縁切りの果てに
伊織たちが部活に勤しんでいる頃。
百鬼夜行部員たちも部室に集まっていた。其処には真莉愛に呼ばれた英玲奈もいて、難しい顔で雛子の手を弄んでいる。
「こんなに視界が喧しいのは久しぶりですね……なにがどうしたらこんな複雑なことになるのかわかりませんが、とにかく一つ一つ解くのは、もう無理だと思います」
「マジかよ。どんだけ水面下で蔓延してんだか」
英玲奈の目に映る縁の糸は、最早複雑に絡み合っていて、結び目もわからないほどになっていた。本来なら絡まった糸くずのようになることはない縁の糸が此処まで複雑化してしまっている以上、出来ることは放置か裁ち切りの二択であると英玲奈は語る。
「そう言えば……伊織くんが何だか困ってるみたいだったんです。殆ど話したことない人から恋人みたいに話しかけられたり、した記憶のない約束の確認をされたり……」
「それも嘘と真実を入れ替えた結果だろうね。あの子モテるから、嘘屋を知った人間が勝手に真実を作ろうとしてもおかしくないし」
なるほどと思いかけて、ふと。
モテると言えば此処にいる先輩たちこそモテるのではなかったかと思い、隣の伊月を見た。彼は相変わらずマイペースに本を読んでおり、話を聞いていたかどうかも定かでない様子だ。
「僕らはさすがに、嘘屋みたいな人工の都市伝説に書き換えられるほど弱くないから、心配しなくて大丈夫だよ」
「えっ、あ……そうなんですね。良かったです」
驚きつつも安堵の息を漏らし、千鶴は桜司の手に自身の手を添えた。此方もいつもと変わらず、千鶴が桜司の膝でぬいぐるみのように抱えられている。
「でも、伊織くんはそのうち引っ張られちゃうかもだから、切ったほうが良くない?」
「そうですね。彼なら護りもありますし、多少切ったところで死にはしないでしょう」
英玲奈はどこからともなく楓の団扇を取り出すと、宙で一振りした。
そのときだった。
「あああああああああ!! 嘘嘘嘘嘘! 嘘ならいらない! 大御門くんに愛されないまゆかなんかいらないんだからァアアア!! 嫌嫌嫌あああああああああああ!!」
奇声を上げながら、何者かが校舎の廊下を駆け抜けていった。野太い絶叫と、重たい足音で一瞬迷ったが、声の主は女子生徒のようだ。
――――そして、校舎の外れでドサリと一等重い音がして、狂乱が止んだ。
「いまのは……?」
「伊織さんに偽りの真実を結んだ誰かでしょうね。急に叫び出した理由は謎ですが……縁切りに狂気のオプションはないはずですし」
「だよなァ」
常軌を逸した叫びに怯える千鶴を、背後から桜司が無言のまま包む。いまばかりは、この優しい体温に全身で甘えていたかった。
異常事態にもある程度慣れてきたとはいえ、それでも心臓が凍るような声だった。
「とち狂った縁っていや、今朝も見たな。山口里菜ってヤツが大学に乗り込んでって、彼氏らしき男の前で首切って自殺したんだが……あの様子もだいぶ壊れてたな」
「それ昼休みにクラスの子から聞いたけどさ、縁の書き換えだけでそんなことなる? さっきのも切った直後に叫んだでしょ?」
桐斗はクラスの女子から、山口里菜が最近「年上の彼氏が出来た」と友人に自慢していたことを聞いていた。里菜の友人たちは、うんざりしつつもその内容に引いていて、クラス外にも愚痴と称して里菜の所業をばらまいていたのだ。
「初カレなら酔っ払うのもアリなんじゃねえの?」
「それがさー、なんか彼女がいる男を盗ったとか何とかで。待ってね。愚痴はメッセで話してたから残ってるんだよね」
桐斗はごそごそと鞄を漁ると、ジュエルストーンやビーズやシールなどで飾った携帯端末を取り出して、簡易メッセージツールの画面を呼び出した。其処には同じクラスの女子生徒数名とやりとりした内容がそのまま映っており、千鶴と柳雨は画面を見ながら難しい顔をした。
『てかアイツ、年上の彼女がいる男を寝取ったらしくて』
『マジで? ヤバ(笑)』
『元カノのことババアつったり、厚化粧ブスつったりして散々なんだけどさぁ、なにがヤバいって、その元カノ萩組に弟がいるんだよね。ソイツの前でわざわざ言ってたからいつか刺されるんじゃね?笑』
『うわー性格悪っ』
萩組と、弟。その文言を見て、柳雨は漸く合点がいった。
朝の時点で山口里菜の真実を書き換えたのは、やはり萩組の男子だった。恐らく彼女自身も嘘屋で真実を入れ替えて、萩組男子の姉から恋人を奪ったのだろう。その惚気と姉への侮辱を散々聞かされていた萩組男子が、腹に据えかねて嘘屋に依頼した。結果、山口里菜は嘘屋で手に入れた縁を失い、自死を選ぶ羽目になったのだ。
あのとき、大学で山口里菜を暗い目で見つめていた女の端末には、弟から偽の彼女が消えるように願った旨が書かれていたのだろう。
人はこの世に縁を結んで生きている。人、物、娯楽、仕事、様々なものに結んだ縁は文字通りの命綱であり、それらが切れれば現世にいられなくなってしまう。
「……ああ、なるほど。よく見ればわかることでした。この複雑に絡まった糸は全て、偽りの真実にのみ繋がっているんです。だからそれが切れたら生きていられなくなる。簡単なことでした」
宙を見つめながら、英玲奈が溜息を吐いた。その吐息と声音には疲労が滲んでおり、雛子が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「それじゃあ、解くことも切ることも出来ないってことですか?」
「それに、里菜って子みたいに別の誰かに新しい嘘の真実を願われたら其処でも偽りの縁が切れるから、だいぶヤバい事態だよね」
「これもう嘘屋シメるしかなくね?」
柳雨が、半ば投げやりに物騒な解決案を口にしたときだった。
「それには及びやせんぜ、旦那方」
部室の外から声がした。
千鶴にとっては聞き覚えのない声で、柳雨と英玲奈にとっては聞きたくない声が。
「ッ、お前、なんで学校に入ってこられてんだ」
「……恐らく、利用者の縁があまりにも濃いからでしょう。最早この学校は領域として機能していないようですね」
英玲奈は雛子の前に立ち、桜司は千鶴を抱く腕に力を込める。柳雨は英玲奈の傍らに立って、鋭い目で扉を睨んでいる。伊月は本を開いたままながらも、視線だけは扉へと向けていた。
扉の此方と彼方で、触れれば血が流れそうなほど鋭く、緊張の糸が張られている。
「小生の巣がこれほど広がるとは思いやせんで。少々遅まきではごぜえやすが、回収に参りやした」
「絡まっている糸に見覚えがあります。あなた、あのときの糸を使用していますね」
「へえ、ご明察で」
英玲奈の指摘にも悪びれず、嘘屋はあっけらかんと言ってのけた。英玲奈の言うあのときとは、小学校でクラスメイトがお呪いに没頭して身を滅ぼした事件のことだ。強い縁を願った結果自分が糸巻き人形になってしまった少女の、歪な縁の糸。それが今回の事件に使用されているのだという。
「ちょいとお試しのつもりでごぜえやしたが、こいつぁ使い物になりやせんねえ。他の縁も喰っちまうようじゃあ、割に合いやせんでしょう」
「その糸を回収したら、どうなるんです」
「生きておられる人間でしたら元通りでごぜえやすが。死んじまったもんはどうにも」
まだ命の在処まで巻き戻せるほどの怪異でないことに、柳雨たちは安堵した。千鶴は複雑そうだが、いつの間にか桜司に口を塞がれていたためなにも言えない。
「だったら終わらせろ。最初は人が願ったこととはいえ、これ以上人死にが出続けると面倒くせえ」
「へい、仰せの通りに」
これで立ち去るかと思いきや、嘘屋はまたも最後に「ああ、そうそう」と思い出したように付け足した。
「迷惑料は前回同様で宜しいんで」
「おう、そうしろ」
「!?」
さらりと答えた柳雨の傍で、桐斗が目を丸くしている。
「では、そのように。失礼致しやす」
嘘屋の気配が消え、部室内にピンと張り詰めていた緊迫感がフッとほどける。そして早速桐斗が柳雨を睨み、脇腹を肘でどついた。
いつもの空気が、やっと戻ってきた。




