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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
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第十七話 一撃のわだつみ

 後藤艦長は、「わだつみ」からの電文を見て眉をひそめた。

「草薙さんは、一体何をするつもりだ?」

 電文の内容は、音響機雷を使った三角測量で、敵空母と「わだつみ」の位置を知らせてほしい、という依頼だった。しかも、三秒間隔でだ。

「二隻いるのだから、わざわざ音響機雷で探針音を撃たなくてもいいはずなのに……」

 片平副長が答えた。

「あちらの聴音器に問題でも起きたのでは」

 艦長はかぶりを振った。

「それならそう伝えるだろう。……まさか」

 パイプを口から離して続ける。

「空母に体当たりなんてことは……」


 草薙は右舷魚雷発射管室で指示を出していた。

「よし、有るったけの燃料と酸素ボンベを運び出せ」

 発射管室の魚雷は空だが、酸素魚雷用の予備の燃料の缶と酸素ボンベが置かれてあった。艦長の指示でそれらが運び出される。左舷の発射管室でも、副長の海野が同じ作業を指示しているはずだった。

 運び出されたものは、一旦、艦の中央部に集められ、左右の船殻の間にある人員昇降ブイの耐圧殻に運び込まれた。ボンベは床に並べ、口金には紐が結わかれた。その上から燃料油を注ぐ。揮発性の臭いが耐圧殻内に満ちた。

「全部運び入れたな。よし、紐を引け。ゆっくりな」

 艦長の指示でボンベから酸素ガスが放たれる音がすると、慎重に水密扉が閉じられた。副長は額の冷や汗を拭う。

 発令所に戻ると、草薙は下令した。

「人員昇降ブイ、五十メートル上げろ」

 復唱し操作員が釦を押す。甲板の中央部分が観音開きになり、電動機で繰り出された係留索の分、人員昇降ブイが上昇していく。やがて五十メートルに達し、ブイは海中で停止した。

「格納扉、閉じろ」

 観音開きが閉じていくが、扉にブイの係留索が挟まった。操作員が告げる。

「扉、締まりきりません」

「構わん、そのまま釦を押し続けろ」

 次に、戦術盤を振り返り、操舵手に命じる。

「深度マルロクマル、方位マルロクマル、最大速度」

 上げた人員昇降ブイを曳航したまま、「わだつみ」は凄まじい速度で敵空母の先頭にめがけ突進をはじめた。ブイの係留索の水切り音が、異様な唸りをあげる。


 シーゴーストの異変に、スプルーアンスは訝しんだ。

「一体、これは何だ?」

 ソナー手に渡されたレシーバーからは、今までに聞いたことのない唸りが聞こえた。その音の主は、猛スピードで海中を突進している。その音もそうだが、何よりその速度だった。

「間違いないのか? 三十ノットだと?」

 計算尺を手にした戦術盤担当員は頷いた。

 あり得ない速度だった。ドイツが開発中だった最新型Uボートですら、十数ノットだという。その倍近いと言うことになる。

 その向かう先は。

「空母イントレピッドか!」

 通信手に向けて叫ぶ。

「回避だ! 回避を命じろ! 平文で良い!」

 暗号化せず、平文の電文が送信された。すぐにイントピレッドは転舵し、進路が変わった。しかし、間を置かずシーゴーストも進路を変えて追随する。

「なぜだ? あんな速度ではソナーも聞こえないだろうに」

 誰にと言うわけでなく呟く。

「アクティブ・ソナーの音がしているようですが」

 スプルーアンスに代わってレシーバーを耳に当てながら、ソレンセンが答える。さっきからソナーの探針音がする。ソナー手によると、方角は全く別だった。

 振り返って戦術盤を見ると、シーゴーストはイントピレッドの左舷前方から斜めに交差することになりそうだった。

 思わず、艦長の口から洩れる。

「まさか、体当たり?」


 機関室から艦内通話。

「艦長、炉心温度、九百度です。これ以上は危険です!」

 草薙は言い返した。

「大丈夫だ。『くしなだ』はそれでも耐えた」

 I端末で「くろしお」からの情報を読み取った操作員が告げる。

「目標まであと半海里……五百メートル……四百、三百」

 艦長が艦内通話を全体に切り替え叫ぶ。

「全員、衝撃に備えろ!」

 自分も、潜望鏡の柱にしがみついた、その瞬間。敵空母の下を「わだつみ」は斜めに擦り抜け、互いの速度の合計の五十ノット、時速九十キロ以上で、曳航していた昇降ブイが空母の船底に衝突した。

 ガン、ともの凄い衝撃で、全員の体が前方に投げ出された。昇降ブイの係留索は根元から引き千切られ、ブイの耐圧殻は空母の船底を抉り、竜骨をへし折り、艦内にめり込んだところで、内部に充満した燃料と酸素の混合気体に引火、激しい爆発を引き起こした。


「イントピレッド、轟沈!」

 見張り員の叫びに、スプルーアンスは愕然とした。振り返ると、爆発の炎に照らされて、またしても空母が二つにへし折られていた。ソナー手に向かって叫ぶ。

「シーゴーストは?」

「そのまま直進しています」

 体当たりではない。では、一体どんな新兵器なのだ? 続いて、戦術盤の担当員を振り返る。

「敵の速度は?」

 直近の位置を比較し、取り出した計算尺を操作して答える。

「三十ノットを超える模様」

 化け物だ。改めて、シーゴーストの異常性を思い知らされるスプルーアンスだった。


 「わだつみ」の発令所は、艦体各所からの異常を示す警告灯で、満艦飾さながらだった。

 海野副長が報告した。

「衝撃で何カ所か浸水がありましたが、航行には問題がないと言えます。昇降ブイの観音扉も、挟まっていた係留索を切り離したので、今は完全に締まってます。速度を巡航速度まで落としたので、両舷の原子炉も定格温度に下がり、機関長の寿命を縮み上がらせるだけで済みました」

 草薙艦長は、椅子にぐったりともたれて聞いていたが、一言つぶやいた。

「腹減ったな」


「人員昇降ブイか。あんなものをぶつけるとは」

 「くろしお」の発令所で、後藤艦長は呆れた表情で呟く。

「『わだつみ』と空母の針路が交差した時は、流石に血の気が引きましたよ」

 片平副長の物言いに、艦長は「君は普段から蒼いだろう」と言いそうになったが、やめておいた。

 戦術盤を眺める。結局、残り三隻の空母はパナマ湾を脱してしまった。艦長は慨嘆した。

「またパナマの窓が開いてしまったか」

 完全に開き切らなかったとしても。


 予告通り、「おやしお」は八日でパナマ湾に到着した。発令所では、艦長の鈴木業平が、長旅の疲れなど微塵も感じさせない溌剌とした声で言った。

「さて、例の新機能を存分に使って、ヤンキーどもをきりきり舞いさせてやるかな」

 日本人にしては背が高く、肉体を鍛えるのが趣味とあって筋骨隆々な鈴木艦長。

 副長の佐藤秀実は、対照的に痩身で眼鏡であった。胃のあたりを抑えながらぼやく。

「しかし、無停止の全力航行は勘弁願いたいですな。わたしゃ、いつ原子炉が逝かれるか心配で」

 からからと笑い、艦長は副長の背中をバン、と掌で叩いた。

「『くしなだ』だって原子炉の容器自体は壊れなかったろうが。ましてや、こっちは新型だ」

 むせて咳き込んだ副長だが、ようやく息を整えると言った。

「だいたい、あの機能を使う相手が、まだ到着していませんよ」

 副長の言葉に、艦長は目を丸くした。

「そうなのか?」

「はい。なにせ、うちらはかっ飛ばしてきましたからね。あと三日かかります」

 再び鈴木艦長は、からからと笑う。

「なら、自力でやれば良いだけだな。今までと変わらん」

 通信手が報告した。

「『わだつみ』『くろしお』が帰投すると伝えてきました」

 艦長が答える。

「おう、お帰りいただけ。ご苦労様とな」

 パシッと右拳を左掌に打ち付けると、続けた。

「では、しばらくハッタリかまさせてもらうか!」

 大胆にして緻密な「おやしお」の活躍が再開された。


 果てしなく広がる青い海原。見渡す限りに島も船もなく、ひたすらうねる波が続くだけ。そこを、一条の細く短い白い筋が、東へと進んでいた。

 白い筋の先端には、海中から突き出る三本の筒があった。先頭の二本は細く尖っており、後ろの筒は太く、先端が二つに枝分かれし海面に向いて曲がっている。

 海面下、三本の筒の先には海中を疾走する潜水艦があった。筒はその司令塔から伸ばされている潜望鏡と電探、シュノーケルである。司令塔にはほかに突起物はなく、細身の艦体も滑らかで、艦首だけは船の形だが全体的に流線型となっていた。

 伊二〇一型、了の世界では大戦末期に完成した水中速度重視の潜水艦であった。

 開戦前、海底軍艦「わだつみ」の性能に驚愕した帝国海軍は、従来の海大型と呼ばれる潜水艦が陳腐化すると判断した。その時点で開発が始まった、最新型である。

 開戦後、危惧した通り、パナマ封鎖の任に当たっていた旧式の伊号潜水艦は、米軍の新型駆逐艦の前になすすべもなくなった。それにより、二〇一型の開発が急がれたのだった。ここにもI資料の知見が活かされ、了の世界のものより洗練されたものに仕上がっている。

 司令塔内部の発令所は、当然ながら非常に狭い。その中では、艦長の井田光正少佐が潜望鏡に取り付いて海上を眺めていた。

「なーんにもなし。青空と雲と波」

 ぐるりと一回転し、接眼鏡から顔を放すとハンドルを畳む。潜望鏡はスルスルと床の穴に収納された。

 通話機のマイクを取ると、電探手につないだ。

「何か反応は?」

「全くありません」

 目的地のパナマでは、連日激戦が繰り返されていると言う。しかし、未だ太平洋の制空権と制海権は日本が握っており、平穏そのものだった。

「これなら、浮上して陽の光の下を航走したいものだなぁ」

 ぼやく艦長を副長がたしなめる。

「仕方がないですよ。大至急、パナマに向かえと言う命令なんですから」

 水中速力を重視したあまり、浮上航行するより潜ったままの方が速いと言う、従来の潜水艦の常識を覆してしまっている。いわば通常動力の海底軍艦、それが伊二〇一であった。

 艦長はさらにぼやく。

「しかし、ハワイに寄港した時、急に取り付けられたあの装備は何なのだろうな」

 何度か口にした疑問だ。副長が答える。

「あの魔法の箱ですな」

「それに、艦首の妙な装備だ」

 真新しい最愛の艦に、正体の知れないものを設置されるのは癪に障る。

「魔法の箱は便利じゃないですか。潜航中も水面にマストを出さなくても本部と通信できるし、なにより天測しなくていい」

 魔法の箱、即ちI端末である。連合艦隊旗艦の大和以外では、初めて搭載されたことになる。

「ああ、天測は面倒だからな」

 潜水艦に限らず、洋上の艦船は全て、自分の位置を正確に知るには、六分儀を使って月や星の位置を観測して算出するしかない。しかし、I端末は了の世界と時空を超えて繋がっており、その位置はミリ単位の精度で把握されている。そのため、海面下だろうが地の底だろうが問題ないのだ。

「なにより、緯度経度で秒単位なんて見たことも聞いたこともありませんよ」

 副長の言う秒とは、角度の一度を三千六百等分したものだ。一度の六十分の一が分、そのさらに六十分の一が秒。

 艦長は呆れ顔だ。

「距離で言えば、一秒って三十メートルだからな」

 了の世界で言えば、GPS並みの精度だと言うことになる。

 ハワイを出港して十二日後。

 平穏無事な海面下の航海だが、パナマ湾に近づくとそうもいかない。シュノーケルと電探のマストを降ろして、電池を節約するため4ノットで海中を巡航しだした時だった。

 通信手が報告。

「魔法の箱から入電。早く来い、です」

 随分ぶしつけだな、と艦長は思った。

「電池が持たん、と返せ」

 二〇一型の水中最高速度は十九ノットを誇るが、それでは一時間もせずに電池が上がってしまう。敵の駆逐艦が取り巻く中でシュノーケルで充電するのは自殺行為だ。

「返信、充電してやるから来い、です」

 艦長はため息をついた。ハワイでこの魔法の箱を設置していった男。背の高い民間人が言っていた。この箱からの指示には従ってくれと。なぜか海軍の命令書を持ち、そこには連合艦隊司令長官の署名があった。

「わけが分らんが、とにかく行くか。両舷全速」

 伊二〇一は全速力でパナマ湾に突入した。

 やがて、そろそろ電池が上がるという頃。

「深度マルサンマルで停止しろ、と言ってます」

「よし、深度マルサンマル、両舷停止」

 艦長の指示も、やや投げやりな感じになる。

 艦が停止してしばらくすると、聴音手が声を上げた。

「七時の方向に感あり。機関音?」

「なんだ? はっきりしないのか?」

 艦長の問いに、聴音手は答えた。

「聞いたことのない音紋です……本艦のすぐ真下で停止しました」

 ふん、と艦長は鼻を鳴らした。

「では、そいつが魔法の箱の相手か」

 やがて、艦首の方で金属が当たるような音がした。例の謎の装備である。と、艦内の照明が急に明るくなった。

「こちら機関室」

 艦内通話だ。艦長が答える。

「どうした?」

「急に蓄電池が充電され始めました」

 これが、魔法の箱の言っていたことか。

 そこへ通信手。

「魔法の箱より、一緒に楽しもうぜ『おやしお』」

 がくん、と鈍い衝撃があった。

「何だ?」

 艦長の問いに、操舵手が答えた。

「艦が動いてます。速度、十ノット……十五……二十ノットを超えました!」

 何やら、とんでもないものに巻き込まれたようだ。そう確信した井田艦長であった。


 昭和十八年六月。

 ハルゼーの機動艦隊は三隻のエセックス級空母を受領し、戦力を完全に回復した。さらに、ポートモレスビーの陸軍航空基地が完成。ニューギニア島北側の日本基地ラエとの間で、激しい航空戦が始まる。

 一方、傷ついた「くしなだ」はようやく空いた横浜の船渠で、修復と大改修を受けることになった。

 船渠が空いたのは、一隻の空母が完成し、就役したためである。

 空母の名は武蔵。大和型戦艦の二番艦として建造を開始し、戦局の変化から画期的な装甲空母として生まれ変わった艦であった。

 これにより、戦いは新たな局面を迎えた。


次回 第十八話 「第六の船渠」

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