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シェナの花の咲く頃  作者: 錫乃


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2/11

(2)

北方の冬は長く厳しい。

年が改まり王都以南では近づく春を徐々に感じ始めている頃だろうが、サザランド北方辺境伯領には春の訪れはまだまだ遠く、城壁も家々の屋根も雪が積もって真っ白だ。

そんな環境下で暮らす職員への福利厚生のために、騎士団詰所の敷地にある広場は玻璃で外界と仕切られた温室庭園になっている上、魔法で温かさが保たれている。今日は運よく雲間から日が差しているのでなおさら温かい。

冬場の貴重な日光を求めた人々が緑の芝生の上のあちこちで憩っているその横を、スフィアーネは食堂で買った昼食の包みを抱えて通り過ぎていった。

小さな池に面した小道を逸れて木立の間を縫うように歩いていくと、潅木の茂みの向こうに小さなベンチが見えてくる。

最初からここに設置してあったわけではないであろうそのベンチは、おそらく誰かがこの場所にまで無断で引っ張り込んできたもの。

奥まった位置にあるため小道を通る人からも見えないし、ベンチにいるこちら側からも見えることはない。昼休みをひっそりと独りきりで過ごしたいときに訪れる、スフィアーネのとっておきの秘密の場所だ。

時折この場所の存在を知っている男女が後からやってきて、先客がいることに気づいてぎょっとして去っていくこともあるのだが、まあそれも一興というものよねとスフィアーネは思っている。


今日も一番にベンチにたどり着き、少しだけ勝ち誇った気分で昼ごはんのサンドイッチを取り出した。


見上げれば、玻璃の向こう側ではまだまだ芽吹きは遠そうな冬の枝が寒風に揺れている。

シェナという名の北方特有の背の高い樹木で、領都の名前の由来にもなっている植物だ。春先には他の木々よりも一足早く若葉を芽吹かせた後、その黄緑の葉を覆い隠すほどたくさんの薄紫色の花を咲かせて北方地域の人々に春の到来を告げてくれる。

あと三月(みつき)もすればまたこの花の季節がやってくる。そこかしこにある木々が一斉に花をつけ、領都内を薄紫に染めることだろう。

先ほど職場に姿を見せたシェナと同じ髪色の男が一瞬頭を過り眉間に薄く皺が寄るも、とりあえず考えないようにしようと、スフィアーネはサンドイッチと一緒に買った温かいお茶を取り出した。期間限定と書かれたプレートに惹かれて買ってきたシェナの花の香りをつけた茶をひとくち口に含み、ほぅと息を漏らしたときだった。


「おー、いたいた」

「ジェレミー!?」

「よっ」


片手を挙げて姿を現した薄紫の髪をした騎士に驚きを隠せず、思わず呼び捨てにしてしまった。


「なんで?……どうしてここがわかったの!?」

「スフィアーネの匂いを辿ってきたんだ」

「…………」

「うわ。すっごい冷たい目で見られたし。

久しぶりに会ったっていうのに、酷くない?」

「……で?」

「……ごめんなさい、ほんとは食堂からずっと後をつけてきました」

「最初から正直にそう言いなさいよ、馬鹿」


へへっと笑いながら隣に腰を下ろした男をスフィアーネはじとりと睨みつけた。

王都から来た剣指南役の騎士、ジェレミー・ノーツ。

スフィアーネにとって彼は王立学院の先輩でもあり、実のところ元恋人でもあった。

スフィアーネが王立学院高等部に入学した春、学院の敷地内を見学していた時に出会った二人は、それから二度目の夏を迎えるまでの一年半ほど交際していた。

一つ年上のジェレミーは卒業後王立騎士団の第一師団所属の騎士として王城に勤務し始め、スフィアーネの方は二年ある学院高等部過程の履修単位は一年でほぼすべて取得していたが、そのまま二学年目も学院に残って研究を続けるつもりだった。

しばらくは通信魔道具で頻繁に連絡をとり、ジェレミーとの休暇が合えば一緒に過ごしたりもしていた。

だが、毎日会えていた学院時代と違って、別々の環境にいればどうしてもすれ違いは増えてしまう。

そして夏を迎える頃、スフィアーネが早期卒業の手続きをして北方に戻ることを決め、そのタイミングで交際は終わった。

それが、今から六年半ほど前のことだ。


「だいたいなんで、貴方がここにいるわけ!?」

「え?

だから事務所を出たところからずっとつけて……」

「そこからずっと!? さっきは食堂を出てからだって言ったじゃない!!」

「あれ? そうだっけ?」

「まったく貴方は……って違う! 言いたいのはそこじゃない!

なんで、どうして、貴方がラシェナの騎士団に来ているのかって聞いてんのっ!

第一師団で王城警護をしてるんじゃなかったの?」

「ああ、そっちか」


ジェレミーは剣の腕と整った容姿を買われて、王立騎士団第一師団に配属された。

第一師団はフェアノスティ王国の王城エリシオン内の警備や国内外の要人警護が主な仕事の、いわば王国騎士の花形だ。


「いやー、ちょっといろいろあって、乱闘騒ぎを起こして第一師団をクビになりかけて」

「乱闘!? ちょっ、何やってんのっ!」

「まあそれはなんとか謹慎処分で済んだんだけど。

そのまま第一師団に身を置くか騎士を辞めるかで悩んでた俺を哀れに思し召した第三師団長殿が拾ってくれたってわけ」


王城が主な勤務場所である第一師団と違い、第三師団は外敵への対処や魔獣退治など主に荒事を担当する。

第一師団とは別の意味で騎士を志す若者たちの憧れる騎士団ではあるが、その任務は常に危険は伴うため、規律も訓練内容も他の師団に比べ格段に厳しいという噂だ。

いろいろな意味で眉を顰めたスフィアーネに、ジェレミーの方はあっけらかんと笑う。


「第三、って、危険職じゃない……」

「まあ、危険はつきものな場所に派遣されるのは確かだけど。

でも、騎士の本分を全うしてる、って感じだな。

手当もいいし」


言いながら、ジェレミーは持っていた飲み物を一口啜った。

漂ってきた薬草茶の香り。

体力・魔力両方の回復効果があるもので、訓練後の騎士がよく飲んでいる。

自分は苦くて飲めはしないけど、彼が飲む薬草茶の香りは嫌いではなかったなとスフィアーネはぼんやりと思い出していた。


「俺、わりと剣の腕が立つからさ。

第三師団移籍後も、任務の合間を縫って学院の騎士科でたまに後輩の指導をしてたりもしてたんだけど。

そしたら、辺境騎士団から剣指南役の派遣依頼が来てるからって、こっち出身の俺が選ばれたってわけ」

「……上官に盾突いて地方に左遷、ってわけじゃないでしょうね?」

「ちがいますー。第一抜けた時以来、揉め事は起こしてませーん。

これでも、今の職場じゃ同僚や上司から評判いいんだぜ?」


ジェレミーはそんな風に言ってまた笑った。

気心の知れた相手に見せるのほほんとした態度とは裏腹に、内面は生真面目で実直な男なのだということはスフィアーネもよく知っていた。

だから逆に、もめ事を起こして第一師団から移籍することになったというのが腑に落ちないと感じた。


(いろいろあった、ということかしら……?)


自分たちが一緒にいた時間よりもはるかに長く、月日は過ぎたのだから。

そう納得したスフィアーネに、逆にジェレミーからも質問が飛んできた。


「そういう君は、どうして辺境騎士団勤めなんだ?

王都を去ったあとミアネス子爵領に帰ったんじゃなかったのか?」

「えーっと、ね……」


王都で騎士をしているはずのジェレミーが目の前にいることにスフィアーネも相当驚いた。

同様に、ジェレミーの方も騎士団詰所でのスフィアーネとの再会には心底驚かされた。

二人が別れる直前、スフィアーネが王立学院を早期卒業すると決めたのは彼女が実家であるミアネス家の子爵位を継承することになったためだと聞いていたからだ。スフィアーネには二つ上の兄がいて本来なら彼が次期子爵であったのだが、格上の伯爵家のご令嬢との婚姻の話が持ち上がったため急遽第二子であるスフィアーネが爵位を継ぐことになったのだ、と。

実家の領地に帰っていたはずの元恋人が領都の辺境騎士団で事務職員をしていたんだから、ジェレミーが困惑するのも当然だろう。


「お兄様の縁談の話が、無くなって……結局、爵位はイルス兄様が継承したわ」

「それは……」


ジェレミーが何か言いかけて一旦言葉を飲み込んだ。

そして若葉色の瞳にまっすぐスフィアーネを映しながら尋ねた。


「君は、本当にそれでよかったのか……?」


少しだけ言いにくそうに語尾を小さくした彼に、スフィアーネは苦笑する。

六年半前、家の事情で早期卒業をして王都を離れることになったから別れようと、スフィアーネは告げた。あの時のジェレミーは、突然の別れ話に困惑を見せながらも『君がそう決めたのなら応援するよ』と送り出してくれた。

あっさり『やっぱり兄が継ぐことになったから』だなんて、なんだそれはと呆れられることも覚悟していたのに、最初に口に出たのが爵位を継げなくなったスフィアーネを心配する言葉だとは。


(あなたは、相変わらず優しいのね)


「領地経営の勉強も興味深かったけど、ね。もともと、兄様が継ぐのが順当だったのだし。

今は幼馴染の子爵令嬢と結婚して、立派に領地を経営してるの。

それに、私自身も今の仕事はすごくやりがいがあるしね」


スフィアーネは努めて明るい声を出した。

話を聞きながら難しい表情をしていたジェレミーも、ふっと小さくため息を漏らした後困ったように眉尻を下げ笑った。


「……そっか」


ぽん、とスフィアーネの頭に乗せられた、ジェレミーの大きな手。

多分無意識だったのだろう。

慌てたジェレミーが「ごめん、つい」と謝りながら手をどけたのを、スフィアーネは少し残念にも思った。

恋人だった頃の癖。

年は一つしか違わないが、騎士らしく大柄なジェレミーと華奢で小柄なスフィアーネが並ぶと、兄妹が親子みたいだと友人からはよく揶揄われたものだ。

『子ども扱いしないで』と怒りながらも、剣だこのあるジェレミーの手にぽんぽんと頭を撫でられるのがスフィアーネは嫌いではなかった。

込み上げる懐かしさを押し流そうと、スフィアーネは別の話題を探した。


「ジェレミーは?

ノーツ、ってまだ名乗ってるってことは、婿入りじゃなく奥方を迎えたってこと?」

「いやなんで結婚してる前提??」

「え……だって……」

「第三師団所属になってからは国境での紛争鎮圧だの魔物退治だので休みなしの大忙し。任務がない間は王都の学院で餓鬼どもの相手。

嫁もらうどころか恋人だって作る暇なかったよ。だからまだ独身です」


彼の第一師団勤めが始まってすぐの頃、王城で大規模な茶会が行われ、新人だったジェレミーも警護の任に当たっていた。

そこで多くの貴族の令嬢に見初められ、当時、彼のもとには邸宅で行われる茶会や夜会への招待が殺到していたという。

ジェレミーは男爵家の次男で継ぐ爵位はない。自分が王都を去った後はきっとすぐにでもいずこかの高位貴族家に婿入り、でなければ貴族令嬢を娶ってその家から後援を受けるものだとスフィアーネは思っていたのだ。


(もう、とっくに、そうなってると思ってたのに……)


口籠ったスフィアーネを横目で見ながら、今度はジェレミーが質問してきた。


「そういうスフィアーネは結婚してるのか?」

「私も……まだだけど……」

「そうなんだ……なんだよ、なら一緒じゃないか」

「そう、ね……こちらに戻ったのなら、ご家族にはもう会えたの?」

「いや、会ってない。騎士団の宿舎に部屋を用意してもらってるし」

「顔くらい見せに行きなさいよ」

「ちゃんと連絡は取ってるって」


久しぶりに会った昔馴染みの間でのごく普通の世間話。

なのにその意味を心が理解する前に言葉だけが自分の周りを滑って落ちていくような、そんな居心地の悪さを感じた。そんな風に思っているのは自分だけなのだろうかと考えていたスフィアーネは、続いて出て来た何気ないジェレミーの呟きに固まった。


「それに、北方辺境伯領(こっち)にいるの、三カ月だけの予定だし」

「え……?」



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