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練習中に水を飲むな!!

作者: 藤田大腸
掲載日:2025/08/28

 俺は県内のとある高校の野球部に推薦入学した。古くから野球強豪校として知られている高校だが、練習設備は真新しいし、上下関係はあるものの下級生に対する理不尽なイビリは無い。監督は厳しいけれど公平だ。つまり、とてもやりやすい環境だった。唯一、あのオッサンを除いては。


 そのオッサンと望んでもいない出会いを果たしたのは入学間もない頃だった。小休止の時間、グラウンドの端の方で水分補給していたら、


「こらああっ!! 練習中に水を飲むな!!」


 ギョッとしたが、声がした方向は金網の向こう側からだった。


 白髪混じりでフケまみれのボサボサ頭、長いヒゲ、ボロボロの衣服。風に乗ってきて俺の鼻をつくどぎつい体臭。もう見た目からしてそういう人だとわかった。


「練習中にっ!! 水をっ!! 飲むなっ!!」


 オッサンが俺を指さして、甲高い声で同じことを叫んだ。もう気味が悪くて仕方なかったが、二年生の先輩がやってきて「こっち来い」と、俺をバックネット裏まで引っ張った。


「水を飲むなら外から見えないところで飲め。あいつに見られると面倒だから」

「誰なんスか、あのオッサン?」

「知らん。半年ぐらい前から急に現れて、時々練習をのぞきにくるんだ。だけど休憩中に水飲んでたら、ああやってブチ切れやがるんだよ」


 さらにあのオッサンには「昭和ジジイ」というあだ名がある、と先輩が教えてくれた。昭和の時代、部活の練習中は水を飲んではいけないというのが「常識」だったそうで、昭和の古き悪しき指導者みたいなことを抜かすから「昭和ジジイ」と名前がつけられたそうだ。二十一世紀生まれからしてみると全く信じられない「非常識」がはびこっていたんだなと呆れるしか無かったが、昭和ジジイというあだ名も大概だなと思った。昭和生まれの人が可哀想だ。


 とにかく、それからは先輩の言われた通り外から見えないところで水を飲むようにした。昭和ジジイは毎日のように顔を出してきて練習を見ていた。観察していると時たま頷いたり、腕くんで頭をひねったりしているが、その態度は本当に高校野球の指導者みたいだった。


 ブルペンで投げているときが問題だった。ブルペンは屋内と屋外の二種類あるが、下級生は屋外を使うことになっている。この屋外ブルペンはグラウンドの外から丸見えで、昭和ジジイが覗き込んでくることがあった。視界に否応無しに入ってくる昭和ジジイはバットを構えるふりをしてタイミングを図ったり、「腕をもっと振れ」と言いたいのか、右腕を振り下ろす動作を何度もしていた。まったく目障りだった。


 そして、とうとう俺の怒りが爆発した。


 それは六月半ばの日曜日のことだった。野球部はレギュラー中心のAチームと控え中心のBチームに分かれ、Aチームは学校のグラウンドで練習試合、Bチームは隣町まで遠征に行くことになったが、俺は幸運にもAチーム入りできた。しかも監督から直々に「どこかで投げてもらうからな」と言われた。好投できれば夏の大会予選で背番号を貰えるかもしれない。俄然、やる気が出てきた。


 試合はエースの先輩が試合を作り、打線も好調で五回まで七対〇と圧倒的に有利な展開を迎えた。ここで監督がコーチを通じて俺に「肩を作れ」と命じた。点差が開いているから、一年生に経験を積ませるにはもってこいの場面だ。


 ブルペンで投球練習を始めたが、先輩捕手がミットを構えた場所にドンピシャでボールが吸い込まれていく。野球をやり始めてから今までに無いぐらいの調子の良さだった。


 しかしこの日の気温はそれほどではなかったものの、梅雨の時期とあって湿度が高くムシっととしていた。それほど多い球数を投げてないのに汗がブワッと出てくるほどに。


「ジメジメしてうっとうしいなあ……」


 ブツブツと天気に文句言ってたら、先輩捕手が立ち上がって駆け寄り「こまめに水飲んどけよ」と声をかけてくれた。俺は投球練習を一時中断して、あらかじめ脇に置いてあったクーラーボックスの中からミニペットボトル入りのスポーツドリンクを取り出した。


 一口飲むとほのかな甘みと、喉を通る爽やかな冷たさがたまらなかった。


「こらああっ!!」


 突然グラウンド外から響いてきた怒声に、俺はむせた。


 こんなときに、昭和ジジイが出てきやがったのだ。


「練習中にっ!! 水をっ!! 飲むなあああっ!!」


 昭和ジジイが金網を掴んで揺らす。どぎつい体臭が鼻をつく。不愉快な天気も相まって、今まで溜め込んでいた怒りが一気に吹き出した。


「うるせえ!! 失せろっ!!」


 先輩が「やめろ!」と叫んだが時すでに遅し。俺はボールを昭和ジジイに向けて投げつけた。ガシャーン、と金網が揺れた。ジジイが「ひょわあ」と変な声を出して仰向けに倒れ込むのが見えた。


「ばっ、バカヤロウッ! なんてことしやがる……!」


 先輩は顔面蒼白になり、金網越しに下を覗いた。


「あれ……?」

「先輩?」


 俺も一緒に下を覗き込んだが、そこに昭和ジジイはいなかった。どぎつい体臭の残り香もない。


「……逃げたんだろう。とにかく、予選前なんだ。面倒事を起こすなよ」

「すんませんでした」

「ベンチ行ってマネージャーから塩タブ貰ってこい。袋ごと」

「塩タブ袋ごとっスか? わかりました」


 俺は復唱して、言われた通りにした、野球部では塩分補給用の塩タブレットを常備している。てっきり先輩が食べるのかなと思っていたが、先輩は塩タブレットを数個ひとつまみすると、金網の向こう側に落とした。


「何してんスか……?」

「清めの塩がわりだ。もう二度と来んじゃねえぞ、ってな」


 先輩も心底ウンザリしていたに違いなかった。このときばかりは少しスッキリしたが、乱れた精神が簡単に直るわけではなかった。その後監督に登板を命じられたものの、ブルペンでの調子の良さはどこへやら。一回七失点と大炎上してしまい、せっかくの大量リードがパーに。試合後は監督やコーチからきつい叱責を受け、当然レギュラー争いからは脱落。予選はスタンドから応援することになった。


 あのジジイのせいで……と恨んでいたが、先輩の清めの塩タブが本当に効いてしまったのか、昭和ジジイは姿を現すことはなかった。予選を順調に勝ち進んで、甲子園出場を決めても。


 *


 レギュラー組の練習手伝いと応援という形ではあるが、甲子園という高校球児憧れの地にたどり着いた俺はもう嬉しくてしょうがなかった。


 神戸市にある高校のグラウンドを借りて練習していたときだった。俺は打撃投手としてレギュラー陣に投げ続けたが、最高気温38℃のトチ狂った炎天下での練習だったから汗ビショビショになりながらの投球を続けた。もちろん、こまめな水分補給は欠かさない。


 いったんベンチに下がって何度目かの水分補給をしていたときだった。監督が神妙な面持ちで電話に出ているのを見た。強豪校の監督ともなるとメディアの記者から電話取材を受けることがあるが、練習中に電話を受ける姿は見たことはない。


 電話の理由は合宿所のホテルに戻ったときに知れた。各自割り振られた部屋に入った途端、マネージャーから監督指示が伝えられた。直ちに食堂に集まれと。何か粗相したのかな、と俺たち一年生はささやきあっていたが、食堂に行くと監督が待ち構えていた。昼間にベンチで俺が見たときと全く同じ表情で。


「学校から連絡があったが、明日発売される週刊誌に我が野球部のことが記事になるそうだ。良くない形でな」


 開口一番、そう告げてきた。動揺が広がるが、監督は「落ち着け。あくまでも悪い、じゃなくて良くない、だ。出場に差し障りはない」となだめた。


「今、どこかの高校野球部が大きな不祥事をやらかして世間を賑わせているだろう。そのとばっちりがこっちにもやってきた。実は我が野球部もお前たちが生まれる前、俺ですらまだ小さかったときにどデカい不祥事をやらかしてな。その件をほじくり返してきやがった」

「不祥事?」

「そうだ。良い機会だから、お前たちや俺への戒めも含めて、過去に何が起きたか話しておこう」


 ちょうど四十五年前、昭和後期の頃。当時の我が校は低迷期で予選でも一回戦負けするほどで、学校側はチーム再建のために三十歳の青年教師を監督に据えた。この人物は我が校のOBで、かつて全国大会優勝に導いた投手でもあった。大学で肩を壊していなければプロ入りもあり得たかもしれない逸材であり、チーム再建は若い力にに託された。


 しかしその指導はすさまじかった。日が昇る前から朝練、放課後から夜遅くまで猛練習という内容で、休みは元旦の一日だけ。部員たちは軍隊の方がマシだと言われるほどの厳しい生活を送らされていた。


「特に、練習中に水を飲むのは徹底的に禁止されていた」


 監督のその言葉にギョッとした。あの昭和ジジイを思い出したからだ。


「それである日、今日みたいにかなり暑かった日なんだが、隠れて水を飲んだ部員がいた。その部員は見せしめとして他の部員の前で監督にしこたま殴られた。バットでな。それが原因で亡くなってしまったんだ」


 げえっ、とか、ええっ、という声が周りからする。


「当然、警察沙汰になって監督は逮捕された。あの時代にシゴキによる怪我は当たり前で、ときどき死亡事故も起きてたが、この件はとりわけ悪質とみなされて監督は殺人罪で起訴された。長い間刑務所に入っていて、出所後はいろんな仕事を転々としていたらしいが……まあこれは関係ない話だな。とにかく、そういう痛ましい事件があったんだ。二度と犯してはいけない過ちだ」


 全く知らなかった。水分補給が当たり前にできる今の時代に生まれて本当に良かった。俺だけじゃなく、周りも同じことを言っていた。


 その翌朝、朝食前のこと。週刊誌を手に入れた同期が俺たちに見せびらかしにきた。某高校の大きな不祥事の記事が載っているが、その後ろのページに俺たちの高校の過去についての記事があった。


『◯◯高校野球部員撲殺事件犯人の元監督が亡くなっていた』


 不祥事をほじくり返すというよりは、訃報記事みたいな見出しだった。縦書きの見出しの横には元監督の顔写真が載っている。


 しかしこの顔……何か……


「ああっ!!」


 俺は気づいてしまった。


「どうしたんだ急に?」

「誰か、ペン持ってこい!」


 同期の一人が怪訝な顔をして、俺にサインペンを渡してきた。


 俺は実は絵がそこそこ得意な方で、教科書に載っている偉人の顔に大掛かりな落書きをして、先生にそれを見られたところ逆に褒められたことがある(呆れ果てていただけかもしれないが)。その特技をこんな形で活かすことになるとは。


 元監督の口周りとアゴにヒゲを書き込み、顔の左右にボサボサっとした髪の毛を書き足す。顔にシワを書き入れる。


 するとどうだろう、なんとあの昭和ジジイそのものの顔になったのだ。自分で描いておきながらびっくりするほどに。


 場が凍りついた。あのジジイの監督みたいな態度、水飲むな発言が繋がってしまったのだ。


「お、おい……もっとやべえこと書いてあるぞ……」


 記事の本文を読む。不祥事の内容は監督が先日言った通りである。


 問題は元監督が死亡した件だ。元監督は職場を転々とし、最終的にホームレスになってしまった。東京の方にいたらしいが、亡くなったのは昨年十月のこと。


『半年ぐらい前から急に現れて、時々練習をのぞきにくるんだ』


 昭和ジジイと最初に出会って、先輩からそう言われたときから半年遡ると……十月だ。


 冷や汗を流しながらさらに記事読み進めていくと、死亡当時は身寄りが無く、遺骨はホームレスを支援しているNPO法人が引き取ったとのことだった。最初、NPO法人も元監督と知らなかったが、元監督を知っている被支援者から正体を教えられ、遺族を探し続けていた。その結果、幸いにも母方の親族が見つかって、遺骨を引き取ってもらえたという。


 それが六月半ばのこと。つまり、昭和ジジイが最後に顔を見せた頃だった。


 最初は恐ろしかったが、だんだん悲しくなってきた。教え子を死なせたのは論外中の論外とはいえ、野球部に対する思い入れは人一倍強かったのかもしれない。


 朝食の時間になり、監督の挨拶の後「いただきます」の号令がかかると、俺たちは誰に言われたわけでもないが、同時にコップの水を飲み干した。

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