第十九話 三人の旅立ち
連合艦隊がトラック泊地に帰還したのは、ポートモレスビー砲撃から四日後だった。ここから肇は、一足先に空路で内地へ戻るよう、了に要請された。
(仁科博士の研究がどれだけ進んだか、確認したいのだ)
例の、原爆材料となるプルトニウムの製造だ。
「空の旅、ですか……」
零式水偵での飛行を思い出し、肇はげんなりとした。
(大型の飛行艇だから、乗り心地は悪くないはずだが)
「そうでしょうか」
乗り心地の問題ではなさそうなのだが。その夜、肇は一睡もできなかった。
翌朝、肇は内火艇で大和を後にした。見送りに来たのは宇垣纒参謀長だった。
「色々、お世話になりました」
頭を下げる肇に、宇垣は言った。
「こちらこそ。ようやく、参謀長らしい仕事が出来ました」
そこで肇は、夜間砲撃の時に山本についていたのが、宇垣一人だと言う事に気づいた。
「そういえば、山本長官とは……」
宇垣はかすかに笑った。表情を見たのは初めてだった。
「加賀が大破したあの夜、長官が私の部屋に見えられまして。色々、話しました」
「それは良かったですね」
沈没は免れたものの、帝国海軍がこうむった初めての大損害だ。敵艦を何隻葬ろうとも、死んでいった将兵は戻らないが、それがきっかけで宇垣と山本の不仲が解消されたのなら、手向けとなるのかもしれない。今まで冷遇されていたことへの恨みなど、宇垣には無いようだった。表情に乏しいのも、単に不器用なだけなのではないか。そんな気がした。
逆に、黒島参謀の影が薄くなったような気がする。帰路の戦果報告と反省の会議でも、ほとんど発言がなかった。
既に、日本の勢力圏は極大化していると言える。黒島の奇才は攻めの時にこそ重要で、守りに入れば正攻法に転ずるべきだった。戦略的な変化がそうさせているのかもしれない。
そんなことを考えている間に、内火艇は飛行艇の発着港に着いた。ちなみに、内地へ向かう飛行艇は海軍に徴発されたため、内装こそ旅客機だったが、添乗員いわゆる「エアガアール」は居なかった。
さらに、肇は空の旅の間ずっと座席で爆睡していたので、特に描写できるものがない。
内地に戻ると、肇は自宅に戻る前に日立町の原子炉零号機を訪ねた。いつものように、「有毒」の髑髏印の扉の前で了に体を貸す。そして了が扉を開けると、仁科博士が出迎えた。
「ようこそ、石動さん」
「仁科博士、進捗はいかがですか?」
仁科は微笑んで、机の引き出しからアルミの弁当箱のような金属の箱を取り出した。蓋を開けると油紙の包が入っている。手渡されると、ずっしりと重い。
「これは……まさか」
「はい、プルトニウムです。ようやく、これだけできました」
震える手で、油紙を解く。出てきたのは、銀白色の金属塊だ。ほんのりと暖かいのは、放射能を帯びている証拠だ。マッチ箱の半分程度だが五百グラムはありそうだ。しかし、原爆一発を作るには足りない。この八倍は必要だった。
「ほぼ純度は百%ですが、ここの零号機で作れる量は限界があります。増産するためにはもっと大型の炉が必要なので、建設に取り掛かったところです」
仁科の説明に、了は頷いた。プルトニウム塊を返すと、仁科は油紙で包みなおし、アルミの箱に戻した。
「下手に金庫などに入れて中性子がこもってしまうと、核反応を起こしたら面倒ですからね。アルファ線やベータ線ならこの程度で十分遮蔽できますし」
無造作なようで、実際には考えあっての扱いだった。
「いつごろ稼働できそうですか? その大型炉は」
了の問いに、壁の暦を見て仁科は答えた。
「例の新型耐熱合金の生産が追い付かないので、それの調達を待つと年末になりそうです。精錬工場も規模の拡張がそれくらいになります。そこからは月に一キロ強のプルトニウムが製造出来るはずです」
耐熱合金は、新型海底軍艦の原子炉用が優先されていた。そちらも遅らせるわけには行かない。
年末までに、この零号機で合計一キロのプルトニウムが得られるはずだ。そこから月一キロとなると、来年の春には最初の原爆が作れるはずだ。そこから四か月ごとに一発分。再来年の春には、この計画で必要な数の原爆が全て完成することになる。
この世界で最初の、そして最後にすべき原爆だった。
一九四二年八月。
ハルゼーは苦りきっていた。空母を一隻失い、手塩にかけた航空隊がほぼ壊滅となったのだから当然だが、それ以上にジワジワと染み込んでくる不愉快なことがあった。
「これもJM。こっちもJM。なんで補給品がどれもこれもJM社製ばかりなんだ?」
大西洋から喜望峰、南インド洋、オーストラリア南側と渡って送り込まれてくる装備や補給物資が、ほとんどJM社製になっているのだ。レーダーや武器弾薬はもちろん、戦闘服や軍靴までとは恐れ入る。さすがに航空機や艦船と言った大物はまだだが、それすらも時間の問題なのかもしれなかった。
そんなハルゼーの前で、こちらも顔をしかめている青年がいた。
「仕方ないだろ、父さん。デュポンが買収されちまったんだから」
ウィリアム・ハルゼー三世、息子である。
学生時代はボクシング部で活躍し、父と同じ海軍将校を目指したが、視力が弱くアナポリスを断念。プリンストン大学卒業後、化学工業のデュポン社に努めるが、今やJM社の物になってしまった。その後海軍予備士官となり、開戦でようやく中尉として補給部隊に配属となったと思ったら、運ぶものはどれもJM社製。何をやってもJM社がついてくる。
「しかし、物資は届いたが、空母も飛行機も航空隊もまだだ。これではまともに戦えん」
父親の愚痴を、息子はいなした。
「どれも来春になれば届くんじゃないかな」
半年以上先だ。
「それでは遅すぎる!」
久しぶりに聞く父親の怒鳴り声に、息子は肩をすくめると退出した。
パナマ運河の出口が日本による狩場となって以来、アメリカ大陸の東西を結ぶには大西洋を南下する二本の航路しかなくなってしまった。このうち西回りで南米南端を通る航路は、南極大陸との間のドレーク海峡が年間を通して荒れるため、あまり使われない。ここ、オーストラリア東岸までなら、どちらで来ても三日ほどしか変わらないので、もっぱら東回りでアフリカ南端の喜望峰を越え、一か月半かけて送ることになる。一万五千海里の長旅だ。油槽艦を伴って給油を繰り返し、やっとたどり着く距離だった。
既にアメリカ東海岸の造船所では、新型空母の建造が進んでいる。航空機も工場をフル稼働で、パイロットの訓練も進んでいる。
そしてもう一つ。アメリカは、日本が保有する新型戦艦が四十六センチの主砲を持つことの確証を得た。ポートモレスビー夜間砲撃での不発弾で判明したのだ。そこで、この日本の戦艦に対抗できるアイオワ級の建造が急がれた。これも、来年の明けに就役予定である。
しかし、これらの新造艦船も一万五千海里は航続距離の限界だった。途中で機関が故障などすれば目も当てられない。事実上、パナマ運河を通る以外に太平洋へ出ることはできなかった。
ハルゼー三世は呟いた。
「時間さえかければ、日本を潰すことは確実なのに。相変わらず父さんはせっかちだな」
この戦争が終ったらどうするか考える。退役してJM社に入社するのも悪くないかもしれない。
そのJM社は、今やアメリカの極秘国家プロジェクトにも踏み込んでいた。
芹沢はニューヨークの本社で、その分厚い報告書を読みふけっていた。
シカゴ大学の冶金工学研究所という名目で始まったこのプロジェクトだが、既にルーズベルト大統領から正式に認可を受け、原爆製造計画として動き出している。
シカゴ・パイル炉と呼ばれる初歩的な原子炉の設計は既に完成し、1号炉の建設場所も決まっている。シカゴ大学のスタッグ・フィールドというフットボール競技場、その地下にあるスカッシュ・コートだ。黒鉛とウランのブロックを交互に積み上げ、核反応の臨界を起こす。この原子炉で臨界状態の制御が出来たら、これを原型とした原子炉を建設し、原爆に使うプルトニウムの製造を始めることになっている。
しかしアメリカの凄いところは、これ以外にも何種類もの原爆材料製造方式を検討し、並行して研究を進めている点だ。大別すると、ウラン235を高濃度まで濃縮する方式と、ウランに核反応を起こさせてプルトニウムを生み出す方式に分かれる。そのどれにもJM社は参加し、不可欠なメンバーとなっている。
そうなると、重要になるのは手駒となる研究者だった。芹沢の知識や経験は電子工学が主であり、核物理学は専門外だった。この分野に詳しい人間を計画に送り込み、主導権を握る必要がある。既に全米の研究者をリストアップし、適した人材を探させていた。
優秀で、しかも野心にあふれた研究者。それが狙い目だった。リストが数名にまで絞り込まれれば、芹沢自身で面接するつもりだった。
インターホンが鳴る。ジョージの声が告げた。
「ボス、奥様がいらっしゃってます」
芹沢は時計を見た。定時までまだ一時間ある。
「しばらく待つように言ってくれ」
ジョージが懇願する。
「あの、すぐにお会いしたいとのことで……」
原子炉より先に、こちらの方が臨界状態に達したようだ。
「いいだろう、通してくれ」
読み終わった書類をシュレッダーに放り込む。オリジナルはマイクロフィルムに収めてあるので、読み返したければそれで済むのだ。
そこへ芹沢の妻、アビーが入ってきた。
「最愛のはずの妻が、虜囚の身から解放されて半年も放置とは、一体どういうことなの?」
執務室の中央で腕を組み仁王立ちとなる。芹沢はにこやかに立ち上がった。
「アビー、君との親密な時間を作るためにも、こうした様々な計画が……」
「いいの」
アビーはぴしゃりと言った。
「世界なんてどうなろうといいの。あなたは私を一番大事にすべきなのよ」
芹沢は妻を抱きしめた。
「そうでないはずがないだろう、ハニー。そのためにも」
窓の外、夕日の朱に染むマンハッタンを見つめる。
「こんな戦争はさっさと終わらせたいのさ」
その一言だけには偽りはなかった。
学校が夏休みに入ると、肇は光代に言った。
「旅行に行こうか」
光代はもちろん、大喜びだった。
「すてきすてき! どこへ行くの?」
「まずはマニラだな」
肇の答えに、光代は小首を傾げた。
「どこだっけ?」
肇に地図帳を渡され、索引から探す。
「あった! えーと、フィリピンのルソン島?」
頷く肇。光代にとっては、初めての海外だ。しかも、夏休みの間中、あちこち見て回るのだという。もう夢中だった。
「あっ」
光代は声を上げた。そして、肇に向かって何か言おうとするが、もじもじとためらっている。
「どうした?」
父親に言うのは、どうにも恥ずかしい気がしたが、光代は思い切って言った。
「シュウちゃん、連れてってもいい?」
村雨修か、と肇は声に出さず呟いた。自分が留守の間、村雨家に光代を預けていた以上、こうなることも予想すべきだった。
「村雨さんが許してくれたらね」
そう言って、その場は回避した肇だったが。
「どうか、息子をよろしくお願いします」
村雨恭二に平身低頭されると、もはや断るわけには行かなくなってしまった。
「父にも言われております。子供たちに強い日本を見せてやってくれと」
奥方のエニにまで頭を下げられてしまった。
この秋、日本の勢力下で植民地から脱した各国の代表が集まる、大東亜会議が企画されている。肇としては、この大東亜会議の前に現地を見ておきたかったのと、出張が続いて碌に光代との団欒が持てなかったことが、この旅の目的だった。親子水入らずのはずが、おまけ付となってしまった。
末のミドリも一緒に行きたいと駄々をこねたが、母親のエニにたしなめられた。
肇としては船の旅にしたかったが、学校が始まる前に帰るには空路で行くしかなかった。今回は陸上機なのだが……空を飛ぶのは気が重い。
出発の前夜、自宅の蚊帳を吊った寝床で、肇は了との定時連絡を行なった。
隣では光代が寝息を立てている。旅行の夢でも見ているだろうか。
「今日、山本長官から手紙が届いて、加賀の修復と改修のことが書かれていました」
(珊瑚海での痛手、比較的早く埋められそうで何よりだな)
了が言う通り、空母加賀の改装は順調に進んでいた。I資料に基づく発想も加わり、以前よりも高性能の空母として生まれ変わる可能性も生じた。
最大の変更は、大和で成功した球状艦首の採用だ。艦首の喫水線下に球状のふくらみを設け、これによる波が造波抵抗を打ち消す仕組みである。加賀は戦艦からの改装空母なので、どうしても速度は不足しがちだった。今回の珊瑚海戦では、むしろ戦艦である大和の三十ノットに随伴するため、かなりの無理を機関部に課していた。これが改善されるのなら、素晴らしいことだ。
「そうなると、南雲艦隊の旗艦を赤城から移してもよさそうですね」
赤城の方も少なくない問題を抱えており、何度も改修の話が出ては予算や工期の問題で立ち消えになっている。
(例の、鹵獲戦艦からの改装空母が完成すれば、赤城の改修も本格的にできそうだな)
こちらはハワイから回航され横浜の船渠で工事が進んでいる。旧式戦艦三隻の艦橋や砲塔を撤去し、機関部を最新式に換装した上で、格納庫と飛行甲板を設置する作業だ。撤去した砲塔はハワイなど島嶼の固定砲台に再利用される。
「ハワイと言えば、面白いことが起きてますよ」
肇は語った。ハワイ攻略時、真珠湾には米海軍の軍人の半数近くがおり、ほぼ全員が捕虜となった。その後、給金を払う契約で鹵獲戦艦の改修作業に雇用した結果、本国に戻ることを拒否する者が増えているのだ。これは、特に黒人など有色人種の兵士に多い。日本の占領下では人種差別がないため、本国より実入りの良い生活ができるらしい。
同様に、ハワイの先住民や日系人にも日本の統治は好評で、さらに意外だったのは、白人の兵士にもハワイに残ることを希望する者が出てきたことだ。現地で恋人が出来て結ばれるカップルが現れたのが大きいらしい。
この常夏の島は多民族共生のひな形となりつつあった。
(東南アジアも同じような状況のようだな)
了が指摘した。
まさしく、それをこの目で見て来ようと思うのだった。
(実況レポートをよろしく頼むよ)
翌日、肇と光代、そして修が乗った大日本航空機DC―3は、羽田空港を飛び立った。
登場人物紹介
実在する人物には【実在】としています。
ウィリアム・ハルゼー三世
【実在】補給部隊士官。階級は中尉。
ハルゼー提督の長男。
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