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鬼灯町の百鬼夜行◆宴  作者: 宵宮祀花
逢ノ幕◆千里の轍

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まつろわぬものたち

「あ、次のお店ついた!」

「ここは……?」


 声と共に店の前で足を止めた。だが、桜には花屋街で使われている文字は読めない。山瑠璃屋もそうだったが、この店も立派な日よけ暖簾が掲げられており、小豆色の地に白い文字で屋号が書かれている。


「呉服屋さんだよ。虎尾さんとこもそうだけど、お代はセンリが払ってくれてるから、気にしなくて大丈夫だよ」

「えっ、そうだったんですか」


 先の店で代金を払う素振りを見せていなかったのは気付いていたが、現世とは違ったシステムなのだろうと思っていた桜は、驚いて桐斗に聞き返した。


「怖い思いをさせたお詫びだってさ」

「そんな、センリさんのせいじゃないのに……」

「一応街を預かる立場だし、気になるんじゃない。ありがたく受け取っておきなよ」

「そうですね……せっかくの好意を無下にしてしまうのも悪いですし。次に来たとき、改めてお礼をいうことにします」


 桜の言葉に満足げな顔で頷くと、桐斗は桜の手を引いて店に入った。


「こんにちはー」

「いらっしゃい、鬼灯町の子猫ちゃん」


 応対に出てきたのは、表の暖簾と同じ小豆色の夏着物を着た貂だった。背筋を伸ばし穏やかに挨拶をする貂は、桜を見ると元々柔和な表情を更に和らげてお辞儀をした。


「これは初めまして。朝熊あさま屋の竜胆と申します」

「初めまして。桜です」


 竜胆に倣って桜もお辞儀をして、それから店内を見回した。

 色とりどりの着物に羽織、半襟や帯飾りが所狭しと並び、店の奥には試着するための座敷がある。座敷ではふたりほど着物を合わせている妖がいて、鏡の前で袖を広げたり帯を合わせたりして吟味している。


「センリ様から、桜様に着物を見立てるようにと伺っております」


 まさか着物だとは思っていなかった桜は、ほんの先ほど決意したばかりだというのに遠慮心が湧いてくるのを感じた。しかしまさかここまできていらないというのは却って失礼になってしまう。現世の呉服屋にすら行ったことがない桜にとって、ここに並んだ反物がどれほどの価値があるものかもわからない。抑々、現世とは価値観が違うのかも知れない。

 こういうときどうすればいいのか、目眩がしそうなほど艶やかな空間の中でぐるぐる思い悩んでいると、桐斗が背中をぽんと叩いた。


「どれも綺麗だから悩むのはわかるけど、せっかくだし近くで見せてもらいなよ」

「えっ……あ、そ、そうですね。ここでずっと悩んでいても仕方ないですし……お願いします」

「ええ、どうぞごゆっくり」


 桐斗の機転に助けられた桜は、手を繋ぎながら着物が並ぶ場所まで近付いていった。衣紋掛けに下げられた着物はどれも見るからに上等で、素手で触れることすら躊躇ってしまうほどだ。

 優美、可憐、艶麗、典雅。どれほど言葉を尽くしても表わしきれない。そしてそんな中から着物を選ばなければならないのだということも覚悟しなければならないのだが、桜はどうにも決められそうになかった。


「あの……赤猫先輩は、どういうのがいいですか?」

「僕?」

「はい」


 自分では決めきれないと悟った桜は、隣で目を輝かせている桐斗に訪ねた。いっそ、お洒落に疎い自分ではなく優れた感性の持ち主である桐斗に選んでもらったほうが良い気がしたのだ。


「でも、桜のためのお買い物だよ?」

「そうなんですけど……どれも綺麗で選びきれなくて……先輩はいつもお洒落ですし、わたしより見る目があると思いまして」

「んー、そこまで言うなら、二択までは僕が選んであげる。最後の選択は桜がしてね」

「わかりました」


 桜が頷くと、桐斗は桜に山瑠璃屋の土産をいっとき預けた。鼻歌交じりに着物の森を歩き始め、あれでもないこれでもないと物色していく。

 以前に現世の服屋へ共に行ったときもそうだが、桐斗は服や小物を選ぶとき、とても楽しそうにする。自身を着飾ることも、他者を飾ることも好きで、楽しんで行う。桜はいままで生きて来てそういった感覚を味わったことがないため気後れしがちだが、彼の楽しげな様子に引っ張られて、最近は少しずつ実用目的以外の小物を買うようになってきていた。

 背の高い着物のあいだを行き来する桐斗を眺めていると、ひょっこりと顔を覗かせて桜を手招いた。


「見つかりました?」

「うん」


 手招きに従い、傍まで近付いていく。桐斗が目を付けたのは、赤い地の着物と生成に近いミルクのような色の地の着物の二つだった。地の色は対照的だが柄の色はどちらも薄紅色で、そしてどちらも桜の花が描かれている。

 この色味は、以前桐斗たちと初めて買い物に出かけたときの服に似ていた。


「先輩、これ……」

「ふふ、わかった? 前のときは伊月に初めてを取られちゃったからね。街の着物ならおーじが既に着せてるんだけど、だからこそ僕も桜に自分が選んだのを着てほしくて」

「それじゃあ、この着物は……」

「街で買ったものだよ。てゆーか、お祭りのときのあれもそうだし」


 桜は鬼灯祭のときに見た、呉服屋めいた部屋の様相を思い出していた。あの着物は、この街で仕入れたものだったのだ。

 改めて、桐斗が選んだ二点の着物を見比べてみる。紅い地のほうは桜司が選ぶ着物の雰囲気に似ている気がした。もう一方は色味がやわらかく、私服でも滅多に選ばない、明るい印象の着物だ。だが桜の柄が可愛らしすぎず、帯によっては落ち着いた雰囲気で纏めることも出来そうだと思った。


「……こっちを、着てみたいです」

「へえ、意外」


 目を丸くして言ったかと思うと、うれしそうに笑って「じゃあ、こっちね」と言い、桐斗は紅い着物を戻した。その頃合いで店主が近付いてきて、愛想良くお辞儀をした。


「お決まりでございますか?」

「この着物なんだけど……一度羽織らせてもらってもいいかな?」

「畏まりました。では、あちらで合わせてみましょう。どうぞ」


 桜は土産を桐斗に再度預けると、導かれるままに座敷へと上がり、鏡の前に立った。薄い桜色の髪を見ても千鶴は何の違和感も抱かず、寧ろ上等な着物を合わせることへの緊張感を張り付けて、さび付いた人形のような風情で固まっていた。


「どうぞ楽になさってください」

「は……はい……」


 軋む音さえ聞こえてきそうな様子の桜の傍らで、竜胆がにこやかに着物を合わせる。いま着ているものが夜桜なら、あわせている着物は真昼の桜だ。春の色を目一杯使ったやわらかな色味の着物は、店に入ったときの第一印象に違わぬ上等な染物であった。


「よくお似合いですよ」

「あ……ありがとう、ございます……」


 恐縮しきりで、細い声で答える桜を、竜胆はにこにこと見守っている。そんな竜胆の後ろから、別の客に対応していた店員が近付いてきて何事か囁いた。


「ふむ。そうですね、では、そうしましょう。持ってきてもらえますか」

「畏まりました」


 ガチガチに固まっていた桜には、ふたりのあいだにどんなやり取りが成されたのかを気にする余裕はなく。店員が一度傍を離れてから桜柄の帯を持って戻ってくる様子を、白昼夢でも見ている心地で眺めるのみであった。


「此方は、お召しになっている着物にあわせて作られた帯でございます。よろしければ此方もご一緒にどうぞ」

「え、で、でも……」

「折角の揃いですので、お近づきの印に受け取って頂ければ幸いにございます」

「う……ええと……わかりました。次に来るときに、着て来ますね」


 視線を彷徨わせ、うるさく騒ぐ心臓を宥めることも叶わぬままに頷きながら桜がそう言うと、竜胆は柔和な表情を更に和らげて、うれしそうに「ありがとうございます」と言った。

 礼を言わなければならないのは、こちらのほうだというのに。


「では、お包み致しますので、どうぞこちらでお待ちくださいませ」

「はい……ありがとうございます」


 案内された場所は、店の一角にある座椅子だ。桐斗も寄ってきて傍に立ち、にこにこ笑いながら千鶴を見つめている。


「良い着物と出逢えて良かったね」

「はい。緊張しましたけど……着るのが楽しみです」

「そうそう。オシャレは楽しむのが一番だからねー」


 桐斗の言葉は、桐斗本人が常日頃から体現している。他でもない自分のために着飾ることを楽しみ、季節を楽しみ、そして好きな格好で出かけることを楽しんでいる。


「先輩のお陰で、お洋服を着るのが楽しいって感覚が、少しわかってきた気がします」

「えへへー、そっかー」


 桐斗は満面の笑みでうんうん頷くと、褒めるように桜の頭を撫でた。

 桜司の術で桜が薄桃色の髪色をしているいま、鴇色の髪の桐斗と並ぶと姉妹のように見える。


「お待たせ致しました」


 そこへ、着物を包み終えた竜胆が現れ、屋号の紋が入った風呂敷を差し出した。小豆色の生地に白い紋のそれは、外の日よけ暖簾と同じ作りをしている。


「ありがとうございます。大事に着させて頂きます」

「こちらこそ。どうぞ、着るを楽しんで、今後ともご贔屓に」

「ありがとうございました」


 深々とお辞儀をする竜胆たち店員一同に見送られ、桜と桐斗は店をあとにした。


 花屋街は、夜が更けることもなければ、明けることもない。不変の宵が覆う、永久の街。人里から夜が消え、住処を失った妖たちのための街である。昼も夜もない街では、居並ぶ店はどれも、人間社会のように明確な営業時間を持たない。気紛れに店を開け、気紛れに休む。あるがままにあり、街はそれを肯定する。


「桜、花屋街はどうだった?」

「とても楽しかったです。街並みも綺麗ですし……良いお店もたくさんあって」

「良かったー。連れてきた甲斐があったよ」


 片手にそれぞれ土産を抱え、あいているほうの手を繋いで帰路につく。

 表札に『八百狐』と書かれた細い路地に建つ家の扉を開けると、見慣れた玄関と白い着物姿が桜の前に現れた。


「たっだいまー!」


 まず真っ先に、桐斗が草履を脱いで飛び込んだ。その後ろに続きながら、桜は土産の風呂敷を抱え直して目の前に立つひとを愛おしげに見上げた。


「桜司先輩、ただいま戻りました」

「お帰り、千鶴」


 桜司がそう口にした瞬間、桜色の髪がふわりと風に靡いて元の甘栗色に戻り、緋色の瞳も濃い茶色になった。そして先ほどまで自覚していた名から、千鶴という本来の名を取り戻した。

 桜の名をもらったとき同様に違和感もなにもなく千鶴に戻り、そっと息を吐く。


「それは、朝熊屋の着物か。お主が選んだのか?」

「えっと……わたしはお店の雰囲気に圧倒されてしまって、選べなくて……赤猫先輩に二択まで絞ってもらったあと、二つの着物から選びました」

「そうか。まあ、彼奴の感覚であれば似合うものを選んだのであろう」


 桜司の口から素直に桐斗を褒める言葉が出てきたことがうれしくて、千鶴が微笑む。草履を脱ぎ、まずは寝室に入ると着物を寝台の傍にある椅子に預けた。

 着替えるついでに風呂を済ませ、千鶴は感覚としては数刻振りに居間を訪れた。


「おチビちゃん、お帰り」

「ただいま戻りました」


 出かけたときと変わらず柳雨はコントローラーを握っていて、テレビ画面には少年が広いフィールドを走り回る様子が映し出されている。

 ふと、居間の時計を見ると、すっかり日暮れの時刻になっていた。出かけたのは朝方だったはずだが、思っていた以上に時間が経っていたようだ。


「浦島太郎の気分だろ?」


 時計を見て目を丸くしていた千鶴を横目に、柳雨が笑って言う。ここにいる皆は最早日常なのだろうが、千鶴にとっては昔話でしか聞かないものだ。鬼灯町に越してきた、あの頃の驚きを改めて体感した千鶴は、少しばかり新鮮な気持ちになっていた。


「少し、驚きました。本当に、数時間くらいの感覚でしたので」

「はは。最初はそんなもんだよなあ」


 桜司は席を外しているようで、居間にはいない。空白の隣をちらりと見ながら千鶴がソファに腰を下ろすと、大きな影が差した。


「……? 青龍先輩、どうしました?」


 顔を上げれば、そこにはなにやら物言いたげな顔で千鶴を見下ろす伊月がいた。

 彼の表情は相変わらず読みにくく、無言で傍に立たれるとえも言われぬ圧を感じる。以前ほど萎縮しなくなったとはいえ、言葉を発するまでの緊張感は拭えない。


「わ……!」


 伊月は無言のまま千鶴の隣に腰を下ろすと、両脇を抱えて自らの膝へと乗せた。よく桜司にされている抱き方で抱え込まれて困惑する千鶴を余所に、当人はいたく満足げである。


「やはり、小さいな……」

「……はい」


 大きな腕で抱え込まれては抜け出すことも出来ない。

 千鶴はあきらめ顔で受け入れ、桜司が戻るのを待つことにした。


 千鶴は知らない。

 狐もなかなか嫉妬深い性質であるが、龍神もまた、一人の嫁を生涯大事にする性質であることを。柳雨も桐斗も知っていて黙っていることを。

 いまはまだ、千鶴だけが知らない。

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