド少年」


 剣、シャムシールが水平に構えられる。

 目が細まり、殺意が鋭く鋭く、研ぎすまされて暖かかった空気がまるで冬の寒空の様に凍てついて行く。


「アリイア、よせ」

「しかし……」

「アルフは敵じゃない、だろう? 俺の親友だ、剣を引け」

「……」


 無言の圧力とはこの様なことを言うのだろうか。

 スオウを睨むアリイアは無言の圧力、いや無言の直訴をしているかのようだ。

 僅かの逡巡の後、ものすごい嫌そうな顔をしながらアリイアは剣を鞘へ納めた。いや、良く表情を出す様になったものである。

 基本怒っているか、嫌がっているか、無表情か、なのだが。

 

 この時、蚊帳の外に置かれたかの様な状況のスゥイはこんな状況にも関わらず、アリイアさんも苦労しているのだろうな、とこの瞬間感じていたそうな。


 ある意味肝が座っているとも言える事は間違いない。


 兎にも角にも――


「親友、ね……」


 スオウの言葉、それに僅かに笑みを浮かべながらアルフはその言葉を繰り返す。

 目を閉じて、何かに耐える様に、そして一つ頷いた後スオウへと問うた。


「スオウ、その男性はどうするつもりだ」

「……アリイアが連れて来ている事からして主犯だからな、背後関係を洗った後処刑だな」

 

 処刑、その言葉にびくり、と震えるライラ。

 そして僅かに眉をひそめるスゥイ。

 目の前に立つアルフは、予想通りだ、と言いたげな顔をしてため息を吐いた。


「そうかよ……、そうだろうと思ったけどよ……。誤魔化さないんだな」

「誤魔化して欲しかったのか?」

「いいや、そんな事はねぇよ。なぁ、スオウ、俺はお前の親友か?」

「俺はそうだと思ってる」


 あぁ、と呟きがアルフロッドの口から漏れた。

 それは悲しみと喜びが同居した様な声、そしてアルフロッドは続けて言う。


「じゃあ、その親友からの頼みだ。その男を解放してやってくれ」


 ――と。


 当然の事ながらその言葉に殺気立つアリイア、そして驚愕の目で見るスゥイ。

 だがしかしアルフロッドは揺るがない、ただスオウの目を睨む様に見つめて問う。

 

 殺さないで、と。

 小さな声で呟く幼い子供をスオウは見た様な気がした。


 僅かに薄く笑う。


(スオウ、どうするのじゃ?)

(お前が問うのかクラウ? アルフロッドの意見を無視して主犯を拷問して、終わりだ。アルフロッドには良く聞かせて、説明して理解してもらうしか無いだろう? 彼はまだ若い、割り切る事は出来ないかもしれない、だが馬鹿じゃない。でも、そうか、そうだな……)


 そう言いつつもスオウは自分が揺らいでいるのを感じていた。

 最善なんてその時に感じた事にしか過ぎなくて、後になって思えばそれは所詮悪手にしか過ぎなかった事に気が付くなんて良くある話だ。後悔という言葉は後になって悔いる、と書く。先に悔いる事は出来ない、故に、後悔。


 果たして彼を逃がした時のメリットとデメリットは何だろうか、そんな事をアルフロッドの顔を思いながら思案する。

 そして僅か数秒、スオウはアルフロッドの目を正面から見る。


(所詮は希望的観測に過ぎない、けれど俺も期待したいという気持ちは有るのだろうか)

(……スオウ?)

(なんでもないさクラウ)


「アルフ、一つだけ聞きたい」


 アリイアに首根っこを掴まれ、息も絶え絶えなその男を僅かに視界の端に捕らえ問いに対して問いで返した。


「彼らはお前の脛である俺達を襲って来た、それこそ一人二人なら殺しても構わないという意思でな。それでもお前は助けてくれと願うのか?」

「わかんねぇよ……、わかんねぇけど、ヒトを殺して良い訳無いだろう……。そのヒトだってもう十分に罰は受けたじゃないか、だから警備兵に引き渡せばそれで十分だろう?」


 僅かにびくりと震えるアルフだが、その目に宿る意思は消えていない。

 問いかける様な返答にスオウは軽く首を振る。

 それは諦めか、あるいは自分を誤魔化す為の一つの儀式だったか。


「アリイア、離して貰えるか」

「――スオウ様、それは……」


 首を横に軽く振って拒絶の意を示すアリイア。その顔には僅かに怒りが見える。

 当然だろう、彼女はスオウの護衛。護衛である以上、今後の危険を排除出来る時点で排除しないなど、愚かにも程が有る。

 スオウも当然断られるであろう事は理解していた、だがしかし再度アリイアへと願い出る。


「ではアルフに対抗するか? 自慢じゃないが俺とお前が二人居た程度じゃ瞬殺されて終わりだぞ?」


 ただの事実を告げる。僅かにアリイアは眉を顰め、そしてその問いに答えたのは後ろに居るアルフロッド。


「スオウッ、俺はそんな事をするつもりはねぇ!」

「するつもりが有るとか無いとかそれは何の根拠が有って言うんだ? お前の力は絶大だ、ただお願いした事が脅迫になる事もある。それを良く覚えておけ」

「――っ!」


 ギチリ、と歯を食いしばり、スオウを睨むアルフロッド。

 その様相にまぁ、冗談だ。親友だしな? と告げるスオウは途中で途切れてしまったアリイアへの会話を続ける。

 アリイアの方へと近づき、そして血に濡れた男を見つめ、再度願い出る。


「アリイア」


 願う声。チン、とスオウの剥き出しにされていた剣が鞘へと収まる音が路地に響く。

 見上げるスオウの目、その目から逸らさず、睨む様に見下ろすアリイア、数秒の時間。先に折れたのはアリイアだった。


「後悔しても知りませんよスオウ様」

「生憎と産まれた瞬間から後悔してばかりさ」


 告げた言葉は虚空へと溶けて、そしてまるで懺悔の様にも聞こえて。

 僅かに目を細め、回顧するかの様にアリイアを見る。その言葉にアリイアが何かを返そうとするが、スオウの目を見てアリイアは口を噤んだ。


 まるで、昔の自分の様な目であったから。


「さて、と。おい、起きろ」


 ペしぺしと血塗れの男の顔を叩くスオウ。

 アルフの殺意が高まった様な感じもするが、生憎と意識を取り戻してくれなければ困る。

 数回叩いた後、うめき声と共に男が目を開く。


「て、めぇ……」


 腫れ上がって開く事も出来そうに無い右目は閉じたまま、僅かに開かれた左目でスオウを睨む。

 一瞬で標的だと気が付いたのだろう、その目には殺意が籠もり、そして口からは罵声が飛ぶ。


「殺して、やる、てめぇら全員、絶対、ころして、やる。ばけ、ものが、この世に、存在していいわけがっ」


 息も絶え絶えに告げる言葉。

 アルフロッドが顔を背けたのを僅かに感じたスオウはアルフロッドにも、スゥイにも、ライラにも見えない様に、そして聞こえない様にその男の耳へと近づき、告げた。


「お前は生かされた、そのお前が嫌うバケモノに生かされた。お前はあの加護持ちに助けてもらう様に嘆願され死なないで済んだ。お前が嫌う者に生かされるその感覚を精々味わうが良い」

「ぎ、ぎ、ぎざまぁぁぁっ!」


 ゴキ、と音が鳴る。


 絶叫とともに折れた腕すら物ともせず、殴り掛かろうとして来た男だったが直に傍に居たアリイアによって昏倒させられた。

 状況に付いて行けないアルフロッドは思わず声を上げてスオウへと抗議しようとするが、スオウは軽く手を振ってそれに答える。


「何でも無い、このまま警備兵に引き渡す訳にも行かないだろう? 俺達はヒト殺しだからな。この場に捨て置く、それで良いだろうアルフ」

「スオウ、お前最後何をしたっ!」

「現実を教えてやっただけだ」

「スオウ! 質問に答えろ!」

「さあ、行くぞ、もたもたしてると俺達まで逮捕される。アイン、通達しろ、撤退だ。Bルート経由で合流地点へ急げ」

「スオウ! 話を聞け!」


 颯爽と歩き始めるスオウとアリイア。

 崩れ落ち、地へと這いつくばる男に僅かに視線を向けた後、スオウの後へと続くスゥイ。

 そして叫ぶアルフロッドの方を一瞬だけ見て、そして直にスオウの後へ付いて行く。

 まるで、つまらないモノを見たかの様に興味を失った様な目で。


「なん、なんだってんだよ……、なんだってんだよちくしょう。ちきしょぉぉぉぉ!」


 俺は間違っていない、ヒト殺しはいけない事だ。

 ヒトが死ねば誰かが悲しむ、それは絶対いけない事だ。

 だから俺は助けた、彼を助けた、それは絶対間違っていないことだ。


 そしてアルフロッドは腕の中で震えるライラを再度抱きしめる。

 まるで、誰かを守った、という証が欲しいかの様に。

 

 ○


 死者21名、重傷者1名。

 日中のコンフェデルス首都にて起った騒動の顛末。

 目撃者情報より、犯人は5名、子供が居たという話もあるが関係ないだろうという結論に至る。


 捜索される犯人、だがその日の夜、捜索は打ち切りにされる。


 コンフェデルス首都管轄、6家が一つ、ベルフェモッド家による命令で。


 捜索打ち切りと同時刻。

 ぎりぎりと歯を鳴らし、痛み腫れ上がる目を片手で覆う男が居た。


「殺す、殺すころすころす殺す、ぶち殺してやる、殺してやる、殺す、殺す、殺す」


 呪詛の様に漏れる言葉。

 折れた腕を治癒している者もその鬼気迫る顔に腰が引けている。

 ぎちり、と噛み締められた歯からはおそらく唇を噛みちぎった為だろう、血が垂れてきており、かといって本人はそれに気が付くそぶりも見せない。精神が肉体を凌駕する、まさにいま彼は、男は、ルイドは怒りで全身が満ちていた。


「許さねぇ、あの糞餓鬼、絶対に殺す、腕をもいで、足を千切り、腸を引き摺り出し、目を抉り、殺して殺して殺し尽くしてやる」


 握りしめた手の爪が手の平へと刺さりそこからも血が垂れてきているがルイドはそれにすら気を止めない。

 ぶつぶつぶつぶつと呪詛を吐きながら、全身を覆う痛みすら復讐の念としてあの黒髪の少年、スオウ・フォールスを殺す。想像の中でもはや数え切れぬ程殺し尽くしたルイド。カタカタと鳴る自分の足の音に気が付き、それを強引に片手で抑え、そして虚空を睨む。


「ルイド様、もはや立て直しは……。このままでは、一度地下に潜るべきがっ――」


 バキリ、と音が鳴る。

 治癒していた腕とは反対の腕。それで全力で殴り飛ばした。

 弱腰な部下を、ただ怒りに任せて殴り飛ばした。たとえ部下の言葉が正論であろうと、今のルイドには届かない。


「うるさい、うるさいうるさいうるさい! 金ならいくらでも出してやると言っただろうが! 言っていた殺し屋はどうした! 傭兵は用意できたのか! 貴様らは俺の言っている事を黙って聞いていれば良いんだ!」

「ぐっ……、はっ、はい」


 鼻から流れ出る血を抑えながら、先ほど殴られた部下は立ち上がりルイドへと返事を返す。


「こ、殺し屋は8人、傭兵は30人程雇えました、ですが……」

「よぉーし、上等だ上等だ、奴らが泊まっている宿はわかってんだろうな!」

「は、はい。で、ですがルイド様、流石に宿に襲撃するのは無理が……、隠しようが有りません」

「うるさいっ! さっさと指示を出せ!」

 

 ビリビリと空気が震える程に叫ぶルイド。

 治癒を施していた女性が僅かに悲鳴を上げる。


 狂気。


 いや、ちがう。彼は恐れていた、あの瞬間、死を覚悟した。

 死など恐れては居なかった、自分の命でこの国が目覚め、自覚を持ち、正しき道をいけるなら、と。

 だがしかしあのスオウ・フォールスという少年の言葉を聞いて、まるで底なしの沼に引きずり込まれる様な感覚に陥って彼は恐怖した。


 ヒトが恐れ、恐怖した場合二つのパターンに分かれる。一つは逃げる、そしてもう一つはその理由を消そうとする。


「そうだ、俺はバケモノを殺す、殺して殺して、綺麗にするんだ」

 

 そう、この世界を浄化するのだ。


「あれも、あれも、バケモノだ。だから殺す。殺す殺す、殺すっ!」


 治癒されていた手を強引に振りほどき、壁へと叩き付ける。

 本来であれば激痛が走るであろうその行為もルイドにとっては忘れられぬ憎しみを思い出すには丁度良い程の痛み。

 がんがんと頭まで響く痛みをルイドは感じながら、剣の柄を握りしめる。


 その剣に憎しみを浸して、研いで研いで研ぎすませた殺意の元に一撃を。

 ルイドは自身の目的が揺らいでいる事に気が付いていなかった。


 ○


 コンフェデルスの郊外にある宿の一室。

 中心街から離れたその宿は喧噪とはほど遠い静かさに満ちており、僅かに聞こえる虫の声が風情を感じさせている。

 アルフロッドが加護持ちであるという事を含め、極力ヒトの目に付きにくいであろう場所、そしてある程度“口止め”できる場所を選んだらここになっただけという話でもあるのだが。


 兎にも角にもその一室、アルフロッドのしつこい追求を適当に煙に撒き、ライラの様相も心配であったアルフロッドは途中で諦め、今は恐らく二人で部屋に居る事だろう。念のためにアインツヴァルに警戒させているが、どうやらアルフロッドはスオウの護衛、もとい私兵すら気に入らない様で、特に血の匂いをさせているシュバリスに対してはそれが顕著だった。


(く、っくく、シュバも災難だな)


 内心で笑うスオウ。

 突然殺意の篭った目で睨まれたのだ。困惑するのも当然だろう。


(……何故逃がしたのじゃスオウ? お主ならあの場で如何様にでも言い繕えるのではないかの?)


 その様相に疑問の声を上げるのはクラウだ。

 問いかける様な、それでいてどこか責める様な声にスオウは眉を顰めて返事を返す。


(別に俺は何でも出来る訳じゃないぞ、あの状況で言いくるめるのは骨が折れる、むしろ無理かもしれん。感情的になった相手に理屈は通用しないし、そもそも話を長引かせていたら警備兵に捕まる可能性もあった。加えて言うならライラの方も問題だったしな)


 ごろり、とベットの上へと転がりそう述べるスオウ。

 あの場に居られる時間は限られていた。その上青ざめ、吐き気を催しているライラをそのままに話し込むのも酷だろう。

 しかし、魔獣退治をそれなりに見ている彼女達では有るが、さすがにヒトが死ぬ所を見ればまともでは居られない、か。と内心で呟くスオウ。


 当たり前だろう、と言われてしまえばそれまででは有るが、とはいえ避ける事が出来る事とは思えなかった。


(避ける方法はいくらでもあると思うんじゃがの)

(違う違う、今回の件じゃないさ。ヒトを殺す行為と言う事からアルフは逃げられない、それは絶対に。だからこそあいつの傍に居たいなら避ける事が出来ない事って事さ)


 ヒトを殺せない加護持ち。果たしてそれに価値はあるのだろうか。

 そして価値がないと、捨てられる存在だろうか?

 そんな事は“絶対”無い。


(まだ12歳じゃぞ……)

(そうだな、”もう”12歳だ。後1年で予定通りに行けばカナディルで学院通い、そこで4年。アルフは後5年で答えを出さなくてはいけない。知っておく必要が有るだろう?)

(押しつけじゃ、自分で気付く可能性が無いとは限らんじゃろう……。それに知らなくて良い事もあるじゃろ)

(知っておいて損は無いさ、そういう立場に立つんだろうからな。フォローが効くうちにやっておいても良いだろう?)


 それに、本当に知らなくても良い事は教えていないのだし、と続ける。

 

 それはたとえばスオウ・フォールスの正体だったり。

 それはたとえばスゥイ・エルメロイとライラ・ノートランドの存在の意味だったり。

 それはたとえば今回の件の本当の目的だったり。


(まぁ、だがたしかに“まだ”12歳。あと5年“も”あるとも言える、確かに急ぎすぎた感は否めないが、こっちにも都合が有ったしな)

(結局はお主の都合じゃの……)

(そうだ、だからどうしたクラウシュラ・キシュテイン。俺は俺の目的の為に動いている、そのついでにアルフに教えてやっているだけだ。“そんな事は今更だろう”)

(……)


 返答は無言、黙ってしまったクラウシュラに舌打ちを一つ付く。

 そして窓の外を睨み、呟く。


「別に俺もそれが良いなんて事は思っていないさ。今回の件も、あるいは、そうであれば良いな、という思いが有った事は否定しないからな」


 あるいは引いてくれるかもしれない。

 あるいはもう襲ってこないかもしれない。

 あるいは――。


 ベットから立ち上がり木枠、木窓の傍へと歩く。きぃ、と音を鳴らして僅かに開いていたそれが最大に開かれ、外の生暖かい風が入ってくる。

 風が舞う、風を纏う。


『スオウ、40名程だ。どうする?』


 聞こえてきたのは男の声。アインツヴァルの連絡、分かり切っていた結果であり、そして自分もそれを煽った事は認めよう。

 だがしかし、やはり世界はこんな物だという事だ。


「決まっている、先手必勝、ぶち殺せ」

『了解』


 長い夜が始まる。

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