月の導きと加護の宿命10
Failure is a detour, not a dead-end street.
失敗は遠回りだ、行き止まりではない。
そういえば、他の加護持ちとやらはお前と同様に喋るのか?
ふと湧いた疑問。
この世界に生まれて数週間後に問いかけた言葉。
返答は、否であった。
(加護とされた者は全て自我が壊れておる、故にある程度まともに喋れるのは階層の低い連中くらいだろうて。儂とてまともに残っている訳ではないしのぅ)
どこか寂しげに語ったその言葉、所詮知らぬ相手であれど何処となく悲しげな気持ちになった。
しかし、“壊れながらも兵器として”使われる加護、はたして加護とは誰の為の加護なのか……。
(それは加護の元は人間だと言う事か?)
(……さてな)
(何の為にそんな力を欲したんだ? 理由は? どうやって? いや、それよりお前の存在が俺がここにいる関連性があるんじゃないのか?)
(……いずれわかる)
(出来れば今教えてくれると嬉しいんだがな)
(……)
都合が悪くなると黙るのか、それともまともに残っていない自我という理由がコレなのかは不明だが、変わらず答えてくれない事に辟易する。
殴りつけたい気持ちにもなるが、生憎と自分を殴る様な自虐趣味は持っていない。
――そもそも1歳に満たない乳幼児が自分を殴るなんてシュールすぎる。
何故俺はここにいる、何故この世界に居る、この世界は何だ? 戻れるのか? 戻れないのか?
沸々とわいてくる疑問と不安、何かに縋り付きそうになる不安を必死にこらえて天井を睨む。
そして――
――そう言えば此の時はまだクラウもあまり喋らなかったな。
ぽつり、と、天井から俺を見下ろす“俺”がそう呟いた。
夢だ、そう認識したのはだいぶ前では有るが、流れる様に迫ってくる知識の海の中で漠然とそう思った。
これは恐らく1歳になるかならないかの時、クラウシュラ・キシュテインを認識し、そして質問攻めにしていたときの事。
縋り付く者が居なかった為か、それともあるいは現状の答えを知っているからか、わりと無茶に聞いていた記憶が有る。
そも、20を超えた大の大人がみっともない事をしたく無いという自制心がある程度働いていたからこの形で収まったのかもしれないが、あるいは自分がもう少し若ければ泣き叫んだり、一方的に詰ったりしたのだろうか、とも思う。
ヒトより長く生きるという事は経験が豊富になるという事だ。勿論そうではないヒトも居るのだが故に、また最初からやり直すという事になったのならばそれを最大限に活用するべきであると思う。そこにたどり着くだけの余裕と実行力が有るかどうかは、そのヒトの人間性と精神の成熟性に依るのだが。
しかしまぁ、20も過ぎた男だ、多少見栄を張るのは当然だし、そしてそうあるのが大人なのだろう。
この時はまだ自分がスオウ・フォールスという少年の未来を潰してしまった事に気が付いていなかった。
○
「ごぁっ……」
鈍い音と共に声が上がる。崩れ落ちる仲間の体を視界に納め、その原因が判明したとき。シュバリスは襲撃を受けた事を理解した。
数時間前まで楽しく談笑していた男の首元には矢が生えており、ごぷ、と吹き上がる様に口から出した血と色を失った目からもはや即死に近い事が予想される。
そして同時に隊長であるローエンが叫んだ。
「敵襲! 陣形二の型、左方警戒態勢を取れっ!」
一斉に身を低くして木々の影へと滑り込む様に移動するが、先ほどの一矢が合図だったかの様にまるで雨の様に矢が降る。
「どうなってやがる! 待ち伏せか!」
「斥候! なんで気が付かなかった!」
「魔法障壁を展開しろ! 急げ!」
一気に騒然となる部隊、まさに戦場となったこの空間でシュバリスは剣を抜いてうっそうと茂る木を背に深く息を吐いた。
「どうなってる? クラウシュベルグまではまだちょいあるんじゃねぇのか?」
「さてね、少なくとも結構ヤバい状況みたいよ」
襲撃を受ける瞬間まで傍に居たフィリスが隣で短剣を構えながら話しかける、逃げた先でも上手く合流出来だようだ。
目粉るしく動いていく状況、淡い膜が空間を覆ったのを確認、魔法障壁が完成したのを確認する。
その膜に雨の様に降り注いでいた矢が弾かれるのを確認した所で――轟音が響いた。
ゆらめく火が魔法障壁にそって這い上る様に覆っていく。みしみしとでも聞こえそうな程魔法障壁が歪み、今にも崩壊しそうだ。
「くっ、振動が……。くそったれっ、中級魔法かっ! まさか領主軍か?」
「そりゃ聞いてないよっ、動いてないって報告だったろ!?」
確かにそうだ、確かにその様に報告を受けて、だからこそ急いでここまで来たのだ。なのにも関わらず待ち伏せしていたかの様なこの攻撃は何かおかしい。
矢継ぎ早に打ち込まれる中級魔法、こちらも応戦しているようだが如何せん相手の位置がまだ正確に掴めていない様だ。
ちらり、と隊長であるローエンを確認するがどうやら指示で手一杯の様子、となると……。
くるり、と手をひねり隣にしゃがんでいるフィリスに合図を送る。
「くそったれめ、やっこさんそれなりにヤル見たいだぜ?」
軽口を叩きながら指を立ててそして振る、その合図は突撃。
それを見たフィリスは一瞬顔を顰めるが、僅かの思考の後首を縦に振った。
「死ぬんじゃないよシュバ」
「へっ、言ったろ? 残してる女がいるんでね、簡単には死なネェよ」
そう言って、僅かに収まった攻撃の隙をつき、魔法障壁の外へと駆け出すシュバリス。
赤い髪が風によって舞い上がり、焼け付く空気が彼の肺を浸食するがそれすらも振り切る様に駆け抜ける。
淡く光る身体強化の魔法を施し、まさに疾風の如く剣を構えて切り抜ける。
「おぉっ、あった、りぃぃっ!」
切り抜けた先、そこには鎧に身を包んだ数名の男が居た。驚愕に彩られた顔、慌てて武器を構えようとするが遅い。
「――つぇぁっ」
ぎゃり、と金属同士が鳴らす耳障りな音を鳴らしてシュバリスの持つ剣が相手の首筋へと吸い込まれて鉄製であろう鎧を僅かに凹ませ、相手の首を折る。
余程の達人かあるいは、余程の胆力がなければ首を切り落とす等という真似は早々出来ない。
シュバリスとて一応はプロの傭兵である、状況さえ整えば首を落とす事も可能であろうが、この場では相手が3人、一人目に全力を使う訳にも行かず――
「っらぁっ」
まるで跳ねる様に首筋に叩き付けていた剣を回転させて隣の男へと振り抜く。
今度はザン、と何かを切り裂いた様な音と同時に“手首”が舞う。
敵であろう男が持っていた槍はその場へと落ち、悲鳴を上げて踞るその男を今度は盾にした。
「敵襲――ー!」
怒声とともに槍を構えて突き刺して来たその穂先へ手首を切り落とされた男の背を刺して止めとする。
だがしかし、それでは残念ながら止まらない。僅かに硬直した槍を持った敵の男ではあったが、その槍は背を刺した瞬間手元に引き戻し、そして再度刺突を繰り出す。
ギャリギャリと火花を散らしながらシュバリスはその穂先を剣で逸らして避ける。
「へっ、やるねぇ。そこらの雑兵だとこれで怯んでくれるんだが?」
「黙れ! 我がクラウシュベルグを脅かす賊がっ!」
唾をまき散らしながら怒声を上げる男、怒りの為かさらに刺突の速度は上がる。
賊、確かに自分たちの守護神ともいえるであろう加護持ちを奪いかねない為、そう取られても仕方が無いかもしれない、と考えながらその槍を剣で捌く。
だがそれにしても、確認もしないで行き成り攻撃をして来たというのはどういう事だろうか。
「ちっ、考えてる場合じゃねぇかっ!」
思考に割いている余裕等無い、どうやら相手はそれなりに訓練の積んだ相手。実戦経験で言えば勝るだろうが、油断していい事ではない。
僅かに緩んだ穂先、その隙を逃さず腰に潜ませていたナイフを取り出し、投げつける。
だが、残念ながら相手が身につけていた兜に依ってそれは弾かれる。
「そんな物、きくかぁぁっ!」
怒声とともに横なぎに振るわれる槍、だがそこにはすでにシュバリスは居なかった。
ナイフを投げた事によって生じる一瞬の隙で懐に入るだろうと考えていた男は一瞬硬直する、そしてシュバリスが先ほどの位置よりさらに“遠く”に離れた事に気が付いた。
「臆したかっ――」
それがその男の最後の言葉に鳴った。
ゴゥ、という音と共に火炎の玉が彼の顔へと直撃し、肺を焼いて顔を焼き、ただ言葉にもならぬ悲鳴をあげて絶命する。
「タイマンやってんじゃねぇんだぜ?」
顔が炭化した男に肩を竦めて見下ろすシュバリス。そして彼の横には先ほど共に居たフィリスが居た。
「まずいね、相手相当いるみたいよ。ローエン隊長から撤退の指示、全員で一点突破で抜ける予定よ。南の草原側へ抜けるって」
「おいおい、お〜いっ! 草原なんて見晴らしの良い場所に逃げるなんて何考えてんだローエン隊長さんはよぉ」
「先ほどの中級魔法で火が回りすぎてんのっ。ビックピグが通った道は完全に抑えられてるみたいで後は草原に抜けた後、森沿いに下がる予定っ」
「〜〜! くそったれっ!」
がしがし、と頭を掻いた後しかたがねぇ、と唸り指示された方角へと走るシュバリス。
既に魔法障壁は崩壊しており、敵がなだれ込んで来ている。あちらこちらで怒声が響き、剣の打ち合う音が聞こえ、まさに戦場さながらだ。
周辺で戦っていた味方を回収しながら南へと走るシュバリス。
とはいえ全員助けられる訳ではない、既に死んでいるものは放置し、そして危機的状況に有るものは囮とし、シュバリスは駆けた。
「くそっ、くそっ、くそったれがぁぁぁっ!」
ガギャ、と鈍い音と共に立ちふさがった敵を切り捨てながらシュバリスは走る。
周囲は既に火の海で、血の匂いと焼けこげた肉の匂いが鼻へと届く。
嗅ぎ慣れた匂いでは有るが、かといって好きな匂いという訳でもない。特に今回は仲間が大量に死んでいるのだ。
シュバリスはぎちぎちと剣を持つ柄を握りしめて憤怒を力に剣を振るう。
「シュバ! あと少しっ!」
後ろからかかる声、どうやら目的である草原付近まで着た様だ。
周りを走る仲間も僅かに安堵した様な顔が見える、およそ10人と言った所か、一気に減ったもんだと思いながら駆け抜け、そして草原へと抜けだした。
だが――
「遅かったな」
――そこは既に死地だった。
低いバリトンボイス。地面に剣を刺し、こちらを射抜く様に見るローエン隊長が視界に入る。
威風堂々、こんな状況にも関わらず立つその男はまさに隊長に相応しい風格を持っていた、しかし……。
「おいおい、ローエン隊長、なんだよそりゃぁ?」
わなわなと震える口で、震える指でローエンを指さすシュバリス。
数十メートル先に立つその男、だがその男は一人ではなく、その後ろには弓を構えた“領主軍”が居た。
「た、隊長……?」
隣に立つフィリスも動揺して声が震えている。
しかし、それに対する答えは、キリキリと絞られていく弓の弦。
思考が加速していく、どうする、と。間違いなく罠、それも隊長、ローエンがかけた罠。
裏にどんな事情や理由があるかは知った事ではない、アイツは俺達を裏切った、フィリスや他の仲間はまだ信じ切れていない様だが現状は間違いなくソレだ。
傭兵が敵対同士になるのは良く有る話だが、仲間を裏切るのは今後の仕事を考えると絶対にやっては行けない事の一つだ。故に……。
「皆殺し、かよ」
ぽつり、と呟いたその言葉。びくりと震えるフィリスを横目にローエンを睨む。
僅かにこちらを見たローエン、だがその目には何も映っていない。まるで道ばたに転がるゴミを見るかの様な目、そしてローエンの腕が振り下ろされた。
○
「がぁっ、ぁっぁっ、ぁっ……」
ギシギシと揺れる馬車、その中には裸に剥かれ、そして腕には矢尻、そして太ももには大きな火傷の有る女が泡を吹きながらオロソルの息子であるクロイスに抱かれていた。
碌な治癒もされず乱暴され、もはや意識も朦朧としている女性、それは数時間前にシュバリスと馬鹿話をしていた一人であった。
「くくく、なかなかいいのが手に入ったなぁ、おい! あぁ、大丈夫君たちもあとで遊んであげるからよぉ」
くつくつと笑いながら馬車の隅で縛られ、殺さんばかりに睨む女達へと笑いかけるクロイス。
そして一通り楽しんだあと、クロイスはふと思いついた様に一人の女の髪を掴み引きずって外へと放り投げた。
何も着せられず裸のまま外へと放り投げられた女は、最初この場所へ来る時に散々遊ばれていた女性だ。
もはや抵抗する気力も無く、投げ出されたままよろよろと立ち上がる。着るものも何も着ずに裸のまま放り出された為か、周りに居た警護の兵が僅かにざわめくが、結局の所所詮布切れ一枚の馬車、中で何をやっているか等わかっている。周りに居た兵士は見なかった事にして自分の仕事へと戻る。
「今からがんばって逃げろや」
くつくつと笑いながらぼう、と見上げる女へと指さして言い放つクロイス。
何を意味しているのか理解出来ず女は困惑な表情を浮かべ、そしてどうせろくな事じゃないだろうと顔を歪ませる。
そしてその予想は正しかった。
「人間狩りって楽しいんだよねぇ」
ぞ、と顔色を変えてわなわなと震えだす女性。
さすがにそれは、と見かねた御者の男がクロイスを止める。
「クロイス様、まだ戦闘は終了していません。お戯れは程々にして頂けませんでしょうか」
「はぁ? なに、まだ終わってないのかよ、さっきまとまった所を一斉攻撃したって言ってただろうが」
「は、はぁ。それが実は二人程まだ逃走しておりまして。現在森狩り中でございます」
「ふぅん……、あぁ、じゃあいい事を思いついた、おいお前、その二人見つけてこい。そしたら自由にしてやるよ、“妹”も含めてなぁ」
その言葉にびくり、と震える女。おずおずと顔を上げクロイスの真意を読み取ろうと顔を見る。
その顔は初めて感情のこもった顔だった、クロイスから命じられ回りに立っていた兵が持っていた剣を彼女へと渡す。
その兵士は苦渋の顔をしていたのだが、この場で逆らう訳にも行かずただ粛々と自身の仕事を全うする。
だが、最後の良心だろうか、剣を渡した兵は流石に我慢が出来なかったのか、ギリ、と唇を噛み締め“クロイス”へと進言してしまった。
「クロイス様、なにとぞ、なにとぞご容赦を! この燃え盛る森の中ではこのままでは間違いなく死んでしまいます。お考え直しいただけませっ――」
「うるさいよお前」
「がふっ……」
ドン、と片膝を突き、頭を下げて進言していた男の頭に剣の柄が突き刺さる。
進言をする為兜を脱いでいたため、目から火花が散る様な痛みを感じながら兵士はその場に踞る。
周りに居た兵は僅かに顔をしかめただけで誰も彼を助けようとしない、これが現状だからだ。
それだけで興味を無くしたのか、剣だけ持って震えている女にさっさと行け、と睨みつけ、そしてまた馬車の中へと戻っていった。
後にはただギリギリ、と地面を掴み、憤怒を堪える兵士が一人と、そして悲愴な顔で森の中へと駆けていく女性が居た。
○
クラウシュベルグ フォールス邸 スオウ自室
(――スオウ)
がたん、と音がした。クラウの声にぴくり、と体が僅かに動くが目は閉じたままでゆっくりと枕の下に隠してる短刀へと手が伸びる。
全く以てやってられない話である。まさか自分がこんな状況に体が慣れるとは思っていなかったが、朱に交われば赤くなる。変わらない方が異常なのかもしれない。
息づかいとぽたぽたと何かがしたたる音。そしてこの匂いは……。
「――っ」
バン、と体の上にかかっていた布団が宙を舞い、音がしていた方向から反対側へと飛ぶ。
同時に短剣を構えて即時に身体強化、ゆらりと目を細め、そして敵を見る。
(クラウ)
(3人じゃな、しかし二人の魔素消費が激しい、おそらく手負いじゃぞ)
(手負い? やはり血の匂いか、まぁいい)
クラウに確認を取る。
同時に突然動き出した子供に泡を食ったか、慌てて剣を構えて対象を探す男らしき人物へと標的を定める。
「ぐっ、寝てたんじゃネェのかっ。恨みはねぇがっ……! ちっと寝ててもら――っ」
ガキン、と剣と短剣がぶつかり合う。
目を瞑っていたため暗闇に慣れた目、滑る様に対象へと近づき短剣を振るう。不法侵入者に遠慮はいらない、流石に問答無用で殺そうとは思わないが、相当な傷を与えるつもりで振り抜いたのだが止められた。やはりただの強盗ではなさそうだ。
「ぐっ、ぬぉっ」
ギャリ、と剣がズレて、暗闇の中赤い髪が僅かに視界に入る。
体格差を利用してか、淡く光る身体強化魔法、押し返される短剣。しかし遅い、詠唱を終えた魔法、ソレを相手の顔面めがけて放つ。
――Un éclat de lumière
それはただの照明代わりの光魔法。しかし出力をあげ、それを暗闇に慣れた目の前で発動したらどうなるか。
「がぁっ――」
一瞬で明るくなる部屋、そしてそれを利用して状況を把握し、目の前の男を組み伏せる。
腕に絡まる様に掴み、そして地面へと叩き付けて関節を決める。何度も何度も練習して来た技の一つ、自身もその明かりのせいで若干目がぼやけるが、覚悟していたため相手程ではないだろう。
「動くな」
流れる様に短剣を首筋に添えて言い放った。
「ぐぅ、っ、が……」
「はぁ……、はぁ……、シュバッ……」
焼けた皮膚の匂い、そして血の匂い、組み伏せた男とそしてシュバと、おそらくこの組み伏せている男の名を呼ぶ女性は血まみれ。特に女性は片腕が無く、酷い有様だった。
そしておそらく男性が抱えていたと思われるもう一人の女性は裸で意識を失っているのかぐったりとしている。
(物取り、ではなさそうじゃの。面倒事かのぅ)
(……面倒な)
眉を顰めるスオウ、どうしたものか、と考えた所で腕の無い女性が声を上げた。
「はぁっ、はぁっ、頼む、見逃してくれよ……。何もするつもりは無いんだ、ただ見なかった事にして数十分で構わないから匿ってくれれば、それでいいんだよ」
ぽたぽたと肩口から滴る血をもう片方の腕で抑えながら必死に喋る女性。痛みだけで意識を失いそうな物だが余程根性が座っているのか、青ざめた顔でこちらを見て訴える。
自分の体の下で僅かに動く気配を感じて、手に持つ短刀に力を入れる。
「ぐっ……」
「動くな、と言った。万全で有れば振りほどく事も可能かもしれないが、今のその状態では無理だろう。今から俺は剣を君から離す、だが絶対に動くな、少しでも動けばそこの片腕の女を殺す」
「……っ」
その声にびくりと震える女、そしてぴたり、と動かなくなった赤髪の男を視界に納め、ゆっくりと剣を首から離す。
傷だらけで駆け込んで来た時点でこちらの命を狙っている可能性は限りなく低い、むしろゼロと言っても良いだろう。
とはいえ完全に信用するのはソレはソレで問題だ、警戒を緩めず片腕の女へと話しかける。
「貴方の名は……?」
「あ……、いや、知らない方が良いさ、余計な事に巻き込まれるよ坊や」
「既に十分に巻き込まれている、名を名乗らないなら適当に呼ぶぞ、ポチとかコロとか」
「う、ぐっ……。フィ、フィリスだよ……」
明らかにペットに付ける様な名前だろう、と思わず突っ込みそうになったが生憎と腕の痛みで意識が朦朧としている為余計な体力は使いたく無かったフィリスは不承不承と言った所で名を名乗る。
得体の知れない子供、行き成り手負いとはいえシュバリスを組み伏せて、こちらへの警戒を忘れない、それだけでもわかる子供には不相応な技と度胸。
一瞬彼が目標であった加護持ち、かとも思ったが、外見が聞いていたのと違う為混乱の中にフィリスは居た。
「そうか、ではフィリス腕を見せてくれ。治癒魔法を使える」
「う、あ……」
フィリスは朦朧とする意識の中、抑えていた腕、その上からやんわりと少年が手を添えて治癒魔法をかけられていれているのを感じた。
その様子をシュバリスは横目で見てどうやら害を与えなければ問題はないと判断したのか、そのまま大人しく床に伏せている。
「血が足りないだろう横になっていろ。おい、赤髪のアンタ、もう起きても良い、ただし妙な真似をするなよ。彼女を俺のベットに寝かせるのを手伝ってくれ」
「あ、あぁ」
「だ、だめだ。君に迷惑が……」
「だったら最初から俺の部屋に侵入しないでほしかったな」
朦朧としているだろう状況でこちらの心配をしている女性、フィリスにため息を吐いてスオウは先ほどまで寝ていたベットに赤髪の男と共にフィリスを担ぎそして寝かせる。
シーツやら、枕やら血まみれになってしまい、さらには鎧に付いていた泥で泥まみれと酷い状況だが、まぁ仕方が無い。
「アンタは怪我は?」
「あ、あぁ。俺はたいした事ねぇ……。てかこんな治癒魔法、宮廷にでも行かない限り……。お前何もんだ……」
「怪我人を無償で治癒して騒ぎも起こさない子供相手に君は何かを求めるのか?」
「……ぐっ……」
如何考えてもまともな子供じゃねぇ、とシュバリスは内心で毒づく。
さもあらん、一般常識が有るかどうかはともかくとして、誰が見ても今のスオウはまともな“子供”では無い。
「しばらく治癒魔法をかけておく必要が有るな。それとアンタ、そこの裸の女性に適当に何かかけてやってくれ。そこの扉をあけると換えのシーツがある、あとで誰かに服を持ってこさせる」
そう言って、立ち尽くす赤髪の男に指示を出す。
思い出したかの様にその男は小走りに扉へと近づき、中から白いシーツをだして女性にかけていく。
「さて、と……」
「坊や……、巻き込まれる……よ」
「既に巻き込まれてる、良いからさっさと目を閉じて全身の魔素の回復に努めてくれ。流石にここまでして死なれたら目覚めが悪い」
そうして傷口に当てている手とは別の手をフィリスの目の上に翳し強制的に目を閉じさせる。
僅か数秒後、彼女は意識を失った様だ。余程張りつめていたのだろう。
「お、おい、フィリスッ」
「五月蝿い、意識を失っただけだ。危険な状態には変わらないが、まぁ朝まで治癒魔法をかけてあと水分を取って……。病人食も用意しないといけないな。あぁ服を脱がせて清潔にしないと駄目か、裂傷も多いし破傷風になっても困る」
今日は徹夜だな、と内心でため息をついて意識を失ったフィリスを見る。
「だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫だ、俺の睡眠時間は全然大丈夫じゃないが。アンタは然程怪我を負っていないんだったな? 状況を説明してもらうぞ」
睡眠時間を削られたためか、自分の言動に刺が有る事に今更ながらに気が付いたスオウ。
とはいえ舐められるのも問題であろうし、このまま行くかと赤髪の男に問いかけた。
僅かに逡巡、そして口を開こうとした所でスオウの部屋の扉が叩かれた。
「スオウ様? どうされましたか?」
良く通る声、ルナの声だ。
一瞬で身構える赤髪の男を手で遮り、扉の前にいるルナに返事を返す。
「少々厄介事だ。悪いが騒ぎを起こさない事を前提で部屋に入ってくれ、お願いしたい事が有る」
ふぅ、とため息をついて指示を出した後、未だ身構えている赤髪の男に無抵抗を示すよう手を上に挙げて部屋の隅へと行く様に指示。
同時に部屋へとルナが入って来た。
「……スオウ様? ご説明を」
部屋に入った瞬間眉を顰め、そして身構えるルナ。
敵意が無い事は見てわかったのだろう、僅かの間の後直ぐにベットサイドで治癒魔法をかけているスオウへと問いかける。
「俺が聞きたいくらいだ……、とりあえず敵意は無いがおそらく大事にするとまずい、他の使用人には内密で換えの清潔な布、あと体を拭く為のお湯と秘薬をいくつか用意してくれ」
「……奥様と旦那様にはお知らせする義務が有ります」
「却下だ、知らせる事が最善とは限らないだろう? 二人とも寝てるし明日の朝俺が直接説明する。それまでは俺も起きてるし彼らには何もさせない」
「……承服しかねます」
「ルナ、頼む」
僅かに流れる沈黙、目が据わったな、と人事の様に思いながらスオウはルナに再度お願いをした。
皺の寄った眉に手を添え、盛大にため息をついたルナは不承不承と言った感じで何も返事を返さず部屋から出て行く。それを承諾したと認識したスオウは引き続き治癒魔法へと集中する。数刻後、お願いした物を持参したルナが不満げな顔で部屋に入って来て思わず苦笑を浮かべたスオウだった。
○
彼はシュバリス、と名乗った。
中央都市ヴァンデルファールを拠点とした傭兵団の一員だったようだが、どうやら今回アルフロッドに対する接触を試みて、領主軍に叩き潰されたらしい。
しかし、情報が漏れていたと思われる状況、そして再度隊長であったローエンの裏切りとしか思えない行動と、完全に踊らされていた様だ。
「くそっ、意味がわかんねぇっ……。なんで、なんで俺らを裏切ったんだっ」
「……」
一通りの説明を終えた後、ギリギリと拳を握りしめ、虚空を睨むシュバリスを横目にスオウは思考に陥っていた。
(馬鹿な、アルフロッドへの接触は有ると思ったが、それを殲滅するだと……?)
(カリヴァに連絡したのが仇となったかの? カリヴァの傭兵とぶつかった訳ではないじゃろうな)
(ソレは無いだろう、聞く限りでは間違いなく領主軍だ。しかしなぜ……、誰が動かしたかわからないがそれを殺す意味がわからん。もしやるにしても大々的にやれば良い、町の人間に内密でやるメリットが無い)
(裏取引か? 一傭兵相手にあの領主がかの?)
(それをやるにしてもリスクが大きすぎるだろう。裏切りなんて傭兵ギルドにしてみれば死活問題だ、バレればそのローエンとか言う男国内どころか世界中で居場所が無くなるぞ)
(となると殲滅、かの。この2人、いや3人かの? 間違いなく命が狙われる可能性が高いのぅ、案の定厄介事じゃな)
傭兵は金の対価として戦力を提供する。しかし、その戦力が信用出来ない物となった場合その価値は一気に下がる事になる。
全ての傭兵の価値が下がる訳ではないが、少なくとも傭兵ギルトの信頼問題には発展するであろうし、そのローエンとかいう男はもはや傭兵ギルドに居場所は無いだろう。
となるとソレに匹敵する対価、あるいは証拠を隠滅出来る自信があったという事だ。
前者であればともかく、後者の場合匿うと面倒事が起きる可能性が高い。
(追い出すのかの?)
(……さて、な。状況次第だ)
冷酷に告げるクラウに返事をするスオウ。
スオウとて正義の味方を気取るつもりは無い、とはいえ傷だらけで明らかに嵌められたであろう二人をこのまま追い出すのは性に合わなかった。
(それに……、あの裸の女)
(乱暴された形跡がある、のぅ。だがこのシュバリスとか言う男は違いそうじゃがの)
ルナへとお願いしたもう一人の女性は別室で寝かせている。一応簡易的に拘束済みではあるが。
聞いた話を信用するならば、燃え盛る森の中、剣を持ってほぼ半裸の状態で襲ってきたそうだ。だが所詮素人、僅か1合で無力化し、気絶させたそうだ。
羽織っていた物はおそらく死体から引き剥がしたものであろうとシュバリスは予想していたが、どうやら片腕に掴んで逃げる際に取れてしまったとの事。
そのまま放置していても良かったが、何となく連れて来たと言っていた。
自身も究極的な危機的状態だというのに酔狂な事だと告げたら、俺はイイ女は殺さねぇのさ、と嘯いていた。とりあえずどういう性格かは掴めた気がしなくも無い。
そして手当をしていたルナからの報告で、相当な乱暴を受けた形跡が有ると言っていた。子供であるスオウに報告する内容では無い気もするのだが、その当りルナも相当スオウに毒されている気がしなくも無い。
意識を失っていたためルナが奇麗に拭いたそうだが、思わず目を覆う程との事、それが原因でシュバリスと一触即発にもなったのだがそれは置いておこう。
「とりあえずお前達はこの部屋から出るな、何があってもだ。さっきも言ったが間違いなくお前らを殺しにくるだろう、生きていたら不都合だろうからな」
「そいつぁありがてぇけどよ、大丈夫なのか? こういっちゃ何だが間違いなく巻き込むぜ」
「何度目かわからないが、もう一度言おう。既に巻き込まれている」
それに、こちらにも都合が有るしな、と内心で呟く。
(問題は、追跡部隊が急に引いた理由だな)
(カリヴァからアルフロッドの報告はまだ来ていないと言っておったの)
(……朝一で報告を考えている、というのは甘い考えか?)
(ここまで面倒事が転がり込んで来ておる、最悪の状況を予想して事に当たると常々言っておったのは誰じゃったかの?)
ちっ、と内心で舌打ちをして顔を顰める。
「シュバリス、間違いなく追っ手は急に撤退したんだな?」
「あ、あぁ。囲まれてもう無理だと思った所で遠くで轟音が鳴ってな、援軍か、あるいは救助かとも思ったが隊長が、いやローエンの野郎が裏切った以上その可能性も低い。確認しないで走り抜けて、そしてクラウシュベルグの町中に忍び込んで、ってわけだ」
「……」
どこか釈然としない所を感じながらスオウは頷く、交戦があったのが早朝前3時過ぎ、ここまでくるのに足手まといを二人担いで2時間、あり得ない時間ではない。“警備兵”が居なければ……。
そして、アルフロッドが行方不明になったのが先日の夕方、近くの森に行っていたとして、あいつの聴力だ交戦が有れば聞こえないとは思えない。
「轟音……、くそっ、まさかそれが狙いじゃないだろうな……!」
「お、おいどうした?」
ギリ、と奥歯を噛み締めて虚空を睨む。
「シュバリス、悪いが俺は少し出る、彼女の治癒も殆ど終わっている。あとはルナが来たら適当に説明をしておいてくれ」
「お、おい、ちょっとま――」
バン、と窓を開け放ち、そこからヒラリと外へと飛び出すスオウ。
一瞬で強化される体、若干寝不足の気はあるものの、いつもの早朝訓練が少し早くなった程度である。
ぐっ、と地面を踏みしめ、そしてスオウはメディチの元へと駆け出した。




