(3)
「三カ月、だけ……?」
思わず訊き返してしまってからハッとなり、スフィアーネは無意識に手で口元を覆った。
そんな彼女の様子に気付いていないのか、ジェレミーはさも何でもないことのように会話を続ける。
「そんな長くは第三師団を離れてられないから。
それにこっち来る前言われたんだ。ずっと休みなしだったから、少しだけ前線を離れて羽を伸ばして来いって。で、三カ月経ったら王都に呼び戻してくれるってさ」
「……戻ったら昇進する、というわけ?」
「さあな。
せっかく地元に戻るんだから、ついでに嫁も見つけてこいって。
ま、これは冗談だろうけど。
羽伸ばすっていっても指南役だってれっきとした仕事だし」
薬草茶を啜りながらジェレミーが笑う。その横顔が先ほどまでよりもっと他人になったような気がした。
(今さら……私ったら、何を勘違いしてたのかしら)
再会したことで時間が学院時代とつながったような、また毎日彼に会える日々が戻ったような、そんな錯覚を起こしてしまっていたことに気づく。互いにまだ結婚していない身だと知ったのも変な勘違いを起こした原因かもしれない。
けれど、二人が別れてからもう六年半だ。それだけの時間は確実に流れていて、ジェレミーとスフィアーネはそれぞれが別々の現在へと辿り着いている。
スフィアーネは北方の辺境騎士団勤務。
一方彼の居場所は華やかな王都で、国防の主力の王立騎士団第三師団所属。
たまたま今は一つベンチに並んで座っているけれど、またすぐにそれぞれの場所で別の未来へと進むことになるのだ。
「ノーツ卿」
「…………なんだよ、あらたまって」
「騎士団詰所で呼び捨てにしてしまわないように、練習よ」
「今は俺達ふたりだけだろう?」
「普段からちゃんと呼ぶ癖をつけないと、うっかりということもあるでしょ。
貴方も気をつけてよね」
「わかりましたよ、ミアノス嬢」
「………………」
「……今度はなんだよ?」
「自分で言っといてなんだけど………貴方にそんな呼び方されると、気色が悪いわね」
「酷くない!?」
こんな風に半分喧嘩のようなじゃれあいも嫌いではなかったなという思いを、スフィアーネは作り笑いの下に押し隠した。
その時、「あ」とジェレミーが何かを思い出したように声を上げた。
「そうだ、君に会いたがってるやつを一緒に連れてきてたんだった」
「……私に?」
* * *
「イーライーーーーっ!!」
「クァアーーーーーッっ!」
ジェレミーに話を聞いてすぐ、昼食も中断し急いで向かったのは詰所の敷地の奥にある騎獣用の厩舎。
そこで待っていた彼にスフィアーネが名前を呼びながら両手を広げて駆け寄る。
すると、彼の方も待ちかねていたようにその大きな翼をバサバサっと拡げて嬉しそうな鳴き声を上げた。
「イーライ! 元気だった?
あーもう、ますます逞しくカッコよくなっちゃってー」
「クゥッ、ククッ」
嘴を摺り寄せてくるイーライ、ジェレミーの騎獣であるグリフォンの首のあたりをぎゅっと抱きしめながら、スフィアーネはその滑らかな羽の手触りを堪能する。
何とも仲睦まじい様子に、グリフォンの主であるジェレミーの方がすっかり置いてけぼりにされていた。
「俺と再会した時と、エライ態度が違わない?」
「え? 何か言った?」
「…………なんでもないです」
今は何を言っても耳に入ってなさそうで、ジェレミーはもう苦笑するしかない。
気難しい部類の騎獣のはずのイーライは、出会った当初からなぜかスフィアーネにとても懐いていて、巨躯を丸めて喉を鳴らしながら擦り寄って来るイーライにスフィアーネの方もすっかり絆されていた。
戦場に連れていくこともある騎獣を猫可愛がりするのはほんとは良くないのだろう。
だが、デレるのはスフィアーネ限定でそれ以外では普通の騎獣であるので、まぁギリギリ大丈夫かと放任していたジェレミーである。
久々に大好きなスフィアーネに会えてデレッデレの乗騎を眺めて、やれやれと溜め息をついた。
「イーライに乗って王都から来てたのね。
まあ、馬より断然早いものね」
「そ。王都からここまで半日で着くからな。
それに、北方でちょっと行きたいところもあって、どうしてもコイツの機動力が必要だったから」
「任務を兼任してるの?
ほんとに忙しいのね、第三師団って」
「いや……そういうわけじゃ、ないんだけど……」
騎士団の任務なら、当然話せないことの方が多い。
口ごもるジェレミーに、スフィアーネもそれ以上は追及しないでおいた。
「なあ、君、俺のこと昔の恋人だって、言った?」
「学院の先輩としか言ってない。
いろいろ勘繰られるのは面倒でしょう?」
「面倒か……確かにな」
先ほど、ジェレミーが部署に挨拶に来たときの態度だけでも質問攻めにあったのだ。
元彼だなんて知れ渡ったら、根掘り葉掘り聞かれたりあることないこと噂されたり、もう面倒くさいことになる予感しかしない。
「じゃ、ひとまずのところ学院の先輩後輩で多少知り合いだったとでも言っとこうか」
「そのへんが妥当でしょうね」
「りょーかい。ま、よろしくなー」
「……こちらこそ」
またしばらくよろしくね、とスフィアーネはイーライの嘴をなでる。
(私は私の現在を生きなきゃね。
たった三カ月で居なくなる男に心乱されている場合じゃないわ)
* * *
騎士団詰所に併設された職員寮の一室で、窓を開け放って一日締め切っていた部屋の空気を入れ替える。
各部屋に用意されている簡易な台所で淹れたお茶と一緒に、仕事帰りに勝ってきた夕食をほおばりながら届いていた書信の封を切っていく。
そのうちの一つは実家の父からのもので、音声記録結晶が入っていた。
数年前、灰猫商会という店が発売した、音声を記録する魔法陣を刻み込んだ魔道具だ。
かつては魔法使いたちが自らの魔力で創り出す魔晶石は大変貴重で、それを核として使う魔道具もまた貴重かつ高価なものだった。
後に、特殊な水晶を精製・加工して作られる人口魔晶石が開発され流通したことにより、フェアノスティ王国の魔道具製造技術は格段に進歩した。ただ、映像や音声を記録する魔道具は依然として高価かつ大型の物が主流で、一般的には貴族階級の家に設置して使うことが多かった。
そんな中、灰猫商会の発売した音声記録結晶は画期的で、従来品に比べ非常に小型化され、しかも安価であった。そのため、広く庶民の間にも浸透し、こうして紙の手紙に交じって情報交換に使われることも増えてきていた。
スフィアーネも伝手を通じて連絡用にと再生・記録用の魔道具と音声記録結晶をいくつか入手し、父の誕生日に実家に贈ったのだ。
小さな記録結晶を魔道具に設置して起動すると、久しく会えていない父の声が流れてきてスフィアーネの顔に笑みが浮かんだ。
今年は例年よりも雪が少なめであったこと、春の種まきに向けての準備が始まったこと、家族の体調。
ときおり届く父からの便りは、スフィアーネと故郷を繋ぐ大切なものとなっている。
記録音声の締めくくりに、父がこう告げた。
『もうすぐ春だね。
シェナの花が咲く頃には、一度帰っておいで』
それじゃ、という言葉で、記録結晶の音声は途切れた。
魔道具から記録結晶を取り外して机の上に置きながら、今日再会した春を告げる花と同じ色の髪をした男の顔を思い出し、スフィアーネは小さくため息を零した。




