(7)
翌日の昼休み、例のベンチに先にたどり着いたのはめずらしくジェレミーのほうだった。
ベンチに座って買ってきた茶に口をつける。
背もたれに身体を預けて空を見上げるように反り返ると、温室の玻璃越しに伸びた枝が見えた。
「あー、こんなトコにも生えてる」
白っぽい灰褐色の幹から拡がるように伸びた枝。
魔法で暖められた温室の玻璃近くにあるからか、他の枝よりも一足先に芽吹きを迎えた色鮮やかな新芽が見える。
わずかに芽吹いた葉の間にはまだ固い小さな蕾らしきものが見えて、今年もその季節が近いのだと知る。
「もうしばらくしたら、かな…」
ジェレミーが独りごちた時、微かな足音が聞こえた。
身体を起こして見ると、潅木の間を抜けてスフィアーネがやってくるところだった。
出会った時から変わらない。
彼女の優しい性格がそのまま表されたような、柔らかい茶色の髪と、澄んだ空色の瞳。
(そこに映るのは、俺のはずだったのにな)
昨日偶然出会った彼女の今の恋人だという男は、騎士であるジェレミーとは全く異なる個性の持ち主だった。
「お待たせ、で、話って?」
ベンチに座るジェレミーのところに着いてすぐ、スフィアーネが尋ねた。
出会った時から変わらないように見えるのに、ジェレミーの知らない時間を積み重ねて大人になった彼女。
これからも、ジェレミーがいない場所でスフィアーネの人生は広がりを見せていくんだろう。
(潮時、だよな……)
ふ、と薄く笑んでジェレミーは立ち上がった。
「王都に呼び戻されたよ」
ジェレミーがそう告げた。
軽いというか、何かを吹っ切ったような口調だった。
告げられた方のスフィアーネは、ひとつふたつと瞬いて、目の前の男を見上げて問い返す。
「……今、なんて……?」
「王都に、戻ることになったんだ」
「どう、して?
指南役は三カ月の予定じゃなかったの?」
「その予定だったんだけど。魔獣の定期討伐も近いし、こっちの騎士たちが予想以上に早く剣の練度が上がったのもあって、呼び戻されたんだ。
だから、来週から、向こうに戻る」
「来週……?」
「ああ。
何回かは往復することになるかも知れないし、引越しとかは、誰か人に任すしかないかな。
まあもともと期間限定でこっちに来てたから、たいして荷物は持って来てないし……」
「そう、なんだ」
ジェレミーがこちらに戻ってきたのは限られた期間だけで、いずれは居なくなる。
スフィアーネは再会してからずっと、何度もそのことを自分に言い聞かせてきた。
この男がここに居るのは今だけで、それ以降、自分たちは再び別々の場所でそれぞれの人生に戻るのだ、と。
「また、私は置いていかれるのね……」
「は?……何言ってんだよ」
スフィアーネが呟くように言った言葉に、ジェレミーの眉間に皺が寄った。
視線を逸らして苦笑を漏らしながら言葉を投げ返す。
「六年半前、王都に置いて行かれたのは……捨てられたのは俺の方だろう?」
「……え?」
「子爵家を継ぐことになったから別れようって、君が言ったんじゃないか」
少しだけ責めるような言い方になってしまったと後悔したジェレミーが、逸らしていた視線を戻す。
いつもなら『そんないい方しなくてもいいじゃない』とかなんとか言い返してくるはずの強気な彼女がどうして今日は無言のままなのかと見遣れば、見開いた水色の双眸がジェレミーを映したまま震えていた。
でもすぐに泳ぐように視線を彷徨わせ、俯いてしまう。
「スフィアーネ……?」
「そうだった、わね……。
ごめん、なさい、あの時は、私の家の事情で、突然に……」
「フィー、俺は……」
言いようのない不安に駆られ呼び止めようと伸ばした彼の手は、するりと立ち上がって一歩距離をとった彼女に、ギリギリのところで届かなかった。
空を切った手を再び伸ばそうとするジェレミーに、スフィアーネはふわりと微笑んで膝を折り、貴族令嬢のお手本のような礼をした。
「王都への復帰、おめでとうございます、ノーツ卿。
第三師団での更なるご活躍をお祈りしております」
それだけ告げるとまだ呼び止めようとするジェレミーを振り切るように、スフィアーネはくるりと背を向け足早にその場を離れた。
その日の午後、剣指南役ジェレミー・ノーツの予定よりひと月早い派遣期間終了と、特別任務による王都への一時帰還が辺境騎士団詰所の関係部署へと伝達された。




