(6)
それからしばらくはジェレミーとは直接顔を合わせることもないまま過ぎた。
ジェレミーは騎士団員に剣術指南をするために、主に練武場にいる。
一方のスフィーネの業務は騎士団の物品管理、発注、配分、それにまつわる書類仕事で、基本的に部署内から出ることがあまりない。
顔を合わせる可能性があるとすれば出退勤時か昼食時なのだが、最近は何かと忙しく、早く出勤し昼休みを遅れて取った挙句残業して帰る、という生活だったため出くわすことがなかった。
一度だけ、副団長室に書類を届ける道すがら、練武場にいるジェレミーを遠くから見たことがあった。
力任せに切りかかる入団間もない若い騎士に、脚さばき、剣筋などを指導しているようだった。
学院時代に友人と一緒に騎士科の訓練を見に行ったことがあったのを思い出し懐かしさがこみ上げるのを、ため息とともに受け流した。
こんなふうに彼と特に関わることもないまま、残りの日々も静かに過ごすことになるのだろう。
練武場から目を逸らして副団長室へと向かいながら、スフィアーネはそんな風に思っていた。
そうしているうちにまた月が変わり、少しだけ春が近づいてきているのが感じられるようになった。
スフィアーネは久しぶりに、あの場所で昼休みを過ごすことにした。
昼日中に外に出てみると、思っていたよりも日差しを感じる。長い冬が終わりに近づいているのだと思えばいつものベンチまでの道のりですら深呼吸したくなるような気分になった。
先取りされないうちにと急いで食堂から出たところで、危うく人にぶつかりそうになった。
「すみませ……あ」
「…………よぅ」
訓練用の軽量鎧を着たジェレミーだった。練武場から戻ってきたところだったようだ。
「なんか、久しぶりだな。またあのベンチ、行くのか?」
「今日はゆっくり昼食の時間が取れそうだから。……貴方は来ないでよ?」
スフィアーネのやんわりとした拒絶に、ジェレミーは表情を翳らせた。
以前とは違う、不可侵のラインが互いの間にあることを念押ししてしまったようでスフィアーネもどこかバツが悪かった。
じゃあね、とスフィアーネが立ち去ろうとしたとき、ジェレミーが彼女を呼び止めた。
「スフィアーネ、あのさ……」
「……なに?」
「話、あるんだけど、今日の夜とか、時間もらえないかな」
「今、ここでは話せないことなの?」
「あー……ちょっと、ね。できれば────」
「えぇー、なになに? 告白? サプライズで帰ってきたトコにまさかの浮気現場遭遇?」
ジェレミーの言葉に被るようにして後ろからかかった声に、二人同時に振り返った。
「っウォーレン!」
「……ウォーレン?」
「やっほー、久しぶり~」
立っていたのは茶に近い金髪を後ろで一つにまとめた狐目の男。
ジェレミーが一体誰だろうと身構える一方で、スフィアーネがその男に近づき話しかけていった。
「貴方、こちらに戻るのは夕刻って言ってなかった?」
「違うよー。
お昼前にはこっちに戻って領都の店で仕事してたんだ。
こっちには着いてるけど会えるのは夜になってからって連絡してたでしょ?」
「そう、だっけ?」
「ひどいなぁ、もー。
で? そちらはどなたなのかな?」
「あ……こちらは、ジェレミー・ノーツ卿。
王都から派遣されてきた剣指南役で……王立学院の先輩でもあるの」
「……ジェレミー・ノーツです」
「どうも、はじめましてー。
愛しの彼女に久しぶりに出会えたかと思ったら浮気現場を目撃してしまったかもしれなくて動揺してる、ウォーレン・リッティ、二十四歳独身です」
「……バカ」
笑っているようで、笑っていない目だ。
目の前に立っているウォーレンという男に対してジェレミーが受けた印象はそれだった。
ジェレミーは差し出しされた彼の手を躊躇いを表に出さないようにしながら握り返した。
(たしか、商会で働いてるって、言ってたか)
表面上にこやかに笑った顔には剣呑さなど微塵も見せてはいないのに、妙に鋭さを含んだ視線に居心地の悪さを感じた。
「あれれ?
もしかして……学院の先輩の”ジェレミー”さんていったら、アレでしょ?
スフィアーネちゃんが、ずーっと忘れられずにいる人じゃないの?」
「……え……?」
「ウォーレンっ!」
アレ呼ばわりされた苛立ちもあったが、それも吹き飛ぶくらい、ジェレミーはウォーレンが口にした『忘れられずにいる』という言葉に驚いた。しかし、スフィアーネが即座にそれを否定した。
「ジェレミー、ウォーレンはこの手の冗談を他愛無いご愛嬌だと勘違いしてるヤツだから気にしなくていいわ。
ウォーレンも初対面の人相手にくだらないこと言わないの」
大きな男二人の間に立った小柄なスフィアーネがそう諭し、溜息を一つ落とす。
「貴方、騎士団詰所に商用で来たんでしょ?
油を売ってる場合ではないんじゃない?」
「そうだ、昼イチに団長さんのとこに納品の御挨拶に行かなきゃだった。
じゃあね、スフィアーネちゃん。夜にいつもの店で。
上手いこと浮気を誤魔化せる言い訳考えとくんだよ~」
「浮気じゃないから言い訳は必要ないわ。とっとと行きなさい」
やれやれといった様子でウォーレンを見送って、スフィアーネはまた溜息をついた。
やましいことはないが、けっして有難いとはいえない邂逅だった。
隣のジェレミーは、眉間に皺を寄せながらまだウォーレンの去っていった方を見ていた。
横顔からでは表情というか、何を考えているのかまではちゃんとはわからない。
とはいえ、正面から顔を見たところで、以前は解り易いと思っていた元恋人の感情が今のスフィアーネに読み取れるかといえば、それもよくわからない。
再会から何度も感じてきた。
会わなくなってから、時間は確実に経っているということ。
そして、これも何度目かわからない戒めのような言葉を繰り返した。
再会からすでに二カ月が経っていた。
あとひと月もすれば、彼はまた、スフィアーネの前からいなくなってしまうのだ。
「今のが、例の恋人か?」
スフィアーネの方を見ないままで、ジェレミーは問いかけた。
「一応ね。
あのひとの言ったこと、気にしなくていいからね?」
「ああ……」
「それから、今夜だけど……」
言いにくそうに口ごもったスフィアーネに、ジェレミーがようやく目線を合わせた。
ちゃんと目を見て話したのはいつ以来だったろうかとスフィアーネは思う。
「彼と約束、あるんだろ?」
「ごめん。話はまた今度、でいいかな?」
「いや……わざわざ夜に時間とってもらうまでもないかも。
明日、天気が良かったら昼休みに例のベンチで、ってのはどうだ?」
「それで、貴方がいいのなら」
「じゃあ、明日」
「うん……じゃあ、明日」
正面から顔を見てもやはり何を考えているのかは読み取れなかったな、と思いながら、スフィアーネは足早に去っていくジェレミーの後ろ姿を見送った。




